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さあ9月が終わるぞ!

 9月が終われば10月も来るということで,このままじゃ気温も-99度になちゃうよ~・・・という感じで日々を過ごしていますけども,皆さんはいかがですか? -99度になってますか?それでは今日もモスーヘッドラインやっていきますか!







stsはほんまに見切りをつけました!

 前の記事だか前の前の記事の後だかもしょーこりもなく延々プレーしてたんですが,最終的に「これはもはや俺の到達可能な次元ではない」と判断して辞めました,なまじへたくそがやってもゲームっぽい挙動をしてそれなりに進めてしまうのが厳しくて,いや~何だろう? 全然できね~な~と思ってダラダラやってました。

 いや~リセマラしまくってるのがバレてしまうカスさだな・・・


 全体としては本当によくできたゲームで,遊びとしてすごく強度の高いものを作ろうとしているんだなというのは伝わってくるし,実際に何十時間,何百回と遊んでしまうリプレイ性や中毒性はあるんですよね。すさまじく完成度が高い。そいでまだ何を言うことがあるのかというと,引き算方式による採点です。


 アセ17以降って本当に必要だったんかなという気持ちも少なからずあって。アセ17,18,19の敵の強化って,はっきり言って度が過ぎてるんですよね。鳥は4発殴らんと落ちてこんし,狂信者は毎ターン5点だし,ボスグレムリンは倒せんし,スライムボスはHPが2億あるし,選ばれしものは選ばれてるし・・・

 そういう無限の不利を押し付けられて,1面の雑魚の殴り合いに負けたり(負けなくても長期戦を制する必要があったり),エリートは準備が整ってなかったら入った瞬間に負けが確定したり,ボスも相性や初手の立ち上がりが悪くて即死したりなすすべもなくなぶられたり,みたいなことが割と平気で起こる。

 その上で最終的に心臓まで倒そうと思うとそれはもう試練というか訓練というか修行というか,そういう側面が少なからず出てくるなと思っていて。めちゃくちゃしんどいし精神的にも負荷が半端ないし時間も鬼食うしとにかくつらいつらい。


 で,それが面白いかつまんないかでいうと,困ったことに面白いんですよね。アセ17から上のバッキバキに仕上げられた体験をしてしまうと,もう低アセには戻れなくなってしまくらいにはヒリつき具合が楽しい。洗練されているかどうかで言ったら,明らかに「やりすぎ」で,敵は強いしこっちに不利なことしか起こらんし幻姿は3枚になるんで遊んでいる大半の時間はふざけんあ!! って思うんですけども。

 しかしアセ切ったら端から順にカード切るだけで勝てるし,デイリーチャレンジも大体お散歩みたいなもんになってしまうくらいには,stsへの向き合い方が変わってしまう。ぼくはそれが少なからず残念だなーって感じました。

 テーブルマウンテンとフェイの最終問題みたいな遊びの差とかではなく,純然たる事実として低アセは高アセの下位互換で,スコアとかもアセンションがボーナスとして乗ってるとこも含めてすごい勿体ない。こういうスコア計算でゲーム的な正しさを押し付けられることに少なからずの悪感情は出ると思うんですけどね。片道勇者とかもなんかスコア計算が納得いかなくてやめた記憶ある。


 アセ20で心臓しばいたら,アセ0でどんなに頑張っても絶対にカスりもしないようなめちゃめちゃな高得点が出ます,って辛くないですか? アセ0も遊びとしてすごい高い自在さで面白いのに,アセ20が同軸で比較されている以上,ゲームとしての前提になってしまっているので,他のアセ0で遊ぶ機会がほとんど失われてしまっているように思ったんですよね。そんでもって,1キャラ目はアセ20まで登るのも面白いけど2キャラ目以降はアセ登るのとか解禁作業も別に面白くなくね? っていう・・・

 もちろん「徐々に解禁されることでテクニカルな価値のカードを適切に使えるようになる」とか「様々なデッキを試していくことでプレイイングが洗練されていく」みたいなものもあってのアセンションの仕組みなんだとは思うのですが,アセ15くらいまでほとんど平坦で,17~19にかけて急激に信じられんくらい難しくなっていく構造上,2キャラ目以降20回もクリアさせる必要あります? 5回くらいでよくない? って気持ちも。なんか飛び級みたいな仕組みとかあっていいんかな~って気もしますけど。僕はMOD入れて全カード全レリック解禁ボタンを押しました(邪悪)


