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私の居所は子供部屋の隅っこに決まった。姪っ子の強い要望によるものだ。私としてはまだまだ分別もつかないような年齢の子供と一緒にいるのは怖いんだけど、居候として面倒を見てもらう手前、あまり文句を言える立場にない。 「よろしくねー、イチゴちゃーん」 「うん……よろしくね」 無邪気な笑顔が広がる、巨大な顔面。生まれてすぐのころに何回か抱かせてもらったことを思い出す。あの赤ちゃんが今や私よりはるかに大きい。……こんな形で超えられるとは思わなかったけど。実際は私が下がったのだ。優美ちゃんはまだ三歳。私は二十六歳。だが、彼女と私の間には二度と越えられない大きな隔たりがある。本能が警告を鳴らしてやまない。大きな熊と出くわした気分だ。 「おばさんに乱暴しちゃだめよ~」 お姉ちゃんがやんわりと優美ちゃんに注意した。姉夫婦は怪獣みたいに見える。私の背丈の六倍近い。今やまったく住む世界の異なる、違う生物になってしまったかのように感じて、寂しかった。 私の住処は大きな水槽を横に倒して作られた。布で床を敷き、ままごとに使う小さな家具が置いてある。といっても、安っぽいプラスチック製で、真面目な使用に耐えるかは怪しい。でもまあしょうがない。周囲が透明ではやりづらかろうと、三方の壁も布が張られている。しかし、肝心の前面は壁もなく丸見えで、プライベートも何もない。今日からここで暮らすのかあ。死ぬまでこんな扱いなのかな。入院していた時はどこか他人事というか、実感が湧いてこなかった。しかし巨人となった「普通の人」、それもよく知った家族が暮らす日常の世界に戻されて、そのサイズ差、覆りようのない生物としての格差を突き付けられた上、こうして隔離場所を用意された瞬間、胸が締め付けられるような思いがした。 (ダメ……泣いちゃダメ……) 私は堪えて、中の椅子に座った。固く冷たい、座り心地の悪い椅子だった。元々は人形をのっけるためのものだから、作った人たちは使い心地なんて考えたこともないんだろう。 「キャー、かわいいー」 お姉ちゃんはあまり真剣に考えていないようで、呑気に写真を撮りだした。妹の心姉知らず……。優美ちゃんも着せ替え人形の服並べ始めちゃったよ。まあ見た目がコレだからなあ。私は自分の両手をジッと見つめた。産毛も血管も見えない、肌色一色の皮膚。生々しさに欠ける樹脂みたいな質感。今の私は全身コレだ。ぱっと見フィギュアみたいになっちゃっている。僅か17センチの身長と人形のアバター。これじゃあどうしたって深刻さに欠けるのは否めない。 体が縮む奇病、縮小病に罹った私は、十分の一まで体が小さくなってしまったのだ。当然、これじゃあ仕事を続けることはおろか、一人で暮らしていくこともできない。そういうわけで、私はお姉ちゃんの家に引き取られることになった。ただ、一つ条件があった。それはフィギュアクリームという肌色のクリームを全身に塗ること。元々はフィギュアに塗るためのナノマシン製品で、これをフィギュアに塗れば折れた箇所をくっつけたり、傷を修復したり、手垢等の汚れを除去したり、艶を出したり、色んな効果がある。何故これを人に塗るかというと、クリーム中に含まれるナノマシンが汚れを除去する機能、これが効くのだ。私の見た目はフィギュアそのものになってしまうけど、お風呂に入る必要がなくなる。勿論、普通サイズの人間ならありえない。しかし17センチまで縮んだ今の私には、このクリームの除去機能だけで間に合ってしまうのだ。何より大きいのは下の世話。股間に入念に厚く塗りたくれば、驚くべきことにおしっこやウンチまで分解してくれる。そのせいで私の股間はのっぺりと平坦になっちゃったけど。本物の人形みたいにツルツルで、そこに何かがあったとはとても思えない状態になっている。性器も肛門もクリームの中に埋没したのだ。そりゃあ、いくら実の妹とはいえ、下の世話なんかしたくはないだろう。私だって人としての尊厳がある。だからこのクリームを塗ることには反対しなかったし、姉夫婦にかける負担を減らせたことに安堵もしている。 とはいえ、良いことばかりではない。顔もクリームを塗ったせいで、大分印象が変わった。皴や染みみたいなものは全てクリームの底に沈んでしまったせいで、かなり幼く見えてしまう。まるでアニメのキャラクターフィギュアみたいに。髪も一つの塊みたいになっているせいで、ジッとしていると本当にフィギュアと見分けがつかない。かといって髪がカチンコチンになったかというとそんなこともなく、普通にサラッとわけることができる。奇妙な感じだ。 そんなわけだから、お姉ちゃんや優美ちゃんが私をハムスターか何かみたいなノリで迎えてしまうのも、気持ちはわからなくはない。でも、この病気の恐ろしさ、私の置かれた境遇の惨めさがあまり伝わっていないんじゃないかと不安になってしまう。でもまあ多分、私を落ち込ませないように気を遣っているんだとは思う。……多分。 「イチゴちゃーん、どれいいー?」 優美ちゃんは派手なアイドル衣装やフリフリのドレスを並べて私に迫った。ちょっ、近いって怖い。やめて……。私は反射的に顔を逸らしてしまった。それが彼女を傷つけてしまったらしく、顔が歪む。私は慌てて、ついうっかりどれか着ることを約束してしまった。 「やったー! どれ? どれ?」 「えっ……えっと……」 私はお姉ちゃんに助けを求めたが、一緒に乗っかってきて、 「いいじゃなーい、どれも可愛いしー、今のイチゴならピッタリだってばー」 などと言い出す始末。いやいや無理! これでも二十代折り返しなのに、そんな服無理! ましてや姪っ子の前でそんなフリフリキラキラした衣装着てみせるのもキツイって、わかるでしょ! が、わかってくれなかった。