Home Artists Posts Import Register

Content

たけえイス買った

~Answer~

エルゴヒューマンプロ オットマン付き

10月から値上げするらしいですがそれとは関係なく買いました 今欲しくて

embed: item.rakuten.co.jp


機能がいっぱいついてる

 イス自体はなかなか快適です 肩こりは減りませんが腰痛と足の疲れはかなり楽になったかなあ 機能がたくさんついてるのに使いこなせてない感じがありますが,それまで軽く休むときにいちいちイスから降りて五体投地していたのに比べると,さしあたりちょっと休憩って感じの時にリクライニングしてぼんやりすることが出来るようになったのでそこはなかなかいいです

 高くて作りがしっかりしてるだけあって,体重をばっちり預けてもあんまりイスの強度に不安が残らないのもよいです ただ一方でイス自体が40kgくらいの重さがあるので,単純に「椅子をちょっと引く」という動きにかかるパワーが大きいのは難点ですね


 モニターアームを使って液タブを快適に使えたらと思うのですが,togetterまとめで失礼いたしますが,こういう感じにクッションを死ぬほど挟んで使うというやり方もあるらしい



 イス自体はベストパフォーマンスを発揮しようと頑張っていると思うので,僕もベストプラクティスを探求したいと思います みなさんも体重を預ける家具と人生において長時間使う家具は良いものを買いましょう 例:布団や枕


 それと体重を預ける道具のDIYはやめましょう 例:机や椅子

絵をずっと直しています

 ゲーム作る作業はあんまりやってないなあ メインキャラの立ち絵描き直したりしてました あんまりたくさん使う部分じゃないんだけど・・・ ミサトとかもう5回くらい描いてる気がするけどあと3回くらい描き直さないと納得しないかもしれない

 こんなことしてないでさっさと続きを作ったほうが良いのは全然トータルでそうなのですが,後から見返したときに納得感がない限りたぶん同じように調整を繰り返してしまうんだろうなあと思います

 締め切りがある仕事と締め切りがない趣味の落差みたいなのは常々感じていて,最近はゲームが完成しないことが夢に出るようになっていよいよ何かに追われ始めています


 10年に1本とかのんきにゲーム作っててモノになる作家性ならいいのですが,僕はスピード感と生産性だけをウリに長年やってきたので,今さら腰をじっくり据えたところで何がどうなる,という自問自答はあり,わかってるんですがぜんぜん改善しないですよねえ エイプリルよりもエイプリルの次のゲームのことが気になり始めてて,こういうのも浮き足立っている原因なと思います・・・

そのほか 人生とゲームに命をかける話

 最近ポップンミュージックで撮れたそこそこ気合の入ってるリザルトです まあ未クリアなんですが・・・

 俗世ではこの譜面が一番難しいとか言われたり言われなかったりするらしいんですが,僕はそう思いません p†pUPPERも同じで,発狂してるだけの譜面を言われてるほど難しいと思いません ポップンの難しさは9レーンにあり,クラシック8は確かにポップンでは規格外の難しさですが,ポッパーじゃなくてもクリア出来るところに本質があります 初音ミクの激唱をみんなクリアマークつけたみたいなもんですね

 そもそもこれが押せるレベルまで到達してないやつがこの難易度を語ってもしょうがなくないすかと思います


 僕はポップンのエアプ野郎に対してほんまに態度が厳しく日々その言動があまりにも老害すぎると注意されているんですが,エアプ野郎の方がどう考えても悪いだろと思っているので一向に態度を改める気がありません

 べつにポップンに限らず,真剣にゲームをやっている人々はいわゆる動画勢といつもバチってるわけで,シューティングゲームの攻略動画が一時期全く世に出てこなくなったことがあるのですが,身内で攻略してれば満足,外野になんか言われる筋合いはないからというのは本質的に理にかなっていると思います 僕も音ゲーにハマっていなかったら虫姫ウルトラの光点ずらしに人生をかけていた可能性があると思うと思うところはありますが現実には虫姫はエアプ野郎,プロギアもまあまあ遊んでる割にはあまり詳しくなくやっぱりエアプなのでそんなに詳しく語ろうと思いません 音ゲーもポップン以外は全くわからないですが,一方でポップンじゃなくてもエアプを許さないゲームは結構あります


