雀荘オーナーのスズメハーピー(Nine Gates) (Pixiv Fanbox)
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鷹丸の自宅にはダーツボードがある。集合住宅で音が出るといけないから、ソフトダーツではなくハードダーツになっている。賃貸ということも、外さなければどうという問題はない。
しかし、最近は的を大きく外している。何度も後ろのカーテンに命中し突き破った後に自重で滑り落ちてフローリングに傷をつける。
一本目、二本目も前例通り的に入りすらしない。三本目からは彼の指から離れなかった。
投げる動作の終末に異常があった。投擲物が離れる瞬間になって、反射的に体が力を入れる。
夕方の出勤時間になって彼は諦めた。普段は持ち歩くダーツを置いたまま家を出る。
雀荘でミサは相変わらずだった。だが珍しく、明らかに鷹丸を待っていた。
「来た来た。鷹丸、ニーナが退院したって」
「助かったんですか」
数週間と続報がなかった。彼としては死んだのか、生きていれば後遺症の有無を確かめたかった。原因が自分にある以上は顛末を知る義務があると覚悟していた。
「それで下にいる。退院祝いしてやろう」
気乗りすることではない。だから一人ならできなかったが、ミサの付き添いもあってついていくことにした。
バーのドアを開けるとベルが鳴る。そこにはニーナがいた。ただし、客の側に立っていない。
ニーナは前に見せたビキニ姿ではなく、ユキとお揃いのタキシードを着ている。揃って髪を後ろで一本に束ねていると姉妹のようだった。
「生かしただけじゃなく雇ったの?」
ミサにもその姿は意外だったらしい。当の本人であるユキすらあきれ顔だった。
「行く当てがないらしい。ウチに来たのは金の無心だった」
ユキが説明する。同一人物だと知られてから、彼女は鷹丸の前で口調に気をかけなくなった。女声でありながら、響いて鋭く通る声だった。
「ニーナが?」
「えへへ、お恥ずかしながら」
ユキの手でグラスにビールが三つのグラスに注がれる。ニーナだけウーロン茶だった。
「いいなあビール。ニーナもビール飲みたーい」
「呑まないの? 乾杯」
これ見よがしにミサはビールを煽った。ユキや鷹丸すら飲む。
「まだ肝臓がほとんどないから禁酒」
「ごめんなさい」
その原因は鷹丸にある。負い目を感じずにはいられない。
「いいのいいの。鷹丸って言ったっけ。肝臓は生えてくるらしいし。ニーナ、ちょっと死にかけたくらいだから」
ユキがニーナを小突いた。苦悶の呻きが聞こえる。
「まだ塞がってないんだよ!」
「なら大声出すな」
空になったグラスは流しに入れられる。下っ端のニーナが洗い物をした。
「それで、なにがあった?」
ミサが尋ねる。
「新宿でポーカーしたら文無し。してやられちゃった」
「マリーも言ってたな。流行ってるって」
ニーナとマリーは同じ組織に身を置いていた。ここでミサに疑問が生じる。
「抜けたんだっけか」
「うん。フリーだよ」
「遺恨はないだろうな?」
「ちょっと使い込んだかもー」
ミサはユキに言ってマリーまで電話をさせた。数コールで繋がって、スピーカーフォンにされる。ニーナも出てきてミサと肩を並べる。
「どうした? 珍しいな」
背景音はいやに物騒だった。がなり立てる声が断続的に聞こえてくる。
「ニーナがいる。目の前だ」
「やっぱりそっち行ったか。無事か?」
「コメントしにくいな」
一旦は腹が裂かれた。生死の淵も彷徨っている。
「生きてるよ~」
呑気にニーナは答えた。電話の向こうの声色が変わる。
「まだ生きてるんだな?」
「そんなに心配してくれてるなら助けに来てよー」
「使い込みは把握してる。裏カジノがどんな具合か鉄砲玉になってくれりゃいいと思って放っておいた。それで、どうだった?」
ニーナは答えられなかった。マリーが詰める。
