Home Artists Posts Import Register

Content

先日、Twitterにて自分の描いたセリフ付きの絵が、無断で翻訳され転載された。

無断翻訳すみませんとわざわざ一文添えられて当該する絵のリプ欄に貼られたのだが、禁止している改変、転載にあたる行為として削除してもらった。

他の大手アカウントの翻訳などもされている方で、おそらくは善意からのことと好意的に解釈しておくが、以前、別の方に翻訳されたのを削除してもらったこともあるし、今後のことも考えるとキリがないために、プロフ欄にて翻訳も禁止行為にさせていただいた。


R18ではない普通のファンアートであれば、翻訳して広く知ってもらうことにも意味があるかもしれないが、一応はゾーニングを気にかけている体をとっているので、意図せぬところで拡散していくことを容認することはできないし、それ以上に言語の違いによる表現の差がうまれたり、それによって違う文化圏で起きるかもしれないトラブルに対応することができないことが禁止の大きな理由だ。



サイエンス的な考え方というよりは、サイエンスフィクション的な考え方だが、思考は言語に縛られており、それは使用言語によって差異を生み出すと考えていて、これは元をたどると二つのSF作品『あなたの人生の物語』『虐殺器官』に影響されている。両方有名な作品なので、知っている人も多いと思う。


以下ネタバレあり。


テッド・チャン 作『あなたの人生の物語』は映画『メッセージ』の原作であり、アニメ好きには『トップをねらえ2!』の最終話のサブタイとして記憶している人もいるかもしれない。内容はいわゆるファーストコンタクトものであり、言語学者が異星の文字を解読していくにしたがって、時間を越えた新たな知覚を得るという話で、言語学者はその能力により行動を縛られてしまう。


伊藤計劃 作『虐殺器官』は早逝の作家の代表作にして、00年代の日本のSFを代表する作品。作者の死後、「Project Itoh」というアニメ化プロジェクトの一環で村瀬修功監督によりアニメ映画化もされている。

「好きだの嫌いだの、最初にそう言い出したのは誰なんだろうね」という『ときめきメモリアル』のOP『ときめき』から引用したセリフでも有名。

こちらは人間には虐殺を司る器官があり、虐殺の文法と呼ばれる文法によりその器官を活性化させることができるというお話。

(余談だが、伊藤と親交のあった小島監督のメタルギアVでは同じ言語をしゃべる者に感染する寄生虫生物兵器が登場する)(さらに余談だが、近年、人体に未知の器官が発見されたというニュースがあり、俺の中で虐殺器官じゃねえかと話題になった)



これらはフィクションだが、実際にバイリンガルの人間が使用する言語により性格が変わるという事例もあり、言語と思考の関係について興味を持った。


人と人が交互に会話していくとミラーニューロンの機能と調整により発話リズムが揃い、それに伴い脳波のリズムも揃っていき、結果として同調を生むという。

であれば独自のリズムを持つそれぞれの言語集団には緩やかな同調の力が働いているのではないだろうか。それが国民性、もっと小規模なら県民性の元となっているのではないか。


バイリンガルの性格変化は主語と述語の語順によるものだとか、語彙力のなさからくるものだとか言われるが、性格が変わるというよりかは、新たな言語表現を得て発露する性格が増えたと考えると割と納得できる。

それは同一言語であっても、敬語を使えなかった者が使えるようになると、恭しい態度、慇懃無礼な態度、あえて敬語を使わない、と表現の選択肢が増えることと似ているように思う。


ちょっと前に『翻訳できない世界の言葉』という本が話題になった。各言語には翻訳困難な、その言語独特の表現がある。日本語の侘び寂びなどがそれにあたる。

言語やジェスチャーは地域の環境に基づき、そこで生活する集団が他者と協調する必要性から発現するもので、例えば、その土地特有の動植物の調理法に由来する諺や仕草などからネットスラングまで多岐にわたる。大意は翻訳できても、細やかなニュアンスまで伝えることはできない。

その言語特有の表現を完璧に思考するにはその言語で思考しなくてはならない。これはわかりやすい例だが、わかりづらい小さな表現にも様々な背景があり、それらの積み重ねが思考の差異につながってくるのではなかろうか。


そうして考えていくと、翻訳の不確かさに不安を覚えてしまうのだ。

この翻訳は文化的背景まで理解しているのだろうか。

俺の表現は果たして正しく伝わっているのだろうか。

俺がオッピョロピッチョチョしてヌンゴゴゴルボしたつもりの絵がヒンヴェリノロロロンのように伝わっているのではないか。


現実とは個人の幻想をすり合わせたものだ。世界には人の数だけ真実があり、そこから脱することはできず、個々の感じ方でそれは変化していく。

そもそも言語などという不完全な意思伝達の手段を手に入れてしまったことが、人の不幸の始まりなのかもしれない。

今書いている文章がはたして正しく伝わっているのかも不安になってきとういjsぱえおpkdf;lsぢfじょぢj


くぁwせdrftgyふじこlp







Comments

非常に面白い記事でした。 私は香港で英語教育を受けて、18歳に来日した外国人で、いわゆるトライリンガルと言う人種に当たります。 記事にも書いたように、「翻訳じゃ原作の面白さを100%伝れないのでは?」という不安が学生時代の私が日本語を学習する一番のモチベでした。 また喋る言語で人格が変わる現象についてですが、私自身もそれを実感していて、その正体を考えたことがあります。私は日中英三国語を喋りますが、オタクコンテンツから学習した日本語を喋る時オタク気質で早口になったり、学校で教師と同級生とのやりとりで身についたから英語を喋る時陽気な学生気質になったり、母から教わったから中国語を喋る時は母から受け継いだ短気が性格が強くなったりします。 また頭の中にある考えも、思考の段階から言語で分けられたりします。Vについてのえっちな妄想は基本日本語で思いつくのですが、それを英語で言い直すとなると、思いついた張本人でも、他人の文章を翻訳するのと同じぐらい苦労します。 急に変な自分語り長文失礼しました。ザブドッグさんの次回作も楽しみにしています。

zabudog777

コメントありがとうございます。 私の知識は漫画や小説の受け売りやネットの聞きかじりによるものが多く、体験に基づくお話は大変貴重で面白く読ませていただきました。 性格が言語習得時の環境に紐づいているというのは特に興味深く、新たな思考の種になりそうです。 しかし、まさか限られた読者の中にトライリンガルの方がいるとは思っておらず、学会発表で著名な研究者から「この分野には詳しくないのですが……」と質問される恐怖ってこんな感じなのかと震えております……

「素人質問で恐縮ですが」のくだりを無意識にやってしまいましたかw