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「あはっ、可愛いお姉さんですね~。初めましてぇ~」 「どうも……。姉のクルミです」 私は自分を見下ろす巨人に頭を下げた。弟の彼女……ではまだないが、上手くいけばそうなるであろう相手。好印象でありたい。が、いつもと違って友好的なので私は面食らった。……なんだか嫌な予感もするけど。 縮小病という、体が縮む不思議な病気が流行ってから少し。私もその患者の一人だった。私は特に症状が酷く、十分の一サイズまで体が縮んでしまったのだ。本来ならバリバリ働いているはずの年齢だが、今はこうして大学生の弟に面倒をみてもらっている。 その弟は、彼女候補が姉を嫌がっていないことに安堵していた。それもそのはず、私は弟の交際を潰し続けていたお荷物だったからだ。私は何もしていないし、むしろ印象を良くしようと努め続けてきた。でも若くして一生要介護の身内がいる、それも大学生の時分から同居というのはかなり重く思われてしまうようで、弟はなかなか長続きする彼女を作ることができずにいた。人形サイズの生きた人間、というのは生理的な違和感嫌悪感を抱かせるらしく、家に来た友人彼女たちは皆、私を見ると一瞬ギョッとして固まる。その度に私は胸が痛む。けど責める気にもなれなかった。私も立場が逆だったらきっと同じ反応をしただろうし、縮んだ姉と同居してる男を彼氏にしたいとは思わなかっただろうから……。 今日の彼女候補はとっても私に友好的で、可愛い可愛いと連呼するもんだから、私はいつもとは逆の感情でいたたまれなくなってしまう始末だった。可愛いわけないでしょ。碌に体の手入れもできてないのに。でもそんな風に言ってもらえるのは縮んで以来なので、恥ずかしいけど嬉しくもあった。 ただ、心配なのは子犬や子猫を見た時の「可愛い~」と同じニュアンスであること。私を同じ人間だと、感覚的なところでわかっていないんじゃないかという気がする。……まあ、それは私も同じだけど。自分の十倍スケールの巨人たちと同じ種族なのだと言われても、私の本能は恐怖を拭いさることができない。昔はふざけて遊ぶ仲だった弟にも、今の私は従順な子犬みたいな態度をとってしまいがちだ。 私の紹介も終わったので、私は裏に下がった。裏といってもティッシュ箱の陰に隠れるだけだけど。私は箱に背中を預けたまま、彼女候補と弟との他愛ない話に耳を傾けていた。仲は悪くないみたい。上手くいきそう? いくといいな。弟が彼女と別れる度に、私は罪悪感で泣かされてしまう。どの彼女も表面上は私を理由にあげないけど、明らかにそうとしか思えないから。 彼女が彼女になったと聞かされたのは数日後。私はホッと胸をなでおろした。とはいえ、続くかどうかが問題だけど……。そう思った矢先、彼女が訪ねてくることになったと聞かされ、私は驚いた。今までは弟も彼女もデートの際は私をできるだけ避けていたのに。 「お姉さん、フィギュアクリームって知ってますぅ?」 「え? いや、知らないけど……」 彼女は鞄から白い瓶を取り出し、私の前に置いた。ラベルにはフィギュアクリームと書かれている。彼女とラベルの説明文によれば、これはフィギュアに塗るためのものらしい。そうすると艶が出て綺麗になるし、破損個所も修復してくれるようになるそうだ。特筆すべきは汚れの分解機能。クリーム内のナノマシンが、人体由来の汚れ、油とか垢とかを全て分解してくれるため、フィギュアを常に清潔に保てるようになる……というのが触れ込みだった。彼女はこれを私に塗ろうと提案したのだ。 「ええーっ、嫌だって。それフィギュアに塗るものなんでしょ? 私は人間だし」 「大丈夫ですよ、人が触っても健康に害はないってネットで書いてたしぃ、それに……」 小人になった私にとって一番の悩みであるトイレとお風呂の問題が解決する。