オメデトーと雨の降る街 2022/06/16 (Pixiv Fanbox)
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35歳なった!
30歳になって以後目覚ましい活躍がないですがそのまま35歳になってしまいました
体の調子は悪くなる一方,俺はまだまだ若いんだという妄想一本でやっていくのにも限界を感じています 20代のころにできていた無茶が全然通らなくなっており,30代は30代のやり方があるんだよというような態度を見せていくべきなのですが特にどうということもなく折り返してしまいました 30代のときは40代のことを考えていくべきかもしれません 過去の話ばっかりしている老人にだけはなりたくないぜ 常に前へ前へ・・・気持ちだけはね
シンフォニックレインを遊びました
身内にこのゲームをすごく好きな人が何人かいて,早く遊んでくれと長年せっつかされていたんですがようやく遊ぶことができました 新しくゲームを崩すのは大変で,それが物語であれば尚更です
まず全体的に思ったのは,風俗の記録に頼っていないから,時を選ばない物語だなってことでした これは古くならない 化石化しない という意味です
もちろんUIが古いとか,そういうところに非・モダンを見出すことは簡単ですが,そういう話ではなく,流行り廃りに頼っていない,地に足のついた表現に裏打ちされた梅雨の気圧のようなストーリーが良かったです
めちゃくちゃ文章が上手いとか,ひきこまれる筆致があるとか、アッと驚く展開があるとか,さめざめと泣いてしまうようなすごい泣かせが入るとか,そういうことはほぼ,あるいはまったくなく,むしろ誤字脱字は多く,それほど洗練されていない文章で,物語に仕掛けられたギミックもこの作品の特徴として機能しているわけではなく,ずっと淡々と事実が列挙されるかのように語られ続ける所がある意味特徴的に感じました
人を描けている と言ってしまえばたやすいのですが,記号的な人間性がないことで,断片的に会話や空気感だけで感じられる彼女たちや,あるいはクリス自身に不透明な部分がたくさんあり,それはずっとそのまま,すべてを語られることなく終わっていくのはとても良いと思います 沈黙することが善い と言っているわけではなく,根本的に,ある人間はある他人の思考を理解することは絶対にできない,という話です
ギャルゲーぽい押し問答はほとんどなく,スクラッチされた会話も,パズルのように組み立てられた言葉も,思わせぶりで意図がどうとでも読めるような暗喩もなく,会話は会話として,思考は思考として脳の表層を滑っていく,そこにみょうなリアリティを感じておかしくなりました(愉快,という意味です)
さて,ゲームとしては「フォルテール」という架空の楽器を用いた音ゲーパートが何度か,どころか結構な回数入るのですが,それが音ゲーとしてではなく,演奏パートとして入ることにゲームとしての強い意味があるところがよかったですねえ
何度か,ではなく,何度も,なのがすごく特徴的だと感じました キャラクターごとに曲は統一されており,譜面は一番最初に教えてもらったものから変わらず,演奏も,彼女たちの歌声も同じで,繰り返し何度も同じ曲を,しつこいくらいに演奏させられるんですけど,ぼくはそれがすごく意図的なものに感じて良かったです
音楽は,譜面はただ在り続けるだけですが,自分の心はそうではなくて,キーを叩く操作に力が入ったり,迷いがあるだけでしょうもないミスを繰り返したり,同じ曲を何回もやっているはずなのに,その曲ごとに演奏している自分と向き合っているような気分がありました
ただ,この「向き合う感覚」はプレイヤーをふるいわけると思います ゲームがプレイヤーを選ぶというのは世迷言ですが,要はこの演奏時間は,本質的には何もない時間であり,その何もない時間に意味を見出すのはプレイヤーの勝手であるからと考えています
何度も同じ曲を演奏させられることにゲーム的な意味や物語的な意味を見出せず,ただ退屈であるかのように感じるプレイヤーも,それは感性の違いであって良し悪しではないです
