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 鷹丸は雀荘のドアを開いた。ミサは雑誌を読んで寛いでいた。

「あれ、今日って来る日だっけ」

「最寄りが線路内人立ち入りで遅延してて。振り替えもあるんですけど、混んでて面倒になりました」

「大学生らしいね。いつぶりだっけ」

 二週間ほど、彼は雀荘に顔を出していなかった。

「シフト表とか出したことないですね」

「ま、期待してるよ、鷹丸クン」

「……こないだは」

「なかったことにしない?」

 それがお互いのためになる。またいつも通り、オーナーとバイトの関係に戻る。

 朝だから彼は掃除から入った。ミサは加わらない。

「手積みはやらないんですか?」

 部屋の片隅は物置きになっているが、そのうちのテーブル一つは緑色のマットが敷かれていて、点棒入れもあることから麻雀卓だった。

「イカサマし放題だから禁止」

「一応、触っておきたい気がして」

「じゃあ出して」

 彼は全手動麻雀卓を引きずり出す。麻雀牌を散らすと翼でガサガサ混ぜる。翼には面積があって、洗牌中の動きが良く見えない。

 その死角でなにが起きていても不思議ではない。

「ミサさんって盲牌できますか?」

 牌に触れるだけで種類を判別することを盲牌という。

「これでできると思う?」

 翼を見せびらかす。お布を被せた手程度のことはできる。だが柔らかな羽毛で細かな凹凸の判別は難しそうだった。

「できない、ですか」

「その判断は危険だよ。盲牌の具合で相手の打ち方も分かるから」

「なら」

「どうだろうね。でも鷹丸はできるでしょ」

 確かに彼は最近、九割の確率で親指でなぞって判別できるようになった。

「えっ? いや、えっ?」

「そんなに慌てなくても」

 彼女は牌を積み上げる。鷹丸も同じように二つの山を築く。四方で囲いを作ってゲーム開始前になる。

 出目に十二が出て四枚ずつ取り配牌がされる。親は十四枚で子は十三枚、親が切ったらツモ順が回る。

「親決めたらサイコロ転がして取る場所決めたら順に牌を取って、最後だけちょっと特殊だけど。こう、チョンチョンね。アタシ苦手だけど」

 今回はミサが親として十四枚を掴んでいる。

「で、手積みで配牌した訳だけど、ここで何か物言いは?」

「いや、特には――」

 ミサは牌を倒す。役なしではあるが、四組と雀頭ができている。

「天和。48000点」

 第一ツモで形ができていれば役満だ。天文学的な数字で、実戦なら単に揃えるだけでなく親番も重ならなければならない。

 それでもコーヒーを片翼に出していいものではなかった。

「どうやって」

「そう、どうやって。今でも分からないのに他の人が居る実戦だとなおさらだよね」

 山を崩して再び積み上げる。今度は子としてツモってきたが地和で上がった。しかも大三元ができて二倍役満が出た。

 これも彼は気がつかなかった。方法が理解ができず指摘もできない。また牌を崩して、今度は鷹丸もしっかりかき混ぜる。

「シュレーディンガーの猫って知ってる?」

「はい。不確定性原理がいう量子的な重ね合わせ状態を巨視的にして批判するための思考実験ですが、量子力学では、ミクロの世界ではあり得てしまうので体のよい説明になりました」

「人選間違えたかな。まあ、牌は見るまで決まらないから気合いで変えられるの」

「握力で牌を削り取って全部白にするとか?」

「鬼族かな。ってかどんな役よ」

「字一色と四暗刻単騎、場合によっては四槓子だから四倍役満です」

「ウチ二倍役満まででしょ」

 ミサはツモる。そうして引っ張ってきたのは待ちの🀛だった。

「積み込みですか?」

「そう。人間だと鷲の手みたいにして欲しい牌をキープって感じかな。あとサイコロの出目弄ってツモ全部有効牌にできる」

 ミサは一と六の出目なら操作できる。そうして積み込み牌を手元に引き込んでくる。

「他のイカサマは?」

 彼は興味本位に尋ねる。

「やらないよね?」

 ミサは手元で牌を転がした。

「ここでは」

「ならよし。ただ今って全自動卓だからこういう華のあるイカサマは見れないよ。こっそり河を変えたり拾ったり、嘘の暗カンとか、リンシャン見るとか、牌握りこんで適度に切り替えるとか、山と入れ替えるとか。泥臭いのばっかり。あとコンビ打ちかな。懐かしいな」