彼女はそう言った。全身にぬれば汚れを分解してくれるから常に清潔でいられるし、股間に厚く塗りたくれば、排泄処理もクリームだけで間に合うだろう、と。 「私ぃ、二人の力になりたいんですぅ。お話聞きました。とっても苦労されてるんだって……」 確かにそうだけど……。弟にウンチの後処理をされる惨めさは言葉では言い表せない。この年で弟にお風呂で洗ってもらうのも。本当にトイレに行かなくてもよくなるんだったら、それは本当にすごいことだけど……。でもそれ、本当に大丈夫なんだろうか。あとで体に悪影響あったりしない? 「まあ姉さん、試すだけ試してみたら?」 「うーん……」 あまり意固地になっても、彼女の印象を悪くしちゃうかも……。また私が原因で別れさせちゃうのも忍びない。 「……わかった」 私はフィギュアクリームを試してみることに決めた。まあダメだったら洗い落とせばいいしね。 「おお……」 スマホで撮ってもらった私の姿は、とても自分だとは思えない変化を遂げていた。全身をフィギュア用のクリームで塗りつくされた私の肌は、生きた人間の肌から遠く離れ、樹脂みたいな質感を纏っている。毛も染みも皴もない、血管も見えない、まさしくフィギュアの肌と言った感じ。艶々とした光沢まで見受けられる。私の顔も何故かデフォルメチックになっていて、アニメキャラの顔みたいだった。髪の毛はまるで一つの塊のようで、それが髪の毛に見えるよう上手く形状が造形されている。フィギュアの髪パーツといった趣。私は、まさしく生きたフィギュアに変貌を遂げたのだ。 「お姉さん、可愛いーっ!」 彼女が嬉々として写真を撮ろうとしたので、私は真っ赤になって静止した。だって何も着てないんだもん。全裸……いや、本当の裸はもうクリームに埋没したから、これは厳密には裸じゃないかもしれないけど、恥ずかしいのは変わりない。だって、乳首も秘所もなくなっているんだから。厚く塗られた股間はマネキンのように平坦でツルツルしている。乳首が消えたのは予想外だったけど、かといって削ってとも言い出しづらい。私の乳首を覆う程度に胸がひと回り大きくなっている。クリームが勝手に私のスタイルを矯正したのだ。多分フィギュアに乳首はないからだろう……。でも埋まって消えちゃうとは思わなかったよ。大丈夫かな。 その日、寝るまで私は便意も尿意も催さなかった。本当に、逐次分解されているらしい。すごい。こんな便利なものがあるなら、もっと早く使えばよかったかも。いやでも、この見た目はなぁ。でも綺麗っちゃ綺麗かも。 翌日も、翌々日も、私はトイレに行かなくても平気だった。お風呂に入っていなのに、何の匂いもしないし、痒くもならないし、不快感もない。こんなご都合があってよいのかと思うくらい、何もかもが出来すぎだった。 「良かったなー、姉さん」 「まあ……でも、外に出づらいけどね」 「いーじゃん、綺麗でさ」 「もう」 樹脂みたいになった全身。これで外出したり、旧友に会ったりするのは恥ずかしくって憚られる。でも、悪い気はしなかった。綺麗だからだ。体毛もない、汚れも黒子もない。肌色一色に染まった体は、客観的にみても美しい。縮んでからずっと、私は美というものから疎外されていた。定規よりも短い十分の一サイズでは、メイクやケアどころか、毛の処理も碌に行えなかったからだ。今の私なら……ちょっと可愛い服着てみちゃってもいいかもしれない。それこそアニメのコスプレとかも行けちゃうかも……。いや二十半ばを過ぎてるんだから、あんまり派手なのはちょっと。でもここまで綺麗なら……。私はずっと抑え込まれていたお洒落の渇望を必死に抑え込まなければならなかった。私に合うサイズのまともな服なんてないからだ。病院で支給された簡素なワンピースくらい。人形の服は昔試したことあるけど、ゴワゴワチクチクしていてとても着られたものじゃなかった。