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R-18

11244文字

電車で尻尾生やしちゃったり映画館で卵お漏らししてしまうやつです。


本編↓


 満員電車の熱気の中、瑠香は自分の身体を抱くようにして震えていた。それも原因は寒さではなく、内側から身を焦がすような高揚感と熱だ。何でこんな時に、と内心で舌打ちをする。最近はしばらくの間竜化がなく油断していたので、よりによって今日はタイトスカートだ。下着の内側から尖ったものがむくむくと頭をもたげ、今にもその薄い布を破ろうとしている。何とか次の駅までもちますようにと祈りながら、せめて乗客から見えないようにとその突起を窓側に押し付けた。

「ふぅ…」

 しばらくその状態で耐えていた瑠香だったが、やがて電車内のアナウンスが次の行き先を告げ、降りるであろう乗客も各々の荷物を持ち上げ始めた。ドアが開いた瞬間人間らしからぬ脚力で駆け出し、とにかく人目に触れないようにと女子トイレの鍵を閉める。

「危なかったぁ」

 彼女がスカートをめくると、ちょうど尻のあたりからぴょこんと尾のようなものが飛び出した。ただしそれは猫や犬のような体毛に覆われたものではなく、むしろ爬虫類に近い鱗を持っている。青緑色にてらてらと光るさまはともすれば宝石と見紛う程の美しさだが、白く柔らかい瑠香の肌にはひどく不釣り合いだった。可愛らしい下着には既に尻尾の先端の大きさに合わせて穴が開いており、最近買ったばかりなのにとため息が漏れる。とにかく落ち着くまで一旦ここで時間を潰し、スカートで隠せるようになったら急いで自宅に戻らなければ。服の裾を持ち上げてゆらゆら動くその尻尾を気にしながら、瑠香はもう一度大きなため息をついた。

 瑠香は竜人である。数千年前には普通に存在していたらしいのだが、現在の人間界ではかなり珍しい存在だそうだ。その希少さから鱗を剥ぎとられたり魔女狩りのような事件が起きたりという危険もあるため、瑠香も数少ない他の竜人から隠れて暮らすようにと教わった。その教えに従い人間に混じって生きてはいるが、常にその容姿を保つことは難しい。竜本来の巨大な体躯を動かすためのエネルギーが、人間体でいる間は発散しきれず溜まっていってしまうのである。そのため時折こうして竜化しなければ身体がむずむずしてきてしまいどうにも敵わない。幸い身体の一部だけでも変化を解けば収まるものの、こうして人前にいる時に気を抜くとすぐこれだ。そのため自分の家では尻尾や翼を隠すことなく生活し、少しでも多くのエネルギーを消費できるよう気をつけていた。万が一人目に触れる場所で竜化が始まってしまった場合でも我慢できないわけではないのだが、当然その代償はある。

「お腹痛いなぁ…」

 そろそろあれが溜まってきているらしい。下腹部に僅かな鈍痛を感じ、瑠香は顔をしかめて立ち上がった。意を決してトイレのドアを開け、再び電車に乗り込む。その種族故に人間をはるかに上回る身体能力を持っている瑠香なら正直走ったり飛んだりして帰る方が速いのだが、無論そんなことをすれば翌朝にはネットニュースに晒されているだろう。漫画やアニメでやたらと話題になる竜人だが、瑠香にとってはむしろこんな痛みを感じることもない普通の人間が羨ましかった。

 先ほどトイレでしばらく休憩したおかげで、何とか家までは変化状態を保てそうだ。完全にはひっこめられなかった尻尾がつんつんと座席をつついているが、この程度ならまだ誤魔化せるだろう。身体の疼きから気を逸らそうと窓の外を眺めているうち、電車は静かに瑠香の最寄り駅へと滑り込んでいった。


「ただいま…」

 なんとか家に辿りついた頃、瑠香のお腹はまるで妊婦かのように膨らんでしまっていた。その膨らみの中にあるのは、竜化エネルギーの結晶ともいえるこぶし大の卵だ。ごろごろと内膜を擦る感触に居心地の悪さを感じながら、荷物を下ろしてその場にしゃがみ込む。普段は何となくの羞恥心からトイレに行くのだが、今日はいつもより卵の数が多いような気がする。

