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 精神性の高い人ほど、意外な部分が脆いものだ。皮肉屋がまっすぐな求愛に陥落するように。というか、己を律することができない個体はその存在自体が周りの配慮を迫るがゆえに、ある意味「隙がない」とも言えるわけだが。HalestormというバンドのBeautiful With Youという楽曲では「いままで強がっていたけれども、あなたの前ではそんなことをする必要がないと感じられる」と美しい愛の告白が歌われている。私はこの曲を初めて聴いたとき、落涙を禁じ得なかった。私はこの感情を享受するのではなく与える側で居続けるのだろうという予感と共に。弱さを愛す、とは一見聞こえはいいが、そのある特定の弱さを兼ね備えている人ならば誰でもいいとなれば、それはただのフェチ。倒錯しているだけである。◯◯「だけど」いい人なんだ、と言うときの「だけど」もその類で、◯◯も、いい人も、単体ではおそらく意味をなさない。打ち消し切らない否定を肯定する快感めいたものが、そこにはあるのかもしれない。「この人の良さを理解できるのは私だけ」という禁忌的な快楽が。

 人を愛することは辛く、苦しい。愛さずにはいられないと感じさせる、憎めない人は罪作りだと思う。報われることを期待して愛を注ぐほど、私はもう幼くはないし、むしろ、うっかり報われてしまったときの次の手を考えていないことのほうが多い。「こっちの気も知らないで」などとほくそ笑みながら愛の魔弾を放ち続けるのも、破滅型の派生系ではあるが、なかなかに面白いものである。

 つい最近、発狂したお向かいさんの素性をネットで特定した。監視だのハッキングだのと妄想を展開する割には、自らの個人情報の管理は杜撰そのもので、この私ですら朝飯前の作業だった。さすがにこの人です、と晒し者にする気はないが、彼のソーシャルメディアの内容は、叶わぬ夢に身を焦がし、報われぬ愛に自由を捧げ、正気を失っていく過程が読み取れるようであった。すこし同情したくなる気も一瞬よぎったが、そこにあるのは、器なりに身を持ち崩した哀れな男の痕跡だ。心でもいい肉体でもいい、それらが傷つかないと思い込める、そしてそれがときには修復できぬ不可逆的な損傷となりうることを想像できないおめでたさは、生育環境のせいなのか、もともとの器質なのか。まあいずれにしても、私とは一生かかっても分かり合えない類の人間には変わりない。できることなら二度とあの卑しい顔を視界に入れることなく新しい日々を手に入れたいものである。徹底的に許さない、という私なりの愛を散弾銃に装填して。

 ゆめうつつ、心ばかり。つづく

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