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 いつもと違う駅出口から見た街は違って見えた。行きがけに喫茶店を使うことはあっても、帰る頃にはバー営業に切り替わっているからその方角には寄りもしない。

 階段を上って営業しているバーを一瞥し、もう一階上がる。営業中かそうでないかの識別は難しい。扉を開けて、ソファーで股を広げて眠っているミサを鷹丸は目の当たりにした。

 気まずさを感じて速やかに帰宅しようと思ったが、行動が間に合わずミサに補足される。

「……えっと」

「営業してる。また来ていいって言ったけど、ホントに来るなんて」

 ケラケラと鷹丸は笑われた。

「ご迷惑でしたか」

「いいや。歓迎するよ。どっちでも」

 彼女の言うとおり客としてか、メンバーとしてか選べる。彼は自分から麻雀をする気がなかった。

「メンバーね。基本的にフリー本走はアタシがやるから、もし代走で手が足りなくなったらお願い。それまでは飲み物とかよろしく。なんか分からなかったら聞いて」

 営業時間は決まっていないようだった。開いていて客が来たらそこから営業開始だ。

 鷹丸が出迎えた第一号は仕事が終わった四人組だ。不特定多数と打つフリー麻雀ではなく、一時間あたり千五百円で全自動卓を借りるセット卓の希望だった。

 彼らは片手にビールで満たされたグラスを持っていた。下階のバーのもので、その辺りの連携はしてあるとミサは言う。

 フリー卓希望も一人また一人と集まってきて、鷹丸は巻き込まれそうなところを三人目が現れた。夜になるとソフトドリンクは見向きもされず、アルコールが頼まれた。

「ビール二つとハイボール。アタシはウーロン茶で」

 ミサが鷹丸に注文する。階段を降りて、恐る恐るドアを開く。ベルの音すら新鮮だった。

「いらっしゃいませ」

 聞き慣れない女性の声だった。いつもは喫茶店のマスターが入っている場所に女性が立っていた。ただし人間ではなく、頭に生えている一対の巻角はデーモン族であることを表明している。

 彼女はタキシードを着こなして、その豊満な体をムリに押し込んでいる。昼間のシックな雰囲気が残っているだけに、鷹丸にはいくらか彼女が浮いて見えた。

「上の雀荘の注文でビール二つとハイボール、ウーロン茶をお願いします」

「ビールの銘柄とか、ハイボールに使うウイスキーの指定はありました?」

 聞いていない。そんな時は自動的にビールならカールスバーグ、ウイスキーならホワイトホースになると彼女は言った。

 ビールタップにハーフパイントグラスを傾けて黄色の液体を注ぐ。七分目に達するとグラスが起こされる。上部に指二本分の泡を作ってトレイに置く。もう一杯も先ほどと重なるほど精密な動きで注がれた。

 ハイボールはその名前が与えられたグラスに氷を入れ、二オンスのウィスキーを注ぐ。バースプーンで素早くかき回して冷却し、缶入りのソーダ水をそっと流す。

 炭酸を残すようにスプーン伝いに慎重に、それでも素早くグラスを満たす。最後に上下に四回かき混ぜ、仕上げにコップの縁にレモンを滑らせて香りを残す。

「ウーロン茶は上にディスペンサーがあると思うので、そこからだと思います」

「ありがとうございます」

 三つのグラスを搭載したお盆を両手で持ち、肩でドアを押し開ける。雀荘のドアを開けるのにいくらか苦労して彼はってきた。酒ができるのを待っている間に、ミサが打ち始めているのはもちろん、もう一卓立って客だけで打っていた。

 先に客に酒のグラスを渡して、ミサのウーロン茶をディスペンサーから取る。放銃したのかミサだけ飛び抜けて最下位だった。

「どうぞ」

「あっちも注文聞いてきて」

 言われたとおり鷹丸は注文を聞く。ビール四杯、彼も今度は銘柄を聞いてみると却ってなにがあるのか聞き返された。鷹丸は眺めていたビールタップにはめ込まれていた図柄を思い出して伝えた。