 そんな感じで,stsがPCに入ってるとパソコンの前に座ると同時に起動してしまって気づいたら夜とか朝になっているという事象が頻発してしまい,これはかつてテラリアやマインクラフトやファクトリオなどで起こった現象で,未知の病原体かバクテリアが何らかの脳への悪影響を起こしていると考えて差し支えないかと思います,この記事書いてるときもstsの調べものしてたら2時間経っててビビった,明らかに電磁波で脳活動を停滞させられている,安倍政権許せねぇよな・・・


政治の話で思い出したんですけど

 国葬がどうの,って話自体はよくわかんないんですが(政治的な仕組みの話に関しては難しくてわからない),仮にも一国の首長を務めた人であれば死に際して盛大に葬儀される方が気分よくね? って思いませんか? 自分が死んだときだって数十万とか数百万円くらいかかるんだから,1億円くらい国の規模で言ったら小銭っしょ~って思うんですけど。コロナ禍で経済的支援を求めている葬儀屋にとっても1億の仕事が舞い込んできたらめっちゃ嬉しいだろうし,これはお得ではないでしょうか,って思ったけど,今のご時世もしかして葬儀屋って大わらわでしょうか?(不謹慎)


 公務員の給与カットみたいな話も謎で,たけえカネなり安定した収入なりもらえてるからみんな真剣に業務と向き合ってるわけで(逆説もしかり),たとえば「明日からボランティアで総理大臣やっとくりw」って言われた瞬間「よし! 新幹線を次々と高層ビルに打ち込んで破壊する政策を実施しよう!w」ってなってもおかしくないわけで。ノブリスオブリージュは知ったことじゃないんですが,その逆は全然あるというか,地位と名誉とカネを守るための行動って,地位と名誉とカネから出てくるので結果的にノブリスオブリージュ感あるよな~とか。


 それと同じで,死んだときもバアーってお金使った方が面白いと思うんですけどね。そうでもないのかな。ぼくはぼくが生きてる間に任期だった総理大臣,どんな方でも手放しで礼賛することはできず徹頭徹尾叩くこともなく好感情悪感情両面あると思うんですが,それはそれとして慰労慰霊は必要じゃないかな~と。自分が総理大臣とかやることになった時「国の歴史に名を刻むけど葬儀は身内で慎ましくやるンゴw」って宣言されたら萎えちゃわないかな~(多分そういう想像をしないか,してもどうでもいいと思っているから葬儀費用みたいなものについていろいろ思ってるんでしょうけど・・・)

 天皇陛下も「アッシが崩御することで国民みなのしゅうが暗くなっちまったら,本当に死後も死にきれねえでヤンス,祝日を増やすので勘弁しちくり~」みたいなことを仰ってましたし(不敬),今後要人公人がお亡くなりになられたら死出の路を盛大に祝うくらいの気持ちで・・・はさすがに儒教的にはアカンか・・・


 でも元首相人生お疲れ様記念式典とかパレードとかやったらめちゃめちゃ楽しいと思いませんか? めちゃくちゃバルーン飛ばして花火も打ち上げまくって虹色に光り輝く霊柩車がスパーク炊きながら爆走,BPM200くらいの法要が流れて,参列したら極彩色のモチとかチョコレートとか飛んできたりして,サンバカーニバルの行列は走ってるしねぶたは飛び交うし神輿は激突するしトマトは100tくらいばら撒かれるし豚と牛と羊とヤギは市中を練り歩くしみたいな感じで,もうどこの国の何ンのお祭りなんだかわからんけどオモシレ~! ってなった方が・・・いや,面白いベースで政治をやるなっていう話なんでしょうけど・・・でもそんくらい派手にばらまいてくれた方が面白くないすか? いや,面白いベースで政治をやるなっていう話なんでしょうけど・・・でも・・・(以下無限ループ)


 でも1億円くらいでグチグチ言われるの結構大変だな~と思いますよ。ぼく1円単位の買い物を気にしたことないんですけど(何なら1000円くらいまで気にしたことがない(大きい数は計算できないので)),卸業者とか製造業とかやってると0.x円,つまり何銭の単位で値段を決めないと収支に差支えがあるみたいな話も出てましたし,たとえば国家予算が100兆円組めるからって1億円を1円みたいな感覚で使ったらダメなんかな~。ダメなんでしょうけど。そんな数百円募金したら何人の患者にワクチンが打てますみたいな話じゃないんですし・・・(そういう話なのかな?)


