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 ああ、それにしても耳がゴロゴロする。  社築は小指を左の耳穴に突っ込んだ。確かな感触はあるものの、押し込むばかりで取ることかなわず。一度指を抜き、爪先を見てみるが、粉っぽいものが少しついているだけ。本丸は落とせそうもない。  試しに頭を振ってみる。カサカサと音が聞こえる。かなりの大物が潜んでいるようだ。強く振ってみる。やはり音が聞こえる。だが、どうやっても零れない。  もっと強く振ってみようと思ったが、脳味噌がシェイクされて意識が飛びそうだったので止めた。せっかくの休日を、気絶で過ごすのは勿体ない。  社はソファーにもたれかかった。天井を仰ぎ、溜め息を一つ。こうしているだけで、じんわりと日頃の疲労が溶けていくようだ。血管の隅々まで熱が通り、ほんのりとした痒みが生じ、続いて心地よい暖かさが生まれる。やはり休養は大切である。  昨日の晩も遅くまで残業。正確には今日の夜だが、そんなことを言い出したのでは、月月火水木金金待ったなしだ。せめて感覚だけでも週休一日制のただ中にいたいと、死んだ魚の目で思う。  とにもかくにも、ありがたい休日。ゲームをするか、漫画を読むか、瞑想とでもしゃれ込むか。社はすっかり板についたクマを擦りながら、身体をゆっくり起こそうとして。  やはり、耳垢が気になった。 「だー、クソッ。鬱陶しいなあ」  社はよっこらせと立ち上がった。割と立派な薄型テレビ、その隣に置いてある木製棚まで歩き、引き出しを開ける。がさごそと探り、金属製の耳かきを取り出した。 「やっぱ文明の利器だよなあ。手でほじるなんて野蛮人のすることだぜ」  ぼそぼそと独り言を溢す。独身男性というのは頻繁に独り言を溢さないと死んでしまう生き物なのである。  銀色に光るヘラ部分。指で弾けばピンと高い音がした。 「よしよし、あとは先っぽを優しく耳の奥に差し込んで……と」  そっと先端を耳に近づける。やや冷たい感触が耳介に触れ、サリ……と小さな音を立てる。産毛を撫でる感触が、穴の奥にある垢の存在感を強めるようで、社の耳かき欲をいっそう煽った。 「いやー、心地いいな。やっぱり耳かきは焦らしてなんぼだ。あと三十分は入口周りで楽しめるぜ。よし、行ってみるか三十分コース」  生産性の欠片もない計画をベラベラと口からこぼす。貴重な休日をそのように使っていいものなのか。しかし、当人は幸せそうである。そのやや厚い唇をだらしなく開けながら、三白眼をほにゃほにゃと閉じている。  今日は客人の予定もないので、この幸せな時間の浪費は、誰にも邪魔されないだろう。社はそう考えていた。  少なくとも、インターホンが部屋に鳴り響く、その瞬間までは。 「……誰だろ」  ぼそり、と呟く。その顔は少し不満げだ。至福のひと時を邪魔されたのだから、仕方がない。  だが、社の顔には不満以外の感情も見え隠れしていた。  彼の動物的勘が、嫌な予感を胸に手繰り寄せていた。 「……宅配かな」  しかし、覚えはない。小首を傾げながらも、玄関にまで行ってみる。そして、ドアホンのカメラから来客の姿を確認してみて。  深いため息を吐いた。 「やーしーきーずー。あーそーびーまーしょー」  白い肌。  僅かにうねる濃いピンク髪。  悪戯っぽいどんぐり眼に、左目元の泣きぼくろ。  そして、何よりパンダを模したフード付きパーカー。  笹木咲が、立っていた。 「笹木ィ……何しに来やがった……」  まるで質の悪い寿司屋を前にしたような、苦い表情を浮かべる社。しかし、当の笹木は涼しい顔で、 「オタクくんが暇してると思って、構いにきてやったんやよー」  と抜かす始末だ。 「……今日、レバガチャダイパンの収録だったっけ」  こめかみを叩きつつ社が尋ねる。彼と笹木は現在Vtuberとして、『レバガチャダイパン』なる冠番組を持っているのだ。ちなみに同番組の収録の関係で、何度か社邸は壁と天井を部位破壊されている。大家からの視線も冷える一方である。  しかし、と社は思う。カメラ越しに笹木の背後を確認するが、他のVtuberの姿は見えない。あの企画は社と笹木、その他に二名のゲストを加えたフォーマンセルで進行していくのだが。  