母子一緒になって、強引に私の服を脱がそうとしてきた。私は巨大な手に鷲掴みされた恐怖に負けて、 「いいから、いいから! 着られるから! 一人で!」 と言い放ってしまった。 (あっ、しまっ……) 一度口から出た言葉は取り消せない。私は姉のニヤニヤした微笑みと、姪のキラキラした笑顔に見下されながら、病院で支給された簡素なワンピースを脱ぎ捨て、女児向けアニメのアイドル衣装を被らなければならなくなった。 私は仕方なしに、おずおずとワンピースを脱いだ。私は下着も何もつけていない。ツルツルの肌色一色の肢体が即刻露わとなる。クリームの塗り過ぎで、乳首も消滅している。厳密には埋没か。股間も滑らかな曲線になっているし、こうして生きて動いていなかったら、本当にフィギュアと見分けがつかないだろう。みっともないなぁ……。 アイドル衣装を被り、袖を通すと、二人は盛り上がったが、私はテンションが下がるばかりだった。いい年して子供の前でこんな衣装着るのはキツイし、肌触りも最悪だった。ゴワゴワしていて作りも粗雑。人形用の服だから着心地なんて考慮していないのは当然といえば当然か。 「キャーッ、可愛いー」 お姉ちゃんが写真を撮りだすと、ますます羞恥心が燻った。 「も、もう、やめてよ、お姉ちゃんってば!」 「もー、恥ずかしがることないでしょ、こんなに似合ってるのに!」 「そんなわけ……」 目の前に差し出されたスマホに、私の姿が映し出されていた。私の想像とかけ離れた私が。ノーメイクで人形用の派手な衣装に身を包んだ痛々しいおばさんの姿はそこになく、代わりにアイドルキャラのフィギュアの姿があった。大きな瞳、ツルツルテカテカした染み一つない肌、切れ込みの入った一塊の髪……。動く事のない写真の私は、まさしくフィギュアだった。 (えっ、これが……私? うっそー……) すごい若返って見える。二十歳……いや中学生設定のアニメキャラでもいけるかも? 「ね~?」 姉が「だからいったでしょ?」と言わんばかりの表情で微笑みかけてきた。その顔がイラついたので、私は反抗した。 「……もうっ、私もこんなの着ていい年じゃないの!」 強がってみせても、17センチのフィギュア姿じゃ一切の説得力を保てない。二人とも本気にせず、私はその後もファッションショーをやらされることになった。ただ、ポージングの指示だけは拒み続けた。流石に無理。 夕食はテーブルの上で、ペット用の皿に盛られたものをいただいた。惨めだったけど、グッとこらえて、私は礼を述べて腹を満たした。仕方がない。これしかないんだから。 そして、私が食べる様を、三人全員がニコニコと見守るように笑っていたのも辛かった。まるで幼児か、それこそペットでも眺めて和んでいるかのような雰囲気が耐えられない。私もあなたたちとそう年齢変わらない大人の人間なんですけど!? しかし仕事も家事もできない体で居候させてもらうのだ、文句は言えない。このリビングと子供部屋との行き交いだって、誰かに運んでもらわなくてはならないのだ。 夕飯後、一緒に子供部屋に戻った優美ちゃんが玩具箱から取り出したのは、私と同じスケールの人形。私とそっくり同じ質感で、不気味さを感じる。でも、私以外は不気味だとは思っていないようだ。関節部分に目に見える形でのジョイントがない。だが、その人形の手足は過不足なく動かせるらしい。優美ちゃんが適当に整えて私の横に立たせた。 (ちょ、ちょっと……私の隣に並べないでよ) まるで私も人形の仲間入りを果たしたかのようで、いい気分はしない。 「見ててねー」 彼女はそういうと、小さなパッドを取り出し、人形に向けた。すると驚くべきことに、その人形は独りでに動き出した。 (えっ?) 人形は可愛らしく微笑んだと思うと、片足立ちして両手でピースサインを作り、それを頬っぺたに当てた。続けて優美ちゃんは小さな懐中電灯みたいなものを手に取り、人形に向けて照射した。するとその光を浴びた瞬間、それまで不安定そうに揺れていた人形がピタッと動きを止めた。まるで時間が止まったかのように、微動だにせずその場に片足立ちで固定された。指も、髪も一切揺れることはない。まるで最初からこのポーズで造形された、ポーズ固定型のフィギュアのようだった。 「なにしたの?」 自分と同じスケール、同じ質感の人形が死んだように固まる様は、思った以上にグロテスクに感じた。自分が人形に感情移入していることに嫌気がさす。 優美ちゃんは得意げに解説を始めた。三歳だし、人にモノを教える、という行為がたまらなく楽しいのだろう。心底楽し気な喋り方で、全てを奪われた人形に対して思う所は何もないようだ。いやそれで普通なんだけど……。それをおぞましく感じる自分が変なんだ。 彼女によると、この人形はパッドでポーズを細かくいじることが可能で、ポーズライトという玩具から発せられる光を浴びせることで、カチンコチンに固められる、つまりポーズを固定できるらしい。彼女がもう一度ポーズライトを浴びせると、人形はまた手足が重力に従うようになり、姿勢が崩れだした。 「へー……」 パッドを見せてもらったが、ただ肘や手首が可動ってだけじゃなく、本物の人間と同じ関節、可動域が再現されているらしい。指まで事細かに設定できる。最近の玩具ってすごいんだなぁ。 「じゃー、次はイチゴちゃんね!」 そういうと彼女はニコニコと微笑んだまま、パッドを私に向けてきた。一瞬、何を言っているのかわからず、茫然としてしまった。……ひょっとして、私をあの人形と同じように操れると思っているの? あなたのおばさんだって説明されたでしょ! ……それとも私に人形として振舞って遊んでほしいの? どちらにせよ、無理だ。