202309_OnikataKayoko_JapaneseShortStory (Patreon)
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都市伝説とは一説に、人々の間で繰り返し囁かれ伝播してきた根拠不明の噂話を指すらしい。人とは何と純粋で弱きものか。歳を重ね身体を大人へと成長させてもなお、己の理性や経験では計り知れない存在を目の前にした途端、それを怪物へと昇華させ、動物的本能から恐怖を抱く。もしくはそれを怪物とすることによって得体の知れない恐怖に名を与えているとも考えられる。どちらにせよ、見た目ばかり成人したところで、その内実は小鹿のように繊細なちっぽけな生命体にすぎないのだ。
さて、キヴォトスにここ最近広く伝わり始めた都市伝説が、今まさに、シャーレ近辺のとある小さなコンビニでも従業員の間で話題に挙がっていた。
「そういや、新入りは“鬼雪達磨”って知ってるか?」
時刻は既に午前2時過ぎ。丑三つ時に突如店長の口から発せられた“鬼雪達磨”というワードに、先日このコンビニでバイトを始めたばかりの新人も興味を示す。時刻が時刻なだけに客足は全くなく、バックヤードも店内も関係なしに二人は件の話題に首を突っ込んでいった。
「あっ、知ってますよ!それ!確かこの前大物配信者さんが“鬼雪達磨、捕獲作戦!”とか言って生配信してましたけど、その配信では鬼雪達磨の足取りも掴めなくて、コメント欄では結局作り話だの興ざめしただのってコメントが大量にあったとか…」
「へぇ~、最近の若い子はそういうとこから世の中の情報を仕入れてんのか。俺が若かった頃はだな…あっ、いや、いけねぇ、これじゃあまるで説教してるみたいになっちまうか…。だけどよ、本当にいるらしいんだよ」
歳の差はそれなりに開いているだろう二人が共通の話題を交わす。片方は常日頃から癖になっているズボンのポケットから電子端末を取り出す仕草をしながら、バイト中の制服にそれを備えていないことを手触りで思い出しては数日前に見た生配信の概略を年配者に話す。そして店長の方は、そうしたネット関連の知識が浅いからか、若い新入りの話に半ば関心半ば時代の移り変わりに物寂しさを感じつつ、次第にその表情は真剣なものへと移っていった。錆びついた腰から屈み込み、売れ残りの弁当に値引きシールを貼る店長の手捌きが、徐々にペースを落としてゆく。
「本当にいるって…まさか…そんなw」
「ああ、そのまさかだ。昨日本部の人から聞いたんだけどよ、隣町の系列店で現れたらしいんだ。鬼雪達磨が。地響きを立てながら真夜中に入店してきたかと思えば、こうして値引きシールの貼られた弁当を一気に抱え込んで全部イートインで食ったのち、鬼の形相で店員を睨みつけて帰っていったってな…」
その話に、新入りは弱小店舗特有の積み上げられた値引き済み弁当を見つめながら顔を引きつらせる。「真夜中」「コンビニ」「値引き弁当」店長の話が本当ならば、嘘か真か定かでない、ましてや人なのか何かの怨霊や幻影なのかすら不明の怪が現れる条件は、今彼らのいるこのコンビニにも揃っている事になる。そう、こうしている間にもその正体不明の化け物は二人の背後に迫っている可能性があるのだ。
「ひっ……や、やめてくださいよ店長~、新手の新人いびりっすか…?夏だからって世間の人が皆ホラーやオカルトに関心を持ってるだけで、そんな、話、ホントなわけ…」
ズンッ、ズシッ、ズズズ…ドシッ…
「お、おい…変な音立てるなよ…お前こそ新人のわりに緊張感がないというか人当たり良すぎるし…そ、そうか!お前実は他のバイトの奴らと結託して俺にドッキリでも仕掛けてるんだろ!あ、あれだ!バイト中にいたずらしてその様子を録画してるってやつか!」
ドスンッ、フウ…ドシンッ!ンブフウ…
噂をすれば、とでも言わんばかりに、まさに二人が“鬼雪達磨”について語っていると、地鳴りのような音と振動が商品棚に身体を向けた彼らの背後から忍び寄る。いや、忍ぶというにはその正体はあまりにふさわしくない。アスファルトの地面に靴底が擦れるような音と如何にも重たげな足音、そして脂ぎっていて太い吐息。コンビニ店員の二人が振り返らずとも、渦中の存在はすぐ後ろ、店の正面に佇んでいた。
チロリロリーン…
「なわけないですよ……って、う、うわぁ…!」
「お、おい…!隠れるなって…!あ、あれが“鬼雪達磨”、まさか本当にいたなんて…」
店の扉が開き入店のチャイムが深夜のコンビニに響く。二人だけだった店内に第三者が訪れた合図だ。それと同時に太い呼吸音と靴が床と擦れる音は、外部のものではなくこの店の中から聞こえるものとなった。
「ふぅ…んぶふぅ…お腹、空いた…。ダメだって分かってるのに……。どうしても食べないと…。ふぅ…」
ドスッ、ドスッ…
思わぬ来訪者を一瞬視界に収めた新人店員は反射的に業務をすっぽかして、弁当売り場が覗ける商品棚の影に隠れる。そんな若輩者を追うかのように値引きシールを放り出した店長もまた、中途半端にシールを貼る業務を残したまま、新人と同じく物陰に隠れてしまった。彼らが先ほどまでいた売り場には安くなった弁当の山が残されただけ。そこへ、件の奴は向かう。
「て、店長…!あれが本当に鬼雪達磨なんでしょうか…!?お、俺脚が竦んでヤバいです…」
「ああ、間違いない!鬼雪達磨の“鬼”は鬼のように恐ろしい形相、“雪”は雪のように白い肌…あの尋常じゃない図体と表情を見れば断言できる…アイツが鬼雪達磨だな…」
「ミートソースのパスタ…親子丼…お肉たっぷりのブリトー…全部買おうかな……ぎゅるるるるる…早く、食べたい…」
弁当売り場で全身から汗を吹き出しながらボソボソと呟く巨体。その様子を少し離れたところから視界に収める二人の店員は実体として現れた都市伝説を前にして身体を縮こませている。なにせ、目の前の存在は鬼雪達磨の特徴全てを備えたものなのだから。
「ひ、ひぇぇ…!?……あ、あれでも、よく見ると…」
「んっ、どうした…何か気づいたのか…!まさかアイツの正体でも…」
店長の断言を聞いて一層新入りを恐怖が包み込む。だが、ふと我に返った彼は鬼雪達磨と呼ばれるその怪のまた違った側面に気づき始めていた。
「あ、はい…もしかしてなんすけど…あれ、いやあの人、よく見たらちょっと強面で太った、ただのお客さんなんじゃないかな、と…。値引き弁当を求めて買いに来ただけで、ほら、今もただ商品を持ってレジ待ちしてるみたいじゃないですかね?」
「た、確かに…。あい分かった、俺がレジ行ってくるから、お前はここで待ってろ…!俺が奴の正体をこの目で確かめてきてやる!(こ、怖くない、怖くないぞ…!)」