 結果として三人が日本のビール、一人がギネスを選んだ。また階を下ってバーに入る。

 バーには客がいた。窓際の席の三人組で、誰も彼女も人外種だった。

「アサヒ三つ、ギネス一つ」

「はい。よかったら、掛けてお待ちください」

 言葉に甘えてカウンター席に座る。昼間とは照明が違っていて、いくらか妖艶な雰囲気が醸し出されている。昼間は電源が落とされているダーツマシンも光っている。

「テキーラ、ショット二つ、一つはあの子に」

 獣人族の一人がバーテンダーに話し掛ける。思わず鷹丸は自分を指差してしまった。

「ウチ、そういうところじゃないんですよ」

「あれあれ、珍しいね。いつもは放任主義じゃん。もしかして――」

「違いますよ。お酒は強要するものではないからです」

 キッパリと彼女は言う。バーテンらしく、その場の秩序を保とうとしていた。

「ええー。じゃあキミはどうよ。おねーさんの奢り、受け取ってくれる?」

「いやあ……ちょっと仕事中なので」

「仕事中にこんなとこ来ちゃダメでしょー」

 そのケダモノは食い下がる。後ろで二人がその様子を面白おかしく見ていた。

「上の雀荘のおつかいですよ」

 ギネスから先に注がれる。専用のグラスに注ぎ、指三本分の余地を残す。窒素ガス充填のギネスは単に注ぐだけでは完成しない。カスケードと呼ばれる逆巻く泡が落ち着くまで待つ必要がある。

「えー、すっぽかしちゃいなよ~」

 バーテンダーはビールを急ぐ。物ができればその場を立ち去る口実になる。

「いいからいいから~悪いようにはしないって~」

 彼女の攻勢は止まない。彼の目に再び二十等分された円が留まる。

「じゃあ、ここから僕がダーツを投げてあの真ん中を抜いたらおねえさんが四杯、外したら僕が二杯飲むのってどうですか?」

 彼はダーツマシンを指差して言った。きょとんと、彼女が黙る。

「ここから? めっちゃ離れてるけどいいの? それってオーケーってこと!? いいよいいよ!! やろう!! そういうのすき!!」

 確かに彼が座るカウンターからダーツマシンまでは通常のゲームと比べて三倍ほど離れている。浮き足立つ彼女を尻目に、彼はバーテンダーに向き直る。

「ハウスダーツ貸してもらえますか?」

「丸谷さん、あの、本当にいいんですよ? こんなことしなくても、ボクから言いますから」

「大丈夫ですよ。一本だけお願いします」

 バーテンダーは心配そうにしながらも、ソフトティップのダートを渡す。先端をさすって真っ直ぐ伸びているか確認すると右手の人差し指の上に置いてバランスを取る。

 重心を確認すると親指で挟んで中指を添えて握りを完成させる。座ったまま身を翻して的に正対した。そして紙飛行機を飛ばすような軽さで矢を打った。

 力一杯に投げては的を痛めてしまうから、かなり山なりの軌道で放り投げた。放物線の頂点で彼女は外れることを確信して喜んだが、そこからは吸い込まれるように中心に下っていた。

 フリーモードのマシンがブルが入ったことを祝う電子音だけが響く。彼は席を離れて矢を抜き、カウンターにそっと置いた。

 エタノールを六十グラム摂取することになった彼女に対し、ツレが大声で笑ってはやし立てる。バーテンダーはさも当然のようにテキーラグラスを四つ並べて琥珀色の液体をなみなみと注いだ。

 上の階に持っていくビールはできていた。ハーフパイントのギネスは白と黒にはっきり分かれている。ケモノの彼女はまだ茫然としていた。

「それじゃあ僕はこれで。ちゃんと約束守ってくださいね」

 トレイに満載されたビールを持って不格好にドアを開ける。背後で閉まった音がすると、彼は大きく息を吐いた。

 品物を届けると、また一人雀荘に客が入る。それを見たミサは親番で、ツモ上がりを繰り返して着順を上げると客に交代を打診した。ちょうどプラスマイナスゼロになったから、快く客はそれを受諾した。

 卓が回っている間は御用聞きくらいで、二人はレジ近くの待ち席に腰を落とした。

「鷹丸も酒とか飲まないの? こっちで持つけど」

「仕事中ですよ」

 酒はもう飲める年齢だった。酔いという感覚は新歓コンパで味わって、まだ好きになれなかった。それにまだあの客がいるだろうバーに戻りたくなかった。

「うわっ、まじめー」

「ミサさんも飲んでないですよね」

 ルールの裁定で揉めそうになったフリー卓にミサが出向いて宥めた。この雀荘のルールはいくらか競技麻雀に近い部分があり、トラブル予防のため禁止にされやすい行為も許している。