ちゃんと、私は生きた人間で、玩具じゃないんだってことを感覚でも理解させた方がいい。遠慮がなくなり、乱暴に扱われて大けがなんて洒落にならないもんね。 「いや、私は人形じゃないから、それは効か……」 口が閉じ、私の言葉はそこで途切れた。 「!?」 ダメ、口が開かない。動かせない。急に言うことをきかなく……んんっ!? 口角が上がり、表情筋も独りでに勝手な動きを開始した。いくら抵抗しようとあがいても無力だった。終わってみればあっという間で、私は強制的に笑顔を作らされてしまった。 「んんんっ!?」 なにしろ口が私の意志を撥ねつけるので、声が出せない。まごまごしていると手足も一瞬ビクッと震え、次の瞬間から筋肉が独りでに動き出し、私は自分の体を操ることができなくなってしまった。 (ちょ……ま、待って……やめて……!) 原因はただ一つ。目の前でパッドを叩いている姪っ子だ。だけど信じられない。これは専用の人形にポージングさせる機械なんでしょ!? どうして人間の私が、全く同じように操作されちゃうの……!? 理屈に合わない、絶対おかしいよ。 しかし、いくら脳内で理不尽だと叫んでも、現実に起こっている事実は変わらない。私は抵抗することも文句を言うこともできず、笑顔であざといぶりっ子ポーズをとらされてしまった。 (や、やめてよー!) よりにもよってこんなポーズにしなくても……。手足に力を込めて抗おうと努めたが、ギシギシと僅かに揺れるのが精一杯。組まれた表情とポージングを変えることは不可能だった。 間を置かず、優美ちゃんがポーズライトを手に持った。あれは……人形をカチンコチンに固めてしまうライト……! (ダメ! やめて!) カチッと音がした瞬間、全身が極限に硬化した。安っぽいプラスチック製のライトから放たれた光は、一瞬で私の体を本物のフィギュアに変換してしまったのだ。一ミリも、ピクリとも動かせない。手足、指先、腰、髪の毛先までが石のように固まって、全く動かすことができない。生まれて初めて経験する恐ろしい状態だった。縄か何かで縛られるのとはわけが違う。筋肉の筋一つ一つが固定されているようで、力を込めるという行為そのものが封じられている。私の体についさっきまで体を動かす機能が搭載されていたということが信じられなくなってくる感覚。今の私は、最初からこのポーズで造形された石像か何かのようだった。 (うっ……嘘……! 動けない……ホントに動けない……っ!) 視線さえ動かせない。私は笑顔のぶりっ子フィギュアになったまま、姪っ子の無邪気な喜びを受け入れなくてはならなかった。 (ちょ、ちょっと! 戻して! すぐに戻して! ねえ!) しかし、声も出せない、身動きもとれないのでは、意志を伝える手段がない。私は彼女に捕まれ、前後左右を観察されたり、ブンブン振り回されたりする恐怖のアトラクションに終始無反応で耐え続けることを余儀なくされた。 (ひぃーっ! いやーっ!) 体が動かない……つまり、何かあっても受け身がとれない。筋肉まで動きを止められているせいで、無意識下での衝撃への備えすらままならない。つまり、もしもこの子の手からすっぽ抜けて、床に落ちでもしたら、衝撃が和らぐことなく全て伝わるということだ。生理的恐怖が全身を支配し、私はパニックに陥った。 ようやく床に戻してくれた時、お姉ちゃんが子供部屋に入ってきた。 (ああっ、早く! 助けてお姉ちゃん!) が、姉は私を見るとちょっと馬鹿にしたかのように笑い、優美ちゃんの方に話しかけた。 「どう? 仲良くやれてる?」 「うん!」 (やれてないわよ! 見ればわかるでしょ!) と一瞬思ったが、笑顔でぶりっ子ポーズしてたら、まさか苦しんでるだなんて思うわけないか……。私がピクリともしない本物の人形になっていることには気がつかないらしい。 (は、早く気づいてぇ、助けて~) 幸い、優美ちゃんは姉にも嬉々としてパッドとライトが私にも有効だったことを話し始めた。よ、よかった……。これで助かる……。で、でもなんで効くんだろう? まさか私は自分でも知らない間に、魔法で人形に変わっていたとでもいうんだろうか? 確かにクリームで人形みたいな見た目だし、お風呂やトイレも不要なのは人間離れしてるかもしれないけど……クリーム……。 (そっそうよ! クリーム! フィギュアクリーム!) 原因はそれしかない。きっとクリームが反応しているんだ。 「へぇーっ! すごいじゃない!」 ちょうどお姉ちゃんも事情を理解したところらしい。すぐポーズライトを浴びせてくれて、ようやく私はぶりっ子ポーズから解放され、その場にドッと崩れ落ちた。 「……っはぁ~」 私が息を大きく吐いたその時、勢いよく体が立ち上がった。 「あっ……な、なに!?」 今度はお姉ちゃんがニヤニヤと不気味に笑いながらパッドを弄っていた。そんな。 「待ってお姉ちゃん、やめて、ねえってば!」 私は猛抗議したが、姉は聞き入れてくれない。「すごーい」とか「かわいいー」と言いながら、次々と私に色んなポーズをとらせた。可愛らしいあざといポーズ、カッコよさげなポーズ、我が子の前で見せるのはどうなんだと思わざるを得ないポーズまで。私は終始笑顔だったり、真剣な表情だったり、顔も自在に弄られ、満足に文句も言えなかった。 (ちょっとー! 私玩具じゃないんだからねー!) そう叫びたかったし、ここから逃げ出したかったけど、体が動かせないんじゃどうにもならない。私の体はクリームに、そしてそれを操るあのパッドに全権を委任してしまっている状態だ。 最終的に人形と全く同じ、ダブルピースを強制された挙句、再度ポーズライトを浴びせられ、私の時間は止められた。一瞬で全身が芯まで硬化し、私は動作の意志を肢体に伝えることすら禁じられた。 