へっぴり腰を携えて店奥の物陰からレジへと向かう背中は、やはり内心恐れを抱いているようだが、確実に大量の弁当を両手に抱えた鬼雪達磨との距離を詰めていく。新入りのいうように捉え方を変えれば、レジ前にそびえ立つその巨体は、ただ値引き弁当を求めてこのコンビニを訪れただけの怖い顔の太った客。一目見たら分かるほど肥えに肥えた図体で店まで訪れた疲労から眉間にしわが寄っているだけで、その本質は決して恐ろしくはないよう。ある意味では、ただめちゃくちゃに太った一般客ともいえる。
「い、いらっしゃいませ…!お弁当が全部で……じゅ、じゅういち!?あ、失礼しました…。お客様、こちらお弁当温めは如何しますかね…?」
山のような図体から手放された山のような食料を震える手で精算すると、その数11点。いくら値引きされているとはいえそれなりの金額にはなるし、消費期限も近いため買い溜め目的の購買行動でもないだろう。まさに買われたその食べ物の山は近いうちに食い尽くされることが決定しているのだ。
「ふぅ……、ん…全部、温めて…。あと、ここのイートイン使ってもいい…?ギュルルルルル…お腹が空いてもう耐えられそうにない…ふぅ…」
「全部温めですか…!?わ、分かりました……。
イートインはそちらのスペースにあるのでご自由に……ひ、ひぇっ!?」
レジを通し間近で見た事で店長にとって気づいたことだが、目の前の存在は彼の身長よりは身の丈は低いものの、存在感…横幅、肉厚さで言えば圧倒的に“彼女”の方がデカい。そう、鬼雪達磨と呼ばれる者はわずかにだが胸に贅肉の膨らみを有している他、パンパンに膨れた鬼のように怖い顔を見てもまつ毛の長さや声色、ポニーテール状の頭髪を備えており、終いにはブヨブヨの贅肉を巻き付けた下半身にカーテン大へ伸びたスカートを無理やり履いている。スカートに限ってはでっぷりとせり出た腹の肉らしき贅肉の塊が邪魔で上手く見えないが。鬼雪達磨の正体は女性だ。
それに、あまりの肉厚な巨体に目をとられて皆気づかなかったのだろうか、鬼雪達磨の頭上にはキヴォトスにおける生徒しかないはずのヘイローまで確認された。
だが、そこまで目視し現状を分析したものの、コンビニ店長の視線に気づいたのか、彼と鬼雪達磨の目が遭い、その威圧感溢れる眼光が彼の脳にグサリと刻み込まれた。思わず覇気のない腑抜けた声が年配者の口から零れる。
チーン、チーン、チーン…
レジ奥の棚に設置された業務用の電子レンジ数台がフル稼働し、1000オーバーのワット数で瞬時に弁当を温め終える。そして一仕事片付ければまたもう一仕事。クールタイムなどなく、熱々の弁当が取り出されたかと思えばすぐにまた稼働が始まる。
「こ、こちら既に温まっておりますので、どうぞお席をお使いください…!残りはまた頃合いを見てお持ち致しますので…!」
すっかり動物的本能からか序列の優劣を無言の圧で思い知らされた店長は、崩れそうな笑みを繕いながら目の前の巨体女性にイートインの場所を指し示す。すぐさまこの重圧から解放されたい、長年小さなコンビニの経営を回してきた彼の経験の中で最もプレッシャーを感じた一時だった。
ドスッドスッ……ギギギギギ…ズシンッ
「ぶふぅ…良い匂い…。はぁはぁ…!も、もう我慢できない…いただきます」
あっという間に店内に充満した弁当たちの香りが、その発生源から直に彼女の嗅覚を刺激し、イートインスペースの丸椅子2つに尻を乗せた彼女の胃袋を強く唸らせる。
赤子の手のように脂肪でむちむちっと膨れた指で弁当一つ一つの包装を解き、机上に並べると、荒ぶった息を何とか落ちつけながらプラスチック製のスプーンとフォーク、木の割り箸を使って弁当たちを一心不乱に口に詰め込み始めた。
「もごっ、ごぐんっ…んぶ…あむっ、おいひい…、あむっ、はふはふっ…ごっくん…。じゅるるるるるる…ぶは…どれも、病みつきになりそう…♡はむっ、あぐっ!んふぅ…♡」
ミートソースパスタのイタリアンな味わいと、スパイスの効いたカレーの辛味、本格中華とコラボしたという肉厚チャーシューの乗った醤油ラーメンのパンチと、それらに負けず劣らずの白米がぎっしり詰まったのり弁当やカツ丼に親子丼。そればかりではない。スプーンや箸を使わずとも食べられるブリトーが数種類、全て封の切られた状態で並べられており、ほとんどが半分以上、ものの数分で既に食われていた。
「ぜぇ…げぶふぅ…♡まだ食べられそう…あむっ、ごくごくっ…ぶはぁ…、じゅるるるるる…ごっくん。この、お腹が満たされていく感じ…堪らない…♡」
水やお茶といった軽めな水分を摂る余地すらなく、代わりに熱々のスープを胃袋に流し込み喉を鳴らせる。できたてほやほやのような温度の食べ物を一気に食すその額には、大粒の脂汗が浮かんでおり、サーモグラフィーで見たならば恐らく彼女の周り一帯は赤く表示されているに違いない。
店内に足を運んだ時には一歩踏み出す度に、たぷんたぷんと波打っていた腹肉が、今や張りを得て波打つほどの柔らかさを失いかけていた。
「あ、あのぅ…お客様、残りのお弁当が全て温まりましたのでお持ちしました…」
「もごっ、もぐっ…ごっくん。ん…?あぁ、ここに置いて…どうも…。じゅるるるるるる…げぶっ」
「し、失礼しましたぁ…!!ごゆっくりどどど、どうぞ…!」
そんな最中、更に熱々の弁当たちを運んできた店員が彼女の横に立ち、声をかける。口いっぱいに米を詰め込んだ鬼雪達磨が咀嚼の後に飲み込むと、またしても鋭い眼光が彼に向けられ、恐怖が掻き立てられた。もはやビビっていないとは言えぬほど、声まで震え、店長は一連の難関を乗り越えると逃げるように新人バイトのもとへと戻っていった。
「店長、なんですかその怯えっぷりw普段の威勢のよさはどこ行ったんすかw」
「ば、バカ野郎!お前も奴の前に立ってみりゃ分かる…!アイツ女だが、圧が…圧が凄まじすぎて俺でも腰が抜けそうだったんだぞ!」
商品棚の裏から全てを見ていた新入りは帰還してきた店長と目が合うや否やほくそ笑む。バイト中に年上かつベテランだからと偉そうに指導してくる店長のビビりきった一面を見てしまっては嘲笑に近い笑みを浮かべざるを得ない。だがもし仮に自分が彼の代わりに鬼雪達磨の相手をした場合を考えると、自分も店長同様、無様な姿を晒していたのだろうと、内心思っていた。
「ま、まぁ…ですよね…お疲れ様です」
「おう…」
緊張の糸がほぐれたのか、新人かつ何歳も年下の若者に労いの言葉をかけられたからなのか、店長は特にそれ以上言葉を返さない。微妙な空気が二人の間に流れ、店内には件の者の豪快な咀嚼音と息遣い、濃厚な食の香りだけが広がっていた。
「もぐっ、むふぅ…ごっくん。……んげぷぅぅぅぅ♡ぶふぅ…もう、入らない…♡」
ギギギギギギ…ギシッ!!!
