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 院内放送には二つの回路がある。平時の事務的な回線と、緊急時に優先される回路ではリップルノイズの周波数が違う。

 仮眠を取っていた小林敏夫はその違いを聞き取って目を覚ました。カップラーメンをいざ食べようとした彼の同僚は顔をしかめた。

「コードブルー、コードブルー。一階ロビー。繰り返す。コードブルー、コードブルー。一階ロビー」

 スタッドコールを受けて敏夫は飛び出した。初老を乗り越えた体に鞭を打って階段を駆け降りる。

 とっくに人垣ができて処置が始まっていたが、彼は割ってまで入った。力なく垂れた馬の足が見えたからだ。

「どいて! AED使わない! 台車持ってきて!」

 倒れたのは妙齢のケンタウロス族の男性だ。心臓が人の部分と馬の部分で二つあり、AEDで勝手に人間部分の心臓だけを止めようとすると圧力異常で引き伸ばされて最悪の場合破裂する。だから人間用の自動体外式除細動器は禁忌だ。

 敏夫はサンダルを脱いで馬体の前脚の間を何度も蹴り上げる。下半身の心臓の方が拍出量も多いから優先した。なにより刺激で運が良ければ細動が止まる。

 半トンもある体躯を総出で持ち上げて台車に乗せると、救急外来の処置室に割って入る。そのまま敏夫が救命を試みた。

「『でかショック』持ってきて!」

 この病院で彼だけが人外種に対する医療行為を主としていた。人間部分の心電図誘導は看護師に任せて、馬部分は彼が実施した。脚による心臓マッサージを継続しながらモニターを見て次の指示を出す。

「馬体にルート。アドレナリン三アンプル、五分おきに。時間見て」

 大型の除細動器が運ばれてくる。人間用の十倍に相当する4000ジュールのショックまで打てる特殊仕様だ。毛皮を導電ゲルで濡らし電極を当てる。

「クリア」

 誰も触れていないことを確認してスイッチを押す。施術者の感電より、馬体が跳ねて二次災害が危なかった。ゲルを塗ってもケラチンが焦げる臭いが漂う。

「アミオダロン600ミリグラム用意しておいて」

 時間通りアドレナリンが追加される。心電図モニターでは改善していない。そしてショックの二回目が実行される。

 ケンタウロス族は体質的に不整脈を抱えやすい。馬部分は器質的に、人体部分は馬側の高い動脈圧を分散するバランサーとしてギリギリの働きをして肥大しがちだ。内分泌の関係で男性は特にその傾向が強い。

「アミオダロンできた?」

「薬剤部に出しました」

「急ぎで」

 冷蔵保存の薬剤は救急カートの在庫にないから薬剤部に電話して調製を急がせる。間もなく気送管でシリンジに入った状態で送られてきた。空のアンプルで中身が何なのか確認できる。ダブルチェックをした。

 彼は投与指示した。三回目の電気ショックで正常なリズムが再開した。それが二分間続いて、彼はやっと胸を撫で下ろすことができた。

「戻った戻った。あと任せていい?」

 アフターフォローを受け持ち医に任せて彼は救急外来を出た。休憩時間は終わってしまって、いそいそと外来診察室に出向く。

 人間と、それと似た形・知能を持ちつつ、他の生物の特徴を持つ人外種が存在する。首都東部医療センターは人間でない者の割合が高い地域で唯一の二次医療を受け持てる病院だった。

「敏夫先生、今いいですか?」

 内線電話が入る。薬剤部の女性からだった。小林姓の医師は他にもいる。敏夫は一人だ。

「はい何でしょう?」

「アミオダロン600ミリグラムを使った種族ってケンタウロスでした?」

「あ、そうですよ。漏れてました?」

 人間に対してアミオダロンを600ミリグラムも急速静注することはない。備考欄に書く必要があるが、慌てている現場では忘れてしまうこともある。事故防止の観点ではあってはならない。