お姉ちゃんはスマホで私を撮ったり、持ち上げてジックリ観察したり、指先で突いてみたり、楽しそうに私を玩具にした。 (あーっ、もう! いい加減にしてよ!) 「次あたしー!」 姉が一息つけば姪、そしてまた姉。私は色んなポーズをとらされ、固められ、見世物にされる。二人がお風呂に行くまで、人形遊びは続けられた。 「もー! みんな酷いよー!」 私は年甲斐もなく泣き叫んだ。自分でも情けないけど、どうしようもなかった。 「あははー、ゴメンてばー。イチゴちゃん可愛かったからー、ついー」 姉も姪も呑気で、形ばかりの謝罪だけして、後は悪びれた様子を見せない。くう……。わかってないんだ。全身がカチンコチンに固められることの恐ろしさが。誰かがポーズライトを浴びせてくれないと、一生動けないかもしれないんだよ!? 「でも不思議ねー、なんでこれ効くのかしら」 「お人形だからだよー」 「んもー、イチゴちゃんはママの妹だって言ったじゃない」 「それは、多分……これ、のせいだと思うんだけど」 私はフィギュアクリームが原因だろうという考えを二人に伝えた。優美ちゃんには伝わらなかったが、姉には伝わった。 「ああ! そーいえば同じ会社だったわね! すごいわねー、あはは」 ……ホント、一切問題だと思ってないんだね。 「このクリーム落としてよ、玩具に体を操られるなんて絶対嫌よ」 「えー、いいじゃない。楽しかったし」 「私は! 楽しくないの!」 「えーでもー、こんなに嬉しそうに笑ってたじゃない」 「だから、それは無理やり笑顔にしたんでしょ!」 「でも、とっても可愛かったわよー、ほらー」 今日の成果がスマホに記録されていた。どれもこれも、笑顔の可愛らしいフィギュアの写真ばかり。……これが私の写真だということを、脳が納得してくれない。た、確かに可愛い……というかまあ、ノーメイクのおばさんがぶりっ子ポーズしてるよりはマシでしょうよ。だけど、このフィギュアの中身は間違いなくそれなわけで……。 「それに、そのクリームなかったらトイレとか必要になっちゃうじゃない」 「う……」 それを言われると……。姉の困り顔には「妹といえど下の世話はしたくないわー」と出ていた。それは私も同じだ。 「わかったわよ……。でも、もう私を玩具にするのはやめてね、いい? 約束だからね!」 「いいじゃなーい、楽しいし、可愛いし」 「怖いし危ないでしょ!」 「もー、イチゴは固いなー」 こうして姉夫婦の家の長ーい初日はようやく終わりを告げた。……が、姉とその子供が約束なんて守る訳ないってことは、私が一番よく知っている。案の定、翌日から早速協定は破られ、私は姪に着せ替え人形として遊ばれる日々を過ごす羽目になった。なにしろ、ちょっと距離があってもパッドとライトは有効なので、逃れる術がない。派手なドレスや女児向けアニメの衣装に着せ替えられては、恥ずかしいポーズを笑顔で強制され、気に入られれば気軽に固められてしまう、それがお決まりとなった。 (お願いだから、固めるのだけはやめてー!) 「あらー、可愛くできたわねー」「でしょー」 元気溌剌の魔女っ娘にされて固められた私は、優美ちゃんの学習机に飾られた。これじゃ本物のフィギュア、インテリアだ。 (んん……ちょっとぉ……) ご飯の時には解除されるが、抗議はなかなか聞き入れてもらえない。それどころか「どーせやることないんだから姪の遊び相手ぐらいしなさい」という内容のお説教までされる始末。確かに居候の身ではあるけど、身動きとれなくするのは酷いよ。しかしこれを言われると私は弱い。それに加えて、ペット用のお皿で食事をとる17センチの小人という立場も、日が経つにつれて私の発言力を弱めるのに一役買った。喋るハムスターみたいなもので、対等な人間として接してもらえないのだ。生物としての本能がそうさせるのだろう。私だって、自分の数倍ある巨人に物申すのは勇気が要る。私は段々トーンダウンして、あまり強く抗議することができなくなってしまった。 (あぁ……これからずっと、こんな扱いなのかなぁ……) 願わくは、優美ちゃんが人形遊びから早く卒業してくれることを祈るばかりだ。……無理かな。普通の人形ならともかく、レスポンスのある生きた人形じゃ遊び甲斐は大違いだろう……。いや、私人形じゃないけど! そんな日々の中、一つわかったことがある。優美ちゃんはお姉ちゃんと似ていて結構ちゃらんぽらんな気性のようだ。片付けをせず、いつもその辺に散らかしっぱなし。お姉ちゃんが度々片付けを身につけさせようとするものの、中々上手くいかないらしかった。 「ほら、遊び終わったら玩具箱にお片付けするの」 (お姉ちゃん、片付けなんか一切しなかったくせに……) 蛙の子は蛙だね。私はキラキラのアイドル衣装を装着されて、いつものように可愛くポージングさせられて固まっていた。動くことも喋ることもできないので、ただ黙って子供部屋を眺めているほかない。 そうしていると、不意に優美ちゃんが私のポーズ状態を解除した。あーきつかった。姿勢を正すとすぐに、彼女が私に問いかけた。 「イチゴちゃんは玩具箱いきたい?」 「え? いや」 いきなり何を訊いてるのこの子は。なんで私が玩具箱なんかに入らなくっちゃいけないの。ゴツゴツしてて危険でしょ。 「ほら! ほら!」 ところが、彼女は鬼の首を取ったように騒ぎ、私の返答を根拠に、お片付けをする必要はないと主張した。 「こぉら、イチゴちゃんは関係ないでしょ」 「お人形さんがやだって言ってるもん」 「だからぁ、私は人形じゃないんだってば」 私はもう何度言ったかわからない言葉を繰り返し述べた。 「お人形でしょー」 「だから……」 パッと目の前が光り、私は瞬間的に凍結して動けなくなった。ポーズライトを浴びたらしい。 