と、暫く二人が目を離した隙に、先ほど店長が提供したばかりの豚骨ラーメンやカルボナーラといった残りの弁当さえも平らげ、彼女の巨体は丸椅子の上でこってりとしたげっぷを溢しながら半ば仰け反り気味の体勢となっていた。波打っていた二段腹は、すっかりと胃袋の周りから膨れ上がり、丸見えとなっているへその深い谷こそ残っているものの、二段腹はぎっちりどっしりと重い風貌と化しており、歩けば波打つ余地すらなく重力に負けてその身体に重くのしかかるだろう。
恐らく彼女が鬼雪達磨と呼ばれている所以は他にも、転がせば転がすほど大きくなっていく雪だるまのように、彼女自身もまた食事の前後で大きく腹部を膨らませて、体重を重くした状態で夜の街に消えゆくからなのかもしれない。
「よいしょ…んぶっ…食べ過ぎたかも…ふぅ、ぜぇ…でも、デザートも食べたい、から…ふぅ…」
ドスンッ、ドスンッ…
明らかに入店時より重量の増した足取りで冷凍ケースに向かう巨体は、徐にその冷気を放つ糖質の保管庫から一本だけアイスキャンディーを取り出し、再びレジ前に立つ。
「お、おい…今度はアイスかよ…どんだけ食うんだアイツ…。今度は新人、お前が行ってみろ…け、経験として…な?」
「仕方ないっすね…店長じゃ頼りないですし…(それに…)」
商品棚の奥から今度は新人バイトがレジ裏へと小走りで入っていく。確かに店長の言う通り、その巨体の迫力は間近で見れば圧倒的だ。それになんとなく彼女の身体からは臭い…とまではいかないが、濃厚な汗の匂いが立ち込めている。
「こちら一点ですね、代金丁度頂きます…。袋とかは…いらない、ですね。ありがとうござした~(やっぱり、顔は怖いけど、食べてるとこ可愛かったし、そう思うと全部が可愛く見えてくるな…やべっ、俺、あんなに太った子が好きなのか…)」
チロリロリーン…チロリロリーン…
「ふぅ…げぷっ、ん…また食べちゃった…我慢しないとっていつも思ってるのに。美味しくてつい何度も…ぶふぅ…お腹、重い…」
店長ほどの怯えた素振りもなく、新人の方が安定した接客の後、鬼雪達磨と呼ばれた彼女は店を後にする。その背中は背肉が幾重にも重なっており、汗が肉の段の間に溜まっていそうなほどの肥満体だったが、店員たちの気づかぬうちに彼女が食事をしていたイートインスペースは綺麗におしぼりで拭かれており、食べ終わった弁当たちの残骸は全て袋にまとめられていた。
都市伝説や化け物としてどこか恐れられるような存在として伝承され始めていた鬼雪達磨という存在は、新人バイトの彼にとってみれば、食品ロスは減らしてくれるわ売れ残りの弁当は買ってくれるわで悪い一面などほとんどなく、おまけに彼の中に性癖の兆しすら垣間見させるほどの善い(?)存在だった。当然そんなこと、彼が店長に言ったところで真逆の考えを返されそうであるが。
§§§
便利屋課長鬼方カヨコにとって食事とはストレスの発散だ。当然かつての彼女はそんなこと思ってもいなかったし、むしろ食事にそこまでの重きを置いて生活もしていなかった。
だがいつ頃からだろう。振り返れば、それは便利屋の転機と時を同じくしてカヨコの中の歯車が狂い始めていたように感じられた。アルの激太り。一人の華奢な生徒、何かと親しい間柄の彼女が約300kgも太り、便利屋の経営状況や方針、社長含めた各メンバーの置かれた環境さえも大きく変わってしまった。
当然悪いことばかりではない。だが良いことばかりだったわけでもない。アウトローの路線が変わった便利屋にて、諸々の数字管理や食料調達、年長者としてアルやムツキ、ハルカに対する思い入れ。それらは決して居心地が悪いわけではないが、考え込む性格が災いとなり着実にカヨコの中にストレスをため込み、そして暴食という唯一の排気孔をもってしか、彼女に安らぎは訪れなくなっていた。
「ぶふぅ…うっ、げぷっ…明日はちゃんと我慢しよう…。ぺろっ…アイス、甘くて冷たくて…おいしい…んちゅ…」
気温30℃超えの熱帯夜がキヴォトスの中心部を覆い、一般の人びとにとっても寝苦しい夜が続く中、カヨコは食べ物のみっちり詰まったお腹を外気に晒しながら、満足するまでコンビニ弁当を貪った事を悔いつつ手元のアイスキャンディの虜となっていた。
本当は冷房の効いた店内で至福の一時を過ごしたかった。だが明らかに店員の目は彼女の巨体に対して怪訝そうに向けられており、それこそ居心地が良くない。
便利屋のメンバーに食べているところを見られては自身の肥え太った身体のみならず精神まで太ったことを明かすような気がして、それが嫌で皆に隠れて外食を繰り返しているというのに、店員から冷ややかな眼差しを浴びせられてはそれこそ返ってストレスになってしまう。夜らしからぬ熱気で溶け始めたアイスキャンディがカヨコの指先を伝い垂れる。そんな時。
「もしかして…カヨコ?やっぱり、久しぶりだね。元気だった?」
最も聞きたくなかった声が最も聞きたくなかったタイミングで聞こえてくる。だけど不思議と安心する声。
「あ……先生も、来てたんだ……」
最後に会ったのは便利屋の新事務所にムツキが彼を連れてきた時。その頃はまだカヨコ自身は痩せていた。ちょうどその後からだろうか、彼女の体重グラフが急な右肩上がりを始めたのは。
それから数か月。ずっと会っていなかったシャーレの先生が、ブクブクと太ってアルの辿った道と同じ道を着実に歩んでいるカヨコの前に今現れた。
見られたくなかったのに。こんな太った身体。
暫く会っていなかったというブランクを感じさせないくらい二人は自然な会話を始める。
「久しぶり…先生」
「うん久しぶり。そっか…最後に会ったのはもうだいぶ前だよね。カヨコはこんな時間にコンビニで何してたの?」
