GUND CUNNUM ep.5 (Pixiv Fanbox)
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「……してくれ……も…………わない……」
声の低さ・太さから声の主は男であると私は推測した。
そして声の震え・語調から推測できることはおそらく『健全な状態』とは言えないであろうということだった。
いずれにしろ壁越しでは確かなことは言えないが……
男はアカルビス共に捕らわれ・ここに閉じ込められているのだろうが・
気になるのはなぜ捕虜や収容した人々を閉じ込める牢があるのに・わざわざこんな仕掛け扉越しに閉じ込めているのかだ……
牢に十分な空きがあるのは先程確認済みだ。
不気味な声と不可解な現況が思考を縛る。状況が状況だ。ここで二の足を踏んでいる時間はない。
牢ではカル・アファレシアが一刻も早く私が戻るのを待っているのだ。
私自身も彼女のことが心配だが・彼女もきっと私を心配しているだろう。
牢の扉はもう破壊してしまった。もう火蓋は切って落としてしまったのだ。
今この瞬間・ここにアカルビスが戻ってこない保障はないし・
カル・アファレシアが不安の余り・私を探すためにその場から離れてしまったらと思うと……
……慎重さが求められる場面ではあるが・結局のところ・私の逡巡の理由はこの男がわざわざこのような場所に隔離されているという事実だ。
きっとアカルビス達に都合の悪い存在なのであろう。
先に捕縛された同族である可能性もあるし・アカルビス達の敵の可能性が大きいということであれば・敵の敵は味方とも言う。
この場所から脱出するまでの間・力を貸してくれる可能性もあるかもしれない。
アカルビスという種族はとにかく数が多いのが特徴だ。この城砦にも何人のアカルビスが巣食っていることか……
雑兵一人一人の能力は・私の戦闘能力なら文字通り物の数にもならないが・群れを成して囲まれてしまえば個の能力の高さなど何の意味もなくなる。
戦闘において量は質に勝るのだ。
もちろん奴等に見つからずにここを脱出するというのが最良の筋書きだが・万が一奴等に見つかった場合・戦闘は避けられないだろう。
その時カル・アファレシアという守るべき存在を擁する状態での戦闘行動には大きな制限がかかる。
量では勝るべくもないが・せめてカル・アファレシアを守るかアカルビスを退けるかのどちらかに集中して行動することができるだけで
選択の幅は大きく広がるだろう。
ならば……
時間にすればほんの数秒だった。
簡潔に思索をまとめ・まずは左の手で石壁のわずかに汚れた部分をゆっくりと力を込めながら押していく。
同時に万が一・中に敵兵がいたり・捕縛されているであろう男が敵対行動をとってきた時を想定し・
お父様から賜った短剣をゆっくりと後腰の鞘から抜き・逆手に持ちながら右手前に構える。
石壁の仕掛けを押すと・それが引き金となり石と石の擦れ合う低い音を立てながら・継ぎ目に沿って壁が縦に・横に・不規則に開いていき
人一人が通れるほどの穴が目の前に現れた。
この手の仕掛けを見たのは初めてではないが・術者には毎度感心させられる。
さぞ複雑なヴァーズを施しているのだろう。
穴の先は部屋から漏れる蝋燭程度の明かりではとても照らしきれず・
むしろその小さな光すらも吸い込み溶かす暗闇はより暗く・黒く・膨張しているかのような錯覚を私に覚えさせた。
喉から鼓膜に響いた音で・自分が緊張と恐怖から思わず唾を飲み込んでいたことに気付く。
しかし穴の先から聞こえてくる声は先ほどよりも鮮明さを増し――
「……めてくれ!来ないで……」
その言葉とは裏腹に・まるで穴の中へと誘うかのように・暗闇の中から音を響かせている。