 過去に数度話題にしていますが,怒首領蜂業界でこういう話がありました


 記事で出てくる外人もカスならはてブもゴミで,エアプ・動画勢・外野・下馬評の博覧会です まともな意見も幾つかありますが,大抵の連中はことの本質を何も理解していませんし,しようともしていません 無関係な野次馬としてめちゃくちゃ馬脚をあらわしまくっていることに対しての自己嫌悪とかも絶対ないんだろうな

 ぼくが前にたぶんこの記事を話題にしたときには「日本のコミュニティは日本の閉ざされたコミュニティのやり方で勝手にやっているのであって,きしょいフロンティアスピリッツ野郎によってフェアプレーの精神を勝手に持ち込んでくるな」と思ったし,言っていると思います

 やっている連中はこういう後ろ指をさされるのはわかりきっており,それを是として本気で命をかけてやっているわけで,そこに適当な外野が集まってスジがどうの言ってくるのはほんまにきしょいと思います 散々やってたみたいなやつも出てくるけどこの領域に達してない時点でやってないだろ


 すぐに命を賭けてゲームを遊んだり,命を賭けてるかどうかみたいな評点をし始めるのがぼくの悪いところみたいな感じはあるのですが,命を賭けずにゲームに臨まなかったらゲームに失礼と思います 命を賭けずに消化できる程度のゲームに命を賭けることは無意味で,そういうゲームを作る連中をぼくはビジネスに迎合したあさましい手合いと思っていますが,人生の何割かを使ってひとつの作品に入れ込み,そこになんらかの道を見出すのはぼくは本質的と思っています

 ゲームプレイは修行であり,「剣道」とか「柔道」とかと同類の「道」が拓けているという価値観で遊んでいますが,べつにそれがたまたまプレイに応じてスコアが返ってくるゲームだったからわかりやすく可視化されているだけで,絵を描いたり音楽を奏でたり本を書いたり,一方で絵を鑑賞したり音楽を聴いたり本を読んだりすることに全身全霊をかけて命を燃やしている人たちもいるわけじゃないですか 死ぬならそういうことに魂を燃やして華々しく散りたいですよねえ 大往生した年齢や生涯獲得賃金を誇るようなことはないようにしたいと思います


 話が逸れました


 先般,こういうツイートがまあまあ伸びておりました 内容は大変よく,この良さは人によってはちくちく言葉になるかもと思いました


 この記事大変読み応えがあるのですが,ゲームはまず前提としてレジャーであり,べつにレジャーで音ゲーやSTGをたしなむのであれば好きなようにプレイして好きにやればいいのですが,一度高らかに目標を掲げた瞬間に二度とそれは下げられない看板になるわけで,その思いが出たと同時にそれを何か意味わからん理由をつけて下ろすのは死ぬほどださいし,実際に死んだほうがましかもしれません ぼくはゲームを遊戯と思いますが,しかしゲームを「遊戯」と翻訳した人間をタイムマシンに乗って殺したいくらい憎んでいます


 僕は年齢ややりこみの不足によって「昔出来たこと」に対する自身の弱さが露呈して徐々にポップン,いやさゲーム全般の腕前や気力,集中力などが衰えているのを実感していますが,しかし辞める理由にしようと思ったことはありません 年齢はどちらかというとやるべき理由で,むしろ上達の余地は無限にあり,若さだけで無理を道理にしていたころより日々の圧倒的成長を感じています べつに成長しなくなってもやるとは思いますけど最先端は追いたいと思っています やり続けた人間として


 東方Projectが流行ったころ,なんか持病やPCスペック,学業や仕事などを理由にして一生真剣に遊ばんやつがおったけど,そういう連中と同類と思います 人間の性能には限りがあり,その限りある性能を超える瞬間というのはゲームや学業,事業,スポーツなどでいつか絶対に訪れるわけで,そうなったときに「自分には出来ない範囲だなあ」と思って毎回全部諦観するわけじゃないと思うんですよね 激しい苦痛を伴う無限のトライアンドエラーによって,わずかな生存バイアスのなかで習熟を繰り返してスキルを磨いたり練度を上げたりすることはあるわけじゃないですか