「…ちょっと小腹が空いた…というか、夜風に当たりたくて外に出たらコンビニに行きたくなって…」
先生が何を考えて自身に話しかけているのか、少女には全く分からなかった。気づいていないはずない、こんなに太った身体に。だというのに、目の前の大人は違和感や不思議そうな様子など全く垣間見せることなく今まで通りに接してくる。自分はこんな夜中にコンビニで何をしていたのか。ボールのように丸くパーカーから溢れ出した己の腹部に目を落とすと、爪先などとうに視界に入ることなく、昨日よりも膨れた腹が見えるだけ。この贅肉まみれの腹に自分は先ほどまで更に食べ物を与えていたのだ。羞恥心がこみ上げる。
「そっか~、私も同じ感じかな。最近ずっと籠って仕事してたから、昼夜逆転もしちゃったし、ロクなもの食べてなかったから、いろんな子たちに叱られて。ようやく重い腰を上げて外に出てみたら、カヨコに会えた。今日の私は運がいいね」
「はぁ、大げさ…。私に会えたからって運がいいなんて…、逆にツイてないかもしれな…い……」
いつも先生は甘い言葉ばかり。カヨコにとってそれは聞き慣れた言葉の一部だったが、今日に限っては本当に運がいいなんて言えないはずだと彼女は思っていた。なにせ生徒が一人150kg近くも激太りして目の前に現れたのだから。
そう引け目を感じながら、ため息一つ溢して今まで直視できなかった先生の顔を覗く。
すると、思わず言葉が詰まってしまった。だいぶやつれた頬にクマの酷い目元、散らかった髪とシワの目立つ服。目の前の彼は見て分かるほど日々に命を捧げているというのに、自分は…。
無意識のうちに封じ込めていた声が溢れ出す。
「せ、先生…。実はその……」
「うん?どうしたの、何かあった?言ってみて」
「あのさ、類は友を呼ぶっていうけど…私も、太っちゃった…。ここに来たのも、アルたちにバレない所で安く自分を満たしたかったから…」
太ったことの自白というのは何とも恥ずかしいもので。見たら分かるのは承知の上で、カヨコは自身の二段腹の肉段の谷間に手を沿わせて己の腹肉の弾力を確かに触り感じ取りながら先生に打ち明ける。
もう華奢だった頃の自分はいないのだ。
「そういうことだったんだ…んん~そっか~!私も食べ物買いに来たんだけど、カヨコに先越されちゃったか~」
「ご、ごめん…」
「あ、いやいや全然怒ってないし悪いことだとも思ってないよ!むしろ私よりカヨコの大事な身体に栄養として摂取されたならその方が食べ物も喜んでるだろうし。……全然気にしなくていいよ。カヨコ自身の身体の事もね」
何度も見てきた大人の笑みが自分に向けられる。疲れていて、笑えるほどの体力もあまり残っていないだろうに、彼は自分に微笑みかけてくれる。「正しくは類は友を呼ぶ、じゃなくて朱に交われば赤くなる、じゃないかな」なんて小言を漏らしながら笑うその姿。些細なことであってもカヨコにとってはそれが久しぶりに与えられた救いだった。
「大丈夫、カヨコはどんなカヨコでも可愛いよ」
「どんな私でも可愛い…?はぁ…やっぱり。適当なこと言わないで…。こんなに太った子、私とアル以外いないし世の中はこの身体に対して冷たい目ばっかりで……あ、ごめん…」
だが簡単には全て素直になることはできない。以前であれば軽く流せた冗談のような言葉も、今の自己肯定感が極限にまで低下した彼女にはただの嘘に聞こえてしまい、先ほど店員に向けられた視線と相まって、自分の中に抱え込まれていた不満が口を突いて出る。
夜闇に響く声、カヨコらしからぬ少し大きめなそれには先生も少し驚いたようだった。
「ううん、私こそごめん、でも安心して。カヨコは絶対可愛いから。私が保証する。…そうだ、こんな時間に生徒一人で帰すのも先生として気が引けるし、私もお腹ペコペコだからさ、カヨコの話も聞きたいしそこのファミレスにでも行かない?一人の先生として生徒の力になりたいんだ」
「先生が…話し相手に……」
いつにもなく真面目な顔つきの彼。少女の返答はもう決まっている。
「うん…ありがと…」
溶けかけのアイスキャンディのように、カヨコの中で固まっていた不安や不満の種も先生を前に溶け始めていた。
身長差約20cm、体格の差は以前よりも別の意味で歴然。丸々と肥え太った雪だるまのような身体で膨らんだ腹肉を庇いながらノソノソと歩む彼女とその横でカヨコにペースを合わせながらゆっくり進む先生。
二人で歩くなんていつぶりか。彼女の中で人知れず記憶が再生されていく。
「にしても、カヨコが半袖なんて珍しいね。その服、半袖もあったんだ」
歩きながら無言というのも変に思ったのか、先生が話題を切り出す。だがどうにもカヨコからしたら要領を得ない。
「半袖…?え、これ…いつものパーカーだけど…」
普段鏡を見る事も減り、ましてや自分の思う自分の姿と他人から見た自分の姿の乖離にそこまで気が回っていない彼女にとって、自分がまさか半袖を着ていると見られているとは思わなんだ。
確かに100kg以上も脂肪をため込んだ身体で従来の服を完璧に着こなせているはずはない。だが、無理やり着ているとしてもそんな、半袖なんて…。そう思いながら自分の身体に目をやると、確かに腕回りは丸見え。顔より大きくどっぷりと肉のついた二の腕が露わになり、揺らせば振袖のようになってもおかしくない。当然お腹は出ているし、これではへそ出しファッションも同然、ここで漸く彼女は自身がかなり稀有な恰好をしているのだと自覚を深めたのだった。
「あ…」
「え…」
「い、いや…私の目がおかしくなっちゃったのかも!い、いつものパーカーだね!うん、似合ってる…!」
「先生。ファミレス代、全部よろしく。勿論経費じゃなく、自腹、ね?」