無意識の内に短剣を握る手に・僅かばかり力が加わる。
「……ばわないでく……お願い……」
声の主は男であると今度ははっきりと断定できた。
口に何か咥えさせられているのか?その発音は妙にもたついて聞こえる。
そして彼は怯え……何かを懇願しているようだった。
「やめてくれ……やめてくれ!」
とにかくまずは意志の疎通を図る必要がある。
中に敵兵がいないとも言い切れないが・男の声に誰も応答していないところからその可能性は薄いと判断した。
基本的にアカルビスという生き物は――殊に戦時下という特殊な環境下においては――目の前で苦しむ者をさらに罵倒し・嘲笑せずにはいられないものだ。
暗闇の中へ一歩足を踏み入れながら・私は声の主に尋ねる。
「貴殿は何者か?」
「あっあぁぁぁああ!来ないでくれ!」
私が声を発するや否や・まるで怪物にでも出くわしたかのような悲鳴にも似た
上擦った男の声が闇の中から返ってきた。
……意志の疎通もとれないほどに精神的に追い込まれているのだろうか。
あまり芳しいとは言えない状況に思わず眉をひそめる。
こうなると男の状態をしっかりと確認する必要がある。
右手に構えた短剣をそのままに・視線と意識を前方へ払いながら左手で腰袋からコンツを取り出し・そのまま手の中でヴァフを込めていく。
ヴァーリコンツ。何もしなければ少し透き通った小さな石にしか見えないコンツだが・込められたヴァフに反応したそれは光を帯び・周囲を明るく照らし始めた。
松明と違い引火の危険性もなく・持ち運び式の光源としては重宝する。
周囲を照らすと・穴の中は長細い通路のようになっていた。
コンツから放たれる光を頼りに少しずつ通路を進むと・次第に表現しがたい腐臭が鼻腔を突くように漂ってきた。
男の声はどんどん鮮明と聞こえるようになっていく。
「来ないでくれ来ないでくれぇぇ!」
私が近付いてくる気配を感じたのか・男の声からは先程よりもさらに強い拒絶の色が窺えた。
「もう奪わないでくれ!」
『奪わないでくれ』……?
一体どういう意味なのだろう。いずれにせよ快い想像ができるような言葉でないことは確かだが……
長細い通路をすっかり満たすように漂う腐臭を潜り抜けると部屋のような少し開けた空間に辿り着いた。
通路に漂っていた腐臭よりもさらに強い刺激臭を防ごうと思わず左腕で鼻を覆う。
しかし右手の短剣の構えを解くわけにもいかず・仕方なく一息・腕越しに濾過した空気を吸い込んでから息を止め・
左手をかざすようにして・部屋の内部をコンツの光で照らし出す。
――部屋の中心には板状の台に縛りつけられている男がいた。
男の周囲には男のものであろう体液や血液が散り・木製の台や石床に赤黒い染みを形成している。
板台の上で悶える男は私の持つヴァーリコンツの明かりを認識すると・更に声を張り上げた。
「お願いだ!お願いだから!もうやめてくれ!」
状況から見ればこの男が拷問を受けていたことは確かだろう。
恐怖のあまり・私の姿が拷問官にでも見えているのだろうか。
とにかく男を落ち着かせるために私は男と眼を合わせながら声をかける。
「落ち着け!私はアカルビス達ではない!」
「嘘だ!また奪いにきたんだ!」
この男の眼は尋常ではない。
私のことがはっきりと見えているはずなのに・まるで別の場所を見ているかのようだ。
光に照らされた男の身体の有様は酷いものだった……
皮膚はところどころを剥ぎ取られ・右腕は肘から先が無く――切断面の傷痕から見るに恐らく拷問中に切断された後ににヴァーズで意図的に修復されたのだろう……――
更に足の指は全てに燃されたような火傷跡があり……両の耳は根元から削がれ・左瞼も切り取られている。
しかしその眼窩にもすでにあるべき眼球は備わっていなかった。
