雀荘オーナーのスズメハーピー(サイドカー) (Pixiv Fanbox)
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十七時になって、下の階から振動が伝わってきた。ミサと鷹丸をはじめ、麻雀を打っていた誰もが顔を見合わせる。防音はできているがうっすらと音楽が聞こえてくる。
「すいませんラス半お願いします」
「こっちも」
一気に全部の卓でゲームが終了した。結局、二人とも気になって雀荘を閉じて下に降りた。普段は電球色の柔らかな照明のはずが、原色の目に刺さる色に支配されていた。
「あ、やっぱり来た」
エプロンドレスを、メイド服を着たニーナが二人を出迎える。男性三千円、女性千円で上り終電まで飲み放題というメニューだけに変更されていた。二人はよしみで集金を免除された。
ニーナの体は露出が少ないが、引き換えのようにカウンターのユキはビキニを着ていた。紐パンツを目の当たりにしたミサは笑いを堪えられなかった。
理由を聞けば賭けのせいだ。この手のクラブイベントを開催するにあたってタキシードでは堅すぎるから、衣替えになった。公正なくじ引きでメイドかビキニが割り当てられた。
「やっぱりユキはニーナに勝てないな」
ミサはぼやいた。ユキのもとに新たな注文が届く。二つとも季節のフレッシュフルーツを使ったカクテルだった。
普段ならカクテルは提供時間が間延びして敬遠される。しかし今日は注文数が多かった。とりわけシェイクをするカクテルが多く、理由は男性陣の目線が如実に示していた。
「ちゃんと公正にしたのに……」
まだユキは未練がましい。二人にも酒を出す。
察して鷹丸はビールを選んだ。ものの一分で彼の前に提供される。
「まあ律儀なことで。じゃあアタシはウォッカマティーニを、ステアせずシェイクで」
ミサですら、面白がって本来はステアで調製するカクテルをシェイクするように注文した。
「やると思った」
不満げにしながらも手元は確かだ。まずは冷凍庫にカクテルグラスを潜らせる。
シェイカーボディに氷を入れるとジガーの両端を使って材料を入れた。ウォッカとベルモットが三対一で、蓋を被せる。このまま振ると内圧が高くて弾けるから、一瞬トップを抜いて空気を逃がす。
指先で支えて振るう。氷が内壁にぶつかる音が聞こえるが、背景の重低音と張り合って減弱した。
内容物が十分に冷えたくらいで止めて、冷えたカクテルグラスに注ぐ。振ったせいで空気が混ざり白濁している。長いバースプーンでオリーブを沈めて完成した。
「ウォッカマティーニ、シェイク」
「振ると味変わるんですか?」
「味見してみる?」
一口目は鷹丸に与えられる。彼は比較対象を持っていなかった。
「クラシックなマティーニを作りましょうか」
「お願いします」
ミキシンググラスに大きな氷塊が収まり、先ほどの割合でウォッカをジンに変える。バースプーンで手早くかき混ぜて、今度は冷凍庫でプールしてあった冷やしたカクテルグラスに注ぐ。同じくオリーブが沈められた。
比較的透明なそれを飲んだ鷹丸は眉間にしわを寄せる。
「だいぶ辛いです」
「もらっていい?」
「どうぞ」
ミサが一口を奪う。さっきまでシェイクしたウォッカマティーニを飲んでいたミサも鷹丸と同じ感想だった。ベルモットがまだ多い方で、もっとドライなものを好む人もいると言う。
カクテルを飲みきるとミサもビールを受け取ってバーカウンターを離れる。二人とも、いくらか落ち着ける席に肩を並べて座った。
「これユキさんの企画提案ではないですよね」
流れている音楽はベースが強調されて胃まで揺さぶられる。元々のバーの雰囲気には合わない。本当なら流されるべきはジャズの類いだ。
「ニーナだろうな。元々、こういうのオーガナイズしてたんだ」
彼女は生き生きとホールを担当していた。小さな体でテキーラをばら撒く。場の空気に飲まれて、気が無くてもグラスを持ってしまうと誰もが喉に流し込んでしまう。
「ビールなんて湿気てるじゃん!」
そしてわざわざミサと鷹丸の卓に絡みに来る。ニーナの禁酒はまだ継続していて、逆に飲まされそうになるとサキュバスの力で誤魔化していた。
「ほらほら飲んで飲んでー」
有無を言うことができないままテキーラのショットを二杯押し付けられる。いくらか酒に慣れてきた鷹丸は初めてそれを口にした。喉に焦燥感が現れ、鼻に青臭さが抜ける。口直しにビールを飲んだ。
全体を見渡してみると人外種の割合も少なくなかった。ミサはそれを良しとせず不機嫌だ。
「サキュバス多くないですか」
「サクラだろ」
