Home Artists Posts Import Register

Content

・日々の食事

 焼肉定食です。給料日だったので・・・肉もたまにはいいかなと。そんでお味噌汁と玉ねぎも添えて最低限定食っぽい感じにしました,もう1品2品増やせるとすごく整うのですが・・・(しょうがないのでキャベジンを並べて小鉢に"見立て"をしています。皆さんはあまりにも自然なカモフラージュなので気付かなかったんじゃないかな?)

 でも今はこれで十分「それっぽい」食事だったから良かったな~とか。普段パンにバター塗って食うとかそういう雑な食生活だから。


 これは持論なんでべつに真剣に受け取らなくてもいいんですが,まともな食器で見た目まともな食事を摂るとめちゃめちゃメンタルのバランスが安定する感じがあります。便利だからといってメラミンの食器を多用したり,いわんや焼きそばの容器を食器として再利用するような真似が安寧に繋がるとはとても思えません・・・

https://hapilaki.net/wiki/fukuromen-chokusetsu-oyu

 ↑こういうやつです(別に個人の生き方にケチをつけるつもりはないので,生き方としては自由でいいと思う)


 豊かさの指標は人によってそれぞれですが,ぼくは「余裕」の言いかえでもあると思っているので,あるていどまともな食事を摂る選択ができる状態って,調理する時間があるとか,食器を普段置いておくスペースがあるとか,100gいくらみたいな安い肉でもいいからとりあえず食べたいものを食べたいときに買うことが出来るとか,すくなくともそういう余裕で満たされている状態だなと考えています。


 詳細は忘れてしまったのですが,なんか山小屋に暮らしてる男性みたいなニュースが出た数年後,その男性が山小屋でだれとも接触せず暮らしてたらすっかりメンタル壊してしまって完全に終わった,みたいなニュースが出てたするんだけどググってもあんま引っかからなかったのでなんかそういう話もあったよぐらいで。週刊誌の記事だったかなあ。ちょっと詳しくはわかんないんで僕の記憶違いかもしれない。ただまあバッファを切り詰めてる状態ってなんも出来ないので選択肢は多いほうが良い,何事にも余裕は作っておいたほうが良いよね~という話をしたかっただけですんで大丈夫


 フレンチトースト,特にコメントはないのですが,フレンチトスートは簡単でうまいし栄養も抜群なので興味ある方は「フレンチトースト 電子レンジ」とかで調べてください 時短の裏ワザが出てきますし,実際簡単です。

 フランスパンみたいな水分が少ないパンだと,みっちり牛乳が行きわたったことにより手で持ち上げることすら出来ないくらいにフニャフニャになってしまう感じがあるんですがどうでしょう。その分フンワリ焼きあがるのでおいしいんですけど


 カツサンドです。上の焼肉定食の肉が安くてたくさんあったので作りました,揚げてるときとか結構暇な時間が多いので写真いっぱいあるよかったね,玉ねぎスライスしてる時に軍手をつけてるんですが,これは一回野菜スライサーで指を吹っ飛ばして全治3週間のケガを負ったことがあるからです,なので直接触れる形で刃物を使う時は軍手を着用しています,って前に話しましたね。


 これはかなりうまかったです。衣につけた下味と,「思った量の2倍が正しい」となんかで習ったコショウの掛け方,あとマヨネーズとかソースとか馬鹿みたいに掛けまくって馬鹿の味にしたためです。お店の味みたいなソースとかスパイスセットって,実際のお店の味がどうだったかは思い出せない場合が多いのですが,それはそれとして整った味付けなので大体のものはうまくなってえらいなぁと思います。

 豚肉とか牛肉の脂分には多幸感を得るなんちゃらみたいな成分があるなんて話が時たまバズりますが,それはそれとして肉って特別な感情を得られる食材だと思うんですよね。100g数十円の鶏肉だって,食べてる時は「肉だぁ~」って思うし。

 とはいえ肉ばっかり食ってるとおなか苦しくなるので,穀物,肉,野菜をバランスよく食べようねという話はそういうところからきているのかもしれません。


 玉ねぎは結構入れたつもりだったのですが肉との比率で言うと存在感が薄すぎて,もっと大量に挟みまくって,玉ねぎがうるさく主張してくるくらいが実はいいのかもしれません。