ここは解釈であって考察や正誤判定みたいなものではないと思います ぼくは音ゲーパートにそれほどストーリー進行の足を引っ張られなかったので,ただ奏者としてその場その場の演奏の物語的な意味,自分の中での演奏の意味を感じることができましたが,音ゲーパートが苦手とか,うまくいかない人は音楽の反復練習みたいな感じを味わったりしたのかもしれないですね
自分は,感情をなぞって想起させるかのように繰り返されるフォルテールの演奏パートに,ただ言葉や映像で語られる以上の意味を見出した それだけのことですが,それだけのことでもあります
とはいえ,ゲーム的にもそれはかなり意識されていると思います どういう場所で,誰に向けて,誰と,何のために演奏しているのか,はひとつひとつのシーンに意図が確実に存在します
だからこそリセルートは演奏回数がめちゃくちゃ少ないし,ファルルートが他のキャラの倍くらい演奏させられるのも当然だし,トルタルートではプレイヤーによる卒業演奏がないのも良かったです
その意図を全部汲む とかはぜんぜん無理ですし,そもそも作中で語られていないことは全部プレイヤーの妄想なのでどうでもよいことです
・トルタのこと
決定的な空白が,代替によって埋められるおぞましさをうまいこと隠蔽しながら,クリスの気持ちがトルタに引き込まれていくところのある種の不気味さと,どうしようもない必然性のようなものに打ちひしがれる様子が面白かったです
「この時間が終わったらどうするの?」「これから先,どうするの?」は本作を通じて,全キャラを通じて徹底的にしつこいくらいにコスられる話で,そしてそのメッセージが誰に向けられているのか,の矛先が場によってころころ変わるところが本質的だなと思いました
物語的にはものすごくスマートで,卒業演奏を一緒にやった男女は結ばれるみたいな噂を最初に容赦なくたきつけておいて,そういう地盤的なものをアルの手紙からふにゃふにゃにおわせつつ,トルタ自身がじりじり近づいてくるのが良かったですねえ トルタは物語の言い出しっぺかつ手続きを踏む女性としてめちゃしなやかな立ち回りを見せるので非常に面白いと思います
トルタルートでは,自分のための演奏が,アルのための演奏になって,トルタのための演奏に徐々に変わっていくところが感じられていいですよね その視線はどこを向いているのか その演奏は何を目的としてるのか っていうのを思いながら,べつに意味はないのに高音を強くはじいたりするわけです
・リセのこと
曲名すらさだかではない彼女の口ずさむ曲を壁越しに演奏するシーンがいいですよねえ けっきょくかなり最後の方までリセのための曲,リセのための歌が何なのかわからないまま何となくやっていく感じなのはすごいと思います クリスがちょっとにぶちんすぎるのはびびりますがトータルで考えるとリセに対する態度もしょうがないところはあるかもしれません
リセは最初言動がしどろもどろで,取り止めもないわけじゃないですか,そこを音楽で繋ぐ っていうのはこの作品の根っこにある何かみたいなものを見せてくれてるみたいですごく良かったです 言葉がかわせるようになってからはほとんど演奏もしないし(しないわけではないが)
リセのルートでは音楽はより特別な意味合いを持ち,良い演奏をすること,良い歌を歌うこと以外についての多くはめちゃくちゃ蓋をされます つまり演奏したり歌を歌う必要がない時間が長ければ長いほど,現状に蓋をし続けなにがしかから目を背け続けている という話でもあります
その蓋をしまくった結果本当に色々とひどいことになってしまうのですが,そこらへんはいくらなんでもひどすぎてしょうもない と思いました
ぼくはリセの演奏パートが少ないところがやっぱり好きですねえ 数えてないから実は他のキャラと同じくらいなのかもしれませんが
・ファルのこと
ずっといろいろなことを隠し通してきているのに,最後になって我慢しきれずに全部爆発してさらけ出しちゃうところがいいですよねえ