 本当に生来のものによって出来ないことがある場合,出来ないこと以外のすべてを出来るようにすることで解決可能な命題はいくらでもあると思います この世には出来ないことの総和より出来ることの総和で得られるもののほうが多いと思うので ポップンの最上位曲はたしかに破滅的に難しいうえに許容BAD数も30くらいとやばいんですが,逆に言えば30個くらいミスしてもそれ以外全部押せればクリア出来るとも言えます


 「四、目的のある練習には、居心地の良い領域(コンフォート・ゾーン)から飛び出すことが必要」いい話だったなあ

 これとかもいい言い回しだなあ


 ポップンミュージックは特に上級プレイヤーが少ないまま譜面だけが一方的にインフレし続けたゲームであり,まともな攻略や上達技法は,上級プレイヤーによってほぼ口伝のみで語られています(その口伝については比較的正しいと思っており,僕は正しいと思った練習を日々行っています)ポップンはスクラッチやバスドラムやツマミなどのこざかしい操作が存在せず,9個のボタンが基本的に等価であるため死ぬほど上達して死ぬ気で押すしかないというゲームなのですが,そのしんどさから「楽して上達するウルテク」みたいなのを求められている気もします ありません 諦めてください 昔は女の子がいっぱい集まって楽しく遊べるモテモテ音ゲーだったのにどうしてこんなことになってしまったんだ・・・

 その末端は数名のランカーによって競技シーンがささえられているむなしいゲームでもあり,彼ら/彼女らが一斉に,あるいは一人や二人でも手を引いたら一気に動画コンテンツとしてのポップンミュージックは終焉を迎える状況をずっと続けています あんまり関係ないですが解明リドルズが単純にクソゲーすぎるのも何とかならないんですかねえ プレイ内容を縛ってクレ数を稼ごうという態度はまじでみみっちく,ポップン14に匹敵するクソゲーです


 さておきポップンは意味不明なオリジナル攻略法で上達した気分を味わう連中が後を絶たず,たいして上達することもできずに譜面の配置がどうだとかBPMの変化がどうだとか言ってる連中が一生しょうもない攻略記事を上げ,後発のプレイヤーがそういったエアプ連中の意味不明なウソ攻略に踊らされて無意味な金と時間を使うのを本当に許せんと思っています

 ポップンミュージック上級攻略wikiというのがあるのですがぼくはあれをエアプwikiと呼んであそこに集まってる連中を心底見下しています いる人が下手だからとかではないです 現にあそこには僕よりうまい人もいっぱいいます

 あの場所はポップンを攻略するふうを見せかけておいて結局ろくな提案はできておらず,閉ざされた内輪内輪の品評会に収斂していき,ポップンというコミュニティにおける社会悪だと思っているからです 「ポップンミュージック引退勢思い出語りwiki」みたいな名前だったら別にいいかもしれないですね ゲームごときで引退とか言うなよと思うけど


 ポップンミュージックの最難曲がプロバロだったのは10年以上前の1~2週間くらい,せいぜい長くて1か月とか2か月とかのレベルであって,そもそも僕はプロバロが最難曲と思ったことは人生でないのですが,いまだにプロバロ乱をプロバロという曲のメダルやスコアの更新目的以外連中は本当に頭がおかしいと思っています IIDXで穴AAとか穴クエを全埋めとか皆伝取るためにやるやつはおらんだろ てか穴AAとかやらんだろもう誰も

 プロバロ乱を勧めるやつもそれを練習でやるやつもやばいんですが,プレイしていて「この2分は完全に無意味な2分だった」と思わないんでしょうか ふつう自分に不適切な譜面をプレイしていたら何かしらの課題や欺瞞が浮かぶと思うのですが,適正48とかで50に特攻してしょうもないリザルトを貼ってる人とかも自分のプレイを疑問に思わないのかなと思います