「バレないもんなんですか」

「バレるよ。でも隙をついてうまくやるの。アタシの場合は翼で影が大きいから、その分があるかな」

 手元をよく見ていればその動きは明らかだ。しかしいつまでも誰かの手元ばかりを見ている訳にもいかない。

「で、バレるとこうなっちゃうの」

 口を開けてミサは舌を見せる。

「そんなことだったんですか」

「カミソリでズバッとね」

 ベルが鳴る。誰かが雀荘に入ってきた。

「……アイツに」

 ミサがドアの方を睨む。彼が振り向くとメデューサの女が立っていた。

 緑髪の一部は蛇になっていて自立して動く。そして、メデューサのヒトの目を直視すると体が固まるという。ただ目が合った鷹丸は普通に動けた。

「久し振り。随分な挨拶じゃん」

「何しに来たの」

「麻雀を打ちに」

 彼女は笑う。ミサは歓迎しているような、歓迎していないような煮え切らない態度だった。

「なに、手積みでやってんの?」

「やる訳ないでしょ。卓立たないから帰りなよ」

「下に天野がいるだろ。そこの野郎と三麻でもいいさ」

「鷹丸。鷹丸、コレはマリーだ」

 椅子を引っ張ってマリーは手積み卓に無断で座る。

「最近ポーカーに回帰してるんだよね。こっちでも流行ってきたし」

「マジで何しに来たの?」

 早々にミサは麻雀牌を片付ける。彼女にさせるゲームはなかった。

「トランプ、出して」

「ある訳ないでしょ」

「私の目、まだ持ってる?」

「捨てたよ」

「目? 捨てた?」

 鷹丸は尋ねてしまった。するとマリーは自分の左目に指を差し込み、取り出して見せた。美容的な人工眼が外れて、シリコンのインプラントが露わになる。

「舌を裂いたらコイツ、私の左目を要求して……っていうか平気なの? キミ」

「眼球が賭けに上がるのは変だと思いますけど」

 マリーは目を元に戻した。確かに良く見れば左右で虹彩の違いが分かる。

「えへ、古くて昏い時代の出来事ってことで。最初はちんちくりんだと思ったけど、キミ、こうして見るとイイ――」

 ミサが卓を打つ。打音が二人を黙らせた。

「やめて」

「何を……ああ、その獲物の邪魔する気は無いわ。私が競うのはモノだけ~」

 素直に彼女は引いた。しかし絡みをやめることを意味しない。ミサの特等席であるソファの待ち席に腰を据えてしまった。

「帰れってば」

「遊ばしてくれたらな。天野も元気してる?」

「それは、お陰様で」

「ならいいや。アイツが見たら面白がるぜ。まだ保ってるなんて」

 ずっとミサは不機嫌だった。天野のことが話題に出るとイラつきは増していく。

「どこにいる?」

 鷹丸が理解できたのは、並並ならぬ因縁があることだった。彼もそれなりにトラブルが好きな人種だったが、仄暗い部分は解決が難しいから手を出す気がない。

「知らね。もう身内ですらない。まだ償わせる気でいるのか? 天野だって諦めてないか?」

「ケジメがついてない」

「そうなんだろうな。受け入れればいいのに」

 ゲームもしていないのにドリンクサーバーからコーラを取る。タバコに火を点けそうになるも、それはしなかった。ここは禁煙だ。

「下が酒場で開くまでは居させてもらうさ」

「余計なことすんなよ」

 結局、ミサはマリーの存在を許した。やがて一般的な客が来て卓が立つ。マリーはそれに混ざった。

「……はあ」

「お疲れさまです」

「もう会わないと思ってたんだけどね」

 マリーは六本木のタワーマンションで行われる賭け事のオーガナイザー側として規律を守る側だった。そして当時、ミサは麻雀の腕を買われて店の利益を守る打ち手として雇われていた。

 ところがミサは稼ごうとして、ひょんな事から出会った天野幸雄を客として送ってコンビ打ちをした。そこでミサが欲をかいて和了する役目の幸雄に役満を送った。しくじってもろもろが露呈し、ミサは舌を裂かれた。ただし麻雀は続行した。

「教訓としては、高レート、とくに青天井は危ないってことかな」

「肝に銘じます」

 マリーは麻雀を打つ側の人間ではなかったが、これまでに踏んできた場数の違いから堂々たる打ちぶりで、直撃を食らうと一発昇天するような手役派だった。

 リーチはタイミングこそ見るも基本的に全ツッパしてオリることを知らない。守りを重視する鷹丸とは正反対だった。

「変わってないな。だから目をなくすんだよ」

「目って、ミサさんが……」

「いや、自分で抉らせた」

 賭けさせたことは否定しなかった。舌を裂かれた復讐を成し遂げたのだと彼は理解した。

「まだいろいろとあるけど、聞きたい?」

「……遠慮します。まだ朝なのに」

「それがいいよ。碌でもないから」

 ミサは鷹丸にウーロン茶を持ってこさせた。

「ポーカーって言ってましたけど、ミサさんもできるんですか」

「実はそっちが本業だった」

「えっ?」

「あっちだとポーカーのが稼げたからね。こっちでも流行ってきたって言ってたけど、どう? 人間の意見としては」

 鷹丸はそんなこと感じた覚えがない。

「となると裏側で流行ってんのか。鷹丸はできる?」

「役を作るくらいしか分かりません」

 無いと言っていたトランプをミサは取り出した。チップも祝儀用のものを持ち出す。確かに、祝儀で使うチップはポーカーチップだった。

「大昔に、こっちでポーカーやってるって聞いて行ったらホールデムじゃなくてドローポーカーだったんだよ。マリー! 流行ってるってドローポーカーの方か?」

「いんや、ホールデム」

「じゃあホールデムね。まずディーラーボタンの隣とその更に隣、スモールブラインドとビッグブラインドが強制ベットする。今回は仮に一枚二枚とベットしたとして仮に置くけど。そしたらカードが二枚配られて――」