「ほらー」 (だからっ、フィギュアクリームを塗ってるから、それが固まってるだけなの!) そう叫びたくても、どうしようもない。うめき声一つ漏らせず、ただジッと静止していることしかできない。惨めだけど、これじゃあ私やお姉ちゃんがいくら人間だって言っても、子供には説得力がないのもしょうがないかも……。人形用の操作パッドや固めるライトがそっくりそのまま有効なんだもん。その上見た目もサイズも、彼女が持っている着せ替え人形そっくりだし……。 (う~) だからって、私が人間だという事実は変わらないんだから。どうしたらわかってくれるだろう。分別がつく年になるのを待つしかないのかな……。 その夜、優美ちゃんが寝静まった頃。私はお姉ちゃんにひっそりと呼び出された。いや持ち出された。 「ねえイチゴ。よかったらホントにお人形やってくれない?」 「は?」 お姉ちゃんはまた突拍子もないことを言い出した。優美ちゃんに片付けを習慣づけさせるため、私に人形を演じろというのだ。私が人形……つまり玩具の代表として片付けて欲しいと言えば、あの子も引き受けるのではないか、と。 「えー! やだー!」 今日のあれは片付けが面倒だからの言い訳でしょ。何をマジにとってんのさ。 「なんでイヤなのよ」 「だから、私は人間で……」 「そんなのみんな知ってるわよ」 ホントかなあ。散々一緒になって私で遊び倒したくせに。 「だーいじょうぶだって。イチゴが私の妹だって、みんな知ってるんだから。ね? 別にイチゴが人形だって言っても、本当に人形になるわけじゃないでしょ」 「そりゃそうだけど……」 「ねー? お願ーい。可愛い服、もっといっぱい買ってあげるから」 「い、いらないし」 「でも、着心地悪いんじゃない?」 確かに、人形の服はゴワゴワしてて最悪だけど。ていうかわかってたんなら着せないでよ。 「私、いいもの見つけちゃったんだー」 お姉ちゃんは、縮小病で縮んだ人用に作られた、ちゃんとした仕立ての服を売るボランティア企画を見つけたらしい。これを買う代わりに、優美ちゃんの片づけを手伝ってあげて欲しい。それが今回の話だった。 (うーん……) 昔みたいに普通に着られる服……。確かに欲しい。まともな服、病院でもらった白ワンピ一着しかないもんね。でも人形のフリするなんて……。ていうかこの作戦通じるのかな? 通じたとして、もっと私の扱いが粗雑になったらどうしよう。あーでも、ちゃんと片付けする子になったら、もっとマシになるかも……。まあ、ごっこ遊びみたいなもん……かな? 悩んだが、私は受けた。正直、仕事も家事もできない身でいることに気苦労もあったし、役立てるんなら良いことだ。 翌日の夜。 「ほら、ちゃんと元の場所に戻すの」 「んー」 「ご本も玩具もね、みんな元の場所に戻りたいって思ってるのよ」 「えー」 二人が一斉にこっちを向いた。うっ、くそ……。やるしかないのか。いざやる段になると恥ずかしくなってくる。 「う……ん。私もね、ちゃんとお片付けしてほしい、かなー……って」 沈黙が訪れ、いたたまれなくなった私は顔を真っ赤に染めて俯いた。あー……。 「ほんと?」 が、信じてくれたらしい。……ってことは本当に私を人形だと思っていたってこと? それもなんだかな……。 「うん。ホントホント」 「イチゴちゃんも玩具箱行きたいの?」 私はちょっと返答に困った。私が「戻る」のはあの倒した水槽の中で、玩具箱ではないんだけど……。でもそんなこと言っても説明めんどくさそうだし、こじれそうだなぁ……。 「……うん。私も玩具箱に戻りたいな、って……かも」 相手は三歳だし。私はそういうことにしておくことを選んだ。 「ほらぁ。きっとそっちの人形も同じこと思ってるわよ」 姉が割り込んできて、ほっぽかれている着せ替え人形を指した。それから、私の方を向き、顎で「もう一発」と指示してきた。イラっとするが、従った。 「優美ちゃん、私……たちを玩具箱に戻してもらえると……その、嬉しいな」 彼女の顔がパアッと明るく輝いた。「お願い」されると嬉しいのかな。 「ね? お片付け、しましょ」 姉が玩具箱を近くに引きすりだしてそう言った。 「うん!」 こうして作戦が功を奏し、優美ちゃんは散らかした玩具をあるべき場所にしまい始めた。よかった。いそいそと玩具を箱にしまい始める姪っ子をほのぼのとした心境で眺めていると、彼女の巨大な手は私を掴んだ。 (あっやば……) え、え、私も玩具箱行きなの!? いやそう言ったんだからそうなる。でも心の準備ができていなかった。いや、想定するのを心の奥底で拒否していた自分に気づいた。だって、私は人形じゃないから。自分が玩具箱に片付けられるということを、実感を持って想像できていなかった。 自分より高い宙を経由し、私は玩具箱の中にしまい込まれた。荒く放り出されたりしなくて助かった。でもそこは危険極まりない世界だった。大小さまざまなプラスチック製の固い玩具がぎゅうぎゅうに折り重なっていて、ちょっと動けばすぐに怪我してしまいそうだ。これじゃ身動きがとれない。 (え~、どうしよう……) 私の隣にはいつもの着せ替え人形が壁に寄りかかるようにして立っている。私はとうとう、自分が「この子」と同列の存在であることを自ら認めてしまったのだ。自分で言った手前、出してくれとも言えないし……。ここはお姉ちゃんに、あとでそっと出してもらうしか……。 「おね……」 上を向いて口を開いた瞬間、全身が動かなくなった。 (なっなに!?) 声が出ない。指一本ピクリともしない。体の芯まで全てが固められてしまったこの感覚。ポーズライトだ。 (ちょっと、ふざけるのはやめて!) 外の様子が知りたい。なんで私を固めたの? これじゃ出られないよ。お姉ちゃんにお願いもできない……。 「えらーい。よくできたわねー」 私が一人で焦っていると、姉の声が頭上から響いた。