 KACに出たいならKAC課題曲を満点に近い点数出す方法を考えるべきだし,ポップンの50を全部埋めたいなら50のBADを減らすのが最短ルートです プロバロ乱でフルコンやパフェしても50のクリアメダルと交換できるわけではないので,プロバロ自体をやることに意味がないと気付いてほしいです 乱でやるなら47とか48にも乱に向いた曲はいっぱいあるし,本気で上達する過程で乱とかやる必要も別にないです ポップンで乱の配置をやることによって13579とかが押せるようになったとして,13579は降ってきません


 昔読んだなんかの記事で

「IIDXの皆伝を取るのに必要な最小要件は皆伝課題曲4曲を段位モード・段位ゲージで完走することのみであり,☆11のエクハ埋めをしたり☆12の未難を残り幾つにしたところで全く関係ない」

 っていうのがあって,ぼくはそれがすごく良いと思ったし,その気持ちを絶対に忘れないようにしています IIDXはやっていませんが,なんにでも対応可能な真理と思います

 皆伝を取得するために必要なものは皆伝課題曲4曲を続けて段位ゲージで押せるかの一点であり,その取得方法(ミラー正規,1P2P,サドプラ/リフトなど)が遊びの幅,世界を救うために必要なものはゾーマやラヴォスを倒すことで,じっくりレベルを上げるか,速やかに目的を遂行するか,どういうパーティで倒すかというのが遊びの拡がりであり,アリアハンやゴンザレスでLvを99にするのは朝顔に水をあげるより純粋な虚無で,これは多様性でもなんでもないなあと思います



 IIDXは上達することが是というルールが最初に定められたのはある意味うらやましいと思います ぼくはニエンテ難民でありアドベンチャー当時は無の世界をクリアできませんでしたが,それはぼくの能力不足であってゲームが悪いと思ったことはないです 嘘 当時はさすがにショックでキレたりしてたかもしれません ニエンテという曲,譜面がポップンに実装されたことで相当な衝撃を受け,落ち込んだのは本当です ニエンテは解析により早々にプレイヤー間で共有されたのですが,僕は実際にプレイするまでウソであって欲しいとかなりの絶望を覚えていました・・・

 ただポップンのプレイヤー層全体からは「ポップンを上達しなければ先に進めない」というのは基本的にめちゃくちゃ反発を受けており,ポップン13のコアダストビート,ポップン15のIDM・ニエンテ以後はプレイヤーの腕前をゲーム進行のルールとして問うことはなくなってしまいました まあせいぜい解禁対象曲のノーマルをクリアとかで,ボス曲のノーマルがクリアできないよ~ってたまに悲鳴が上がることもあるんですが,それは流石にクリアできるまでやってくれと思います

 IRや段位認定やレートシステムみたいなのも思い出したように出たり消えたりしていますが,基本的にはポップンの上達はポップンの遂行に関係ない世界となっています KACも50全埋めもポップンをやりこんでいく延長線上には存在せず,ポップンはクレ数を積み重ねて曲を解禁したり推しキャラのハートを増やしたりするゲームに身をやつしてしまっている,という不変の事実は残念ながら存在します


 そんな中で上達の話とか高難易度譜面の話をすると発狂厨,高難易度厨みたいに言われてしまうのですが,自分の思想や価値観が異なることを説明することがうまくいきません そもそもぼくは自分のことを「ポップンを下手」と思っていますが,これが謙遜になるのも変と思います ちょいちょい自分のことを下手と思っていてそう言っているのですが,ださい予防線の張り方みたいに言われ,そうかもと思う一方でやっぱ納得はいってない面があります

