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・圧勝が終わってまじでうれしい~~~

 マンガワンでほんとにずっと連載してた「圧勝」がようやく終わったんですけど。ほんまによくない話ばっかり続く令和の世においてこんなハッピーなニュースある? って幹事です。

 圧勝はまじでほんまに面白くないんですけど,面白くないのに居直り強盗みたいなマネをし続けてて運営側もそれに面白おかしく加担してたのがほんまに許せないんですよね。これは「圧勝の影でつぶされまくった作品がある」っていう実害があるわけなので,けっこうぼくも真剣に圧勝の存在が許されているという事実に腹立つことは多かったのですが,それをなんか「炎上漫画家歓談」とか「炎上で話題!」みたいな方向に持っていって日曜の看板漫画みたいな態度をとりつつ,コメント欄閉鎖するという日和行動でめちゃめちゃ生き様がアンビバレンツでほんまに許せんかった。


 たとえば裏サンデー時代で言えばマワリの情景とかHANGED MANっていう,クッソつまんね~けどルール通りにブチ打ち切られてそのまま存在すら抹消されてしまった作品たちがあるわけですし(連載権獲得トーナメントみたいなのを無視してまずどうやって連載に載せたのかは謎だったけど・・・),マンガワン時代になろうが原則的にわけわからん漫画って結構短期間で概念を消されてるんですよね。

 編集部の鳴り物入りで,どういう理由か存在を許されてたのは辱と圧勝の2つだと思ってて,実際この2つはま~じでどうしようもないのになぜかずっと載っててほんまに許せんかった。好き嫌いみたいなとこを除いても売れてたんですかね? 羊頭狗肉ってまさにこのことだと思うんですけど売れりゃなんでもいいんでしょうかって気持ちもありますね。でもサンデーというか小学館ってけっこうそういうところあるかもな。売れれば勝ち理論で。ぼくもロストブレインとかじつはデスノートよりちょっと好きなんですよね。デスノートのラストはほんまにふざけてんの? って思ったんですが(デスノートは,漫画・ドラマ・映画・アニメで全部ラストの展開が違うので漫画版でお願いします),ロストブレインは最後はまあまあ良かった。計画の破綻の仕方はふざけてるけど。


 話は戻って。辱は早々に自滅したっぽかったから別にいいんですが(それでもいまだになぜか推されてるのは何なのと思うときはあるんですが),圧勝はその存在が残り続けてることで自動的に「打ち切られた漫画は常に圧勝以下」というナーバスなレッテルが付きまとい続けるのが本気で許せへんかったですからね。なのでまじで自動レッテル生み装置である圧勝が終わったのは令和イチうれしいニュースです。おれが1億円もらうとか友人が結婚するとか以外にこんなうれしいことあるかな~? ってぐらいHAPPYだね,まじで。そこまで嫌われる作品ってのもフツーねーと思いますけど。ふつうは「なんか内容についていけん(あるいは内容が苦手だから)掲載されてても読み飛ばす」ぐらいの距離感だと思いますし。



・インターネットの悪しき冗談について

twitter post: 1284824016277008389

 今日こんなネタがバズってたんですけども。バズり方にすごい違和感があったというか,こういうインターネット特有の悪しき冗談が(面白いかどうかは置いといて)通用しないのが多数派になってるのやっぱキチイ~って感想が出てしまう。こういう冗談って微妙なラインにすると冗談なのか本気なのかわからなくなってしまうんですが,でもクソ真面目に受け取る方が多数派になってる状態がtwitterの中庸になってるのはキツイな~って。今同じ話2回した?


 たとえば方向性としてはこれとかと同じですよね。

twitter post: 1076109582781435905


 あとどろりさんが描いたこれとか。

https://omocoro.jp/kiji/28699/


 現実との境目が徐々に曖昧になっていった結果,冗談をめちゃめちゃ真面目にとらえて真正面から相対してしまうっていうのはキビシイな~と思います。ただここらへんはやっぱり匙加減が難しいところで,なんでも嘘だと疑ってかかるっていうのも,それはそれでただのアホだし。この話結構やってますかね。

 じゃあどうするのがいいのかというと,なんでもかんでも一回は「ふーん」って思っておくのがよいんじゃないかと思うんですが,たぶんtwitterがもはやそういう場所ではなくなってしまったんでしょうね。ぼくが思っている以上にパブリックにひらかれすぎていて,まるでtwitterで起こっていることは現実に拡張されているようにも感じる,あ,これは次はあれが出ますよ,「猫を持ち上げるな」・・・

 

 とまあそんな感じで,毎日まいにち窮屈なインターネットにキュウキュウしてるな~と思いますが,皆さんはインターネットが窮屈ですか? それともおおらかですか? おおらかなあなたはおおわし座のO型! それではまた明日も見てくださいね。さようなら



・不老不死の間

 ぼくの中にある不老不死的価値観ってながいこと「ゼクレアトル」のさいごの方が支配的だったんですが,最近は「しをちゃんとぼく」の観点もめっちゃ好きで,この2つのどっちかになりそうだな~と思ってるんですよね。


 無限に時間があったら万物の理論に辿りつくのか,それとも森羅万象が小石にけつまずいた程度の認識になることですべての境界があいまいになるのか,けっこう興味ないですか? この話はSCE2でもやったかもしれないんですが,いややったな,えーと今探してくるから待っててね。

youtube post: kVTtkp9HaMo

 持ってきました,途中でQuizKnockの動画とか見始めたからこの1行書くのに1時間かかったという重みを皆さんも実感してくださいね。でまあ不老不死だったら最初からなんも気にしなくていいんでぼくも一生(一生とは?)ゲーム作って過ごすと思うんですけど,不老不死を証明するには不老であり不死でなければならないというのが難点で,まあそう簡単な話じゃないよな~とおもいます。ぼくだったらやっぱ「つぎの一死も不死かどうか確かめる方法がない」という一点においてそんなに大きく生活に変容はない気もするな。100回くらいうっかり死んだらさすがにめちゃ適当になるかもしれないんですけど・・・


 有限だからこそ人間は一瞬に輝く,というのは順序が逆転した理想の押し付けかもな,とおもうことはままあります。べつに不老や不死が永劫の中で神の一手を追い求めてもよいわけで。この価値観,人はいずれ死ぬという大前提にありながら何を成すかというカスみたいな自己哲学の強要の中にあって,夭折を世間が好きすぎるのもやむなしかもしれません。



・その他

 引っ越しに際して荷物の整理してたらフォーインラブのCDが何枚か出てきて,印刷物が見つかったらフォーインラブが数個作れるから欲しい人に配ろうかと思ったんですが,印刷物が引っ越しの荷物から今のとこ出てこないのであんまり期待はしないでください・・・(パッケージが全部そろってないフォーインラブに自分的に意味はないと思っているため),この話が今後ぼくの口から出なかったら「印刷物が見つからなかったんだなあ」と思ってもらえれば。なんか最近どっかで見た記憶があるんですけどね。全部捨てちゃったかな。捨てちゃったかも・・・


 そんな感じで,お変わりない日々でした。それでは明日は病院ですのでおやすみなさい

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