「答えろよ。金くらい返せるか?」
それはニーナにとって屈辱的だった。唇を噛んで、答えを捻る。
「負けたさ! 人間ども相手に! 血も出ねえよ!!」
「ああそ。なら失せろ。あ、ミサ? わざわざありがとうね。また連絡するかも」
「ニーナは?」
「どうでもいい。死体の処理なら手伝うけど――」
ニーナが画面を叩いて切断する。
「あのクソ蛇……!」
「やぶ蛇かもな」
ミサの一言でニーナが飛びかかった。しかし手負いの相手に遅れを取ることもなく、明確な弱点である脇腹を押さえて床に引き倒した。
ユキまでカウンターを降りてニーナを、鷹丸がミサを受け持った。とはいえ頭に血が上っているのはニーナだけだ。
「ニーナ、落ち着いて」
耳元でユキが語りかける。それだけで血管に氷水を流し込んだようにニーナは我を取り戻す。
「こんなことに使わないでよ……恥ずかしくなるじゃん」
「それって」
ミサは驚いた。サキュバスのチャームは同性に効かない。
「うん。主従が入れ替わってる」
ユキは元々人間で、ニーナのせいでサキュバスになった。そうすると親と子のように強制力がある主従が決定するが、死の危機に瀕したニーナは慌てて関係を解消ではなく入れ替えてしまった。
「手綱握ってるじゃん。暴れて損した」
ミサは拍子抜けしたようだった。
「ボクはあんまりそういうことしたくないけどね」
「うげ……だからもっと嫌。ぬるま湯より露悪的にされた方がマシ。全く何もかも、この子にチャームが効かなかったのが原因だわ」
ニーナと鷹丸の目線がぶつかる。サキュバスの能力を行使しようとしたのに気付いて、ミサが彼女の膝を蹴る。
「やっぱり刺さらないにゃー」
「刺さる……」
「そうではなくー」
蠱惑的に顔を覗き込む。鷹丸は嫌そうにそっぽを向いた。
「匂いは純正九連宝燈もびっくりする純正な人間なんだけどね。わっかんないなあ」
「腕が鈍ったんだろ」
じゃれ合うようにミサとニーナは話しあう。内容はどこまでも下劣だった。
その間に鷹丸はユキからコップ一杯の水をもらう。彼に対しての丁寧な態度は変わらなかった。
「ご迷惑をおかけしました」
ユキが謝った。
「僕こそ――」
「ボクはニーナを殺さずに済みました。鷹丸さんは二人も救ったんです」
「そんな、えっと……幸雄さん、でいいんでしょうか」
「……たぶん、その名前はもう使わないと思います」
どうしてかは彼に聞けなかった。
「そういえば鷹丸がダーツしてるトコ見たことないな」
「え! ダーツやってるの。だから私の腹に――いちいち蹴るなアホ!」
嫌な話題だった。投擲に関わる話題の一切を彼は受け付けなかった。だけど隠していても仕方がない。
「アレから投げられなくなりました」
「あらら。トラウマ? かわいいトコもある?」
またミサがニーナを蹴った。ユキより加減を知らないから、半ば絶叫に近かった。
「再出血したら今度こそ死ぬ……」
「死んどけ。どうしてくれんだ?」
「さーあ。時間が解決するんじゃない?」
試しにとミサから投げるよう促され、彼はハウスダーツを持ってみる。ソフトティップダーツでも結果は変わらなかった。投擲動作のブロックは解除されない。
割り切って腕を振ると、矢はあらぬ方向に飛んだ。先端がへし曲がって交換が必要となる。
「思ったより深刻だな」
「ホント。物投げたことないみたいー」
イラつきを隠せず鷹丸はニーナを睨んだ。彼女にも傷痕はあって無意識で後ろに引く。
「サキュバスがヒトオスに物怖じか?」
当然ミサは煽る。異性に対してチャームという強力な命令権限を有するサキュバスは男性相手に上に立つばかりだ。ただしプライドを貶されて黙っているニーナではない。
「クソ! こうやって投げるんだよ!」
ニーナが鷹丸の手首を握る。彼女はダーツの経験者ではないから後ろに引いて振りかぶらせた。
彼は抵抗して正しいフォームに収める。そして彼女に腕を掴まれたまま、矢を指から離した。
