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さてさて、前回『美少女クラブ』上下巻を

一年で描き上げ売り上げも好調。


一見順風満帆に思えた赤月でしたが…

実はこの頃結構ストレスを抱えておりました。


何故かというとやはり元々一般紙を目指していたこともあり

そこへの想いがぬぐい切れなかったのです。



担当Tさんもその事は何となく察していて

作家が一般紙に挑戦するのを止める事はせず

むしろ応援してくれるというスタンスでした。


それで作家が抜けて雑誌が傾くなら

それは編集の実力不足だと言っていました。

カッコいい事ばっかり言うんですよねこの人(笑)

でも口ばかりじゃなくしっかり行動で示してくれる人なので

説得力がありました。


人が何を考えているかはその人が何を言っているかではなく

何をしているのかを見るのが重要なんですよね。

そこに本音が出るのです。


やりがいや夢を語るブラック企業なんかは

口ばかりのいい例ですよね。

そんなの従業員の事なんか絶対大切に考えてませんからね。

間違いなく。


その一方で、こんなに担当さんは応援してくれているのに

何もできていない自分にとにかくイライラしていました。


担当Tさんと、若くして一般紙でデビューしている人達の話になった時に

「若くしてデビューしても経験が浅くてすぐ潰れちゃうよ」

とか言われて、それに対して

「そんな事ないです!年取ってから成功してもしょうがないじゃないですか!!」

とか切れ散らかしていた記憶があります(笑)


一時期担当さんが「俺嫌われてんのかなぁ?」とか言っていたので

ちょっと可哀そうな事をしたなぁと思いますw



エロ漫画を描き始めて初めて自分のやりたいことを

沢山やらせてもらえました。

こんなに自分の好きな事を自由にエロ漫画でやっていいんだ…!

と喜びを噛みしめていました。


ですが、そのエロ漫画で使っていた色々なネタは

元々普通の漫画に向けてため込んでいたネタだったのです。

どんどんエロ漫画でそのネタを消費していって

折角ため込んだネタが無くなってしまう…!

もしこれを一般紙でやっていたら違う未来があったのでは…?

とか頭の中で思っていました。

(実際はエロ漫画だから生きたネタだったんですけどね。

今はそう思います。あとエロ漫画を選んだのも自分ですしね。)


この頃、ある程度実績も出来てお金もたまり、

エロ漫画家としてならばそれなりにやっていけそうな自信がついていました。

物価の高い東京に行っても生活できるだろう‥。

そして一般紙を目指すなら日本中の出版社が集まっている東京に

行かない手はない…!


という事で、赤月は上京する事を決めるのです…!


そしてついに上京…!!


こんな感じで担当さんにちょっとだけ(?)

イライラをぶつけていた赤月でしたが(笑)

上京したい旨を知った担当さんには本当によくしていただきました。


正直その時住んでいた家も派遣の工場の社員さんが用意してくれた家に

工場をやめてもそのまま住んでいたので

赤月は自分一人で物件を探したことがなかったのです。


そんなこんなで不安になっていたら

何と担当さんが東京でここに住むといいという地域の算段をつけてくれて

一緒に不動産仲介会社に行って下さり交渉し

物件にまで一緒に足を運んでくれて

ここがいいんじゃないかと一緒に決めてくれました。

今住んでいるのがその物件ですw


賃貸の物件を実際に見て決めるため、引っ越す前に一度上京したのですが、

その際も

「今まで接待する機会がなかったから」

とか言ってすごくいいホテルを取ってくれて(夜景が凄かった…!)

美味しそうな高い食事

(なんか白いアスパラ3本くらいのやつが3000円とかでしたw)

までごちそうして頂きました。

(これが東京…!)

とか思って夢心地でしたね(笑)

その際は本当にお世話になりました。


こういう所が担当さんの口だけじゃないという所なんですよね。


まぁ前からツイッターとかでもティーアイさんは呟いていたんですけど

作家さんは食べたいものとかがあったら言ってね。

経費で接待しますので。とか言っていますしね。

(太っ腹…!)

(今もそうかは分かりません。)


これが確か『美少女クラブ』を連載している最中だったかな・・・?


そして無事赤月は上京したのでした。


そして『美少女クラブ』連載後…。


ああ~!いっつも話が長くなる…!!