すると、笹木はあっさり言った。 「今日は収録ないやよ」 「え? じゃあ何で来たの?」  訝しげに尋ねれば、彼女はやれやれと首を横に振った。 「はー、これだから陰キャは駄目だ。向上心が見受けられんわ。やっぱり囲碁将棋部のぬるま湯が忘れられんのやねー」 「ぶっとばすぞお前」 「ドア越しにどうぶっとばすんですかー。教えてオタクくーん。部屋の中でこんこんと説明してくださーい。今日は外がちょっぴし寒いんやよー」 「ぶっ飛ばすのは今度にしてやるから、そこで凍えてろ」 「ふーん、そんなこと言う? いいの? 大声出すやよ? 捨てられたー、とか」 「あ、すいません。鍵開けましたんで、中へどうぞ」  引き攣った笑みを浮かべながらドアを開けば、笹木は「くるしゅうない」と言いながら入り込んできた。  欠片も悪びれない姿に青筋が蠢きそうになるが、これ以上近隣住民との関係を悪化させたくなかったので、社は涙を呑むことにした。 「……で? 結局、何しに来たんだお前は」  断りもなくソファーに座った笹木に対し、眉間を捏ねながら問う。出来るだけ早く用事を済ませ、可及的速やかに帰って欲しい。こちらは耳掃除がしたいのだ。 「決まってるやん! レバガチャの特訓やよ!」 「特訓?」  怪訝な顔を作ってみれば、笹木はこくこくと頷いた。 「やしきず! ウチは思うんや。やっぱ、ゲストにのびのびとゲームをプレイしてもらうには、ウチらのプレイヤースキルの向上が欠かせないんだと」 「……あー、まあ、確かに」  レバガチャダイパンに訪れるゲストは、必ずしもゲームが上手いわけではない。だから、彼らの見せ場を作るためには、ある程度の接待プレイも必要となる。  しかし、わざとやったのがバレバレなミスを連発するような、あからさまな接待をしたのでは、相手も視聴者も白けてしまう。絶妙な匙加減が重要なのだ。  絶妙な匙加減をするためには、こちらのプレイヤースキルが必要不可欠である。 (なんやかんやで、こいつもいい番組作りについて、色々考えてんのか)  社はほんの少し、笹木を見直した。 「お前……割としっかりしてるんだな」 「せやんね! ……ん、割と? お前、普段ウチのことどう思ってるんや」 「イキリ陰キャ系クソガキ」 「はー!? やんのかオタクゥー! やってやんぞ!」  拳をぶんぶん振り回す笹木。その様は駄々をこねる子供のようである。  一方の社は、まるで娘の我儘をあしらう父親のような笑顔を見せ、言った。 「あーはいはい。ジュース出してやっから機嫌直せ」 「ジュ・ウ・スゥゥゥ!? お前、JKなめとんのか! 今時小学生でもそんなもんじゃ買収されへんぞ! ……オレンジ味で頼むやよー」  数分後、旨し旨しとオレンジジュースに舌鼓を打つ笹木を横に、社はゲームを探していた。 「で、何のゲームするんだ。ボンバーマン? パワプロ? くにおくんもあるぞ」 「せやなー。ウチ的にはスマブラでゴリラをボコしたい感じもありますね~」  そこまで言って、笹木はふとオレンジジュースを飲むのをやめ、こちらを見つめてきた。キョトンとした顔を浮かべながら、彼女は口を開いた。 「……どうしたん、やしきず?」 「え? 何が」  笹木はピアスの付いた己の耳を、チョンチョンと指した 「耳。さっきから弄っとるけど」  笹木に指摘され、ようやく社は自分が小指で耳をほじっていることに気づいた。  完全に無意識だった。どうやら自分で思っている以上に、耳掃除に取りつかれているらしい。  社はがしがしと頭を掻いた。 「あー、すまん。ちょっと、さっきから耳の中がゴロゴロしててな」 「うわ、ばっちい。普段から綺麗にしとらんからそうなるんやよ。そんな状態でゲームできるん?」 「別に問題ないって。こんぐらい、ハンデにもならねえ」 「……ハンデ?」  笹木が少し黙った。うるさいのが静かになり、ちょっと不気味だったのでそちらを見れば、彼女は今にも掴み掛ってきそうな表情をしていた。 「まさか、お前! 負けたときの言い訳づくりか!」 「はぁ? なーに言ってんだ」  ポカンとした顔の社に、笹木は続けた。 「ウチはプレイヤースキルを高める訓練だと言っているのに、いまだ勝ち負けに囚われよって! 女々しいぞオタクゥ!」  