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(この文章は、マシュマロシャワーの仕様について理解してない時に)

勘違いで書いてしまった文章でした)


(勘違いだったことに気づいて、発作的に消してしまいましたが)

(消すのはそれはそれで違ってる気がしましたので、100円で公開しておきます)


(とにかく投げ銭コースなら質問投げ放題ですってことです ずっと言ってますが)




質問箱とかマシュマロとか、一応やってるわけですが、

(質問箱に関しては、一応ちゃんと説明してる。 マシュマロは完全にこっそりやってた)



こっそりやってたつもりなのに、なぜだか突然こんな質問が飛んできました。

これ、どうしたものか。



てかこれ結構難しい質問ですよ。

どう答えたらいいんですかこんなの?



少なくとも、絶対、140字内でいい感じに答えるなんてのは、不可能だと思う。


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そもそも、自分は、 



・質問箱とかお題箱とか、


・マシュマロとか、


・ザ・インタビューズとか、


・ask.fmとか、


・・・そういう質問形のしょーもないサービス、


それも「一行の質問に、一行でテキトーに答える文化」とか、本来大っきらいなのですよ。

TLを汚しているだけだと思っています。


匿名で質問してきた人だけにこっそり返信するようなシステムにすりゃ、まだいいのに、

何故その「どうでもいい返事」を、全フォロワーに見せつけているんだ?と思うからです。



更に質問箱は、一行の短い質問でも、このように「上下に長い画像」を毎度毎度生成して答えるので、

非常に目障りだと思っています。


(だから、本来やりたくないと思っている)




どうせやるなら、

とても有意義で、

興味深くて、

面白い返答を引き出せて、

全フォロワーに読ませても価値のあるような、

そんな質問をするべきだし、 そして回答者側も、そのような返事を心がけるべきだと思っています。



(人間の「自分も有名人みたいにインタビューされたい!!!」という承認欲求を利用した)

(しょうもないサービスだとは思っています)

(だからこそ、答える時くらい全力で真剣に答えんかい、と思うのです)


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・・・というわけで前提からして長いのですが、



これからはマシュマロから飛んできた質問も、勝手にFANBOX上で答えてやろうかと思いました。 

(ここに質問者さんがいなくても)


しかもこれ以降は、投げ銭コース以上で返答します。 (しかも告知はツイッター上で教えません!)



そのかわり、質問は面白いもの限定にしますし、

そのかわり、返答は数万字レベルを目指してメチャクチャ頑張りたい。


(いや、やっぱり質問はそんな限定しません

(本来自分は、どんな危険球のような質問だろうが、面白おかしく膨らませて返してやれると、

 思ってはいるのです)



で、今回はその説明のためにも全体公開で答えます。

下の方で、全力で答えます。


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でも話変わります。

あと最近プランに関して思ってること。



ボツ画公開のコースを100円じゃなくて500円に上げようかと思っています。


・理由。


ボツ画というのは本来恥ずかしくて見せたくもないからボツ画なワケです。

だから、いくらクソみたいな絵だからといって、それが最安値なのは、なんかおかしい気がしてきました。



・更に理由。


自分のファンボックスには、実は「自分の絵のファンの人」は少ないのではないか?と思っています。


少なくとも、200円コースの人は、自分の絵のファンではないでしょう。 可能性において。

おそらく、「自分の3Dモデルに関してのファンの方」と言ったほうが、正しい表現だと思います。


その方たちは、多分、自分の絵なんかに興味がないし、文章にも興味がないと思います。

(別にそこはそれでいいのです) (そういうもんです) (それは分かってます)

(これは自分の自己評価としてそう思っています)



で、200円のファンの方たちです。


100円の3DCGのメイキング文章が読めるのはいいでしょうが、 

多分、自分のボツ絵なんか興味もないし見たくもないと思うのですね。


そんな更新があってもウザいだけ。

(今まさにこれを読んでいてウザいでしょうが)


・・・という風にお互いのなんかが「合致してない感じ」があります。


自分だって恥ずかしい。


ではどうしたらいいかって考えたら、やっぱ変な話だけど、 

ボツ絵は500円から~、という方が正しい気がするのです。


というわけでこれからはボツ絵公開の値段が上がります。

おかしな話だけど。


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というわけで500円のコースは、


・質問箱で質問が投げ放題

・絵もリクエスト出せる(毎月)

・マシュマロの質問が来たらここで勝手に答える

・ボツ絵もここで公開する


という感じにしようと思います。

どうなんだろうか。


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で、やっと返答していくわけですが、

「Vtuberのハッピーエンドってどんな結末だと思いますか?」



やっぱこれ難しくないですか?