「アタシが潰れたら鷹丸にここ任せるよ。ああゆうの」

 一仕事終えたミサが戻ってくる。

「……ありがとうございます」

 彼女はきょとんとした。

「なんか、からかったつもりなのに、からかわれてる?」

「そんなことないですよ」

 ミサは鷹丸の顔を翼で叩いた。柔らかな羽毛でやられても、彼は心地よいだけだった。

「下って二毛作ビジネスなんですね」

「昼間は喫茶店で、夜はバーね。まあ昼に酒類提供してないだけで、夜でもコーヒーは飲めるけど」

 連携しているとのことで、あのサキュバスとミサは顔見知りだと鷹丸は思った。

「あのバーテンダー……」

「サキュバスね。気になっちゃった?」

「いや、そういう訳ではなく。なんて方ですか?」

「自分で聞いてきなよ」

 今日はもうバーに行きにくい理由を話すと、彼としては笑い飛ばして欲しかったが想像よりミサはうろたえていた。

「アンタそんなことするタイプだったの!? それであんなヘボ麻雀になる!?」

「ヘボって……」

「ダーツに自信があるにしても、まるきり博徒の考え方だよ。こないだのって本当に何となく打ってた?」

 ミサが再び尋ねる。まだ後を引いているようだった。

「そうですってば。ただ、負けないようにとは思ってましたけど」

「放銃は負けじゃないからね。試合に勝って勝負に負けてる感じ」

 彼女の言うとおり、放銃したからといってその時点が金を支払う訳ではない。だけど彼は自分の山が他人に直に吸われることが嫌だった。

「麻雀の強さの秘訣ってなんですか?」

「流れが来たら引き込める度胸じゃない? 詳しくないから知らないけど」

「なんか古典的ですね」

「だって結局は運だもの。確かに守りは理論もままあるけどさ。だからその点、鷹丸は守りに天性のものがあるから、必要なのは点数の相場感覚かな。回数やれば身につくけど、狙う役と点数を決めて固めてみるといいよ」

 今度は感謝を言いにくくなった。

「ダーツ得意なの?」

「まあ、それなりに」

「指先は器用だったりする?」

 ミサは鷹丸にサイコロを二個渡した。

「七を出してみて」

 なんとなく、サイコロを転がした。出目は二と三で五だった。諦めずにサイコロを摘まみ、軽く指を振って転がすと二と六で止まった。

「だめか~」

「普通のサイコロですね」

「えっ、めちゃくちゃ失礼じゃん」

 またカラカラと転がし、今度は一と六で止まった。

「もっかい」

 まるきり同じ動きでサイコロを振ると、また一と六で止まった。更に一回やっても一と六で止まる。

 次の数回は七を外れ続け、ふと三と四で止まって七を作る。そこから三と四の出目が五回繰り返された。そして外れはじめる。

「あと二と五ですね」

「わかったよ。イヤミったらしいな」

「ミサさんもできるんですか?」

 ミサはサイコロを翼に乗せると滑走させてテーブルに転がした。規則正しい回転でぴったり一と六で止まった。三回やって全て七だった。

「一と六の出目だけだけど。人間の鷹丸先生みたいに器用じゃないので」

「イヤミですね。こんなの何に使うんですか」

「あー、いま配牌も自動だからかな。山の取り始めるところをサイコロで決めるから、爆弾やって出目を操作するともう役満だろうがなんだろうがやり放題だよ。バレなければ」

 客は入れ替わり立ち替わりで繁盛していた。ただオーナーがハーピーにも関わらず客が全員人間なのが鷹丸には気になった。特に出入りを禁止しているようには見えない。

「人外って麻雀するんですか?」

「表向きしないね。人間の文化だもの。似たゲームはあるけど、こっちのが燃える」

「裏向きはするんですか」

「賭博なら何でもいいって奴は少なくない。ウチで容認してるレートじゃ稼げないから来ないけど」

 そう言った矢先に、雀荘のドアが開く。下で飲んでいたはずの三人組が雀荘に上がってきた。ケモノ娘は本当にショットを飲んだみたいで、酷く酔った様子だった。他の二人はまだ酔いが浅く、泥酔者を宥めているが力不足だ。