 僕がポップンをやっていない人よりは上手いのは当たり前で,ポップンをやっている中では下手というのも同時に事実であり,「やっていない人」と腕前の比較をしても何も意味がなく,50を全部埋めようとして埋まってなかったり,KACに出るには遠く及ばないスコアを見たときに自分のことを「下手」としか言いようがありません そして僕よりできない人が僕の評価軸に対して何を思うかとか,僕には一切関係なくないかと思います 僕は僕のために純然な事実として自分のことを下手とかあんまうまくないとか言いますし,逆にめちゃくちゃうまく行ったときはなかなか上手いと思うこともありますが,僕より未熟で出来ない人が僕と比較して下手かどうかとか悩んだり,逆に僕が上手いプレイが出来たときにそれを見てショックを受けたりすることはなくないですか

 僕は僕のために命を賭けてポップンのボタンを押してるわけで,後からくる人のやる気を萎えさせるために上達しているわけではないし,僕が自分のことを「まあ上手いっす」とか言ったところで,KACにカスりもしないし50も全部埋まってないんだから大嘘じゃないですか 自分より下と自分を比較しても意味がなく満点から減算で考えたほうがより真理に近いと思います


 音ゲーやSTGなんかは中長期的な目標によって成立している超ロングランゲームですが,しかし一方でそれぞれの中長期目標は,目前に迫っている短期目標を連続的にクリアすることによって成り立っているとも言えます 言い方によっては,短期目標に対してベストな結果を出すことで勝手に中長期的な目標になるとも言えます 人生も同じです 中長期的な目標は切り刻まれた短期目標に分解され,それらをこなすことがさしあたり社会の維持形成になっているとおもいます

 とはいえ標榜した目標が思ったより高く,命を賭けなければ届かないとわかったとき,命を賭けるのが聡い行動であるとは言い切りませんが,命を賭けられなかったことに対する虚しさや自分自身への言い訳は今後一生続くのかと思うと,悲しくないですか 命を賭け続けなければならないことへの恐怖や,命を賭してもなお届かない絶望によってふるい落とされたらみみっちくしがみつくことも出来なくないですか

 ぼくは生まれて初めてプロギアの2周目に入ったとき,あまりの難しさに強烈な恐怖が襲い掛かってきてゲーセンで自我を失ってしまいました ぼくは生まれて初めてChaos:Qをゲーセンで見たとき,20年やってきたゲームがこんな形で終焉を迎える事実と,これを出来ないであろう自分に絶望して泣いてしまいました

 でもそこまで至ってない人にとっては,なんか上の方でわちゃわちゃしててもべつに関係なくないすか 早い段階で諦めたりやるのをやめたりしたのにずっとすっぱい葡萄のすっぱさをコスるのは本当に無意味で,べつにやめたりしたのがダセエとかは言いませんが,やれるまでやっておらず,自分の適正な能力が低い段階で留まっているのにプライドだけは高いのはダセエと思います Chaos:Qが消えないならChaos:Qが最終目標としてクリアすべきハードルとして残り続けるんだから,どんなに酸っぱくて腐ってても何とかしてやるしかないでしょう

 ぼくはIIDXのSP皆伝をさまざまな理由によりぶっちゃけ諦めましたが,それをいちいち言ったりしないし,皆伝取りたかったけど取れるまで努力ができなかった自分の未熟さを嘆くくらいしかすることないのでIIDXについてほとんど喋りません,上達を諦めたモブって言われたら100%事実なので受け入れています


 ぼくはぼくより未熟なやつに冷や水をかける気はしませんが,やってないくせに俺の領域に踏み込んできたらそりゃ迎撃するだろと思います

 逆にぼくが過渡期のやつにマウントを取ってたらまあ断罪されるべきなのでそこはすみわけですよね

 例えば同じ比較基準,「50を全埋め可能なくらいまで上達したとき」に50を本当に全部埋められるかどうか,埋めたとしてどれくらいのスコアが出るかどうかなどによってはじめて比較は可能となると思いますが,途中でやめてしまったり,そもそも十全にやりこんでいない人と比較しても何も意味がないと思っています できない人の気持ちになるのも無意味と思います 49を埋めてる段階の人は49を埋めてないんだなぁとしか思いません 試しに50が埋まるまでやってみませんか? 僕は50が押せるようになるまで足掛け10年かかりましたが,人によっては半年とかでいけるかもしれないですし べつに期間やクレジット数なんかはどうでもいいと思うんですよね

 しかし別に低めの難易度を埋めてる段階の人に茶々入れに行ったりしないですよ僕は 「結果的に低いラインにとどまっている人」が知識人気取りで全方位に茶々入れてるほうがよほど害悪で,「未熟・下手」と「やってない・エアプ」はわけて考えるべきと思っています


 「できる」とか「できない」っていうのは努力とか才能とかじゃなくて,とりあえず「結果」じゃないですか?