「う…んっ」

 下腹部に力を込めると、腹の中で動いていた卵の一つが徐々に下がっていくのがわかった。それでも産み落とすまでには少し時間がかかるらしく、瑠香は顔を真っ赤にしていきみ続けている。異物が産道を通る微かな痛みに顔をしかめたが、突然がくっと身体の力が抜けた。無事に卵を排出し終わったのである。ほっと安堵の息を漏らしたが、まだ腹には大量の卵を抱えている。再びきっと眉を上げ、腰を前後に揺らしながら産卵を続けたのだった。

 全ての卵を産み落とした頃、瑠香の息はすっかり上がってしまっていた。竜人の強靭な肉体をもってしても産卵行為というのは骨が折れる作業で、緩んだ産道が戻るまでにも少し時間を要する。普段ならこのままベッドに倒れこんでしまうところだが、今日は帰りが遅くなってしまったので夕食もまだとっていない。瑠香はやっとのことで重い腰を上げ、冷蔵庫を開いた。中身は玉子と野菜、パックに入った生肉等々ごく普通の食材である。ただ玉子だけは何だか生々しく見えてしまい、今夜はやめておこうと棚に戻した。

竜を人間界の生物に無理矢理分類したとしたら、恐らく生態は爬虫類に近いだろう。ただ瑠香はあくまで人の要素も持っているので、生肉をそのまま貪ったりだとか虫をぱくんと飲み込んだりだとかそういう食事はとらない。出来ないというわけでもないのだが、流石にそれは年頃の娘として野蛮過ぎる。ただ窮屈な生活を面倒に感じた故人里離れた山奥にて竜の姿で暮らす同胞がいるらしいと聞いたし、彼らから都会を離れるようにと諭されもした。でも瑠香にとっては本能の赴くままに過ごす田舎での暮らしよりも、色々と不便なことはあるが刺激的な都会暮らしの方が魅力的だ。元来人懐っこい性格をしているおかげもあって、彼女はよき友人に囲まれていた。大学の入学試験では人間のことばかり質問されてかなり苦戦したものの、それを乗り越え入学したことを後悔してはいない。

大学で手に入れた交友関係を思い返しながら簡単な夕食をとっていると、自身のスマホから可愛らしい着信音が鳴った。どうやらメッセージが来たらしく、差出人は瑠香が普段特に仲良くしている同級生だ。一旦箸をおいて内容を読んでみる。

「急でごめんなんだけど、明日映画見に行かない?なんか元々見に行く予定だった友達が急用出来たとかでペアチケの割引券もらったんだ~」

 カラフルな絵文字やスタンプで彩られたそのメッセージに、瑠香は翡翠色の瞳をきらきらと輝かせた。最近あったテストに向けての勉強に追われて凝り固まった羽を伸ばすにはいい機会である。早速細い指でぽちぽちと画面を叩き、返事を送る。

「めっちゃ行きたい!待ち合わせとかどこにする?」

 二つ返事で了承した瑠香と友人は簡単な予定を決め、うきうきした気分のままスマホを置いた。家と大学とバイト先の往復ばかりだった毎日にようやく娯楽を挟むことが出来ると決まり、電車の中で感じた沈鬱な気分は既に霧散している。映画館で食べたいものや当日の服など様々なものに思いを巡らせながら、瑠香は明日に備えて早めに布団にもぐったのだった。


 次の日、まだ空気が夜の肌を刺すような冷たさを残している時間のことである。

瑠香は鏡の前でくるりと回り、自分の服装をチェックしていた。散々悩んだ末に決めたのは、健康的なオレンジ色のサマーニットと動きやすいオーバーオール。メイクも普段より気合いを入れ、瞼には服の色に合わせたアイシャドウを載せた。瞳孔が縦に広いことを気にして人間の町に来た当初こそカラコンが手放せなかったが、今ではそれも彼女の個性として受け入れられている。

そわそわとスマホを手に取ったり置いたりしながら時間を潰したのち、出る直前に手で下腹部をさすってみた。透き通るような肌の下に異物感はなく、ただなめらかな曲線を描く薄い腹筋があるのみ。つまり、卵が溜まっている気配はないということだ。昨日こそ調子が悪かったが、あれだけ大量に産卵したのだから今日一日くらいは竜化せずにいられるだろう。竜人という特殊な種族であっても、瑠香の精神年齢は二十代の女子そのものである。うきうきしながらバッグを持ち、ドアの外に立ち込める清々しい空気で胸を膨らませた。