片付けが終わったらしい……。えっ、ひょっとして、私を固めたのはお片付けの一環なの!? (ちょっと! 余計なことしないで! 玩具箱に入れればそれでいいのよ! どうしてわざわざ固めたりするの!) 私は人形のことはよくしらないから、想像しかできない。隣で同時に固まったであろう着せ替え人形……。彼女は本物の人間と同じ数の関節があるんだっけ。それだけデリケートな人形なら、確かに、どこかにしまう時は固めるのがいいのかもしれない。だからといって、私まで固めることないでしょ! 何とかしないと……。気ばかり焦るが、私は頭上を見上げた格好のまま、微動だにできない。その内部屋が暗くなり、物音もしなくなった。 (やだぁ……。私、明日までずっとこのままなの?) どうやらお姉ちゃんは助けに来てくれないらしい……。私が固まったことを知らないんだろうか。でも目の前でポーズライトが使われるところを見たはず……。 肩に固い物が当たった。隣の人形が倒れ掛かってきたのだ。もちろん、彼女も私と同じようにカチカチになっている。 (……あっ、ひょっとして、この子を……?) ポーズライトはこの子を固めるためのもので、私は隣にいたせいで巻き込まれてしまったのかもしれない。 (ううっ、くそー、あなたのせいで、私まですっかり人形になっちゃったじゃない!) 肩に寄りかかる同僚に、私は心の中で毒づいた。まさか玩具箱の中に入れられ、全身カチンコチンにされて寝る羽目になるなんて……。昨日まではタオルの上で寝られたのに。 (明日……明日までの我慢……) 翌朝、目が覚めた時の混乱は中々だった。寝て起きたと思ったら突っ立っていて、全身はカチンコチンで身動きとれず。朝食の時間になってようやく解放されたが、まるで一日中走り回ったみたいにクタクタだった。 「どうしたんだい?」 「イチゴねー、玩具箱で固まってたのよー、あっははは」 姉夫婦は笑い話扱いしてくるし、ホント最悪。すっごい苦しかったし、寂しかったんだからね! ペット用の小皿をつつきながら、私は姉を睨みつけた。が、睨んだとさえ受け取られなかったらしい。ほほえましいものを見る目つきだ……。スケールが違うだけで、ここまで舐められるもんなんだ。一生こうなのかな……。 「とにかく、もう私は玩具箱で固めないでね」 「えー? どーしてー?」 「だって、私は……」 優美ちゃんに注意を呼び掛けると、すぐにお姉ちゃんが割って入った。 「はーいちょっと」 私をつまんで持ち上げ、食卓から離れていく。 「ちょっと、何? 今大事な……」 「うん、それなんだけどね」 お姉ちゃんは私を床に置き、屈んでその巨大な顔を私に近づけた。思わず気圧される。 「人形ごっこ、できれば今後も続けて欲しいの。私達もそういう体でやるから」 「え?」 「だから、今日からも玩具箱で寝てくれない?」 「え……えぇっ!?」 私はビックリした。あんな思い、もう二度としたくないよ。 「な、なんでよ。私はあの水槽でいいでしょ」 「んもー、そしたらせっかくお片付けするようになったのに、振出しに戻っちゃうじゃない」 「だから、私だけは水槽に……」 「ダメ。あの子、イチゴのことをホントのお人形と思ってるのよ? それに応えてあげなくてどうするの」 「そんな……無茶苦茶な……」 「ねっ!」 ググっと目前に迫ってくる巨人の顔面。その恐ろしさに私は後ろに倒れ込んでしまった。 「はい決まりー」 「えっ……ちょ……」 お姉ちゃんは再度私をつまみ上げ、高く高く持ち上げた。私からすれば数メートルにも匹敵する高さ。恐怖のあまり、私は全面的に姉に降伏してしまった。つまり、これからも人形を自称し、玩具箱に片付けられる生活を続けることを。 「せ、せめて……ポーズライトは」 「ダメよー。あの人形、説明書に固めた方がいいって書いてあったもの」 「私は人形じゃないよ!」 「今日からはそうするの。わかった?」 ブラブラと宙で揺らされ、私はそれすら飲まざるをえなかった。うぅ……酷い……。 「さあ、お片付けの時間ね」 その日の夜。早速姉は私を見下ろし、ニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべた。優美ちゃんも私の方を見た。無言の圧力に屈した私は、真っ赤になりながら人形を演じてしまった。 「じゃ……じゃあ……私達をお片付けしてねっ、そしたら……えっと……嬉しいな」 ぎこちない作り笑いだったが、その真意は幼い姪にはわからない。彼女は嬉々として私と人形を掴み、玩具箱の壁際に立たせた。昨日の悪夢を思い出した私は、姉との約束を破り、 「ポーズ……」 ライトはいらないよ、と言おうとしたのだが、それより一手早く固められてしまった。私はあっけなく意志を封印されて、物言わぬフィギュアに変えられてしまった。視線も、口も、髪の毛一本たりとも動くことはなかった。 (う……) 今度は私がバランスを崩し、ゆっくりと隣の人形にもたれかかった。コツンと乾いた音が響く。この固い感触。私と同時にこの子も光を浴びて、石像のように固まってしまったのだろう。 (そ、そんな……) 玩具箱には次々と玩具がしまい込まれてくる。私もこの玩具たちと同じなのかと思うと、たまらなく悔しかった。 「お休みなさーい」 やがて部屋の明かりが落ち、また私は玩具箱の住人として動けぬ夜を強要された。たまらず叫びたくなったが、それも禁じられている。 (やだぁ……。これからしばらく、ずっとここで寝るの? 人形と一緒にカチンカチンにされて……) 次第に扱いが悪くなっていく日々の中で、ただ一つ良いことがあったとすれば、まともな服が届いたことだけ。着心地は普通。この普通が、涙が出るほどありがたかった。人が着ることを想定して作られた服。