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上京した東北人が真っ先に取り掛かることといえば、訛りを消すことでしょう。うっかりとはいえ入学してしまった都内の私立校は見渡す限り、お育ちのよろしそうな都心部のご子息・ご令嬢ばかりです。早速、ホームルーム前からエスカレーター進学組とお受験組の派閥ができ、ビシバシとお互いを牽制し合うなか、単身ド田舎からでてきた私は、テレビやラジオの中だけにあった標準語が、四方八方から聞こえてくる状況に困惑していました。

「ほんとに東京きたんだなあ……」

聴覚野のビジー状態とは裏腹にどこかで冷静な私もいて、ぼんやりとこれまでのこと、これからのことを想像しながら、開けたばかりの舌ピアスを転がすのでした。

初対面の人間との挨拶が大好きで仕方がない、という人間を私はいまだかつて見たことがないのですが、これはあながち的外れでもない感覚なのかなと思います。今でこそ「自分はこういう個体で、あなたに危害は加えない」という意思を伝えるくらいはできるけれども、趣味嗜好ましてや得手不得手など、三十路に乗っても他人へ説明しづらい部分です。「自分のことくらいちょっと会話すれば分かるだろう」という楽観的?いや、怠惰な側面が出てしまいますね。取っ付きにくい人間の代表格のような個体なのに、本人は「こんなシンプルな人間はそうそういない」と宣って憚らないのですから。

そうこうしているとやがて、悪夢の自己紹介タイムがやってきました、ああいやだ。「自分はこういう人間です」なんて他人に説明してどうするの。こういう場面では、できる限りキャッチーな一面だけをちらっと見せてかわすことを処世術にしてきたため、未開の地で方略を練る余裕などあるはずもなく、頭真っ白。私の本名は出席番号にしたとき必ずと言っていいほど1番になる苗字なのですが、今回も例に漏れずトップバッター。ああいやだ、こういうときばっかり1番。いつだってそう。望んでなんかいない1番。緊張と諦めのなか、想像しうる限りのシティボーイを演じたつもりでしたが、散香。「田舎者って思わないで」という16歳の儚い祈りは、クラス中の大爆笑により潰えました。

こうして盛大に高校デヴューをしくじったわけですが、意外なことに、競わなくてもいい存在として認知されたようで、イジメなどは受けず、みな親切に接してくれました。やはり「お育ち」というのはありますね。細かい、ふとしたところに出る。それでもどこか、危険物を扱うようなよそよそしさが漂っていたのは、おそらく私が地方出身者だからではなく、テストのときだけ登校してくる金髪のヴィジュアル系だったからでしょう。彼らにとっては別の世界の生物のように映っていたことでしょう。びっくりさせてごめんね。当時のヴィジュアル系に対する私の熱量は、相当なものがあったと思います。先の援助交際の目的も、ライヴへの参加費用捻出も兼ねていました。厭世的で耽美な音楽、繊細で綺麗な男、美しい。男性性への不信と不在を抱えた当時の私には、その世界観がしっくりきて、魅力的に感じられたのかもしれません。ややもすれば、ああいった世界観に自らを重ね合わせていた部分もあったでしょう。化粧を覚えたのもこの頃でした。ピアスも次第に増え、髪型も服装も流行りを無視した、男だか女だか、ともすれば年齢も国籍もよく分からない異形の存在として、東京を漂っていました。自らの性に関しても漂っていたというか、求められるから差し出す、ということしか知らないし経験してこなかったので、自分が男性の身体を持っていることも二次性徴がきて初めて自覚しましたし、同じ性別である男性に特別な感情をおぼえる自分がゲイという分類になるということにも、ようやく理解が追いついてきた感覚です。知識より先に経験がやってくる人生なんだなあと、つくづく思います。後から気づくことだらけ。

後悔先に立たず、なんて云いますが、死者が蘇らないのと同じように、過ぎ去った時間に帰ることはできません。次回はそんな、止まらない時の中でとってきた選択のなかで、もっとも後悔していることを書きたいと思います。

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