ようやくここからが持込の話です。(笑)

どれくらい覚えてるかな。


一般紙への挑戦のタイミングは間が空いて2回あって

あちこち持ち込んだので記憶が混ざって正直

よく覚えてないんですよね(笑)


とにもかくにも話の続きですが、

こんなにも担当Tさんにお世話になっておいてなんですが

『美少女クラブ』の連載が終わった後

珍しくプロットを送らなかったんですよね。

(自分はいつもプロットとかネームとかはすぐに送っていたので

珍しい事でした)


担当さんには

「2冊分の原稿も描き終わって少しのんびりしたいんですよね」

とか言って電話を切りました。


そしてすぐさま一般紙向けのプロットとネームを描いていました。(笑)


何で正直に言わなかったんですかね?言えばいいのにw

多分突然一般紙でデビューして担当さんをビックリさせてやろうとか

一般紙に持ち込む宣言して失敗したらカッコ悪いとか

そんな感じだったんじゃないかと思います。(情けない…w)


ここで確か色々迷った末に持ち込んだのが

当時『進撃の巨人』が連載していた

別冊少年マガジンでした。


この頃別マガさんはツイッターでネームと完成原稿3枚ほどで応募できる

賞をやっていたり非常に目立っていて、進撃の巨人効果で

飛ぶ鳥を落とす勢いだったんですよね

そこに応募した記憶があります。

原稿一本完成させるのってしんどいですからね。

これはだいぶハードルが低くて助かった覚えがあります。


そして応募して何週間か経ったある日、なんと…!

別マガの編集部さんから電話がかかってきて

「自分が担当になりました。一緒に賞を目指したいので

そこに向けて打ち合わせをしましょう」

と言われました。


嬉しいやらドキドキするやらだったと思いますが

何を思っていたのかははっきりとは思いだせないですね。

大きな不安の中、わずかな希望に浮かれていた

という表現が適切かもしれません。


はっきり言えるのは一般紙での連載というのを想像すると

今も昔もだいぶ重荷に感じてしまうという事です。

(この気持ちはずっと根底にあるんですよね。

これを思ってしまう時点で向いていないのかもしれません。)


そして打ち合わせの日。


『月刊アフタヌーン』に持ち込んで下のロビーで

敗北した大きなビルの講談社です。


当時別マガ週マガは同じ編集部だったらしく

何と週マガの作家さんも担当している編集Tさんが

自分の原稿を見て手を挙げて担当になってくれたようでした。


昔の素人まるだしで酷い原稿を持ち込んだ時とは違い

エロ漫画とは言え4年間原稿を描き続けて多少レベルも上がり

担当も最初からついている状態です。

少しは成長できたのかな?と思いました。


そして噂に聞いていた週マガのネーム部屋を横目に通り過ぎ

(調べたら出てくると思います(笑))

その奥の応接室でネームを見た担当さんと打ち合わせをしました。

そこには持込に来た人や、連載中のプロの作家さん達も打ち合わせを

していて、独特の緊張感がありました。

机同士が近いのでいろんな話が聞こえてくるんですよね。

原作と作画担当で揉めてたりとかw

今もあの部屋はあるんですかね?


ついでに自分のエロ漫画の単行本も持っていきました。


当時あまり考えていませんでしたが

持込のプロフィールの項目に雑誌デビューや

作家としての経験があるかどうかの項目があり

そこに自分のペンネーム『赤月みゅうと』というのを書いていました。


その週マガの担当さんは自分の漫画を見たことがあるらしく

(お世辞かもしれませんが)

それもあって担当になってくれたようでした。

意外とエロ漫画家『赤月みゅうと』という名前は

一つの売りになったようで、やってきた事は無駄じゃ

なかったのかもと思いました。


そしてあいさつもそこそこに済ませ

…いや、最初結構世間話とかしてたかな?

ワンクッション入れるテクニックなんですかね?

長い長い延々とネームを作る日々が始まりました。



次回…

『自分の半生振り返り⑨(一般紙持ち込み)敗北編②』…!



当時の事はあまり覚えていないかと思いましたが、思い出していくと

色々記憶が蘇ってきて面白いものですね。

ちょっと長くなったので次回に続きます。


う~ん、色んな気持ちが蘇ってくるなぁ(笑)

この後の赤月に興味がある人は是非次回もよろしくお願いします。


ではでは進捗画像などを載せつつ

また来週お会いしましょう~












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