どうやら、とんだ早とちりをさせたようだ。  というか、そんな発想が出てくる時点で、お前も勝ち負けに囚われているのではないか。社はそんなことを思う。  しかし、弁明するのも反論するのも面倒くさい。社はテレビの前の机に置いていた耳かきを手に取り、言った。 「あー、うっせーうっせー。分かったよ。じゃあちょっと待ってろ。パパッと耳かき終わらせるから」  そそくさと耳穴に突っ込もうとする。しかし、そんな彼を「待てぇ!」と笹木が制止した。 「やしきずぅ! お前の魂胆は分かっとるやよ! その耳かき寄越せ!」  驚きの速さで耳かきをもぎ取られ、社はまたポカンとした。 「……どういうこと?」 「小賢しいオタクくんのことやから、わざと半端な耳掃除するつもりやろ。そんで負けたら、『実はやり残しが気になってさー、実力も半分ぐらいしか出せなかったわー』とのたまうに違いない」 「お前、どうした笹木。今日はいつにもまして疑心暗鬼だな」  ふっふっふ、と笹木は不敵な笑みを浮かべた。そして、ズビシッとこちらを指さしてきた。 「プレイヤースキルを高めるためには、先読みを磨く必要があるやんね。お前のことは何でもお見通しやよ! ということで、やしきずの耳掃除はウチがしますー!」 「あー、はいはい。お前がねー。……えぇ!?」  社は目をパチクリさせながら、言った。 「お前、何言ってんの? 脳味噌に虫食い起こってパンダ象ったか?」 「んなわけないやろ! いいか!? ウチがやしきずの耳掃除をすれば、やり残しがないかどうか確認できるやん! そうなったら、絶対言い訳なんてできひんやろ!」 「いや……ええ? ちょっと……理解に苦しむな」 「そうと分かったらとっとと寝ろぉ!」  笹木は自分の膝をバシバシ叩いた。  一体全体、どんな理屈がどのように絡み合ったら、こんなみょうちきりんなことになるのか。社は頭をわしゃわしゃと掻いた。しかし、掻きたいのは頭ではなく耳である。そして、耳かきは依然として笹木の手の中にあるのだった。 「……お前、鼓膜破るなよ?」 「うちは屋根や壁は破れど、そんなばっちいもの破壊せんやよ! ほら、早く!」  少しムキになり始めている彼女に対し、社はいっそう左耳がごろごろしてくるのを感じた。彼は溜め息を吐くと、観念したように笹木の膝へと頭を乗せた。 「陰キャが手こずらせやがって。最初から大人しくそうすればいいんやよー」 「口ぶりが輩のそれなんだよなぁ……」  嫌な予感がじわじわと肺を染めていくようだ。こんな骨の髄までゴロツキの娘っ子に、我が大切な耳の存亡を委ねてもよいものか。  しかし、そんな不安はすぐに霧散した。 (おや……?)  社はゆっくりと目を見開いた。耳が心地よい。思わず笹木の方を見ようとして、頭を動かそうとすると、柔らかい感触が頬に被さった。彼女の掌だった。 「動くなオタクゥ。鼓膜破られたいんか」 「す、すまん」 「やれやれやよ」  笹木はいつものように口が悪いながらも、社の顔に置いた掌はもとより、耳かき棒を動かす手つきも優しかった。  ゆっくりと、銀色の匙が耳を擦る。社の熱を吸って温くなった金属は、人の肌のようで心地よい。  その温もりが耳殻をなぞる。内側に丸まり、窪みのできた場所をサリサリと優しく掻かれ、その度に湯のような快感がしみ込んでくる。同時に、これから取り除かれるであろう、耳奥にある大粒への期待感が高まっていく。 「うわ、結構ここにも粉ついとんなあ。やしきず、きちゃなーい」 「う……すまん」  いつもなら反論の一つでもするが、社は素直に謝った。存外に耳かきの上手い笹木に対し、作業を途中で止めてほしくないがゆえ、僅かに腰が低くなっていた。 「ちょっと待っててな。今ポケットティッシュ取るから」  笹木は自分のスカートのポケットをまさぐった。その度に彼女の太ももがモゾリと動き、柔らかさが伝わってきた。  社はこのときになってようやく、自分が笹木に膝枕をしてもらっているという事実に思い至った。同時に、笹木が中身はどうあれ女子高生で、自分が疲れ切った成人男性だということにも。  絵面的に犯罪臭がするのは勿論のこと、何だかとても気恥ずかしかった。 「……よし、ティッシュ見っけ。ほな、再開するやよー。