 外出と言ってもそこまでの遠出ではないので、待ち合わせ場所までは徒歩である。夏が近づいているということもあってか人々の服装も涼しげになりつつあるが、その中でも身体の構造からして体温調節が苦手な瑠香は少し季節を先取りしているふしがあった。特に夏は天敵なので、遊びに行くにしろ行き先は大抵屋内である。ちなみに友人には熱中症になりやすい体質なのだと説明し、それなら仕方ないねと分かってもらうことが出来た。もちろん冬も相当厚着をしないと凍えてしまうが、アクティブな一面故に家でじっとしているのも性に合わないのだ。

 どうやら予定の時刻よりも大分早く到着してしまったようで、友人が来るまでは少し時間がある。このくらいなら普通にここで待てるだろうとスマホを弄り始めたが、しばらくしてから異変は訪れた。突然かっと顔が熱くなり、何やら不穏な気配もする。まさかと思い片手で腰を触ると、まだ小さいが尾の先端が顔を出し始めていた。

「嘘でしょ…?」

 いくらエネルギーが溜まるペースが早くなったとはいえ、昨日の今日でいきなり竜化が始まる程とは思っていなかった。しかも今日は尻尾だけでは収まらないようで、艶やかな髪を押しのけ頭皮からも二本の突起が現れ始めている。これはやばいと小さく呟き、おろおろと周囲を見渡した。幸い友人はまだ来ていないようなので、これからダッシュで家に帰ればまだ間に合うかもしれない。ただそれまでに竜化が落ち着く保証はなく、ドタキャンせざるを得なくなる可能性もあった。そうこうしているうちに尖った尾はさらに長くなり、オーバーオールの硬い布地すらも貫かんとしている。咄嗟に尻を押さえたがその抵抗も空しく、ばりっと大きな音がした。

「いっ!?」

 思わず悲鳴を上げてしまったが、周りの人々に気付かれないよう慌てて声を押し殺す。これは流石にもう我慢できない、一刻も早く家に戻らないと。布地の縫い目を裂くようにして現れた尻尾を申し訳程度に手で隠しながら、瑠香は踵を返して走り出した。


「はぁ、はぁ…」

 せっかく自由に出かけられると思ったのにいきなりこの仕打ちは何なのか。今日はもう諦めるしかないのかとうなだれる彼女だったが、しばらくしてまた顔を上げた。時計を見ると友人が来るまであと十五分はある。それまでに何とかエネルギーを発散し、舞い戻るのだ。

そうと決まればすぐに動かなければ。瑠香は破れてしまった服を無造作に脱ぎ捨て、しなやかなその肢体を露わにした。すっかり大きくなった角と尻尾を除けば、その姿は普通の少女とまるで変わらない。目を閉じてゆっくりと呼吸を繰り返すと、これまでは出ていなかった翼も顔を出した。ゆっくりと開かれた翼膜は真珠色の光沢を持ち、特にそれが朝日を受けて輝く様子は天女の羽衣もかくやあらんと言われるほど美しい。だが彼女の変身はまだ終わらなかった。白い肌の上に硬い鎧のような鱗を纏い、その髪も徐々に竜の鬣へと変化していく。神々しささえ感じる変化を終える頃、ワンルームの部屋には少し窮屈なサイズの西洋竜が佇んでいた。無論本来の姿はこれよりもずっと巨大だが、マンションを壊すわけにはいかないため今はこれが限界だ。身体の一部だけではなくいっそ完全に竜になってしまえば、我慢するよりも効率的にエネルギーを消費できるのではないかという魂胆である。やはり本来の姿でいる方が身体的には落ち着くらしく、彼女は気持ちよさそうに尻尾をゆらゆらと動かした。

しかしいつまでもそうのんびりはしていられない。数分間身体をほぐすように軽い動きを繰り返した後、瑠香は再び人間の外見に戻った。翼は仕舞われ、角も引っ込み、数秒も経たないうちにあっさりと変化が完了する。

「よし、もう大丈夫かな」

 今度は万が一の事態に備え、尻尾を仕舞えるほどのゆったりとしたワンピースと角を隠すためのパーカーを選んだ。自身の体質について苦悩はあるが、それで自分の楽しみを簡単に諦めるのは嫌だ。スニーカーの紐を結び終わるや否や、瑠香は不安を蹴とばすようにして走り出した。


「お待たせ!ごめんね遅くなって」

 結局数分の遅刻はあったものの、友人はまだそこで待っていてくれた。瑠香が大きく手を振ると、彼女も同じように振り返す。大学も専攻も同じ気心しれた仲ともあってか、二人はよくこうして様々な場所へ遊びに出ていた。