基本派手だし。 そんな私の欲望を見透かすかのように、再び彼女が家にやってきた。 「私、友達からいいもの借りてきたんですよぉ。お姉さんが喜ぶと思ってぇ」 どでかい機械がテーブルに置かれた。モノトーンの外装を纏った直方体の機械は、まるでマンションのミニチュア。彼女は前面をパカッと開き、私に入るよう促した。 「なんなんですか、それ?」 「これね、フィギュア用の3Dプリンター……服を作ってくれる機械なの」 「へー……?」 中に裸のフィギュアを入れてスイッチを押せば、指定したデザイン通りの服をナノ繊維で形成してくれるらしい。しかも、フィギュアのスタイルにジャストフィットするように。そのナノ繊維とやらは人間に吹き付けても大丈夫なんだろうか。それが心配だけど、よく考えたら今の私は全身クリームに覆われてるんだから、別に平気かも。 とにかく、まともな服を手に入れられるかもしれないという誘惑、弟の彼女に嫌われたくないという思いから、私はそう悩みもせずにこの提案を受け入れた。 「どんな服になるの?」 「それはお楽しみでぇす」 「えー、教えてよー」 「いいじゃないですかぁ」 ただ、問題のデザインは教えてもらえないまま、私は中に入れられた。うーん、ネタに走った服だったらイヤかも。でもまあ、それを脱いでから次にまともな服作ってもらえばいいか。 扉が閉まると、真っ暗になった。私は狭い試着室のような空間に取り残された。外の声がとても小さい。人間が入った時のことは考えてないねコレ。フィギュア用だから当たり前だけどさ。 「じゃ、いきまーす」 私は目を閉じた。シューっという音と共に、四方八方から霧のようなものが全身に吹き付けられた。激しいシャワーを浴びているような感覚。クリーム越しなのに、不思議と敏感だった。薄い何か、平たい何かが私の手足、胸、腰、頭、髪、全てに貼りつき、徐々に広がっていく。ちょっとくすぐったいかも。 布のような、そうでないような肌ざわりが全身を覆っていく。髪が重くなっていくことに気づいた私はちょっと困惑した。 (えーっ、どうなってんの?) 髪飾りか何か? うーん、脚も腕も全身タイツみたいにピッチリ覆われてきているし、ネタ系かも……。 その予想は半分当たり、半分外れといった結果だった。装置から出てきた私は、目の前の鏡を見てフリーズした。そこには可愛らしい衣装に身を包んだ魔法少女フィギュアが映っていたからだ。まず目を引くのは、アニメみたいな大ボリュームの金髪。黒髪だった私の髪は、鮮やかな黄色に染まり、太いツインテールを形成していた。それも、アニメの世界でしか見ないサイズの、大きなリボンで結われている。ピンクと白で構成された派手なドレスは、胸元と腰に大きなリボンがくっついているし、これでもかってぐらいにフリル満載の少女趣味な代物。腕は肘まで覆う真っ白な手袋に覆われ、両脚も白タイツで真っ白。そしてハートの装飾が施された可愛らしいぺったんこの靴。デフォルメされた顔、均質な樹脂肌と相まって、どこからどうみても「そういうキャラのフィギュア」にしか見えない。生きた人間、それも私だなんて、そんな……ええっ……。 「やーん! お姉さん可愛すぎ~」 彼女は茫然自失とする私を撮りまくり、弟に静止された。我を取り戻した私は、おずおずと話しかけた。 「あ、あのっ……これは……?」 「せっかくだからぁ、私がデザインしたんですぅ。気に入ってもらえましたぁ?」 私は慎重に言葉を選びながら、 「あ……うん、可愛いとは思うけど、いつも着るにはちょっと派手すぎる……と思うし、次があったらもっと」 「あー良かった! 絶対似合うって思ったんですー」 食い気味に苦情の部分をかわされ、私は指で頭を撫でられた。幼児扱いされているみたいで腹立たしかったが、大人として……姉として我慢。抑えろ私。しかしこれでハッキリした。