…ん? どしたやしきず? 耳赤いやよ?」 「……何でもねえ」  首まで真っ赤になった社に対し、笹木は小首を傾げたが、「あっそ」と言って耳かきを動かし始めた。  穴の周辺を撫でるように、クリクリと先端を動かす。焦らすような匙捌きだ。時折、耳かきを離しては、白いポケットティッシュで拭く。その微妙な動作のたび、僅かに笹木の足は揺れ、フニフニと社に吸い付いた。スカート越しにも分かる柔肌である。むしろスカートから立ち上る甘い香りが、鼻腔から脳髄へと入り込み、社の触覚を敏感にしているような気すらした。  社は気を紛らわせるため、口を開いた。 「お、お前さ……結構上手いんだな」 「ふっふーん。実は結構な頻度で、椎名にしてやってるんやよ。センスに経験が加わったうちに死角はない! ……あ、コラ。モゾモゾすんな。匙から粉が落ちるやろ」  細く白い指がこめかみを優しく抑え、頭が動かないようにする。僅かな力が加わった分、社の顔は笹木の太ももに沈み込んだ。彼女の匂いが一層強く肺に入ってくる。  社は思い切り目をつぶり、耳かきの感触だけに集中した。そして、自分に膝枕をしているのは花畑チャイカだと思うことにした。あの太い脚だってこれぐらいの柔らかさはあるだろう。スカートも穿いてることだし。あと、恐らく甘い匂いだってするだろうし。 「じゃあそろそろ、耳の奥行きますかー」  笹木の声が聞こえてくるが、これは幻聴だ。今俺に耳かきをしているのは花畑チャイカなんだ。誰が何と言おうと花畑チャイカなんだ。 「うわ、ほんまに汚れとんなー。鼓膜が見えんのやけど。やしきず、どんぐらい耳かきしとらんの?」 「……忘れた」  あと少しでチャイカだと思い込めたところなのに、会話をしたせいで笹木が戻ってきてしまった。もう観念しよう。 「忘れたって。……うち、椎名には週1ぐらいで頼まれとるで? やしきずもそんぐらいの頻度でやっとるんじゃないん?」 「……仕事が、忙しくて。……もしかしたら、まともに耳かきしたのは、二か月以上前かも」 「うひゃあ。そんなん、耳遠くなるやよ。それでレバガチャダイパンに影響出たらどうするん? プロ意識が足りとりませんなあ」 「……面目ない」 「ま、しゃーない。ダメダメなオタクくんのため、うちが一肌脱いでピカピカの耳にしたるから、安心するやよ。はー、こんな面倒見のいい女の子おる?」  無駄口を叩きながら、笹木は優しく社の耳たぶを抓んだ。何をするつもりかと思ったが、「ちょっと頭傾けて。このままだと中が見えづらいねん」と声が降ってきた。その言葉に従い、力の掛かっている方へ少しだけ首を回す。  そっと、匙が外耳道に入ってきた。内部をヘラが撫で、今までよりも明瞭な音が鼓膜を震わせる。中の産毛をくすぐるように、耳壁を匙で甘く引っかく。その度に柔らかい電流が走るような心地よさ。そして、耳垢の取り除かれていく爽快感。 「気持ちええ? こうやって耳の中サワサワしてやると、椎名も喜ぶねん。そのまま寝ちゃったりするんやけど、やしきずは起きとってな? この後ゲームするんやから」  笹木の声が少し遠くから聞こえてくるようだ。心なしか、いつもより優しい感じがする。それがいっそう、眠気を誘った。 「あー……うん。……大丈夫、大丈夫」  うとうとと相槌を打ち、ゆるゆると意識を手放していく。笹木は怒るかもしれないが、このまま少し眠ってしまおう。頭の片隅でそんな声が聞こえる。  その時、オレンジの甘酸っぱい香りが、鼻腔を濡らした。 「うーん、なんかこびりついとるのがあるなあ。これはちょっと、本腰入れんとやね」  気付くと、笹木の声がとても近くにあった。ぼんやりとそちらに視線をやって、社はギョッとした。  彼女の顔が、眼前にあった。それこそ、吐息がかかるぐらいに。 「お、お前……何して……」 「はぁ? こうせんと、中がよく見えへんやろ。そんなことも分からんの? オタクくんは物を知らんで困るやよー」  馬鹿にしたような口調であるが、いつもと違って「何くそ!」という気持ちにならない。吐息と共に桃色の髪が頬を撫でるので、うなじがゾワゾワとして余裕がなくなっていく。もちろん、眠気は吹き飛んでいた。 「えーっと、まず周辺を削って……と」  こちらの気持ちなど露知らず、笹木は何でもないような声で、耳かきを続行した。