Vtuberというのは個人レベルを指しているのか、全体の末路を指しているのかでも 

なんか変わってくる気がします。




個人レベルなら、

別に、 食っていけたらそれでいいんじゃないですか?

そこに「ハッピーエンド」とかあるのでしょうか。


そこは、実況者配信者ユーチューバーとかと同じではないのでしょうか?




例えば、ユーチューバーに「ハッピーエンド」とかあるでしょうか。

今生きていけてて、それなりに貯金があるのであれば、それでいいのではないのですか?



それとも、「人生の終着地点」とかまで見えていないといけないのでしょうか?

そう思ってしまいます。



それ言い出したら、

ユーチューブだって不安定といえば不安定でしょう。

痴豚様も言っていました。 (これについても延々と語れる そして無限に話が膨らんでいく)


15年以上前は、ユーチューブなんてモノ、なかったワケですよ。


数年後に突然なんかが起こって消滅、なんてことが起こっても、別におかしくない。


だからユーチューバーなんて不安定な山師みたいなもんだ、という考え方だって出来ます。

(そら何事だってそうなんでしょうが) (杞憂)




ほらだから、 「今生きてて、食えてて、それなりに貯金があるのかだけが問題であって、 「ハッピーエンド」とか良うわからん」

という感覚になるもんじゃないのですか?



こういう回答じゃダメなんだろうか? 違うのだろうか?


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いや多分違うんだろうな。


バーチャルユーチューバー全体の末路の話をしているような気がする。




てか、ぶっちゃけ自分はもうVtuber全然詳しくないですよ。

ちゃんと追ってる人全然いなくなりましたし。

(まぁその時点で「やっぱアイツラつまんないんじゃん」ってことになりかねないんだけど)


でも、やっぱりここは、

「全然詳しくないジャンルからの質問」でも、延々と無駄に全力で長文で回答してみる、

というのをやっているのだから、

答えてみます。


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ところで自分は

ひろゆきとかの


「Vtuberとか絶対数年後には廃れてる」


「なぜならVtuberとかはつまんない人がやってるだけだから」


「なぜなら本当に面白い人はとっくの昔に実況者とかやってる人だから」


「後からやってきて、顔も出せない声も出せない人間が、Vtuberの正体」


「そういうつまらない人たちが更に爆発的に増えて、そんなコンテンツに未来があるわけない」


・・・みたいな考え方は、 嫌いだったりします。


(言っとくけどひろゆき自体は嫌いではない)

(彼の主張の中にも好きなのと嫌いなのがあるだけ)


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では自分の考え方はどうなのかというと、


「敷居とはなんぞや?」

「敷居を下げるという意味とは」

「もともと芸能人ってなんだったんだよ」


みたいな思考から入ります。





元々、芸能人なんて職業はなかったワケですよ。



テレビだって、60年前70年前は、 そんな放送なんかされてなかった。筈。



それまではラジオだったろうし、 

おそらく「放送のプロ」という職業は、ラジオのアナウンサーくらいだったろう。



そこに突然、「テレビ」というモノが登場する。


んで多分最初のうちは、つまらん、型にはまったようなコンテンツしかなかったはず。

ラジオの延長のようなことをやっていたのではないか?



で、そこに「芸能人」という、今までになかった形式の芸をやる人間が出てきたはずです。

そんな職業は今までになかった。


それまでは「芸」といったら、 歌舞伎だとか演劇だとか落語だとか・・・?

そういうキチッとした何かを修めた人。 資格があるような技術。 


そういうの「だけ」が「芸」の「プロ」だとみなされていたはずです。



でも、そこに突然芸能人という、特に明確に何が出来るというわけでも無い職業形態が出てきたわけでしょう。


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・・・・

で、ここ一旦ぶつ切れするけど、 もう大体言いたいことはわかるかと思う。




つまり、ユーチューバーだって「同じようなこと」だと考えられる。





「ユーチューバーとかいう奴ら、なんなんだよ」


「ゲーム実況したり、コンビニ飯くったり、 やってることがショボすぎる」


「友達の家かよ」


「芸能人に比べてプロフェッショナリティがなさすぎる」


「なんでこんな奴らが有名になってんだよ」


「なんでこんな奴らが年収〇〇なんだよ」


「意味わかんねぇ」


「ユーチューバーなんて職業と認めねぇ」


「好きなことで生きていく、なんて、 馬鹿じゃねぇの」




・・・みたいなことを思っている人はいるかもしれないけど、

多分、芸能人の時と、同じことの繰り返しだと自分は思っているのです。


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んで、そこに更にバーチューバーですよ。




ひろゆきの言うように、

顔出しや声を出している実況者・ユーチューバーに比べて、 

更に覚悟のない、 敷居の低い人達ではあるでしょう。



じゃあソイツらで飽和することは悪いことなのか?