「私も今来たところだよー」

「ちょっと着る服迷っちゃってさ」

 途中でパンツが裂けたなどとは言えないため、瑠香は嘘をつくことに若干罪悪感を覚えながらも肩をすくめた。そこから話を膨らませ、映画館への道のりを進みながらファッションやバイトなど女子大生らしい話題に花を咲かせる。先ほどのような事件もあるので瑠香はもっぱらスカートばかり履いているのだが、表向きは体形が気になるからということにしていた。時折出かける途中で突然トイレに駆け込んだりいなくなったりする瑠香のことを不思議には思っていたが、友人は友人なりにそれを受け入れているらしい。気さくで明るい瑠香のことなのできっと何か事情があるのだろうと思い、無理に追求しようとはしなかった。

「あ、そうだ!今日の夜って予定空いてるかな。もし出来たらなんだけど、久々に一緒に飲まない?」

「それならうち来なよ!たまたま親戚から大量にお酒もらってさ。一人酒っていうのも味気ないからちょうどいいなって」

 大して強い方ではないのだが、その性格故かグラスを片手に友人と食事する時間は好きだ。たまたま予定は空いているし、家なら周りに気を使いながら飲む必要もない。二つ返事で了承し、これから夜まで続く楽しい時間への期待に胸を膨らませた。

 大学の授業こそないものの、今日は平日である。映画館の人手は割と落ち着いており、二人はすんなりとチケットを買うことが出来た。内容はラブロマンスで、最近話題の俳優が出演することから既に噂になっている一本だ。物販のパンフレットが既に売り切れているのを見るあたり、どうやら客足自体は順調らしい。他の観客も彼女らと同年代の女性が多く、各々ポップコーンやコーラなどの簡単な食事を持って館内に入った。

「結構空いててラッキーだね」

「それな!いい感じの位置に席取れたし」

 やがて明るかった照明が少し落とされ、観客の間に独特の静寂が広まっていった。広告が流れている間にスマホの電源を落とし、入口でもらったクッションを抱きかかえる。

すっかり準備万端というところでちょうど本編が始まった。どうやら女性の方が主人公らしく、彼女が夏の間だけ祖父の家に滞在することが決まるというシーンが映されていく。祖父が住む海沿いの町は決して都会ではないものの、海も空も全てがまるでクレヨンで描いたかのように色鮮やかに見える。どれもこれも、長い外出が苦手な瑠香にとっては未知の景色だ。映るもの全てに対してどきどきと胸を躍らせながら、ポップコーンに手を伸ばすことも忘れてスクリーンを見つめていた。

「ん…」

 映画も中盤に差し掛かった頃のことである。瑠香はふとシートに違和感を覚え、もぞもぞと身体を動かした。長い間座っていて腰が痛くなったのかと思ったが、どうやらそれは違うらしい。しばらくはなるべく気にしないようにしながら映画を観ていた彼女だったが、その異物感が自分の尻自体にあることに気付いてはっと息をのんだ。また竜化が始まっているのだ。咄嗟に手をやった頭にも一部熱くなっている箇所があり、このままではまずいと唇を噛んだ。館外に出ようにも不幸なことにこの階にはトイレが無く、身を隠せるような物陰も少ない。それならいっそこのまま耐えた方が安全かもしれないと考え、瑠香は必死に荒い息遣いを静めようとする。

「大丈夫?具合悪い?」

 ぜえはあと肩を上下させる彼女の様子に気付いたのか、友人は心配そうに背中をさすってくれた。少し動悸がして、と苦し紛れの言い訳を零す。優しい友人で良かったと内心で感謝しながら、尻尾をワンピースに、角をパーカーのフードに隠してそのうねるような熱が過ぎ去るのを待った。それでも完全に変化を止めることは敵わず、太い尾によって僅かに身体が持ち上がる。それと同時にいつの間にか膨らんでいた下腹部が疼き始め、産卵の気配までしていた。幸い今は椅子に座っているため、卵を見られる危険性は少ない。これさえ終わらせてしまえば少しは落ち着くかもしれないという微かな希望が頭をよぎる。床に落ちないよう細心の注意を払いながら、瑠香は額に汗を浮かべて身体の中の異物を押し出し始めた。