男性と女性で入場料に差があるため男女比は女性の方がやや多いのは当然だ。しかし、本来夜闇に舞うサキュバスはあまり見かけない種族である。なのに十人に一人ぐらいは角が生えていた。
ニーナの人脈で連れてきているようだった。サキュバスだけあって身体的な魅力が高い。そして自然と放たれるフェロモンが男の判断力を鈍らせる。
鷹丸はミサが人外種を好んでいないと薄々感じていた。雀荘の主な客は人間ばかりで、そうでない生物が同卓した場合はかなりの頻度でハコ下に沈めている。
だが彼にも納得できる部分があった。マリーもニーナも何らかの因縁がある。人外種との交友は日向の中にないらしい。
「楽しそうだ」
気怠げにミサは呟く。鷹丸も一緒になって騒ぐタチではない。ノリが悪い二人の前に単眼族の女性が現れる。
「久し振り」
ユリカだった。鷹丸は思い出すのにしばらく時間が必要だったが、ミサは即座に反応する。
「何しに来た?」
「普通に楽しみに来たんだけど。相席していい?」
ミサは一気にビールグラスを空にして鷹丸に渡す。
「フルーツカクテル」
「はい、えっと、ユリカさんは」
「同じもので」
彼を離れさせて話をつけようとする。まだ彼は気付いていない。ユリカもまだ秋が遠いのに長袖長ズボンで体の模様は隠している。透けないように黒インナーもしていた。
ミサは露骨に焦っていた。そんな様子見て、ユリカはいくらか面白がって対面に着席する。
「ダメだった?」
「決まってるだろ。千円やるから帰れ」
「ちょっとは信じてよ。ホントに借金なくなってたし、友達が傷つくようなことすると思う?」
ユリカは微笑みかけた。ミサは呆れかえる。
「まだそんなこと言ってるのか」
「実際、夜ヒマになっちゃったんだよね。お金も使い道ないし」
少し前までユリカは夜も働いていた。昼職は定時帰りを徹底していて、それは変える必要がなかった。
鷹丸が戻ってくるまでまだ時間があった。ミサは今すぐ彼女を蹴り倒して喧嘩を起こし、諸共追い出されようとも考えた。しかし鷹丸の前でできるはずもない。
「こんな場所だったっけここ。ユキさんがこんなことするとは思えないから……あの新しい子?」
「ニーナだ。サキュバス」
「へえ。こういうの嫌いじゃないな。前だったら敬遠してたけど」
二人はまとまらないまま鷹丸が戻ってくる。ウォッカベースに、スイカとライムを絞ってレモネードで割ったカクテルだ。トッピングに薄切りにしたキュウリが添えられている。
「何かあったんですか?」
いやに神経を張り詰めて強ばったミサを見て鷹丸は尋ねる。
「まさか財布……僕がいけないんですけど」
「それは返してもらったよ。大丈夫」
ユリカに曝露する気がなかったとしても、鷹丸の方から何があったのか気にしていた。表向きに隠していても雰囲気から彼は違和感を掴んだ。
「アカネさんも――」
「みんな精算した。だから遺恨ないし、そんなに硬くしないでさ。だから、そういえばあのタネって聞いてもいい? サイコロの出目のことだけど」
鷹丸はミサに伺いを立てた。話を逸らせると思った彼女はゴーサインを出す。
「特に仕掛けもなくて、素で狙って出しただけです」
「えー、勝ち目なかったんだ私たち」
ユリカがグラスを口につける。ミサの願いに反して話は弾んで、ユリカの妹の第一志望と鷹丸が籍を置く大学が同じだと判明した。
「人外種の扱いって実際どう? オーキャンで一緒に見た限りだと一番マシかな」
「良くも悪くも無関心って感じです。助けないけど加害もしないみたいな。学食だと露骨にグループ分かれてて、やっぱりって思いますが」
「え? じゃあ、あの相席って」
「ああ……事務局の指示だと思います。僕はそういうのに関わりないので知らないですけど」
多様性を謳ったところで、反復的に戦争してきた相手と号令かけて親睦を深めることはできなかった。それでも彼が通う大学は枠を区切らず公平な入試を行うと公表しているからまだ恵まれた方だ。
「私の妹、カエデっていうんだ。もし後輩として入ったら、その時は仲良くしてあげて欲しいな」
「よかったら連絡先交換します? 相談があれば」
「いいの? 助かる」
先に鷹丸とユリカが交換し、グループを作ってカエデと繋がる。勉強中か携帯電話を見ていないようで既読はつかない。
またニーナが絡みに来る。テーブルのグラスは空けられていないが、やはりテキーラを置く。三人揃って飲み干した。
「にゃはは、楽しそうじゃん。ミサ以外~」
テキーラショットがなくなった盆でバカバカとミサの頭が叩かれる。不機嫌そうにしてミサは動かなかった。
「今度は殺す」
「おーこわ。やってみそかけて味噌~」