内心、ブクブクと太ったカヨコを見てもなお更に可愛さに磨きがかかったと思っていた先生だったが、思わぬ地雷を踏んだことで初めてカヨコの怖さをその身で体験した。
(腕…太くなりすぎたかな…痩せないと…)
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鬼方カヨコ
Height: 157.4cm
Weight: 192.9kg(425lb)
B: 129.8
W: 205.9
H: 183.5
§§§
季節は廻り夏は秋に、秋は冬に、そして冬が春になった。かつてスイミングスクールで出会った頃のアルよりも身長は低いのに一回りほどふくよかだったカヨコと出会ってからおよそ9か月、先生は今日もカヨコのストレス解消、もとい話し相手として夕食時にファミレスを訪れていた。
この日課も随分長く続けているものだ。週に3日、多い時では週5日は夕食を共にし、その度に「生徒に払わせるのはやっぱり違う」という大人の考えから全ての食事代を先生が支払う。そんな生活をしていれば当然彼の懐事情も厳しくなるはずだが、これまでスマホゲームのガチャ課金に使っていた分をカヨコとの夕食代に回している分、それほど金銭面でのプラスマイナスに支障はない。むしろ、食べない方の不摂生が多かった先生にとってはちゃんと夕食を摂る機会が増えたことで、程よく健康体を手に入れたといっていい。シャーレを訪れる生徒たちにも好評だ。とはいえカヨコとの秘密の時間の事は誰にも話していない。皆は先生が個人的に食への意識を変えたのだと思っているだろう。
チロリロリーン…
「いらっしゃいませ!お客様1名様で宜しいでしょうか?」
「あ、いえ、連れがくるので2名なんですが、先に席で注文してもいいですか?」
「もちろんです!お客様2名テーブル席にご案内します!」
最近はファミレスの接客まで機械化が進み、典型的なルーティンワークは全てAIが業務を代行し例外的な動作や対応の時のみ店長クラスの店員が厨房から出てくるようになっている。
接客ロボットの後に付く形で成人男性である先生が一人、ある程度混雑した店内に歩を進める。
「それでは、ご注文がお決まりになりましたら、そちらのスクリーンパネルからご注文下さい!失礼致します!」
このファミレスを好んで先生とカヨコが利用しているのには理由が二つある。一つは価格の安さに料理の美味さがいい意味で釣り合っていない事。「こんなに美味しくてこの値段!?」という嬉しい体験ができるのは飲食店にやってくる客にとっては何事にも代えがたい。そして二つ目は圧倒的な席の広さだ。一つ目の理由からこのファミレスでは比較的どのテーブルも注文数が多くなる。安くて美味しい分、もっと食べたくなって注文が増えるのだろう。店側もそれを見越してのことか、この系列店では他のチェーンよりもテーブルが広く、それに比例して座席自体も広々とした快適空間が展開されているのだ。
「カヨコ、少し遅れるみたいだし、代わりにいつも食べるやつ先に頼んどこ…えっと…」
先生入店の数刻前、生徒たちと先生との交流が行なわれているメッセージアプリ“モモトーク”にてカヨコから“遅れるから先に席をとってほしい”との連絡を先生は受けていた。メッセージに添付された画像ファイルには、チュールを握ったカヨコのむちむちした白饅頭のような手とそのチュールを美味しそうに舐めるネコの姿。昔からカヨコはネコに目がない。画像の背景と道の様子から察するにファミレスのすぐ近くだろうからと、先生はカヨコの連絡に頷くことにしていた。
テーブル席のソファで一人、スクリーンとにらめっこをする先生。その指はまず自身の食べるシーザーサラダ1人前とハンバーグ単品を注文リストに追加する。そして次は彼女の食べる分。いつも決まって注文するステーキとチキンのコンビプレートを2皿と、ツナコーンピザをダブルサイズで1つ、籠いっぱいのフライドポテトが1つとオリジナルドリアを3皿、全て漏れなく注文リストに追加する。おっと、忘れてはいけない。あとドリンクバーを1人分。
そうして山のような食事の注文が一括で厨房に送信されるが、これも日常茶飯事、必ず奥から店長らしき人が注文に誤りがないかを確認しに来る。
「お客様、こちらのお料理なのですがお二人で…」
「ああ、はい、今日も誤りはありません。お願いします」
「あっ、承知致しました。すみません毎度毎度、この確認作業もマニュアルで決まっているもので…。それでは急ぎで準備しますね、失礼しました!」
こうして注文を済ませると、大体ものの10分そこらで料理がテーブルに出そろう。それを見越した先生はカヨコにモモトークで「いつもの、注文したよ」と返信すると、瞬時に既読が付き「もうすぐ着く」という返しが届いた。
流石カヨコだ、と先生は長いこと連れ添った生徒に感心する。こういう時の彼女はだいたいすぐに来る。ネコによる足止めは仕方ないにしても、基本無断での遅刻はしないしネコ以外の理由では遅れない生徒だ。
と思っていると、もう何度となく聞いた足音が近づいてくるのを察知した。
ドスンッ!ドスンッ!
「いらっしゃいませ!お客様1め…測定不能、測定不能」
「あああ…!申し訳ございません!こちらの機械の不手際でして…!お客様、先ほど来店されたお客様のお連れの方でらっしゃいますよね…!お、奥のお席にどうぞ…!」
だいたいの平均的人間のボディサイズと体温反応から人数を割り出し席にまで客を案内する受付ロボットは、数か月前からカヨコが入店する度に誤作動を起こすようになり、その度に厨房から店員が出向くのが恒例となっていた。
ドスンッ!ドスンッ!