私を子犬かなんかのカテゴリーで見ている、この子。 「あっ、いけない」 彼女は突然そういうと、明日提出のレポートやるのを忘れていたと言い出し、弟に見送られながらサッサと家から姿を消した。後にはいい歳こいて派手な魔法少女コスプレをした私だけが残った。 「はぁ……」 「ま、まあ、似合ってるんじゃない? 可愛いって」 「あんたね~」 弟のからかいに真っ赤になりながら、私は衣装を脱ごうとした。でも、手袋も脚のタイツも、肌に隙間なくピッチリと張り付き、脱ぐことができなかった。それどころか靴まで。私は初めて、足と靴の間に隙間が存在していないことに気づいた。何かで埋まっている。ナノ繊維……ってやつ? まるで足と靴が融合して同化してしまったみたい。ていうかこの髪もどうなってるんだろ。ウィッグやカツラとは違う。引っ張ると感覚がある。私の髪……。いや、こんなに長くなかったよ? 繊維と髪が一体化していて、どこまでが私本来の髪で、どこからが繊維の追加分なのか、さっぱりわからない。しかもリボンもとれないのだ。髪との間に一切の隙間がない。というか、付け外しの仕掛けがない。魔法少女ドレスにはファスナーもボタンも、何もないのだ。体に隙間なく張り付き、そこからリボンやフリル付きのスカートが伸びている。 「ちょ、ちょっとこれ、どうやって脱げばいいのー?」 弟が笑うものだから、ますます私は恥ずかしくなって、手伝ってほしいと言えなかった。 弟がやっと真剣に取り合ってくれたのは夜になってから。彼女に連絡をとらせると、 「ファスナーつけるの忘れた、すみませーんだってさ。ごめんな姉ちゃん。後で直接謝らせるから」 「あーもう。原因はもーいいから、脱ぐ方法聞いて」 「明日ウチに来てって。服脱がす装置あるからって」 「う……」 あの子、苦手だなぁ。あんまり厄介になりたくないよ。でも仕方がないか……。ずっとこんな格好じゃ、恥さらしもいいところだ。 「もー、ちょっと席外してくれない? デリカシーないんだからさぁ」 「あ? いいだろ別に。姉だし、ていうかもはやフィギュアだしな」 「こら!」 そう言って笑う弟に私は文句を言った。 彼女の家を訪問した私たちは、早速服を脱がしてもらうことになったのだが、彼女は弟を家から出したがった。別に今更そんな配慮をする必要があるとも思えない。私は別にいいと言っても、不思議と彼女は弟は席を外すべきと主張して聞かない。言い争っても時間の無駄だと観念したのか、弟はしばらくブラブラしてくる、終わったら呼んでくれと言って家から出ていった。 昨日のミスを気にして必要以上に私を配慮しているんだろうか? 理由はよくわからないけど、まあいいや。早く痛いコスプレイヤーから脱却したい。オリジナルの魔法少女衣装を着た二十半ばのニートはキツイ。 「でね、お姉さん。脱ぐ方法なんですけど」 彼女は私の前にお洒落なガラスの容器を置いた。良い香り……いやくっさ。何これ? アロマ? 「あっ、すいません。お姉さんには匂いがキツイですよね。ちっちゃいですもんね」 余計なお世話よ。で、なんでアロマが出てくるの? 臭いから早く離し……て……あれ……? 私の意識はそこで途切れた。 目が覚めた時、私はふわふわのタオルの上に寝転んでいた。弟と彼女が巨大な顔で遥か頭上からのぞき込んでいる。 「あれ……? 私……?」 「お寝んねしちゃったんですよねー、お姉さん」 「え? えっと……」 「しっかりしてくれよ」 弟の言葉で、私は前後の記憶を取り戻した。 (あっそうだ、服!) 自分を見下ろすと、まだ派手なフリフリのスカートを身につけたままだ。手袋も、金髪のツインテールも。私は彼女の方に向き直り、叫んだ。 「こんな可愛い服着せてくれてありがとう!」(早くこの服脱がしてよ!) (……あ、あれ?) 私は自分の口から出た言葉が信じられず、その場に立ち尽くした。今……なんて? 