 雀荘の客たちは怪訝そうに顔を見合わせた後に各々の麻雀に戻った。そんなことに関わっていられるほど彼らは暇ではなかった。

 騒ぎを聞きつけて下階のバーテンダーも駆けつけた。ミサは深々と溜息を吐いた。彼女は入口付近で喚いて、鷹丸に来るように言っている。

「鷹丸が撒いた種だし任せていい?」

「はい」

 行こうとして彼は立ち上がったが、ミサは服の袖を掴んで止めた。

「ちょっ、ちょっ、こういうの張本人が出てくとマズいんだって。アタシが行くから」

 代わりにミサが彼女の前に立つ。身長差は明らかでミサは見下ろされた。

「あのさ、麻雀しないなら帰ってくれる? ここ雀荘だよ」

「麻雀なんれ知らない~。いーからアイツ呼んでよ~!」

 堪えきれず鷹丸は現場に立ち会おうとした。だけどバーテンダーのサキュバスが間に立って防いだ。

「ここは任せてくださいね。ミサも慣れてますから」

「すみません」

「いやーこっちも申し訳ない。ヤケで四杯イッキしちゃうなんて。その後も飲んでたらこのザマです。ボクが止めるべきでした」

 鷹丸は成人男性の平均身長ほどあるが、傍らに立ったバーテンダーはそれ以上で頭一つ抜けている高さだ。角の分も合わせるとより大きく見える。

 そしてふと首筋から匂った甘いような香りに鷹丸は後ずさりした。サキュバスの魅了は有名な話だ。

「あの、丸谷大鷹です。ありがとうございます、こんな、お仕事中に」

「あ、はい、ボクは、えっと、天野ユキです。お気になさらず」

 ユキも気付いて距離を取った。

「マスターと同じ苗字ということは……」

「そういうことです」

 ユキは左手の薬指に指輪をしていない。そして鷹丸が覚えている限りではマスターが結婚指輪をしているところは見たことがない。調理に携わるために外しているとしたら、そこまで不可解ではなかった。

「やだやだやだやだ~」

 話はまだ終わらず、なかなかケモノは引き下がらない。居座りに対して警察を呼ぶのは、ここが賭博の現場ということもあってできなかった。

「はあ……なら鉄火場らしく決めようか。このサイコロ二個を交互に振ってアタシが言う出目を先に出した方が勝ち。アンタが勝てば鷹丸を好きにしていいから。煮るなり焼くなり」

「へ?」

 いたずらっぽくミサは鷹丸に向き直って舌を出した。二叉に分かれたそれを見て、彼の胸はいやに跳ねた。

「それで、こっちは出すもん出してるからさ。アンタも負けたら覚悟しときなよ。財布まるごと出しな」

 酔っていて何が起きているのか分からないようで、すんなりと革の長財布が出てきた。

「ちょっとアカネ、それマズいって!」

 流石にツレが止めようとする。アカネ本人は忠告も聞かずヘラヘラとして、賭けに乗り気だった。

「部外者が口出すなよ」

 ミサは刺すような言葉を放つ。だけどそれで怯むことはなく、単眼族の彼女は突っ掛かる。

「いや……でも、そっちに有利すぎる。サイコロは用意したものでいいけど、出目を言うのは私がする」

「だってさ。鷹丸。どうよ?」

「僕ですか?」

「当たり前でしょ。この条件でいい?」

「はい……あ、でも、先攻後攻で、先攻が出しても後攻が振って出したら引き分け仕切り直しでいいですか?」

 全員同意した。先攻と後攻はバーテンダーが用意したティッシュのくじ引きで決まった。先攻はアカネだ。

「じゃあ……」

 一つの目が閉じる。イカサマサイコロだとしたら、彼女はその数字を避けなればならない。

「八で」

 アカネが賽を投げる。床に転がって、三と五で止まった。

「ッッッッッッッやったあ!」

 本人よりツレの方が喜んでいた。しかしゲームはまだ継続中で、サイコロが鷹丸の手に渡る。もう三人は勝った気でいた。

「八だってさ」

 ミサは笑う。彼はサイコロを振った。二と六で止まった。場は静まりかえった。

 ふと麻雀を打っていた客も、突如始まった賭博に注目しはじめた。対峙する二人を中心に人垣ができた。

「ほら、次の数字を宣言しなよ」

 ミサに促されて、今度は四が宣言された。アカネの出目は九だった。

「おっしゃ! あんちゃんやったれ!」

「ミサミサに恥かかすなよ~!」

 しかし結果は奮わず、三だった。ギリギリ外れてしまった出目に落胆の声が上がる。

 アカネが二回目を投げる。一と三で止まりそうになってミサが大きく羽ばたいた。サイコロは風に煽られてあらぬ方角に跳び、出目は六になった。

 顔を赤くして単眼族が抗議するが、半笑いのミサは先に取り決めがなかったの一点張りをして、周囲の人間の加勢も相まって乗り切ってしまった。ここでやっと投げられたサイコロへの干渉が禁止された。

