Home Artists Posts Import Register

Content

・毎日の消極さがヤバい

 ここ最近,起きてる間の自覚的な無気力状態が本当にキツくて,本を読んだりアニメ見たりゲーム遊んだりしてみても全然心が動かなくて心の中が「シーン」ってする感じが続いてるんですよね。

 最近転院したんですが,転院先のお医者さん曰く「処方されてる薬のよいところ同士を打ち消しあって全方位に無気力になっている」みたいな話だったんですが,それがどこまで関係あるのかは不明。そして無気力の状態にもいろいろ,「体も頭も全く働かない」「体は落ち着かずにフラフラするけど頭が何も働かない」「頭は回ってるけど体が一歩も動けない」みたいな様々なパターンがあって,頭と体が明晰な状態がほとんどないみたいな感じです。医者も変われば治療法も変わるということで,いったん病気であるセンを信頼しつつ,いい感じにいい所を伸ばしていこうな……! ってやつをやってます。なんか状態があんまりよくないので,薬の処方をじっくり変えてみましょうみたいな感じで,今薬の量が2倍になったり半分になったりをやりまくってるんですが,僕は大丈夫なのでしょうか? 生きてるなら大丈夫……!!! 生きてる限りは負けてない……! 死んだら絶対に負けないけど絶対に勝てないですからね,まずは生きてからどうすれば死なないかを考えていきましょう,お互いに


 ほんでもって,さいきん記事を書いてるときは上記パターンの頭だけ回ってる状態で,せっかく頭は働いてるんだから何かしたら面白いかなと思って積んでるゲームを触ったりしてるけど……心まで響かない……響いてくれ! 頼む……だめか……だが負けてない!!

 ウオオオオオオオオオオオ!!!!! とかキーボードで打ち込むことはできるんですけど,実際にはベッドから滑り落ちてローマ字のカーブが凄い形のやつ(どれ?)みたいなポーズになりながらキーボードを引っ張ってタイピングするぐらいしかできないですからね,頭と指先だけあったら人間ってインターネットで五体満足にカモフラージュして活動できるのかもしれないですね。


 何もできていない状態が悪,的にとらえられる状況がよくないというか,ぼく自身がそういう枷を自らに引っ付けてしまっているのが問題なんでしょうけど,とはいえ締め切りっていうのは作ってる途中に片腕が吹っ飛んだり頭が半分欠けたりしても間に合うぐらいの覚悟で設定しようみたいなのもあるんで……

 8月! 8月までには次のエイプリルの更新を何とかします! 早かったら7月! そんで年内に……完成……するのか!? わからんけど年度内ぐらいまでは……遅くても! 開発2年は流石に風呂敷広げすぎなので,もういい加減畳んでいかないと次に進めないんですよね。これ以上開発が伸びると,今度は「最初に作ったところが気になり始める」状態になって終わりの始まりになるので。そうすると本当に完成しなくなる。

・そう考えると去年の今ごろって意欲がずいぶんあったな~と思います

 BLMバンドルとかのゲームを一心不乱に潰したり,引っ越したり,会社を辞めたり,物凄い体力があったな~と。去年と今で決定的に違うのはリングフィットを完全にやめてしまったことくらいなので,リングフィットをやってる間のモチベーションがすごく高かったという可能性もありますね。朝一にムキムキしてたら昼間くらいには書き書きしてた気がするし。やっぱり筋肉は精神に効くか? 効かんこともあるだろうけど……

 とはいえもうリングフィットやるかなぁと言ったらやらないんだよな……。やる? うーん……リングフィットはあくまでゲームとして遊んでたんだな~って感じが終わった今やっぱり感覚としてはありますね。口ばっかり達者になりやがってよ……

 あんなに割れてて喜んでた腹筋も全部なくなったし,足の筋肉もなくなったし悲しいよ僕は。嘘,そんなに悲しいと思っていません だってすべてのことに出会いがあれば別れがあるのは30数年も生きてくれば必然とわかることなので……そうあればぼくが得た筋肉が全部どっか行ったのもしょうがないことだと諦めがつくでしょう……すぐにあきらめるな! 戦い抜け!! 戦うのは何にとだ? 自分とか? 世間とか? それとも……自分とか!?!?(自分が敵か!? 世間が敵か!?)

・作品が悪いのか,ユーザーが悪いのか?