「ふぅ…ぜぇ…んぶふぅ…、あ、あづい…。あっ…お待たせ先生…ごめん先に入ってもらって。よいしょっと……ふんっ、んぐぬぅ…んふはぁ…!入ったぁ…」
重たい一歩を数秒に一回踏み出しながらじわりじわりと席に近づいてくるカヨコが、先生に待たせたことを謝ると同時に、一般人の3倍ほどあってもおかしくない巨尻を座席に押し込めては、二段腹の上段を持ち上げながら深く息を吸い腹を凹ませる。その勢いのまま方向転換すると、段腹の1段目と2段目の間にテーブルの縁が来るようになり、カヨコの規格外の巨体でもなお、腹肉でテーブルをサンドイッチする事によって席に着くことが可能になるのだ。その光景をいつも厨房から特別に料理を手で運んでくる店員が目の当たりにしては苦笑いをして厨房へと戻っていく。こんな変な客は他にいないのだろう。
それは今日も同じだった。
「全然待ってないよ、さあ、冷めないうちに食べよっ。ドリンクバーは私が注いで来るね。コーラでいい?」
「うん、ありがと、先生。じゃあ、いただきます…!あむっ…!」
一度座れば容易には席を立てないカヨコの代わりに先生がドリンクバーへグラスを持って向かう。決まって彼女が好むのは氷なしのコーラ。グラス並々一杯を何度もおかわりする。
「はい、カヨコ。じゃあ私も食べるね」
「もぐっ、ありがと…ごくごくごくっ…ぷはぁ…げぶっ。うっ、ごめん、げっぷ出ちゃった…」
「炭酸だもんね。仕方ないよ、そういえばだけど、最近は便利屋の皆は元気?もうだいぶ長いこと会ってないからさ」
「うん、はむっ…もごもごっ、ごくん、元気だよ、アルもムツキもハルカも。アルは最近これ以上太ったらマズいと思ったのかサプリメントで脂肪の吸収を抑えてるみたいだし、それでハルカがアルを喜ばせようとハンバーガーを買い込んでも問題ない。ムツキはよく私やアルを茶化すけど、だいたいアルの食事動画を撮影するってなると盛り上げ上手だから、広告収入もあって便利屋の経営は安定してると思う…あむっ、おいひい…はむもぐっ…」
淡々と食事を進めながらカヨコから彼女自身の現状や不満、そして便利屋の最近の事情を聞く。傍から見ればただの食事中の会話に過ぎないのだろうが、先生とカヨコにとっては大事な時間だ。先生はカヨコとの貴重な時間を得られるだけで幸福度が格段に上がるし、カヨコの方は普段思っていることや素直な自分を出せる相手というのがいるだけで、それがどんな会話であってもかなり精神的な面では支柱を得られる。互いにとって必要不可欠な時なのだ。
「そっか、よかった。アルたちも元気なんだね。ちなみにカヨコ自身はどうなの?」
便利屋の面々が健在だということを伝聞し胸をなでおろすが、先生にとってそれと同じくらい気になる事は眼の前にいる彼女、鬼方カヨコ自身のことだ。先生にとってはカヨコにも楽しく毎日を過ごしてほしい。夏の頃はストレスからコンビニ弁当の過食を繰り返した彼女が今では心境に変化があったのかを彼は知りたかった。
「…ごっくん。ふぅ……私…?特に今はこれといってストレスも負担になってる事はないよ。あっ…でも…最近はちょっとだけ…」
「ん…?どうしたの、言ってみて」
自分の事を聞かれるとは思っていなかった彼女は、頬張っていた食べ物の山をごくりと喉に通すと、特に思い悩んでいることはないと告げる。即ちそれは過食の原因となるような反動の元が今はないということだ。これなら平気だろう。そう先生が考えようとした矢先、カヨコは少し恥ずかしそうな様子で自身の腹や尻周りに目を移した。
「じ、実は…この前買ったばかりの服がなんか…縮んでる気がして…あむっ、もぐっ、おかひいな、って……ふぅ、げぷっ」
身に纏ったお気に入りのバンドのパーカーは既に元々持っていたものからかなりサイズアップさせた特大のもの、そしてスカートもまたギチギチに脇腹の肉や尻肉、皮下脂肪でぶよぶよの太ももの肉を抑え込んで無理やり着ていたものから新調した大きめのものだったのだが、それが既に縮んでいる…というのが彼女の悩みらしい。確かにその見た目は無理やり服を着ているといっても差し支えないほど服のサイズと身体の大きさはアンバランスだ。
過食はしていないのになぜ…そう彼女は推し量っていたのだろうが、原因というか理由は彼女以外の人が彼女を見れば一目瞭然だろう。
「あ…カヨコ、もしかしたらなんだけど…仮に前みたいにストレスで過食はしてなかったとしてもね…毎日なんとなく沢山食べるのが日課になってたとしたら…」
摂取カロリーが消費カロリーを上回り、なおかつそこに含まれる栄養素に偏重が生じていたとしたら…そう先生が諭すように話そうとしたまさにその時、先ほど対応と料理の提供をしてくれた店員が厨房からやってきて二人に声をかけた。
「あの…お食事中申し訳ないのですが、お客様…。実はですね、当店では近頃店の備品にかなりコストがかかっておりまして…。先ほどからお客様の様子を拝見させて頂いていたのですが…その……」
「…?私たちが何か?特にこれといってお店に迷惑をかけるようなことをしたつもりはないんですが」
テーブルが埋まるほどの料理を注文してお店にお金を落としてくれる太客を前に、これ以上なく申し訳なさそうな表情と声で遠回しに事実を言おうとする店員を前に、先生も何やら問題が深刻なものだと瞬時に察する。
「ええ…決してお客様方の振舞に困っているという事は全くなくですね…ただ…」
「ただ?」
「そちらのお客様が来店された後にテーブルや座席を確認すると、いつもテーブルの木材が歪んだり破損していたり、座席のクッションが沈み込んで元の弾力に回復しないことがありまして…その分毎度テーブルや座席の修繕取り替えを行っていたら店の経営がどんどん暗くなってきてしまった現状なんですよ…」
「んぐっ!?わ、私の座った所が…?そんな何かの間違い…」
ギシギシッ!!!メキッ!!
不意に店員から個人的に注意を受けたカヨコは、ピザを危うく喉に詰まらせそうになりながら、身の潔白を証明しようとするが、少し体重をかける軸をずらすと座席のソファが悲鳴を上げ、手をつけば木製のテーブルからは何やら亀裂が入ってしまったかのような音が店内の誰もの耳に届いた。
それは当然、先生にも分かるほど。彼は事態を前に若干目を丸くしつつ、遂にそうなってしまったかと覚悟を決めたようで。
「いえ、間違いではなく、先ほど確認しましたが、お客様のその…お腹、ですよね?テーブルの上に乗せられているのは…。それと明らかに座席のサイズにヒップのサイズが合っていないのが原因で…」
「ちょっと待ってください。それ以上は生徒へのセクハラやショックを与えることになるので…。あとは先生として私が彼女に言い伝えます。ご迷惑おかけしました、これまでかかった修理代等は後でシャーレに請求してください。私の方で弁償しますので」
今まさに破損の現場を現認した店員サイドはここぞとばかりに畳みかける。テーブルに乗せられたカヨコの巨大な二段腹の上段。食べる前はたっぷりついた皮下脂肪で柔らかみを帯びていたが、食事を進めるにつれて膨らみ始め、最終的にはどっぷりと丸みを帯びて突き出ながらテーブル上に鎮座する。おまけに食べた分増えた体重は他にも、大きすぎる尻から逃げ場なく座席のソファに重くのしかかり、確かにこれでは備品を破壊しても仕方ない。
「カヨコ、もっと早く私がちゃんと教えるべきだった…心から謝るよ、ごめん。私が最後まで責任取るから…ね、カヨコ、ちょっとおっきくなりすぎたのかも」
こういう時ばかりは大人の眼をして難題に対処する先生が店員に詫びを入れると、次は振り返って彼女を前にし、その白い弾力満点の手を取る。
「せ、先生…もしかしてだけど、私…太り、すぎた…?う、動け、ない!?…ふぬっ、んぐぅ!?お、お腹とお尻がハ、ハマって…立てな、げぷぅぅぅぅ!?」
ぶよぶよんっ!!!どっぷん!!