聞き間違いだよね? 「ちょっ、マジ!?」 爆笑する弟に、私は真っ赤になりながら叫んだ。 「私、この服気に入ったから!」(んなわけないでしょ!) 「あ……あれ?」 私は震えた。私は今、確かにこの服を否定する言葉をしゃべろうとしたはずなのに。勝手に違うセリフが飛び出してくる。おかしい。何かが……。 「ちょっとあなた、私に何かしたの!?」 あ、普通に喋れた。 「ええまあ、ここまで気にいてもらえるとは思っていませんでしたけど」 彼女はそう言って苦笑した。は? ちょ、何この流れ? まるで私が……私だけがこんな格好を気に入ったみたいな空気に……。 「とっても気に入ったわ、ありがとう!」(気に入る訳ないでしょ!) 私は口をパクパクさせながら、彼女の顔を見上げた。おかしい。さっきから上手く喋れない。この服を否定しようとすると、口が勝手に反対のことを喋っちゃう。 私はその後しつこく、この服は嫌だ、脱がしてほしいと叫んだが、その叫びはことごとく反対の言葉に置き換えられて声となった。とっても気に入ったから脱ぎたくない……。 「あ、私レポートやんないと……」 「手伝おうか?」 「大丈夫、あとは仕上げだけだから」 私がこの服を脱ぐのはなかった話となり、私は弟の鞄に詰められ、彼女の家から立ち去る羽目になった。わけがわからない。一体どうして……。そもそもなんで私は寝て……そうだ。おかしくなったのは寝てからだ。寝ている間に彼女が何かしたんだ、絶対そうだ。 で、でも……そんなことができるんだろうか。この格好を否定する言動をとれなくさせる……なんて。私の勘違い……いや。絶対にそうじゃない。何かがおかしい。絶対に操作されてる。 家に帰ってからも、一向に謎の操作は解消されない。私は手段をつくしてこの格好を気に入っていないこと、今すぐ脱ぎたいことを伝えようとしたが、その度に私は自分がどれだけこの魔法少女コスを気に入ったか、脱ぎたくないかを力説する羽目になってしまい、弟に爆笑されるわ次第にドン引きされるわで、最悪だった。 (くうう……一体……一体どうして……催眠術とか?) 私はロボットじゃない。もしも操られるんだったら、それは……洗脳とか催眠とか……。でも現実にそんなことが可能なの? ここまで強固な操作ができうるものなの? 寝ている間に彼女は私に何をしたんだろう。それがわかれば打開策も……。いや。寝る前。何故か至近距離でアロマを嗅がされた。アレかも。 「ねえ、お願いがあるんだけど」 私は弟に、彼女が使っているアロマについて訊いてほしいと頼んだ。私からは連絡とれないし、絶対期待した返答はこないだろう。弟を通すしかない。しかし弟は私の話を信じてくれない。私が本気でこの格好を気に入り、脱ぎたくないのだと思っている。それが心底悔しい。でもあれだけ力説しちゃったんじゃしょうがない……。 「これだってさ」 一応、アロマは聞いてくれた。通販サイトで調べてみると、出た。kawaiiアロマ……。うん、確かにこの容器だ。でも、なんか思ってたのとは違うかも……。プラシーボ効果で可愛くなれるとかいう胡散臭い文句。 「これ買って」 でも調べてみないことにはわからない。私は弟にそれを取り寄せるよう指示した。ひょっとしたら、十分の一サイズの私には匂いがきつくて倒れるみたいなことがあるかも。そしたら弟もちょっとは信じてくれるかな? 「違う……」 kawaiiアロマはとっても甘い、良い香りがした。あの臭さとは似ても似つかない。足がつかないよう中身を入れ替えていたのかな。 「で、催眠はできそう? ねーちゃん」 「うっさい」 どれほど近づいてみても、臭いとは感じない。それだけいい香りだった。これはこれでまあ、買ってもよかったかも。でもこうなったら直接彼女と話をつけるしかない。 だが、弟は彼女と姉の不仲をよく思っていないらしく、中々会う機会を作ってくれなかった。