来月のお話でも

鬼「う~ん・・・来月は10月か! ギリギリ面白くない!」

 ありがとうございます! では来月の話をさせていただきます。講談社のインディゲームのやつに申し込むゾイwって言ってるのはけっこう真面目なところがあって,というのも今年はデジゲー博やコミケに申し込んでない,いや申し込んでたけど消えた,今そもそもイベントの開催の感じとかどうなってるのか全然わからんみたいなトーンの中で締め切りがないとダラダラといつでも作業すりゃいいや~って感じでやる気がバシッと一本線が中々通らなくなりがちで。これは怠惰である自分がとにかく悪いんですけども。

 なので一つの目標として,10月に外様に向けた(つまり,ぼくのユーザーならわかるよね? という部分をある程度排した)作品づくりを目指そうかなと。これまでのエイプリルよりはよりゲーム的な・・・というとちょっとヘンな言い方ですが,リリースしたいモノの実像が見えてくる方向に寄せるのがいいのかなと。


 なので来月のロードマップ,抱負といたしましては

・ログ表示機能の実装(あるいはゲーム中必要な情報が出る程度にまでは作り込む)

・装備機能の実装

・消耗品の実装

・既存のステージの時間切れ敵を個別に作りたい

・その他細かい調整したい

・kenapoさんと打合せ増やしたいッス~

・もらった名前リストをいい加減組み込みたい

・現状の部分まで,ストーリーを足す

 みたいな感じでやりたいかな~と思っています。太字の奴はやる,細字は余力があったらって感じで・・・前回までやろうかな~どうしようかな~って言ってた奴からの大きな変化としては,やっぱストーリーをちゃんと見せて行こうかなと。これからどういうゲームにするのかっていうのは物語ありき的な面がなくもないので,ちゃんとそういう所もこういう風な下地を作ってるヨンってチラチラ見せられる程度の仕上がりにはした方がいいな~と。これも締め切りを切るという大局がなければ最後にまとめて追加するでいいっしょ~とか思ったりしてたんですけどね。

 kenapoさんと打合せは太字ちゃうんかいみたいな話に関しては,kenapoさんも私生活(どっちが「私」だ?)がそれなりに忙しい方ですし,10月は色々おたがい結構ね~みたいなところもあるのでそれぞれの私をやっていこうな! ってことで,締め切りとタイミングがずれこむのでできる範囲でやっていこうってことで先日かる~く今後の方針とか打ち合わせたりとか。kenapoさんの作ってるバビロン再訪も個人的にめちゃ気になるしな・・・(この話したか忘れたけどぼくはあれノータッチなので・・)

 これはそんとき食ったパフェです。おいしかった気がする(戸愚呂弟の話で盛り上がったこと以外はよく覚えてない)。決意も新たにがんばるぞ!! 毎日がんばっていますか? 毎日クソ体調悪くて死にそう,30度いった次の日が15度とかになるし殺されてしまうまじで,頭のお薬もちょっとやばい効き方してる気がするし・・・


 放課後のグランギニョルと漫画アプリの話

 今,余暇,というか精神的リフレッシュの時間のほとんどを「トロとパズル」,あとマンガアプリに費やしているという話は以前にした,気がする,してないかも,今しました。費やしているのですが,小学館のマンガワンでこないだ放課後のグランギニョルって漫画が始まりまして。

 マンガワン編集がちょいちょいやりがちな手法として,安っぽいエログロで適当に釣って,設定ありきで作ってるから話とか支離滅裂でただエロシーンを延々描きたいだけとか,別に作者もグロシーン描きたくなさそう・・・みたいな漫画が出ては消え出ては消えしてたんですけど。

 本作はぶっちゃけ全然面白くないバトロワもので「刺激が強く正視にたえないのでモザイク処理してます」みたいな編集部のキモい前置きから始まって,画面の赤いカットは全部モザイク,学校に集まった生徒同士で毎日殺し合いをする,毎日1人以上殺さなかったら自分が死ぬっていうルールで,当然「え? ちょっと~それ1週間もしないで生徒がいなくなっちゃうよ~」って感想で支配的だったんですけど。でも2話3話で少なくともその部分に関してはそう思ってる通りじゃないよってなってて。話としてはここら辺まで最初に見せないと何も意味わからんくね? って感じでひとまとまりだったので,またコメント欄が紛糾してたんですが。それがみんな作者ではなく編集への不信についてなのがちょっと凄いなと思ってて。