かろうじて胸は比較的小ぶりではあるものの、スリーサイズ全てが規格外なほど膨れ上がったその図体がテーブル席を抜け出そうにも隙間に肉が食い込み、そして挟まり、抜け出す余地どころか立ち上がる余地すらない。まさに身動きが取れなくなっていた。先生がその手を引っ張ろうにも体重差から鑑みてもびくともしない。踏ん張れば不意にこみ上げるげっぷがカヨコの意思に関係なく表に出てしまう。
彼女の巨体はもはや今座っているテーブル席を解体し、修理代を更に加算させなければ脱出不可能なほどの肥満体と化していたのだった。
(痩せないと…これじゃ先生にも迷惑が…!や、痩せる…!)
一時騒然とした店内で、人目を一身に引き受けながら羞恥で顔を紅潮させたカヨコは、この出来事を境に減量を決心するのだった。
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鬼方カヨコ
Height: 157.4cm → 157.7cm
Weight: 192.9kg → ???
B: 129.8 → ???
W: 205.9 → ???
H: 183.5 → ???
§§§
「ぶふぅ…ふひゅ、ぜぇ…!ひぃ…ふぅ…!んはぁ…も、もう走れない……!!」
扇風機もクーラーも暖房もいらない人肌には最適な温度の春の夜。郊外で更に人気の少ない廃ビル群の間を縫うように、建物と建物の間およそ3mという狭さの路地を全身の贅肉を揺らしながらノソノソと、そしてぜぇぜぇと息を切らして走る巨肉。
お気に入りのパーカーと同じ基調のスポーツウェアに身を包むが隠せているのは局部と尻肉の一部、あとは谷間を曝け出しながらもギリギリ胸を覆い隠せているだけ。
肉まんのように丸く、下顎に分厚い肉の層を作った顔の肉は息を吸うだけで揺れ、汗で湿っている。捏ねた後のパン生地の塊のような二の腕の肉は、片乳を凌駕するほどの贅肉を付けており、重力に負けて縦横無尽に垂れ揺れ波打つ。食べ物の入っていない腹肉は張りこそないものの、その分だるんだるんの皮下脂肪が目立ち、人が寝転がれそうなサイズの特大浮き輪を二段、ウエストに巻き付けているかのように立派な二段腹が、スポーツウェアに押し込まれるわけでもなく、丸見えの状態で晒され、走る度にブヨブヨの太ももとぶつかり合ってパチュンパチュンと湿った衝突音を奏でていた。
「カヨコ、大丈夫?休憩…した方がいいよ」
牛歩の速度で走るカヨコの後ろには、その幾重にも重なった背肉のミルフィーユを両手で押しながら、少しでも前進力を働かせてその超巨体の走るエネルギーにしようとする先生がいた。無論、彼は一滴も汗をかいていないし、走ってすらいない。なんなら彼の歩くスピードの方がカヨコの走るスピードよりも速いくらいだ。仮に先生が前を行ったとして、彼女はそれに付いてはいけない。
ぶよっ…むにっ
大人の指先が少女の背肉の山に沈み込み、指と指の間にはじんわりと脂汗が滲み始める。先生の身体は汗をかいていないのに、手だけは伝う汗で濡れていた。
「ぶひっ…ふぅ…!んひぃ…ごめんっ、せんせ…、げん、かい……!」
銃声どころか人の気配すらない郊外に、カヨコの野太い吐息と声が放たれる。脂ぎったその声に反応する人はこの場には先生しかいない。好奇の目を向けられたり強面の超肥満体を過度に恐れられたりするのを嫌がって、あえてこんな誰もいないような地区で誰もいないような路地を走っているのだかた当然だろう。かつてのコンビニ店員に向けられた視線や、ファミレスで不本意ながら人目を一身に集めてしまった経験はカヨコの中でも苦い記憶となっており、かつあまり自分を前に晒すことで人々を怖がらせるのも良くないと彼女は考えるようになっていた。
どっぷん!でぶんっ!どしっ!
便利屋の中では日々会計や事務の仕事でデスクワークが多いためか、ムツキやハルカと比較しては勿論、あのアルよりも体力が失われており、300kgを超える巨体に残された筋力は僅かだろう。ブヨブヨの皮下脂肪の下をいくら探しても筋肉の隠れ家は見つかりそうにない。そんな身体が全身に肉汁のような脂汗を滴らせながら走るも、もう既に余力も尽きていた。
「…ちょ、大丈夫!?えっ…!」
「ぶふぅ…んはぁ…!ふひぃ!避けて…せんせい゛っ…!」
ドッスンッッッッ!!!