当たり前のことがこんなにもありがたい、かけがえのないことだったなんて、縮む前は気づきもしなかった。 ……ただ問題点も一つ。お姉ちゃんに注文をまかせたせいで、内約はメイド服、セーラー服、ナース服、魔法少女のコス衣装の4着だったこと……。よもや、姪っ子の前で制服を着て過ごすことになろうとは……。魔法少女と制服は姪っ子の前で着るのは死ぬほどキツイけど、姉と姪は可愛い可愛いともてはやし、頻繁に私に着せたがる。ぱさぱさの人形用の服よりずっと体にフィットするし、本物っぽいから、もっぱら着せ替え遊びもこっちの服ばかりになった。それで色んなポーズをとらされて固められるんだから、たまったものじゃない。 私の家庭内の立ち位置は、すっかりペット同然になってしまった。それも日中の話で、夜は玩具にまでランクダウンさせられてしまう。そんな暮らしを続けさせられると、こっちもウッカリ呑まれそうになってしまう。クリームですごく若い、幼い印象の顔立ちだし、肌もフィギュアみたいに綺麗だから、まだまだ制服も魔法少女もいけるんじゃ……っと不意に思ってしまい、慌てて自分の考えを打ち消す、そんな誘惑との戦いだった。 今や我が家となってしまった玩具箱に、甘い香りが漂い始めたのはそれから半月ほど経ったころだった。とっても心地よい香りで、全身があったかくなるようだった。しかし姪っ子に訊いても知らないし、そんな匂いはないと言われたので、私は不安になって姉に確認した。万が一有害なものが漏れているんだったら困る。 「ああーそれね。kawaiiアロマっていうんだって」 「かわいいアロマ?」 姉曰く、玩具箱でジッとしているのは寂しいだろうから、気分を和らげるためにいい匂いのするアロマを入れておいてくれたらしい。ちっとも気がつかなかった。まあいつも中は玩具でグチャグチャだしね。 「これね~、私も使ってるのよ~」 姉は自分の部屋に置いてある実物を見せて、訊いてもいない説明を始めた。なんでも、深層心理に語りかけて、プラシーボ効果で可愛くなれるのだとか……。胡散臭い。その効果は眉唾物だと思う。でもまあ香りはいいからいっか。 「でもねー、すっごい近づけないと、あんまり匂いがしないのよねー」 姉はアロマを鼻に近づけて匂いを嗅いだ。 「えっ? 離れててもすっごくいい香りするけど?」 「ホントぉ?」 ホントだもん。今だって遥か頭上高くにあるのに、甘い、いい匂いが漂ってくるし。 「じゃあ、イチゴは小さいから、よく嗅げるのかもね」 そんな、犬みたいな言い方しなくても。でも確かに、優美ちゃんもそんな匂いしないって言ってたな。甘い匂いを感じるのは私だけ……? 別に人一倍鼻が良かった記憶はないし、お姉ちゃんの言う通り、小さくなったから相対的に匂いを強く感じるようになったのかな。 「いいなー、私ももっと堪能したーい」 私は縮んでから初めて、ちょっとした優越感を抱くことができた。 その日の夜も、いつものように姪っ子に片付けられ、玩具箱に戻された。確かに、姉の部屋よりだいぶ香りが濃い。比較するとよくわかる。……ちょっときついかな? といっても、気分が悪くなるほどじゃないいし、いっか。 姪は相変わらずしっかり固めてくるので、片付けられてしまうと身動きがとれない状態が続く。でもアロマのおかげで、以前ほど苦しい空間ではなくなった。私は毎夜、全身を飲み込むような甘く濃い霧に身を委ね、気持ちよく寝ることができるようになった。 最初に違和感を抱いたのは誕生日。姉夫婦から新たなアイドル衣装を、優美ちゃんから私の絵をもらった時。 「ありがとっ!」 (……あれ?) 確かに、お礼を言おうとして言った。けど、ちょっと口調というか……声が変。ちょっと演技がかった、というか……幼げな、高い声だったような……。普通に喋ったつもりだったんだけど。満面の笑みも、私が浮かべるより先に浮かんだような、デジャブにも似た奇妙な錯覚があった。 (……?) その時は気のせいで済ました。が、徐々に意識と体のズレが大きく、露骨に感じるようになっていった。自分ではこれまで通り、普通に話しているつもりなのに、明らかに声が段々高くなっている。抑えようと意識して喋っても、実際に出てくる声に反映されず、甲高い声になってしまう。それに口調もおかしくなってきた。語尾を上げたり、不意に幼児言葉が混ざったり、全体的に幼く、ぶりっ子みたいな喋り方に寄っていくのだ。 「イチゴちゃーん、お着替えしよー」 「うんっ!」 私は両手で軽い握り拳を作り、それを顎に近づけながら返事した。 (あっ、また……) 言葉のみならず、動作も制御できなくなりつつあった。子供っぽい体全体を使ったジェスチャー表現や、上目遣い、芝居がかった反応が独りでに出てしまう。私はそんなことやろうと思っていないのに、体が勝手に動くのだ。今時お目にかかれないようなぶりっ子仕草まで、こうして飛び出してくる始末。 パッドで操られているのかもと思ったけど、誰も触っていないのは明らかだ。私が自分でやっている。いややってない! いい年して姪っ子の前でこんな言動をやるほど終わっていない。でも一体どうして……。 「優美ちゃん、早く脱ぎ脱ぎしてー」 (なっ……!?) 今日はついに、私は万歳の姿勢をとって、自分で服を脱ぐことを止めてしまった。 (ちょ、ちょっと、どうして……ああ) 今の発言を取り消そうにも、口はパクパク開閉するだけで、どうしても言葉が出せない。体の方も、身をよじるのが精一杯で、万歳して服を脱がせてもらうのを待つことは止められない。 「もー、イチゴちゃんは子供なんだから~」 「ち、ちが……体が……」 まさか三歳の子に着せ替えられる羽目になるとは……。それも自分の口から頼むだなんて。 魔法少女に変身させられた私は、ごっこ遊びを強要された。