ニーナがユキに呼ばれて退散する。もういくらか遅かったら沸点を超えていた。
グラスが空になって、今度はユリカが全員分の飲み物を取りに行った。その間もミサは思いつめた様子で鷹丸は心配した。
「本当に大丈夫ですか? ユリカさんが来てから変ですよ」
「そんなに? 大丈夫だけど」
いくらか時間がかかってユリカが戻ってくる。サイドカーというカクテルがユリカ、ミサはビール、鷹丸にはオレンジジュースだ。
「そういえば乾杯してないね。かんぱーい」
周りの体を揺らしている人々も関係がないのに、ユリカの音頭でグラスを掲げた。ミサだけが笑っていなかった。
「呑んだら暑くなってきちゃった」
ユリカは袖をまくった。もちろん腕に彫られた刺青が露わになり、鷹丸もミサも驚いた。
「それ本物ですか」
鷹丸が聞く。ドギマギとするミサを見てニーナは微笑んだ。
「シールじゃないよ。触ってみる?」
ユリカは腕を差し出す。彼は断ったから、彼女自身が腕を抓んで示した。
「もしかして似合わない? 困ったな。落とせないんだけど」
黒髪ロングに前髪を切りそろえていて見かけ上ユリカは清楚だ。そんな彼女が腕にびっしりと墨を入れている。
「いえ、ただ、意外だなって」
「人を見かけで判断しちゃだめってことかな」
「腕だけですか?」
「んーん、全部入れたよ。ほら」
そう言ってミサは服をたくし上げる。お腹をさらけ出して、絵柄を見せつけた。
「ちょっと、こんなところで」
「童貞さんには刺激が強かった?」
たしかに鷹丸は男子校出身だった。
「こんなところで不健全ですよ」
ただ周囲には露出度の高い服の女性がうろついている。ミサがそもそもそうだった。ユリカはニヤニヤと鷹丸の顔を覗く。
「じゃあさ、こんなところじゃなかったら、健全かな?」
「ごめんなさい。僕は興味ないです。今日はもう帰ります」
鷹丸は席を立って逃げるように消えた。オレンジジュースは飲みかけでテーブルに残された。
「ありゃりゃ」
「なんてことしてくれた」
場所が場所、時代が時代でなければミサは今すぐユリカの喉笛を掻き切っていた。その一方でユリカはヘラヘラとしている。
「後ろめたいって感情が分かった?」
「最初からそのつもりで――」
ユリカの顔から笑顔が消える。いやに真剣にじっとミサを睨む。
「ミサがしたときはどうだった?」
全裸になって迫ったことを思い出した。彼は引かず、いくらか回復に時間がかかったようだがまた戻ってきた。
「受け入れてるから攻めないで、手を出すまで待った方が良いよ」
「何のことだ」
「首締めはしてくれないでしょ。甘く繋がってちゅっちゅ系じゃない? そんなことミサにできる? というか、それで満足できる? 心はともかく体は」
「うるさい。アンタはアタシの何なんだ」
「え? セフレ」
身も蓋もない答えが返ってきてミサは緊張が解けてしまった。項垂れて溜息を吐く。
「信じられないな」
「それでいいよ。けどセフレの立場は弁えてるつもり」
「前もって連絡してくれればいいのに。だったらあんな……」
「そしたらここ来なかったでしょ」
力なく笑ってミサもクラブを出ようとする。
「上にいくの?」
席を立ったミサをユリカは引き留めた。
「当たり前だろ」
お互い、しばらく固まった。
「ドア、開けられる?」
「……手伝ってくれる?」
ハーピーに配慮されたドアノブにしてあるから、開けられないはずがない。なのにミサは彼女に介助を頼んだ。
二人は連れ立ってクラブを後にする。バーのドアを閉じても音漏れは激しい。それに紛れるように、その場でユリカはミサを壁に打ちつけるように唇を交わした。
「っあ……ったく……階段登るまで辛抱しろよ」
「エヘヘ、ごめん。今日はどこまでシてくれるの?」
「逆に何してないんだ?」
仄暗い雀荘のなかにもつれ込んで体を絡ませる。ここまで来ると下から伝わるのは振動だけで、二人だけの空間が広がる。
「私はミサを信じるから」
「アンタ後悔するぞ。裏切ってばかりだからな」
「それ含めて、ね」
ふとミサの膝がユリカのみぞおちに命中する。発泡性の酒で腹が膨れていただけあって食道を胃内容物が駆け上る。その場にうずくまって酸っぱい口内を床に溢した。
「こないだいいようにされたから、こんどはアタシの番」
嘔吐は体力の消費が激しい。もうユリカは息も絶え絶えだった。
「もう少し……手心を……」
ミサの脚はそのままユリカの頭に乗った。踏みにじって床とキスをさせる。ただ見かけによっては撫でているようだった。
「全部アンタに引き受けさせてやる。友達らしいからな」
ユリカはミサを見上げる。見下す冷徹な視線を受けて彼女は口角を吊り上げた。