やはりその手管は大したもので、強張った体もすぐに解きほぐされる。耳かきの匙を中心に、彼女の匂いと体温が融和して、産湯のようになっていく。  カリカリ。耳垢の層が少しずつ掻き出されていく。迷走神経が刺激され、心地よさに力が抜ける。 「よしよし……じゃ、そろそろいくで」  ヘラがこびりついている耳垢に引っかかった。分厚くなった層が徐々に引きはがされていく感覚。そのたびに、耳壁と耳垢との隙間に外気が入り込み、涼しさを感じる。  ガリガリ……ベリリ。何かが剥がれる音と共に、露わになった耳の産毛が、そよいだような気がした。 「うわ、えっぐ。茶色くなっとるやん。ちょ、見て見てやしきず。ドン引きやから」  ティッシュの上に載った耳垢は、べっこう色の小石のようだった。他の黄色い粉っぽいものと比べれば、岩のような印象すら受ける。どうやら耳の中でごろごろしていたのも、これのようだ。  何となく達成感があったが、同時に恥ずかしさも湧いた。自分の老廃物を笹木に見られている。その事実が、今更ながらに強く感じられた。  社は気持ちを切り替えるように、意識的に明るい声を出した。 「さ、サンキューな。結構、聞こえが良くなったよ。これならゲームもいい塩梅に出来そうだ」 「いや、何起き上がろうとしとるん。まだ仕上げが終わってないやん」 「え、仕上げ?」  社が尋ねるのと同時だった。笹木の口元が彼の耳に近づいて、  ふぅ、と息を吹きかけた。  ゾクゾク、と迷走神経がささくれ立つような、強い快感。社はのけぞるように背筋を伸ばし、反射的に起き上がってしまった。 「うわっ、あっぶな! おい陰キャ何しとんねん! 突然立ち上がんなや」 「あ……いや、……すまん」  素直に謝ると、笹木は「全くもう」とぶつぶつ言いながら、少し怪訝そうな顔をした。 「しっかし、今日のやしきずちょっとおかしいで。耳かきしとる時も、顔真っ赤にしとるし。どしたん? 熱でもあるん?」 「え、いや……そりゃ……その……俺、女の子に膝枕なんてされたことなかったし」  口から言葉が出終わった後に、社は「しまった」と思った。耳に息を吹きかけられた混乱で、オブラートの精神を忘れてしまった。慌てて弁明の言葉を考えるも、時既に遅し。部屋には沈黙が満ちていく。  そして、笹木の顔は見る見る赤くなっていった。 「き、き、き、きっしょ! やしきず、お前っ、人が親切心で耳かきしてたのを……!」  彼女はパンダフードを抑えるように、へなへなと座り込んだ。 「う~、うちも馬鹿やぁ……! よく考えてみたら、何で男に……しかも囲碁将棋部なんかに、こんな密着しとったんや~! JKが廃るわ~!」  どうやら今更ながらに、自分がいかに無防備に耳掃除をしていたか、気付いたらしい。社は何だかいたたまれなくなり、 「ど、どうする笹木? 今日はもうお開きにするか?」  と尋ねた。すると、彼女は涙目になりながら睨みつけてきた。 「ふざけんなァ! ここで帰ったら、うちは何のために恥を忍んで耳掃除やったんや! ぜっっったい! お前をコテンパンに打ち負かして、プレイヤースキル上げてやるからなぁ!」 「あ、ああ、そう。……そ、そうだ。お前スマブラがやりたいっつってたな。待ってろ、今出すから」  言うが早いかそそくさと背を向ける社の肩を、笹木がむんずと掴んだ。 「待ていオタクゥ……。お前、まだ右の耳掃除が終わっとらんやろ」 「へ?」  恐る恐る振り返れば、焦点の合っていない目で、顔を真っ赤にしている笹木がいた。口角をひくつかせ、震え声を出す。 「ベストコンディションじゃないと、どんな言い訳されるか分かったもんじゃない! うちが最後まで耳掃除したるから、逃げんな!」 「え、えぇぇぇ!?」  そうして、二人は一回目とはうってかわってギャンギャン騒ぎながら、耳かきを終わらせた。その後にやったスマブラも、互いにギクシャクしていたせいで、ほとんど試合にならなかった。具体的には笹木が指を滑らせて全ストック自滅した。 「み、耳じゃなくて精彩をかいたな」 「うっさいわオタクゥ!」 《完》

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