正確には初めに瞼が切り取られ・眼はそれより後にくりぬかれたのだろう。
頭部は毛髪もまばらで頭皮は赤紫色に変色してしまっている。
口内に生えている歯はもう数えるほどしか残っておらず・それが男の発音を妙にもたつかせてしまう理由だった。
陰部は痛々しく真っ二つに縦に分断され・二股に開きながら力無くその頭を項垂れていた。
身体のあらゆる部位は何かで殴られて妙な形に膨れていたりひしゃげてしまっていたり・何かで切られ・削ぎ落されたように赤い肉とそれに混じる黄白色の脂肪が露出してしまっている。
正直この男はまだ生きているのが不思議なほどの状態だ。
最早原型を留めないその見た目は・私にこの男が同族かアカルビスなのかの判別すらさせてはくれなかった。
しかし何よりも嫌悪感を抱かせたのは飛び散る血や体液の染みでも・露出した肉や脂肪でもなく……
それらにたかる大小様々な『蟲』の存在だった。
床や板台のまだ湿り気を帯びている血だまりにはそれを求め・啜るかのように種類も判らないような蟲がたかっていた。
男の眼窩に空いた空洞からは・そこを棲み処とするかのように長い身体から無数に足を生やし・甲虫のような外殻を有する蟲や・
コンツから発せられる光を反射するように・体表面をぎらつかせ素早く動く黒い蟲など・何匹もの蟲が忙しそうに出入りしていた。
そして皮膚が削げ落ちた部位や陰部には・その肉と脂が露出した部分を黒く塗り潰すかのように夥しい量の蟲が顔を突っ込んで自分たちの好物を食んでいた。
先程眼窩にも巣食っていた黒い蟲はまるで輪を作るように肉の穴を囲み・肉の穴の中には数え切れないほどの小さな白い幼虫のような蟲達が泳ぐように蠢いている。
蟲が腐る前にその肉を喰らうせいか・男の肉体ははこれほどの損傷を負いながらもその部位は腐敗せずに赤く健康的ですらある筋肉がはっきりと観察できた。
「なんだこの蟲は……」
その醜悪な光景と悪臭・そしてそこら中に蔓延る蟲への生理的嫌悪感に思わず吐き気を催す。
「やめてくれ!やめてくれ!奪うな!俺を奪わないでくれ!頼む!頼むよぉぉおお!」
不快と不可解。二つの感覚に支配された思考が男の叫び声で揺り起こされる。
『奪うな』?この男から命以外に何かを『奪う』ことが可能なのだろうか?
「さっきから何を言っているんだ!? 落ち着け!私はお前を殺しにきたわけではないんだ!」
「違う!違う違う違う!喚くな!過去を!見せないでくれ!やめてくれそれは俺のだいじな!あぁうぅあ!」
私の問いに答えているのか!?
それとも気が触れてしまっているのだろうか。
会話がいまいち噛み合っていない。
頭を振り乱しながら叫ぶ男を見ながら・歯噛みする。
結局のところ意思疎通ができたところで・カル・アファレシアを同行させたまま・さらにこれだけの損傷をし・錯乱した者を抱えて動く余裕など今の私にはない。
仮に十分な余裕があっても・この得体の知れない蟲に巣くわれている男を救い出し・自国の領地に運び入れ・
種・毒性や食性・繁殖力すら判然としないこの蟲共が一匹でも自国の民に巣食ってしまったら?
『一の小善は二の大厄を招く』……
子供の頃に教わった教訓の一つだ。
……この男を救出する利点はない。
この男は最早助からないであろう……助かったとしても正常な思考を取り戻せるかどうか……
このような身体では他者の介助なしで常の生活を送ることすら困難だし・理解なき者達から酷い差別も受けることは想像に難くない。
戦場では四肢が吹き飛ぶほどの重傷を負い・傷の手当てよりも本質的な『救済』を求める者も多く見てきた……
それであればここで楽にしてやるのが私の務めかもしれない……
ならばここで……
◇to be continued…