 しかし豊かさの話ではないんですが,まじでカツサンドとか暇の集合体みたいな料理だなと思いました。カツの部分が重いんだよな。お店で買ってくるのはそれはそれで豊かさの象徴かもしれん。


 パンを焼きました,が,失敗しています。

 水分と粉のバランスを間違えた,温度が低すぎた,ナメプした等様々な理由があるのですが,ちゃんと生地としてまとまらず,半分ゲル状のまま無理やり焼き固めています。失敗の原因は全部わかっているので,次回はちゃんと焼けるので勘弁してください,全部食べましたが,ふつうに1斤サイズのパンだったので明らかに食いすぎてて気持ち悪いです,やらかした。食べ物が目の前にあると全部食べてしまう。性根がデブなので・・・


 フグ鯨と同じで一回巨大化したあと無理やり半分のサイズまで縮めてるので食欲とかがデブの頃からあんま変わってない。フグ鯨と同じって言ったけど全然同じじゃないしでっち上げだな,こういうことを言いきらずに余韻で抜けきればごまかせるのですが・・


 というわけで最近はちょっと食事に凝ったりしていますが,給料日だからといって調子に乗っても良い期間はまもなく終わりそうなので,ゆるやかにまた毎日コメ炊いて食ったりパントーストして食ったりみたいなローテの日々に戻ると思います。いろいろなものにひと手間を掛けるのって割かしおもろいですね。



・リテラシーの話

 さいきん結構怪しげなプロバガンダみたいなブログ記事とか出回っても,「おやおやwまた怪しげなプロバガンダみたいな記事が出たでござるなあw」って感じであんま話題にならずに消えていくことが増えたと思うんですけど,それでみんなのリテラシーが発達したというのはやっぱ違うと思うんですよ。

 それって単に「怪しげなプロバガンダみたいな記事にありがちな特徴を皆が覚え始めただけ」でしかなくて。知識をもってリテラシーと説くのってめちゃくちゃヤベーんじゃねえかと。


 よくリテラシーリテラシーとは言われますけども,リテラシーって何なのかなって考えたときに一番に出てくるのはひろゆきの言葉で。嘘を嘘と見抜けないとインターネットをやるのは難しいみたいな奴です。

 でも嘘を嘘と見抜く力って「知識の力」じゃないと思うんですよね。知ってるか知ってないかが原因で嘘か誠かみたいな話に踊らされるんだったらインターネットは毎秒滅んでる(じっさいに毎秒滅んでるとも言えなくもないのですが・・・)


 たとえばこういう記事なんかも↓

https://youpouch.com/2012/08/20/78188/

 ただしく学びを得なかったことで「知らない」こと自体はべつにしょうがないと思うんですよ。知ってるか知らないかって二択だし。問題はたぶんそれを「言ってしまう」ことなんじゃないかなと。

twitter post: 825590536199245824

 こういうツイートもときどきバズったりしてましたけど。リプライも含めてクソ最悪だな~とずっと思っています。ずっと思っているから3年位前のツイートなのに記憶の奥底から急に出てくるわけです。


 リテラシーって,調べればわかるとかわからないとかもともと知っていないと困るとかそういう話じゃないんですよね(これは「と思うんですよね」ではなく明確な意思をもって断言しています)。

 最初の話に戻るのですが,知識をもってリテラシーと言うのであれば,「知らないことを罪として」「正しい知識を以って対処する」行為がリテラシーとして定義されてしまい,それってめちゃくちゃな諸刃というか,包丁の刃を握って柄で食材切るぐらいトンチンカンなことですよ。

 嘘を嘘と見抜く力って「全知になること」ではないでしょう,という話です。識字率は高いのに文盲はめちゃくちゃおるみたいな話ってありませんでしたっけ。べつにどうでもいいんですけど。


 人生においてアクセルを踏み込む必要がある瞬間って別にそんなにないのに,わざわざ入れんでいいギアを入れて踏まんでいいアクセルを踏み込んでしまうから言わんでいいことを言ってしまったり知識の欠如を指摘されたときに止まることも曲がることも出来んくなって衝突事故になるんじゃないかなと思います。だいたい日本ってかなりおおらかで,間違った意見を言うことすら許されないというほど狭量な国でもないんですよ。そうじゃなかったらインターネットでバズってる有象無象みたいなやつら毎日1万人は死んでると思うので。