彼女も家にこないし。ていうか本気で困るよ。あの日から私はこの服を脱げていない。こんな恥ずかしい格好じゃ、友達に連絡もとれないし……。ていうか、文章でも私は何故か、この服を気に入っていると書いてしまうのだから、助けを求めようがない。痛いコスプレイヤーに堕ちたという噂が広まってしまうだけだ。うー、どうしよう……。 そうこうしているうちに、またおかしな異変が生じた。 「姉ちゃん、ケーキ食う?」 「食べる食べるーっ、やったーっ」 私が両手を挙げてピョンピョン跳ねた時、弟が笑いながら 「プッ、姉ちゃん、最近ずっとそんなじゃん」 と指摘した。私は自分が幼い子供みたいな振る舞いをしていることに気づかされ、顔が火照った。 「いやっ、その……もうっ」 私は両手を腰にあてて、これ見よがしに顔を背けた。 (な……何やってんの私……?) なんか最近弟の私を見る目が変だと思ってたら……自分でも自分が信じられない。これじゃホントに私がこの格好気に入ってそれっぽく振舞ってるみたいじゃない……。 一度抱いた違和感は私の日常を破壊した。私は自分の一挙一動がいちいち幼く……いや、あざといぶりっ子っぽくなっていることに気がついたのだ。 「どう? このケーキ」 「うんっ、すっごい美味しいっ」 私は両手で軽い握り拳を作って顎にあてつつ、満面の笑みで語尾を跳ねながら答えてしまった。い、いけない。普通に振舞おうとしてるのに……勝手にぶりっ子になっちゃう。体も、喋り方も……。私はさらに、自分の声がいつの間にかかなり高くなっていることにも気づいてしまった。まるでアニメのキャラ気取りみたい……。 (や、やだ、私はそんな……コスプレイヤーでもなんでもないのに……) 無意識のうちに、この格好に引きずられてその気になってしまっているのだろうか? まさか。でもこの体が独りでに動く感覚、魔法少女衣装を気に入ってることにされた時と似てる……。また彼女に何かされたんだろうか。で、でも、もう会ってないのに……。 「それ、ホント効果あるんだな~」 弟がケラケラ笑った。それ……って、え、まさか……。私は弟の視線の先、机の上に設置されたアロマを見た。kawaiiアロマ……あ、あいつだ。それ以外考えられない。普通は体が勝手に動くほどの効果なんて出ようはずもない。けど、十分の一サイズの私にはきっと尋常じゃなく濃い量だったのだ……多分。 「ど、どうしよう。クルミ、可愛くなっちゃったよーぅ」 金髪ツインテ、オリジナル魔法少女の衣装を着せられた状態でこれを素面で言わされた瞬間、私の羞恥心は限界を迎えた。 翌日、弟がいない昼間、突如彼女が訪ねてきた。い、一体どうして……。鍵をかけなかったのだろうか、それともまさか合鍵を……。どうしてこの子に鍵なんか預けるんだろう、絶対ヤバい子なのに……。弟のやつ、見る目がないんだから。いまだに私がこの格好気に入ってると思ってるし。 「あらぁ~、お姉さん、すっかり可愛くなっちゃってもう」 「ち、違うの、これはね、kawaiiアロマのせいなのっ、クルミじゃないのっ」 私は真っ赤になって反論したが、説得力の欠片もないことは自分が一番よくわかっている。なにせ格好が格好だ。脱げない魔法少女衣装でこのぶりっ子じゃ、ノリノリでやっているようにしか見えないよぉ……。 「知ってますよぉ~」 彼女はアロマとそっくりな容器を取り出し、私の横に置いた。この匂い……アレだ! 私を眠らせたやつ! 私は飛びのいて距離をとろうとしたが、彼女の巨大な手に捕まり、無理やり至近距離で恐怖の匂いを嗅がされた。 「やっ、やめてぇ……何をするのよぉ……」 「とってもいーことよ」 私は必死に睡魔と戦ったが、急速に瞼は重くなっていき、気がつけば時間が飛んでいた。 恐る恐る起き上がり、彼女を睨みつけ……ようとしたけど、できない。私ときたら、ニッコリと微笑みかけてしまう始末。