 過渡期にあったり,十分にやっていない人が出来ないのは少なくとも当然で,ファンタジーNとサイレントEXを比較することは無意味ですが,ファンタジーEXを押せる状況でファンタジーNをやるのは時間の無駄と思います

 僕は僕自身の様々な不足により,白バベルの交互連打地帯に混ざっている赤ポップ君を押すたびに寿命が縮まっているし,クラ8を選ぶたびに確実に死が近づいていますが,それは僕個人の能力によるものであって,白バベルをウォーミングアップ代わりに押せる人や,クラ8のスコア詰めを揚々とできる人もいるわけで


 さておき,ぼくなりの正しさや一貫性として,「知識や努力を重要視しない」というのはあります 何歳になって何を出来ない,何年やってて何を知らない,とかは,社会性に限ってはそれを一般化することで全体を成立させていますが,社会性の規範に則らない限りにいたってはむしろ一般常識の外側の事象の方がなお多いと思います

 知らないこと,知らないので教えてもらうこと,教えてもらったことを聞いてないこと,教えてもらったことを忘れることを罪とは思わない という生き方をしています 知らないから教えてもらうし,話を全部聞いて覚えるのは無理だし,教えてもらっても忘れるから何回でも聞くわけです

 大事なことだから1回しか言わない,というのは矛盾していると何度でも言います

 毎回教えてもらっても別に困らんし,毎回教えることにリソースが割かれることを危惧するのであれば,やるたびに参照可能な手順書があれば良いだけです 失礼なのは人からやり方を聞いといてその通りにやらないとかで,迷惑なのは自分の独自の方法でやったことで全体への瑕疵が生まれている場合とかじゃないでしょうか

 ぼくは不文律や「よしなにやる」みたいなのが本当に嫌いで全部書けよとよく思うのですが,全部書くのが不可能なことがらは現実あり,悩ましいところと思います 世の中のあらゆる事象は専門性によって成り立っているわけで,専門家であれば何歳で何を知るみたいな生き方をしていたかもしれませんが,そうではないわけで

 「できる」とか「できない」だけ重要視するのはそういうところにあるのかもしれないですねえ 「なんでできるのか」とか「なんでできないのか」「なんでミスしてしまったのか」を自分以外に追求したところで根源に意味がないですよね


 リテラシーというのは知識の奥深さによるブラックリスト的生存戦略ではなく,「未知に遭遇したときにどうふるまうか」という判断力がリテラシーと思うという話です 知識による対処には限界があり,また知識を参照することが出来ないまま選択を行わなければならない局面は人生に同時に無限にあるわけで,そこでいちいち辞書を引いていたら人生が終わってしまいます


 長くなってしまいました 年を食うと話ばっかり長くなりますね これからも無限に話だけ長くなっていって何もなせなくなるのかと思うとやばい気がするので,もっと結果にコミットしていきたいです コミットコミット! フルコミット!

 そんでけっきょくいつもこの話になるんですが,僕の人生全部そうかもしれません 過去に溺れない,未来を過信しない,は生き方の根底にありますが,今にすべてをかけすぎている気もします

 今仮に150円しか全財産がなかった時,150円でどう暮らそうかというより,最大限に瞬間的に幸福になる選択,たとえば150円でジュース買うとか,100円で音ゲー1回やるとかして,後悔のない人生をまっとうするんじゃないかと思います

 我,生きずして死すこと無し 理想の器,満つらざるとも屈せず。これ,後悔とともに死すことなし

 わかっていたはずだった・・・

 私たちは自由を見られるかしら?

Files

Comments

No comments found for this post.