 記事でも論評でも個人ブログでも小説でもエッセイでも別になんでもいいんですけど,読んだ時にその記事の感情と自分の感情がごちゃ混ぜになって爆発して突撃しちゃう人ってめちゃくちゃいるじゃないですか。感情的にならずに,一回自分の中で意味を整理する行いを踏まえるのがリテラシーの本質なんじゃないのかなと自分的には考えています。


 リテラシーみたいな外来語ってなかなかうまい訳語の着地点がなかったりで「これがリテラシー」ってハッキリとしたものはないのかもなーみたいに思ったりはするのですが。少なくとも知識の厚みではないのは明らかで。

 (よく僕が使うたとえで恐縮なのですが)テレビや新聞,町の掲示板とかに向かってヤジや独り言を飛ばしてるうちなら別にいいんですよ。でもインターネットって残念ながらそうじゃなくて。ぼくはべつに倫理に反する行いや道理に背く行い,それを言ったりすることも含めて,それ自体が悪いとはあんまり思いません。長い人生,そういうことをやっちゃう事もあるでしょう,ムカつくこーとは多いけど♪ムカつくだーけじゃ♪,でも見える場所でやったらやべーよなというだけのことじゃないかなと思います,とかいうと僕も見える場所でやべーことをやってるのであんまり言えないんですけど……。僕がブログのコメント欄閉鎖してる理由に近いですかね(この文章ってどこにかかってるんだ?)。


 すくなくとも,知識や記憶に任せきりで,それに頼っている限りは,それで対応できないことが出てきたときに,完全に足が止まるか右にならうかしか出来なくなるんじゃないのと思います。

 「自分の知識の範囲で答えがはっきりしないこと」に対峙した時の意見の持ち方,立ち居振る舞いこそが,ぼくの考える「リテラシー」であり,また,ぼくにとって「リテラシーは知識である」と説くことへの恐怖の根源だと言えます。


 とはいえ,全員が全員同じ速度で考えられるわけでもなし,答えが明確でないと行動できないタイプであるとか,様々な生き方のスタンスはあるでしょうし,一定の信頼を答えに寄せて動くこと自体は別に悪くないとは思います。ぼく自身「電車にはねられると大体死ぬ」とか「家賃やクレカを払わないと大変なことになる」みたいな知識があるからこそそういうことをしないわけですし。

 「考えること」に固持しすぎると,それはそれで「考えを放棄することは愚か」みたいに言いだすやつがいるのでよくないなぁと。人間,生きてたら間違えることはいっぱいあるんだからみんな愚かでみんな同じ,お手手つないでゴールインしようぜ・・・。


 そういう意味で言うとこないだの香川県のゲームは1時間のニュースの話,「罰則がなく,遵守が困難な法令・条例が整備されることで,順法精神が養われなくなるのが最も危惧されるところだ」みたいな意見は言い得て妙だなと思いました。


https://onj-shadowverse.game-info.wiki/d/%A5%C7%A5%E2%A5%B3%A5%F3%CD%FD%CF%C0

 デモコン理論とかも結構そういうところあると思っていて。圧縮されることで失われたカード自体は「本来使わなかったカード」でありノイズだったとしても,そのトップから出てきたカード自体に一喜一憂はするでしょ,っていう。

 デジタル麻雀で裏目引いた時に確率の問題と割り切りつつもムカついたりはするでしょうという。何の話だっけ。ああ知識や理屈だけを正義として割り切って生きていけるなら,何が起こっても平坦だからクソつまんねえ人生っすよねみたいな話かもしれないですね,わからん。こういう話書き始めは面白いんですけど,ちゃんと最後に着地させるのがだるくなりがちなんですよね・・・

(Twitter)


Files

Comments

モスー

あとこの話知識に依拠しすぎると答えの理由を考えなくなるのがやべーな(その逆に理由に依拠しすぎると車輪の再発明ばっかの人生になたりするのでやはりバランス)