く、くう……。 「お姉さん、将来何になりたいんでしたっけ」 「は? ……クルミはね、お人形になりたいんだよ……っえ!?」 私は混乱した。また口から変な言葉が……。し、しかも何今の、人形になりたいだなんて、そんなありえない……! 「上手くいったみたいでよかったぁ」 彼女は顔を輝かせ、私を愛おしそうに見下ろした。 「く、クルミ……どうなっちゃったの。あなた……何をしたの」 「んっんー。そうね……もう喋れないんだから、話しちゃってもいいかなっ」 彼女は楽しそうに、私に行った非道の数々を明かした。研究室で使っている小動物訓練用の催眠ガスを私に嗅がせたこと。それで私は魔法少女服を気に入って脱ぎたくないことにされたのだ。そして今日かけられた催眠が本命で、私は人形になりたがっていることにされたし、彼女の仕業であることは誰にも言えなくされたこと……。 「……」 私は笑顔で恐ろしい計画の成功を明かす彼女の姿を、ニコニコと見上げていることしかできなかった。要するにこの子は、邪魔な小姑を黙らせようとしたのだ。といっても追い出すわけにもいかないから、そこにいるけど、いないことにしようと……。 「ま、待ってよ。クルミ、そんなの……大好き! ありがとう!」 (いやぁ!) 「よかったぁ」 生きた心地がしないほどに、私は絶望しているというのに、私は可愛く芝居がかった言動で感謝を述べることしかできない。 (そ、そんな、嫌よ。このままじゃ私……) 「ただいまー」 帰ってきた弟は、家に彼女がいることに特段疑問に思う様子を見せない。くそ。完全に骨抜きにされてる。我が弟ながら情けない。 「お姉さん、大事な話があるんだって」 「え、なに?」 弟がこっちを振り向いた。言うしかない。小動物用の催眠なんかに負けない。コイツとの交際なんか認めない。この女の恐ろしさを教えてやらないと、とんでもないことに……! 「く、クルミね、実は、ずっと……人形になるのが夢だったの!」(全部こいつのせいだったのよ、私を人形にしてしまうつもりなのよ!) ああ……終わった。いや、弟は冗談だと思って笑い転げている。まだチャンスが……。 「ほ、ホントなの、だからクルミね、人形として扱ってほしいの」(嘘よ、そこの頭おかしい女に言わされてるのよ!) (ああもう!) 私は必死になって催眠の抜け道を探ろうとしたが、声を張り上げる度に「人形になりたい」と主張させられ、次第に弟もマジに受け取り始めてしまった。 「え……マジ? 本気?」 「まあ、人の趣味はそれぞれだから……お姉さんね、ずっと悩んでたみたい」 (ばっ馬鹿! そんなわけないでしょ!) 彼女がそれっぽくアシストするので、ますます私の立場が悪くなっていく。何しろ、ぶりっ子に矯正されているせいで、私は終始にこやかに対応させられているのだ。本当は嫌がっている、と察してもらうのは相当に難しそうだ……。 「これ。使ってあげて」 「なにこれ?」 彼女は弟に安っぽいプラスチック製の懐中電灯みたいな玩具を手渡した。 「ポーズライトって言ってね、フィギュアを固定する光が出るの」 「へー」 弟が私にそれを向けた。 「ありがとっ」(馬鹿止めなさい!) あろうことか、私は両手でピースサインを作って顔にあて、ウィンクまでしてしまった。勿論、私の意志じゃない。体が勝手に動いたのだ。それを了解と受け取ったのか、弟はライトのスイッチを入れた。 (ああっ!) 一瞬で全身が固まり、私は微動だにできなくなった。髪先からつま先まで、全てが石のように固まり、一ミリも動かせない。私は可愛らしくポージングを決めたままそれを固定され、本物のフィギュアにされてしまったのだ。 (んっ、んんっ、そんな、動けない、動けないよぉ) いくら力をこめても……いや、力を込めるということそのものができない。まるで一塊の石から彫りだした彫刻のように、私の身体には何の機構も存在していないかのよう。 