体が独りでに動き、ノリノリで口上を叫ぶ。 「希望の力と未来の光!夢幻の守護者・プリティー☆ピンク!」 「すごーい!」 私は得意げな笑みを浮かべながら、変身完了時のポージングを決めた。パッドじゃない。あれはポーズを変えるだけで、動作までは操れないはず。 (も、もう……一体どうなってるの!?) このままじゃ恥ずか死ぬ。食事中も幼い子供みたいな振る舞いが多くなって、ますますペットみたいに扱われ始めてるっていうのに。 「優美ちゃんっ、お片付けの時間よっ」 「うん」 私は軽い足取りで彼女の前に進み出て、あざとさ全開のポージングをとった。やりたくてやってるわけじゃない。体が自然にそうしてしまう。 (やめて、ポーズなんかとらなくってもいいのよ! それもよりにもよって、こんな……) その姿勢のまま玩具箱にしまわれ、隣の人形ともどもまとめて固められてしまった。 (……ああっ……) 全身、ピクリともしない。これで私は明日の朝食まで、あざといぶりっ子フィギュアでいなければならない。 (や、やだぁ……) 隣の人形は両手を斜め下に伸ばした、普通の直立姿勢なのに。私だけこんなポーズじゃ、まるで私の方がノリノリで人形をやっているみたいだ。例によって笑顔だし。 (くうぅ……) ポーズだけでも変えられないか、久々に動こうとしてみた。でも、やはり無理だった。筋肉の筋一本も収縮しない。魔法で石にされたかのように、体を動かす機能は存在していないかのようだ。 アロマの甘い香りがあるからまだいいけど、これがなかったら本当に頭がどうにかなっていたかも……アロマ? kawaiiアロマ……。 私はお姉ちゃんが言っていたことを思い出した。可愛くするガス……プラシーボ……。 (ああーっ!) 私は自分を蝕んでいた侵略者の正体に気づいた。 (あんただったのね!? くそーっ!) 小さくなっている私には普通より遥かに濃く匂う……。つまり、このアロマの効果が、私には通常の何倍にも有効だった、そうに違いない。 しかし、原因がわかったところで今更どうにもならない。私は笑顔であざとく固まったまま、この夜いっぱいフィギュアでいなければならないのだ。玩具箱から出ることも、アロマを止めることも、距離を置くことすらできない。 (ううーっ) 忸怩たる思いを抱きながら、私はますます自らに可愛くなる催眠を嗅がせなければならなかった。 翌日、すぐに私は朝食の場で姉夫婦に訴えた。 「……つまりね、私はねっ、そのせいで、こんなに可愛くなっちゃったの!」 上目遣いで瞳をウルウルさせつつ、アニメ声で私は説明しきった。……が、どうにも真剣さや緊張感に欠ける話し方に矯正されてしまったので、顔から火が出そうなくらい恥ずかしかった。ぐっ……素面で家族相手にこんな……うぐぅ。 「そうなんだ~、それはよかったわね~」 「よ、よくないもんっ」 (……な、なにが「もん」よ!) 私は腰を振りながら否定した。……ああダメ。言葉遣いが、動作が、全部あざとくなるよう自動的に調整されちゃう。私の本来抱いているはずの感情がオミットされちゃう……。 そのうち姉は、そんなに可愛くなるのならもっとアロマを嗅がせてはどうか、などと言い出した。何もわかっていない。 「やだっ、私、これ以上可愛くなりたくないのっ」 私も必死に応戦したが、自分の口から言葉が発せられる度に自分自身がダメージを受ける。こ、これが27歳の言動とは……。ででででも、勝手にこうなるんだから仕方ないじゃん! ただ一人義兄だけがちょっとはわかってくれたのか、これ以上はいいんじゃないか、と言ってくれたので、最悪の事態は免れた。が、買い置き分がハケるまではこれまで通りアロマを嗅がされることになってしまった。 「いらないもん、私、じゅーぶん可愛いもんっ」 私はハムスターみたいにほっぺたを膨らませながら拗ねてみせた。 (や、やめてよ、子供じゃないんだから!) これじゃまるで優美ちゃんと同い年……いやそれ以下だ。案の定、優美ちゃんは「イチゴちゃんったら、子供なんだからぁ」とでも言いたげな目つきで私を見下ろしている。 (違うわ、これは、ガスで……) 「でも勿体ないじゃなーい。いいじゃない、可愛くなるだけなんでしょ? 頭痛くなったりはしないんでしょ?」 (十分痛いわよ、お姉ちゃんのせいで!) だが三対一の多数決で、なくなるまでは引き続き使用する、という決定が下されてしまった。お姉ちゃんが使えばいいのに。……ひょっとして、私の惨状を見、怖くなっておしつけたのだろうか。その可能性もあるかもしれない……。 アロマが切れるまでさらに半月。これ以上はないんじゃないかと希望的観測にすがってはみたものの、現実は厳しかった。私は自分のことを「イチゴ」と名前で呼ぶようになってしまったのだ。 「優美ちゃんっ、イチゴたちをちゃんとお片付けしてねっ」 声は完全にキンキンのアニメボイスになったまま戻せないし、動作も全て幼児っぽく芝居がかった言動に矯正されるようになってしまった。ピョンピョン跳ねるわ、パッドなしでもあざとく媚びっ媚びのポージングをするわ、ままごとにノリノリで付き合ってしまうわ、散々だった。まるで私一人がアニメの世界から飛び出してきたかのよう。 アロマが切れれば、きっと自然に元通りになっていく。姉夫婦はそう言っていた。そりゃまあ……そうかもしれないけどさ。それまでずっと姪っ子の前であざといコスプレイヤーを演じさせられる私の身にもなってよ。痛々しすぎて見れたもんじゃない。見た目もサイズも人形の小動物になっているから、まだ可愛げがあるけど、そうじゃなかったら……。いやいやいや、ない。可愛げなんてない!

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