肉の山がよろめき、一瞬崩れそうになりながらバランスを崩すと先生の下へ倒れかかるように重心が斜める。咄嗟の防衛本能が超肥満体であっても働き、重量の計り知れない極太の腕が前へ出ると、そのまま先生を壁に追いやる形でカヨコの巨体は壁に手を突いた。
文字通りの壁ドンだ。
街灯に照らし出される輪郭。両者の顔がかつてないほど近い。先生の視界にカヨコ以外映らない。
目線を下に逸らしてもバストが目に入ってしまい、他には飛び出た腹肉と規格外の大きさへ育った巨尻が移るだけで布地以外は白一色。気まずくなって今度は視線を正面から上に戻すと、満身創痍な肥満少女と目が合い、その瞳の奥に移る自分すら見えてしまう。すぐには言葉が出ない。
「ふぅ…ぶふぅ…ぜぇ…ぜぇ…」
「……あっ、えっと……」
乱れた呼吸を整えるように出される彼女の吐息が鮮明に聞こえ、その息はこそばゆく彼の肌にも触れた。徐々に少女の紅潮した白肌が平静を取り戻しつつあったが、今度は別の意味で赤みを得ていった。
「か、カヨコ…ご、ごめん、近すぎたよね…!私がもっと早く避けていれば…」
「んふぅ……動か、ないで…」
「え…」
沈黙の時が流れる。二人の周期も全く異なる息遣いが混ざり合い、どれほど経過したか。
「…先生、私…先生がいないとダメみたい。こんな気持ち…初めて。便利屋にいる時とはまた違う感じ。先生の前だと、不思議と、落ち着くし頑張れるから…。だから…もう少しだけ、先生の匂い、嗅がせて」
吐息ばかりではなかった。カヨコの吸う空気には先生から発せられる大人の男性の匂いが混ざり合い、彼女の肺に溶けていく。それは先生も同じだ。彼の吸う空気にはカヨコの脇や肉段の谷間から立ち込める熟成された汗の香りがブレンドされ、彼の敏感な部分を刺激しつつあった。互いに互いの匂いを求め合う。
「カヨコ!ごめん、私…!座らせて…!ホントにごめん!」
少女の肉の間をかい潜り、急いだ手つきで下腹部から下を隠すようにしながら背を向けて座り込むと、その大人はひたすらに謝る。短髪がかかった耳までもよく見ると赤い。
その行為の意味はカヨコにもすぐ吞み込めた。
「せ、先生……私の方こそ、こんな太った身体で、変な気起こさせちゃった…ごめん」
だが彼女には自信が欠如している。極限まで肥え太った身体で不可抗力とはいえ詰め寄った挙句、性欲まで刺激してしまったことへの罪悪感。「なんだかんだ先生は面倒見がいいから付き合ってくれているだけで、本当は普通の女の子が好きに違いない」という考えがカヨコの中にはあった。しかし実はそうではない。
「カヨコは謝らないで…!何も悪くない!…私が、ドキドキしてしまっただけ、だから…。昔からこの気持ちは変わらないけど…今のカヨコは特に凄く…魅力的で…」
明確な単語を出して直接的には言わないが、けれど確かに、彼は性的な興奮を覚えていた。今、他の誰でもない、その一人の女性に。だが立場上、“まだ”それは許されない。彼も彼女も一線は理解している。
二の腕を差し出して肉の振袖を揺らせば、先生はまた背を丸める。揺れる肉を見る目は自制心により手こそ出さないものの明らかに男のものだ。
その様子にカヨコはようやく自分の中のわだかまりが解消された気がした。
居場所は今もそこにあるのだ。こんな自分を求めている人はここにいるのだと。
思えば、アルが太った時もそうだったが、誰も太ることを根から否定する彼女の周りには人はいなかった。どれだけ太ったところでその人はその人のまま。カヨコはカヨコのままなのだ。
「痩せなければ」「世の中は太っている事に対して非情なほど冷たい」、好奇の目、恐怖、そんなものを勝手に妄想して、自分で自分を苦しめていただけだった。
ストレスの原因、自分を追い込んだ大本は己の中にあった。もういい、無理なんてしなくていい。
なんだか、先生を見ているとそんな気が彼女の中で起き始め、無理に自分を変えようという縛りは解かれていった。
「ふふっ…先生。変に思われるかもしれないけどさ…久しぶりにご飯、食べに行かない?……ラーメンとか、食べたい気分」
ファミレスでの一件以降、人目に晒されるという理由で外食も控え、牛歩並みの速度で先生とランニングを続けていたカヨコだったが、久方ぶりの空腹が訪れる。過食でもなければ暴食でもない。自然現象としての空腹だった。
微笑みかけるカヨコに、先生も変化に気づく。重圧を、重荷を下ろしたような表情。生徒のその様子に“先生”として嬉しさを垣間見た。
「カヨコ…うん、いこっか!久しぶりの外食だし私が奢るよ!どこにする?カヨコの好きなところでいいよ」
「先生の奢りか…平気なの先生?またガチャに課金とかしてるんじゃ…?」
「し、してないよ!…今月は…ね」
「ふふっ、じゃあいいね。大盛で注文するね。場所は…ちょっと遠いけど紫関とか、どう?先生と話しながらならすぐ着きそうだけど」
そうして笑みを溢しながら、今度は無理のないペースで歩み出す。その歩はたとえ遅くても決して辛いもの苦しいものではない。きっと店に着くころには陽が昇り始めている。だが先生と二人ならどんな遠くでもどんなに時間がかかってもいいと彼女は思っていた。
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鬼方カヨコ
Height: 157.4cm → 157.7cm
Weight: 192.9kg → 318.7kg (702lb)
B: 129.8 → 219.3
W: 205.9 → 269.8
H: 183.5 → 282.9
§§§
「先生、どう…?気持ちいい?」
「…うん、カヨコのお腹、とっても柔らかくて気持ちいいよ」
午前6時、シャーレの一室。普通であれば3人ほどは生徒が座れるサイズのソファに尻をくい込ませたカヨコと、彼女のラーメン特盛チャーシューのせを食べた事で膨らんだ二段の浮き輪腹の上に頭を乗せて寝転がる先生。彼の表情はまるで母の腕の中で眠る赤子の如く脱力しきっていた。
もう無理に痩せようとする気もなければ、逆に返って食に気持ちをぶつけようという気もない。今はただ先生とそれなりの関係でいられればいいとだけ、彼女は願う。
「先生、こうして撫でてると少しだけネコみたいだね…よしよし…」
「…うん、カヨコが飼い主なら…私も幸せかな……すぅ……」
シャーレに泊まるのはこれで数回目だが、まさか己の肉まみれの腹の上に先生を乗せて寝かしつける日が来るとは夢にも思わなんだ。
互いの片耳に有線のイヤホンをはめ、カヨコが普段本当に気を落ち着ける意味で聞いている曲を二人は共有する。線が切れないように、顔をできるだけ近づけながら。
第一の居場所、便利屋には既に連絡は済ませてある。シャーレに泊まるといえば、皆理解してくれるだろう。それに確か今日の当番はムツキだったはずだから、その意味では問題もないだろう。なにせ何も疚しいことはしていない。ただ腹枕をしながら一緒に音楽を聴いて朝寝に入ろうとしているだけなのだから。今やシャーレ、先生のいる場所はカヨコにとって第二の居場所となっていた。
「先生…?」
「すぴぃ……ん……すぅ……」
「…寝ちゃったか。いつもありがと、先生。おやすみ」
朝日がレースのカーテンを通し、部屋が白に包まれていく。特に食事後で身体が重たくて一人では入浴もできず、満腹感から来る眠気でカヨコも先生も眠りに誘われた為、起きたらまずシャワーを浴びよう。少し恥ずかしいけど、先生には目を瞑りながら手を貸してもらって。
そう考えている内に、お腹に熱源を乗せたカヨコもまた瞼が閉じていく。細やかな幸せの香りがした。
…と、二人が目を覚ましたのは昼下がりのこと。先に起きて、業務をほったらかして長時間寝てしまったことに気づいた先生は、己の身にタオルケットがかかっている事を知ると、シャーレの部室兼執務室に向かう。今日の当番が彼の分の事務仕事をこなしながら小悪魔的笑みを浮かべていたそうだが、それはまた、別のお話。
了
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