 多くのマンガアプリって,紙媒体から追い出されている,言ってしまえば二軍,ウェブ,インディーズ的な作品の集合体な場合が少なくないと思うんですよ。ピッコマみたいな例外はあるとは思うんですが,基本的にはニッチだったりメインストリームに乗れない人がくすぶっている場所だと思います。その分編集とか運用にも予算はかけられないのかな~とか思うんですが,ならそれなりの誠意は示すべきじゃないかなと思ってて。

 よくクリエイター買い叩き論みたいな話で,金額がいくらだとか相場がなにがしみたいな話で盛り上がりますけど,本質的にクリエイターを代替可能な消耗品であるとしか見ていない時点で,お金がいくら積まれても人生を売るには安すぎる金額だと思うんですよね。所詮その程度にしか見られていないのであれば,大同小異,どんぐりの背比べ,朝三暮四だと僕は思っているので。


 野球選手の年棒とか基礎工事の親方とかそうだと思うんですが,数年で全生命の輝きを燃やし尽くすような激務は命に見合った金額をもらってるわけで。ぼくもたとえばあと5年で死ぬけど1億円もらえる選択肢が目の前につるされたら拾っちゃうかもしれないね。

youtube post: nzX5jHDf5hk

 話は戻って。ウェブ漫画の多くって編集や運営が不透明なのがほんまに腹立つよな~,と思います。よく新入りの作家さんがTwitterとかで打ち切りが掛かってるので宣伝させてくださ~い! とか,全プレとかめちゃめちゃ還元するので応援してくださ~い! とか,身を張って営業してますけど,それ編集の仕事ちゃうんかいと。編集はただ見てるだけかいなってめちゃくちゃ思います。声優の盾なんて言葉を使う割に漫画家の盾は許すんかいな。しかし世の中にはそうやって他人の仕事を無為に増やすことで給料をとっているとんでもない人たちがいるらしい・・・。僕は前職でそういう仕事を「穴掘って埋めてるだけのやつがいる」って形容し嫌悪してて,こいつら今すぐクビにしろってすぐ暴れていたので怖がられていたと思います。でもどこの会社にもいるんですよね,そういう人・・・。よその会社に行くと「え!? 前の会社で一番仕事できんと思ってたあの人,めちゃくちゃ優秀やんけ~ww」って思うことが結構ある。周りを見て仕事ができねぇ奴がいねぇwって思ったときは自分が一番仕事ができてないってやつですね。カモ理論ですね。


 さておき,作家の立場を守るのが編集の仕事で,作家の出す作品を責任をもって世に送り届ける係であり,作家から世界観(これは旧来の意味合い通りの世界観でお願いします)を引き出す壁打ち役とかも兼ねてないとだめだと思うんですけど,それってロートルな考え方なんですかね。

 特にエッセー系の作品なんかは,作品をたたくノリで作者の人生や考え方ぜんぶをボコスカに叩く構図になってしまってめちゃくちゃ危険ですぐ頭がくるってすべてを破壊するようになってしまうので,言葉の使い方とかどう読まれるかとかコミュニティの方向性であるとかをキッチリ管理する必要があると思うんですけど,まじでそういうのが明け透けで右から左だとこの作品で看板背負わされてるのキッツ~~~~って気持ちが支配的になる。同情的過ぎますかね。そうでもないかな。

 作品がおもろいおもろくないはそこはもうしょうがない,作家の地力とかによって出せる能力の限界とかはあるので。しかしそれを正しき方向に導くのが編集の力じゃないんかなと思います。とくにマンガアプリはマンガ的なもの同列に見るにはかなり立ち位置が特殊で,かつてゲームアプリがみんなのたまり場であった状態だったのに,ゲームアプリがもはやゲームオタクの慰み者になってしまった以上,新たなコミューンとして機能していたんですけども(漫画を中心としたコミュニケーションツールとしても機能していた),そういう中にあってファンコミュニティの誘導を図らず野放しにしてるのって「今後運営として作品のクオリティを担保して育てていく気持ちは一切ありません」って宣言してんのと変わんなくね? と思います。インディーズで一人で好きにやってるならまあ好きに・・・って思うんですけど,なんか漫画連載を軽くとらえてへんかな~皆・・・。大変ですよ,漫画に限らず創作って全部・・・なんなら創作以外の仕事も全部大変! みんな一生懸命生きていて偉い! ほんまにすごい! 仕事をできる人はみんなすごい! ぼくは仕事ができないのですべてがいやになって仕事を辞めてしまいました


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