「う、ぐっ…」

 少しずつ、少しずつ、膨らみのうちの一つが股間に向けて動き始める。声を出さないように必死で服の袖を噛みながら、人間の出産と同じように襲い来る鈍い痛みに耐える。やがて卵の半ばほどまでが顔を覗かせた次の瞬間、下着がずんと重くなった。パンツの中に卵を出してしまったのだ。ぬらりとした体液がクロッチに沁みて不愉快ではあるが、出し切らない限り竜化は止まらない。瑠香は長い時間をかけながら、それらを全て排出し終えるまでいきみ続けた。

必死に伸ばしていたスカートの裾から尻尾の先が見え始め、もうそろそろ本格的にまずいと危機感に震えた矢先のことである。やはり産卵を終えたことによって身体が落ち着いたのか、不意にすっと頭の芯が冷える感覚がした。それを皮切りに、既に肘あたりを覆い始めていた鱗が薄れていく。

「…っは、ふぅ…」

 どうやら全身の竜化は避けられたらしく、一旦シートから浮いた身体も徐々に元の位置へと戻っていった。瑠香は全身の力を抜き、ほっとした表情で友人に向き直った。こんなところでもし完全体になってしまったら、パニックどころでは済まなかっただろう。家で一度解放していたのが功を奏し、ギリギリのところで踏みとどまれた。

「もう大丈夫みたい。心配かけてごめんね」

「そう?ちょっと緊張しちゃったのかな」

「そうみたい。あ、続き見よっか!」

 誤魔化すようにポップコーンを頬張り、ちょうどいいところで見失ってしまったあらすじを拾おうと努める。最初はちらちらと不安げにこちらを見ていた友人も徐々に落ち着きを取り戻したらしく、しばらくすればまたその瞳にスクリーンの光を宿していた。

 それから数十分後のことである。結局ストーリーはところどころ飛んでいたが、二人は満足気な表情で館内を後にしていた。物語こそ中途半端になってしまったものの、瑠香は映像美だけでも十分楽しめるのだ。もしいつの日か竜人の存在が受け入れられるようになったら、あんな風に船に乗って遠い島へ旅してみたいなと思った。

「めっちゃかっこよかったねあの男の子!やっぱ噂通りだわ」

「でも私絶対あの金髪の子派なんだけどな~、なんで幼馴染選んじゃうかなぁ」

 口々に感想を述べあう観客に混じり、入口まで押し流されるように移動する。氷が融け切った薄いコーラを飲み干して、ポップコーンの容器と共にゴミ箱へ。片手に握っていた半券を眺め、絶対また来ようと決心した。

「瑠香、しつこいようだけど身体大丈夫?熱とか出てない?」

 彼女の背を撫でたとき、友人もその体温の高さに驚いていた。風邪というにも無理があるほどの突発的な発熱により、善意から救急車を呼ばれることになる竜人もたまにいるらしい。無論病院に到着してしまうと正体がバレるどころか人間にとっての研究対象にすらなり得るので、そういう時はもうなりふり構わず竜形態で逃げ出すしかない。つまり誰かにその姿を見られると、住んでいる町を捨てなければならなくなるということでもあった。しかし瑠香にはこの町で作った大切な友人、大切な場所、大切な思い出がたくさんある。頑なに人間界での生活を続ける理由も、それを投げ捨てたくないからだ。

「全然!平気平気」

 ひらひらと片手を振りながら、あっけらかんとした態度で笑ってみせる。むしろこうして人間の姿を保つ方がずっと具合が悪いくらいなのだが、流石にそれは言えない。気丈なその様子に安心したのか、友人も頷いて前を向いた。この後は夕飯兼つまみに必要な材料を買いそろえ、二人で歩いて家に向かう予定だ。スーパーでの買い物という何気ない日常のワンシーンでも、誰かと一緒にいるだけで特別なものになる。すっかり重くなったレジ袋を両手に、笑い合いながら家路を辿った。


「あ、ちょっとそこで待ってて!片づけてきちゃうから」

 先ほどは全力疾走だったため短く感じたが、普通に歩くと十分ほど要する道のりだった。友人を少しの間玄関で待たせて、瑠香は先ほど裂いてしまったオーバーオールを急いで片づけに行った。とりあえずはクローゼットの中に入れておけばわざわざ見はしないだろう。変なところが破れている理由も説明しにくいし、何より恥ずかしい。他にも落ちていた鱗の処理や卵の片付けなどおよそ一般的ではない掃除を行い、再び玄関に戻る。