「確認できましたので大丈夫です。ありがとうございます。失礼します~」

「いえいえ」

 待っている患者を呼び入れる。紹介状を持っている患者がほとんどで、完全な初診は少ない。医療事務があらかじめ、かかりつけ医が出す資料をまとめて電子カルテに反映している。

 アルラウネと人間の親を持つ少女だった。アルラウネとして光合成ができるが、人体はそんなことを想定してない。

「宮崎 依利さんですね。三週間ぶりになりますけど、体調はどうですか」

 友達と海水浴場で遊んだ帰りに倒れて、搬送先で何も分からず親にアルラウネがいると判明すると電話相談が彼に入ってきた。

 原因は光合成のしすぎだった。血糖値が跳ね上がって体組織から水が抜ける非ケトン性高浸透圧性昏睡だ。大量輸液とカリウム補正で保たせて転院になった。

「とくに問題はないです」

「フラっときたりも無さそうですか」

「はい」

 彼女は彼に手帳を渡す。自己測定した血糖値と対応したインスリン投与量が記録されている。

 昏睡から抜けて退院した後も治療継続となる。人間が日焼けをするように、アルラウネも日光を浴びるとクロロフィルの合成が促進される。

 クロロフィル増加に伴い糖合成も亢進し、しばらく糖尿病と似た状態となる。そのうちに糖を認識する受容体が脱感作を受けてクロロフィルの増加に歯止めがかからなくなる。

 だからインスリンによる血糖値の制御を必要とした。恒久的なものではなく、皮膚に存在する活性葉緑体の数によって中止できる。

「失礼しますね」

 青色発光ダイオードとイメージセンサが一緒になった機器を彼女の腕の内側に押し当てる。彼が医療機器メーカーと共同開発したクロロフィル蛍光画像測定装置だ。これがない頃は呼気の酸素分圧を一日がかりで測定していた。

 クロロフィルは光合成で使わなかったエネルギーを赤色光として吐き出す。その光の強さでアルラウネ系のクロロフィル量、ひいては糖合成能の推定が可能だ。

 押し当てた部分は暗条件となり光合成が止まる。ゼロ点調整をするとダイオードを点灯させる。

 パソコンにグラフが出来上がる。光合成の段階に沿って蛍光強度の変化が表現される。律速段階である明反応に相当する最初の山と谷の比、P/S比が重要だった。

 測定を三回して結果をカルテに書き込む。確かに落ちているが下がりは想定より悪かった。

「まだダメですか? はやく注射やめたいです」

 日中は適宜、自己血糖測定をしてインスリンを打つ。食事をしないなら打たないという生易しいものではなく、光の中で生活するなら定時で行う必要がある。

「ですよね。でも下がってるので、このまま継続がいいと思います。これで前に話したオーキシン療法をするのはややリスキーですよ」

 植物ホルモンのオーキシンを内服してクロロフィル合成を抑える方法もある。一日一回の飲み薬だけで楽で、効果も強いのは確かだ。しかし副作用の強さからまだ若い彼女に行うのは嫌がった。

「うーん……そうですか。ならそうします」

「インスリン継続にしますね。お大事にどうぞ」

 まだまだ患者は待っている。しかし全員を直に診るわけではなく、人間の専門医で対応できるならパスを投げるのも彼の仕事だった。

 かつて獣医師と医師のどちらが人外種に医行為を行うのか議論があった。結果としては治療を受ける本人に伝達できる意思が存在するために医師の業務となった。落とし所としては、五年の専門研修期間を設けて専門医としての標榜に厚生労働大臣の許可を必要としたことだ。

 ただし法的に整備されたのは医師だけだった。コメディカルは捨て置かれ、専門を名乗るのは各職域団体の基準が全てだ。一日の研修で名乗れてしまう職種もある。

「土田 亮介さんですね」

 次の患者は人間だった。人外種そのものだけでなく、彼らによって引き起こされる人間の不健康も診なければならない。


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