敷居が低いと、つまんない人間しかいなくなるのか?




自分はそれは違うと思っています。 勝手に。



「敷居が下がる」というのは、悪いこととは限らないはずです。

てか、そこだけを見るなら「善いこと」です。



「今までやれなかった人が発信者になれる」 コレ自体は良いことです。

(ツイッターで、個人の発言力が強くなったことだって、良いことでしょう?)

(自分は良いことだと思っています)


「つまんない奴も参戦しやすい」 ここだけが問題であって、そこを混同しては行けない。




「敷居が下がる」 コレ自体は善いこと。 そこはハッキリしておこう。



(技術が発達すると人間は感謝を忘れるから、技術が発達することは悪いこと、みたいなことを本気で考える人間にはならないようにしましょう)

(考えようによっては、「感謝を忘れてしまうこと自体」すら、善いことなのです)

(これはどっかで言った)



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で、なんかグダグダ語ってるけどあんま関係ない話になってきてるかもしれない。




多分、

「Vtuber全体の再生数が減ってる」だとか、 

「やっぱり飽きられて来てんじゃん」とか、

「やっぱアイツラつまんないじゃん」とか、 そういう話ですよね?

Vtuberのハッピーエンドを考えるということは。





で、これに関してだけど、

やっぱり最初に戻ってきてしまうと言うか、


別に、生きていけてたらいいんじゃないですか?





で、Vtuberの再生数が減ってて、

ユーチューブの広告料だけじゃ食っていけないということになっているとする。


企業案件だとかこなせるような大手しか、生きていけないということになっていたとする。



そんで結局、有名所の、型にはまった奴ら、

公式こなしてるような実況者の延長のような、奴ら


そういうのしか生き残れないんじゃあ、ぶっ飛んだ奴らが生きていけないんじゃあ、


それこそ、「Vtuberとしての意味がない・価値がない」 という考えもあるかもしれない。





でも、そこはなんというか、 自分の考え方としては、

「それ以外」でも生きていけんのかな?と思ってしまうのです。



だから自分は、Vtuberが ユーチューブだけじゃなくて支援で食っていってもいいと思ってるんですけどね。




なんか聞きましたが、 支援者が100人いたら月5万円くらい支援額貰えてるらしいですね。平均。

(自分は貰えてません)

(自分の目標は4万円ですがー)


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人間というのは、

一体、何人の人間を喜ばせてたら、 生きていて良いのでしょうね?



(もうポエムモード入りましたからこっからメチャクチャです)




自分は、その数字がもっと下がっていっても成立するような、

シンプルな世界が来ればいいと思っています。




「自分にとって、この人が生きて活動しているということは、 自分の人生を豊かにしているということだ」

「だから、自分はこの人が生きていることを望む」


「だから、この人を支援する」




全員がそんな感じで生きて行けてたらいいんじゃないですか?

そんなことを思ってしまう。





例えば

自分の場合、どういう人が生きていることを望むかと言うと、

↓まぁこういう人ですね。


うんこちゃんの動画の切り抜きやってる人、本当偉いと思う。

こんな編集、メチャクチャ大変でしょう???


でも皆のためにこういう作業をやってるのですよ。 

(需要があるからやってるだけだろ?って思うかもしれないけど、そこは表裏一体ですよ)


で、自分はこれを見て、楽しんで生きているワケです。


こういう人がいなくなったら、自分の人生はちょっとだけつまんなくなる。





「自分の人生に、この人がいたら楽しいから、この人が生きているのを望む」


そういう小さい繋がりだけで皆が生きているシンプルな世界。


それでいいのではないか?




そういうのの形態の一つに、Vtuberが入るというだけではないのか。





「ファンが1000人くらい居るVtuberが、支援でほそぼそと食ってる。」


「別にそんなに有名じゃないけど。」


「でも別にいいんだ。」



・・・

というのでも、別に自分はそれも立派なハッピーエンドだと思ってしまうのですが、

どうなんですか?





それともやっぱり、

VtuberがもっとTVとかアニメとかバンバン出まくって、世間一般に認知されて、

一つの新しい生き方、みたいに認識されていく未来、


みたいなことを考えていった方がよかったでしょうか?


なんかそういう流れにはならんかったですね今回。



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・・・

というのが、自分がVtuberの末路に関して思っていることなんですが、

なんか違いましたかね。




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