ずっと隠すとか,最初からオープンとかではなく,一番最後の最後,別に今言わなくてもいいだろうがよっていうタイミングで本当にめちゃくちゃにしてくるのがファルという人間の臨界を感じさせて面白かったです 最悪のタイミングで最悪の話をするので,主人公もやけくそになってめちゃくちゃ(物理)して,そこまで来たらもう落ちるところまで落ちていくしかない というしょうもない共依存が自動的に発生していくのも面白いです
そんでもって,プレイヤー自身のファルへの思いとクリス自身のファルへの思いとかってべつに地続きじゃないわけじゃないですか,だから彼女アテの演奏とか全部むちゃくちゃに弾きまくって,カスみたいな結果を残して失望されてもいいと思うんですけど,そうはできないところにゲーム的な構造の面白さも同時にあっていいですよねえ
ベストな演奏をせざるを得ないからやるけど,そこにこもっている感情がゲーム的な意味を持つのも凄くいいです プレイヤーの戸惑いがフォルテールのより良い演奏へと昇華されるようで味わいが出ています
・フォーニのこと
フォーニのルートでいちばん特徴的なのは,未完成の楽曲を演奏するシーンがある,というところだと思います これはこのキャラだけの特徴で,それがめちゃくちゃ好きでしたねえ
演奏パートは物語上必要な演奏をするためにあるのであって,その結果は求められているときにしか求められていない,というゲーム設計の根幹みたいなのものぞき見しているのが良かったです
フォーニのルートを終わらせると,それ以外のルートでのフォーニの言動ぜんぶに意味が出てくるから急に面白くなりますよね それまでの3年間何してたのか知りたいですね 知りたいけどなんか外伝みたいなので読めるとしても,そこまで手を付けるほどの気力や熱量はないですね
・BGMに歌モノが入ってくるのはなかなか珍しい
キャラのテーマみたいなのがキャラと会話中に流れて,それを歌うシーンがある,みたいなの自体は別にそれほど目をひくものではないのですが,シンフォニックレインは,明確にアンサンブルしているシーンがいっぱいあるわけじゃないですか
自分が奏者,歌手は隣にいる,そういうカット割りなわけで,いいシーンでOPの歌を流せば盛り上がるとかそういう話ではなく,物語は普通に続いているのに,彼女たちはフルボイスで喋る権利一切を放棄して歌うシーンがある,そこはすごく好きでしたねえ
・言葉と音楽について
われわれゲームを作るがわとしては,ゲーム音楽は単なる劇判ではなく,ゲームの構成要素として考えている・・・みたいな話は昔したと思います シーンや風景や言葉も同様で,すべてには意図があり,意味のもとに並べられています ゲーム内容が意図して作られているのに,そこに置かれている絵や映像や文章や物語や声や音楽や歌が意図されていないってことがあるんですか? そこにどう順列の差がありますか?
したがって,名言とか言って切り出すことの空虚さや,名曲とか言ってコスることの無意味さはもっと露骨であるべきで,むしろそれに気づかない限りけっきょく作品を大雑把に,設定的に,人形劇的に,出来の悪いコンテクストを作るように消費していることにも気づけないのだと思っています
シンフォニックレインの中で好きな言葉や好きな音楽,好きなシーンは結構ありましたが,べつにそれを切り出して見せたとてと思っています
彼女たちのための演奏は誰かに見せるために切り出すものでもないし,彼女たちとの会話は自分かクリスに向けられたものだし,クリスがいない時の彼女たちの会話はクリス以外に向けられているので同様です
そしてぼくらは必要な感情を全部フォルテールに乗せることができ,差し当たりそれで十分ではないでしょうか?
ゲームをプレイすることに意味を持たせるのはわれわれの役目で,なぜゲームをプレイ動画で見るだけではいけないのか,というのの一端をシンフォニックレインからは感じましたねえ よかったです 終わり
そんな感じで誕生日ではあるもののあまりめでたい感じもなく,何しろ平日なので疲れもたまっており,ポップンの新曲は49だからゲーセンに行く気もしないし,何事もなかったかのように日常に戻っていくんでしょうねえ それではまた!