 手元にカードが来る。ハートのエースとダイヤの七の組み合わせだった。

 鷹丸はずっと手に握っていたが、ミサはカードをテーブルに置いたままめくって覗き見ただけだった。

「プリフロップ。ビッグブラインドの隣、アンダー・ザ・ガンからスタート。この回はブラインドがベットしてるから、コールしてベットと同額賭けるか、フォールドして降りるか、レイズで倍にするかだけ。どうする?」

「コール」

 ビッグブラインドがベットで払った二枚を鷹丸も払う。

「で、ディーラーがアクションしたらスモールブランドとビッグブラインドのアクションになる。そこまでで残ってるプレイヤーの賭け額が揃ったらプリフロップは終了。今回はアタシもコールしたとして、フロップに移行する」

 トランプの山の一枚目は使わず、その下から三枚引かれ、二人の間に並ぶ。クラブのエース、ダイヤの七、ハートのクイーンが出た。

「スモールブランドから。出さずに様子見のチェックか賭けるベット。誰かがベットしたら、そこからプリフロップと流れは一緒。その次にターン」

 新たにカードが開示される。ハートのエースだった。

「ここでも残ったとする。もし一人だけになったら、その時点で全取り」

 リバーに移行する。最後のカードが開示される。ダイヤのエースだ。

「これで賭けるラウンドは終わって、ショーダウン」

 ミサはブタの手札を見せる。一方で鷹丸はエースがそろい踏みのフォーカードだった。

「鷹丸の勝ち。で、例えば持ち金が足りないのに勝負したいときはオールイン。だけどポット全取りとはいかない。ルールはこんなもんかな」

「ここら辺でできる場所ってあるんですかね」

「アタシも知らないな。ただマリーが言うには、ヨソにあるだろう」

 人目につく場所ではないことは確かだった。ミサと鷹丸はマリーを見守った。結局、来た客の多くを食い物にした後で、代走に入ったミサにコテンパンにやられて稼いだ分は吐き出した。

 五時になってマリーは雀荘を出た。卓が空いて、割れないように鷹丸が代走に入る。

「ちょっと、店番頼んでていい?」

 鷹丸も雀荘での働きに慣れて仕事を任されるようになった。ミサはマリーの後を追う。その先でマリーは一人で酒を飲んでいた。ミサも一杯頼んで隣に座る。

「それで、何しに来たんだ?」

「半分合ってて、半分違うって感じかな。様子が気になったのは本当」

 ミサがユキに注文すると、棚の奥から黄金色に輝く酒が現れる。瓶の底には眼球が沈む。開ききった瞳孔は虚ろに何も映さず、角膜はアルコールによる変性で白濁していた。

「捨ててないんだ」

 メデューサの目を漬けた酒は滋養強壮に効果があるとされ、希少価値がある。権利拡充と近代化に伴い、失われた霊酒だ。

「飲むか?」

 ミサは提案する。呆れてマリーを手を振った。

「それで、もう半分は?」

「新宿界隈も色々と変わってね。時代かな」

 マリーはスマートフォンの画面を見せる。新宿を賑わす新興団体が取り上げられていた。

「らしくないな。ロンちゃんはどうしてるよ」

「その呼び方やめろって」

「ちゃんと賭けで勝ち取ったもんだ」

「はあ……昔と違って、影の秩序を維持する役目は終わったんだと。実際もう法でがんじがらめよ」

 公安部から存在が捉えられている彼らの活動は縛られている。最近になって制限は更に増えて、これまでの活動を失う場面もあったとマリーは言う。

 そうして生まれた隙間がそのまま残るわけもなく、新たな団体が入り込んで席巻してしまう。その領域に賭博があった。

「何が変わったのか」

「人間主義者の台頭さ。この国で人でなしに好き勝手させられないんだろ」

「恩を仇で返されたって訳ね」

 混乱期の治安維持は毒を飲むことであっても彼らの力を必要とした。しかし今は一通りの復興と発展も終わって、人間は自分たちの時代を取り戻しつつあった。

「そうなる。ただ黙ってやられる訳にもいかない。ミサ、博打打ちとしては健在らしいな」

「遠慮するよ。そこまで深入りする気はない」

「だろうな。相方が大切そうだ。もうヤったか?」

 ミサは答えない。マリーは息を飲む。

「毒気を抜かれすぎだ。いつだって欲しいものは力尽くでモノにしてきたろ」

「そういうこと、したくないんだよ。アイツには」

「あーあ。まあそういう恋も悪くないかもな。全く似合わないが」

 ミサの酒がヤケ酒に変わる。

「アタシらの色恋って、ヤったら終わりだろ」

「そんなとこはある」

「最初は無理に迫ってもみたさ。だけど、それだとダメな気がする」

「その年で大恋愛はロクな結果にならんだろ。年の差だって一回りある」

 おかわりがミサのグラスに注がれる。彼女はビールにウォッカを二ショット垂らした。マリーは溜息を吐いた。


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