 鷹丸がサイコロを投げる。床で数回跳ねて、二と二で止まった。

 歓声が上がる。鷹丸の背中がバシバシと男たちに叩かれた。

 サイコロがアカネに拾われそうになって、ミサが止めた。

「後攻だけだよ。先攻がそれしたら、投げる回数が違っちゃうよね。打ち消しは後攻だけ」

「でも……でも……」

 いくらか酔いが覚めた様子で弱々しくミサに抗議する。泣かれそうでも態度は頑なだ。

「じゃあ財布はもらうから」

「待って」

 やってしまったことの重大さを思い知る理性が戻っただけで思考力に欠けるアカネに代わり、単眼族が出てくる。懐から財布を出した。

「私の財布とアカネの財布で、賭けましょう。さっきと同じゲームで!」

 残りの一人のはもう後ろに引くばかりで止めようともしなかった。責任感の強い彼女と比べると軽薄そうだった。

「鷹丸、どうする? 転がしだと乗るんだけど」

「やりますよ」

 ここから先は鷹丸に痛いところがない。だから気軽な気持ちで乗ってしまった。

「先攻後攻交代する?」

 ミサの誘いに彼女は乗った。サイコロが鷹丸の手に渡る。

「数字は、七で」

 なかなか鷹丸は投げなかった。サイコロをしばらく見つめていた。

「あの……出目も指定しませんか?」

「……はい?」

「一と六で七にします。できなかったら財布を二つとも返します。だけどできたら、えっと……」

「服脱いで帰れ!」

「そうだ! 脱げ脱げ!」

 声が上がる。鷹丸は何も考えていなかったから、多数決の結果を尊重した。彼女はいくらか迷って、彼の提案に乗った。

「投げますよ」

 サイコロを転がす。練習した通り出目は一と六で止まった。

 騒ぎを聞きつけたバーの客も集まっていて、喜びの声は窓ガラスを割りそうだった。

「七ですよ」

 鷹丸はサイコロを彼女に渡してから囁くように言う。

「あ……う……」

 ここで七を出さなければ彼女の負けが決定する。余計に大きくなった傷痕が身に沁みるようで、サイコロを持つ手が震えていた。

「投げろ! 投げろ!」

「はやせいや! 人でなし!」

 周りの粗野な人間の声で、手から立方体がこぼれ落ちる。七にはならなかった。

「あんちゃんの勝ちやな!」

「おっしゃ脱げ!」

「脱ーげ! 脱ーげ! 脱ーげ!」

 批判の大合唱に彼女は抗議した。

「ちがっ……こんなのイカサマに決まってる! サイコロに何か――」

 ミサはサイコロを拾い、口に含むと噛み砕いて彼女に吹き付ける。断面はまっさらな樹脂だった。部屋が静まる。

「なにか、不満でも?」

「いや……でも……財布だけは勘弁してください……ごめんなさい」

「裸で帰るのはどうなんだ?」

「いや……いやっ……!」

「はい! そこまで!」

 見かねたようにユキが割って入る。

「今日はもう解散しましょう。あなたたち三人も、帰れますよね? 裸とかもういいから、もう夜も遅いので終わりです。みんな帰りましょう」

 誰もが彼女の言うことには従った。ぞろぞろと雀荘を出て行って、三人が残された。しばらく静かだったが、ミサの笑い声がそれを終わらせた。

「いやいやいや! 見た!? あれ!」

「ちょっと悪趣味だよ」

「さーてさてさて。山分けしようか」

 手元に二つの財布が残っている。二つとも本物で、中には現金をはじめ各種カードと社員証まで入っていた。獣人族は村上アカネ、単眼族は鬼塚ユリカという。同僚関係らしい。

「あーあ。オオゴトだ。こんないいとこ勤めでアレなのかね? 酒って怖いわ」

 現金はごっそり抜かれ、四等分される。半分が鷹丸に回った。

「こんなに」

「MVP賞だよ。ほら、ユキも」

「ボクは遠慮しとく」

「じゃ、アタシがもらうかな」

 結局ミサと鷹丸で半々に分けることになった。身分証の類いは鷹丸にとって不要なもので、すべてミサの預かりだ。

 後始末を一通りして、明け方になって解散になった。帰る前に、ふと雀荘が収まる三階建てのビルを眺める。鷹丸の口から笑いが漏れた。


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