 ここ最近「ファスト映画」で逮捕された話とか,アニメやらドラマやら映画を倍速やスキップで見る人の話,もっと前からならエンドロールで立ち上がる議論みたいなのが吹き上がることがちらほらありましたけど,どうなんですかね。どうなんですかね,っていうのは,それらがユーザーの啓蒙が足りてないからなんですかねっていう話なんですけど。


 ゲームも同じ問題を抱えているんじゃないかと思っていて,買ったけどクリアできない,面白くなかった,買ってないけどプレー動画を見てる,チートや裏技を使ってクリアした,難しいところは攻略サイトを見た,いろいろな形で体験の欠損やらズレが起こるわけじゃないですか,その時に「プレイヤーが悪い」って一概にいうかなっていう話に近いんじゃないかなと。

 ぼくはストロングスタイルなゲーム右翼なので,そういうときには「そういう事されるのはゲームがつまらんから,つまらんゲームが悪い」って思うようにしてます。ゲームが器だとしたらプレイヤーは水のようなもので,大きな導線があればそれに沿うように流れるでしょうし,ヒビ割れがあればそこから漏れ出る水もあるでしょう,という感じで,「プレイヤーに関しては」そういう形をとらえつつ,感覚をアップデートして時代遅れにならんようにしてるんですが,でもそうじゃなくて,問題の本質は「プレイヤーではないところ」にいるんですよね。


 たとえば動画だけ見る人,実況者の配信を見て応援する人,そこに飛ぶお金,それで失われるかもしれないお金,そういうモノが今後の消費の価値観の決定的な中央にいることに我々は少しだけ危惧しなくてはいけないのかなと。

 それでもやっぱり作品中心的な考え方からは抜け出せない(というか,面と向かって「そういうことをする奴を客じゃない」と言えるほど立派なものを作ってきてはいない)んですけど。


 そういうとき,個人の開発は楽な所もあり,辛い所もありだろうなと思います。会社の作品であれば,作品の価値は会社が決定づけてくれるので,自分は手足となって働くだけであとはいい感じに丸めてくれる。「クリエイターは何があっても作り続けてればいい」というのは守られている人間の言う理想論です。明日の行き先すらわからない人間が創作に打ち込んでいたらそれはただの狂気でしょう。狂気が生み出す価値観も存在しますが,確率としてはまともなものではありません。あくまで狂気の矛先は創作にのみ向かうのが良く,人生すべてが狂気で彩られていたらそれはもうただの狂人です。

 個人で辛い話としては,最近のンコダイス炎上の事例は顕著だと思います。固有の価値観に他者の価値観が土足で乗り込んできたときに,個人で立ち向かうとこういう風にとっちらかった感情を整理できずに一本線の整わない暴走になってしまう。何が正解とかはないので,めっちゃ難しいと思います。


 とかなんとか,何の話でしたっけって感じでとっちらかるのもぼくの悪い所ですね。作者と作品の距離感とか,作品とユーザーの距離感とか,作者とユーザーの距離感とか,全部別物だけど「考えてはいけない」とかはないと思うんですよね。作者と作品は別物でとらえるっていうのはそりゃそうですけど,だからといって作者が完全に介在しない作品は存在しないので。

 そもそも論としては,「善か悪か」の二元論にしてしまうのが巨大悪的な考え方もあります。せいぜい50年100年程度の歴史にも満たぬ歴史が,大ざっぱなその場限りの流動性に頼って善いだの悪いだの言っている姿は滑稽でもあるように思えます。みなさんはどうですか? ズルしてゲームをクリアしたり動画だけ見てプレーした気になるユーザーは悪いですか,善いですか? 映画を倍速で見たりスキップしたりあらすじだけ追ってみた気になるユーザーは悪いですか,善いですか? 「ユーザーが」という視点に立った時,果たして善悪を論じることができるのかな,とずっと思っています。

 これは問いかけではありますが,すくなくとも作る側ならいつも考えておかないとどこかで芯がズレ続けていくんじゃないかなとも考えてることなので……(ユーザーの大勢を見誤ったら,たった一人にすらリーチしなくなることもありえるので)

 とかそんな感じで,今日も流言飛語待ったなしの90分をお届けいたしました! また次回お会いしましょう! 

Files

Comments

No comments found for this post.