弟は本当に固まってしまった私に驚き、ツンツン突いたりして様子を伺っていた。 (助けて、馬鹿、本当にこんなこと望んでる人がいるわけないでしょ!?) 「もう一回当てると解除できるんだー」 彼女がポーズライトを再度照射すると、私の体は解凍された。恥ずかしいぶりっ子ポーズから解放されたものの、文句を言うことはできない。 「ありがとっ、すっごいよかったぁ!」(二度としないで! 私は人間なんだからね!) 「やれやれ……マジかよ」 弟は、すっかり私が人形になりたがっている変態だと思い込まされてしまったらしい。信じらんない。20年も一緒に過ごしてきて私の本心が見抜けないの!? 「よかったね、お姉さん」 「うんっ、ありがとうっ」 (いやぁっ、やめて! 元に戻して! い、今なら許してあげるからぁ!) しかし、身長17センチの小人がフィギュアみたいな肌に、魔法少女のコスプレをして、あざとい言動を繰り返し、人形のようにカチンコチンにされたことを喜んで見せている。これじゃあ騙されてしまうのも無理はないかもしれない……いやでも、ありえないってわかるでしょ……! 結局、私は弟の誤解を解くことも、彼女の悪行を暴露することもできなかった。それどころか、口を開けば開くほど、人形への憧れを強化されていく結果に終わった。 その日以来、弟は「姉の我儘につきあってやっている」体で私を頻繁に固めてしまうようになった。私はkawaiiアロマの影響が抜けきらず、いつも笑顔で可愛らしくポージングしてしまう。そのせいでますます弟の誤解が深まるという最悪の循環にはまり、脱出することができない。物言わぬフィギュアと化している間、私は一切受け答えができない。すると弟も次第に私に話しかけてくることが少なくなってくる。 ここが最悪だと絶望していたのも束の間。二週間もするとさらに悪化した。私はポーズライトを浴びなくても固まるようになってしまったのだ。 「よかったですね、お姉さん。すっかりお人形ですよ」 動けない私に彼女が囁きかける。二人の交際はまだ続いている。私の目の前で人目をはばからずいちゃつくようになり、私は腸が煮えくり返る思いだった。 彼女の話が正しければ、フィギュアクリームには学習機能というものがあり、「人が近くにいる間は可愛く固まる」ことを私は学習させられてしまったらしい……。ああ。なんてこと。これじゃあ、どうにもならないじゃない。弟が家にいる間、私はずっと固まって、部屋を彩る魔法少女フィギュアになっているしかない。これじゃ助けを求めることは絶対に不可能だ。弟以外がいてもカチンコチンになっちゃうんだから、誰にも助けは求められない。 彼女が家に来るたびに、私は怒りと屈辱で頭がおかしくなりそうだった。最初からこのつもりでフィギュアクリームを塗ったんだ。私が邪魔だから……。 (で、でも、よりにもよってこんな格好にすることないじゃない……!) 正直、フィギュアにされてしまったことよりも、一番悔しいのはこの服装かもしれない。私はこれから一生、この派手な魔法少女のコスプレを着続けなければならない。どっかのアニメキャラのコスプレをさせられた方がマシだった。この服はあの女のオリジナルデザイン。私は身も心もあの女に屈服し、完全に支配されてしまったことを示す焼き印なのだ。 (ああっ、駄目! 離れなさい! 今すぐ別れて! その女は絶対ダメェーっ!) 目の前でキスする二人を、私は棚の中段から笑顔で眺め続けた。

Comments

Anonymous

こうやって明確な悪意を持って存在を貶めて来る悪役が居る話が凄く好きです。彼女さんには絶望しきらない程度に羞恥心を刺激して行って欲しいですね。放置しそうな気もしますけど。

opq

感想ありがとうございます。彼女はたまにちょっかい出していくんじゃないかと思います。