矢は放物線に乗ってインブルを貫き電子音を響かせる。その場の全員、投げた本人すら感嘆の息を漏らした。
「やるじゃん! はい! 解消!!」
しかしニーナが離れると再び投げられなくなる。いくらか試した後で、左手を恋人よろしく繋いで体温を感じていれば正常に投げられると判明した。
「ダーツ、ください」
鷹丸は残り二本のダーツを受け取ってニーナに持たせる。単に投げられるだけでなく、手を繋ぐと苦手とする立ち上がりも解消できた。
投げる度に左手に力が入る。その度にギュッと握り直され、ニーナは赤面した。つっけんどんな態度も徐々に軟化する。
「あ、あのさ……これくらいにしない? もういいでしょ?」
ゼロワンゲームの最中だった。だから手打ちを求められても彼はやめられない。意識自体はゲームに集中しているから、ラウンドが進むたびに絡み始めた指にも気付かない。
目ざとくミサはニーナの回心に気付いた。ただ邪魔をしたい気分はあっても、いまは鷹丸に被害を出してしまう。
ブルを狙ったゲームではパーフェクトのラウンド数でゲームを終えた。ここしばらくの鬱憤を晴らすことができて彼は上機嫌になる。
「ありがとうございます。助かりました」
「弄ばれた……こんなヒトオスに……」
ニーナのサキュバスとしての尊厳は破壊された。しおらしくカウンターに顔を伏せる。
「でも、確かにチャームが効かないのは気になる」
ミサがぶり返す。話し合いの結果、ユキのチャームを鷹丸に掛けてみることになった。
「本当にいいんですね?」
「どうぞ。よろしくお願いします」
鷹丸とユキは向き合う。目と目が合って、それからユキは耳元に口を近付ける。息継ぎを聞いて、彼は左耳だけこそばゆくなった。
「おやすみなさい」
甘美な響きだった。だけどそれ止まりでいつまで経っても彼は眠くならなかった。気まずい時間が流れる。
「ダメですか」
苦笑いでユキは尋ねる。彼女としては渾身だった。
「ダメですね」
「まったくもー。代わって。ニーナが本物のサキュバスのチャーム見せたげる」
今度はニーナが名乗りを上げる。二人は乗り気ではなかったが、鷹丸は彼女を受け入れようとした。
「変なことしたら次はアタシが殺すから」
「はいはい。じゃ、こっち見てねー」
視線を交わした後で耳元に囁く。ユキと同じ内容で、同じ結果だった。
サキュバスの矜持を一日で二回も傷付けられたニーナはそれこそ再起不能になった。
「男性ですよね?」
根本的なことをユキは確認した。
「見ますか?」
「え、見せてくれるの?」
ミサが突っ掛かってきた。そして彼は言ったことを後悔した。
「上に乗ったじゃないですか」
「んー……ん、ああ、確かにあったかも」
「でしょう?」
「確証はない」
翼が彼に襲い掛かる。それを受け止めるのは容易だった。だがニーナが間に滑り込んで素早くズボンを引きずり下ろした。
他に客がいないのは幸いだった。彼の局部が外気に触れる。
即座に彼はズボンを上げる。それでも彼女達がモノを目に焼き付けるには十分だ。
「立派じゃないですか」
元は男性のユキはいくらか妬ましげな様子を見せる。彼女にはもうない。
「このくらい?」
ミサはお腹に手を当てる。へそより上、もはやみぞおちの方が近い。
最もウブな反応をしたのはニーナだ。唖然として何も言えない。サキュバスといっても彼女は直に絞るようなことはせず、夢の中で生気を吸う由緒正しく悪質な方だった。
「いつか皆さんも見せてください」
不公平だと彼は思った。
「アタシは見せた」
「ボク、元はアラフィフのおっさんですよ」
「ニーナは、えっと、ニーナは……」
流れのままに次はニーナの番になった。しかし客が来たから話は打ち切られる。
ずっとユキが一人でやって来た店で、客も新入りに興味津々だった。鷹丸とミサにも客が訪れる。お互いに各々の仕事に戻っていった。