「お待たせ!上がって上がって。何もないけど」

「お邪魔しまーす!相変わらず瑠香の部屋って綺麗だよね」

 彼女とはそれなりに長い付き合いで、こうしてお互いの家で飲むのも初めてではなかった。普通なら遊んだ後にいきなり家に呼ぶなんてハードルが高い行為だが、ここまで気心が知れていれば不愉快な気持ちにはならない。

「そんなことないよー。あ、紅茶でいい?」

 瑠香はキッチンで飲み物を入れ、友人が待つテーブルへ運んだ。透き通った紅茶色の中に、ミルクの白が美しく広がっていく。少し歩いて火照っていた身体に染み渡るような冷たさに、二人そろってほっと息をついた。

「美味しいねこれ、どこの?」

 友人は一口飲むなり首を傾げ、その出所を尋ねてきた。活発な印象とは裏腹に、瑠香の趣味のひとつはこうしてお茶を入れることである。茶器にも少し凝っており、アイスティーが注がれているカップはガラス製だった。この方が純粋な色を楽しめるし、氷を入れた時の音も涼しげに聞こえる。

「駅の中に新しく出来た紅茶屋さん知ってる?あそこなんだけど」

 あたりがすっかり暗くなるまで、二人はいつまでも途切れない話題を楽しんだ。時折挟む冗談に笑い合いながら、何品かつまみになりそうなおかずを作る。食事の上で瑠香が見せる竜らしいところを強いて言うなら、魚より肉の方が好みだというくらいだろう。

「あ、お酒先に出しちゃうねー。それよそっといてくれる?」

 瑠香は廊下に積みっぱなしだったダンボールを開き、中から数本の瓶を取り出した。女性でも飲みやすい果実酒ではあるが、度数のわりに酔いやすいのでなかなか口がつけられなかったのである。急激に体温を上げると身体に障るという現実的な問題もあったが二人で空けるなら大丈夫だろうと栓を開け、食卓に持って行った。来客用のグラスに注がれた中身は上品な薔薇色で、ふわりと桃のような香りが漂っている。そのまま飲むのもいいが、念のため瑠香は水割りにした。

「いただきます!」

「いただきます」

 飲み会にしては律儀に手を合わせ、万が一潰れても洗い物をせずに済むようにと用意した割り箸を開ける。

「で、乾杯!」

腕によりをかけて作ったサーモンとクリームチーズのカナッペ、トマトのカプレーゼ、ピクルスなど目にも鮮やかな料理が食卓を彩る中、軽い音を立ててグラスのふちが触れた。早速その見るからに甘くて美味しそうな酒を口に含めば、見た目に違わぬ豊かな風味が広がった。アルコール特有の苦みや焼けるような熱さは全く感じず、ジュース感覚でいくらでも飲めてしまうような気がする。友人もその味に目を見張り、二人して歓声をあげた。

「これすっごい美味しいじゃん!どこで買ったんだろ」

 これなら牛乳割りもいけるのではと実践してみたが、やはりそれも美味である。先ほどの爽やかな印象とはまた違う、いちごオレに近い濃厚な甘さとなった。他にも様々な種類の瓶を取り出し、半ば飲み比べのような形で味わう。中でも瑠香のお気に入りはすっきりとした味わいの白ワインだった。次々とグラスの中身を空けつつ、箸の方も止まる気配はない。食べ切るたびに新たな一品を追加しつつ、夕飯には十分な量を胃の腑に収めた。

「実はあの子って彼氏いてさ」

「あの授業のレポートめっちゃだるいよね~」

食べ始めてから一時間ほど経っただろうか。酒が入ったせいか、二人はこれまでよりもさらに饒舌になっていた。美味しいつまみと尽きない話題が揃えば、欲しくなるのはさらなる一杯。そうして徐々に飲むペースが勢いづく中、瑠香はとうとう自らの身体の火照りに気付かないままだった。あの背中を焦がすような焦燥感もないまま、むくりむくりと身体のあちこちが膨らみを持つ。いつもなら必死に抑えようといきむところだったが、今日はそれがない。これ幸いと竜化は止まらず、ついに遠目に見てもわかるほどのサイズにまで角が成長してしまった。尻尾も同様にのびのびと生え、ぴたんぴたんと床を叩いている。

「あれ、なんか…」

友人はとろんとした目を擦り、瑠香の頭上に目をやった。焦点が合わないためしっかりと視認することは出来ないが、そこにはぴょこんと飛び出した何かの突起がある。無論、竜化によって生えてきた角だ。しかしかなり酔いがまわった彼女は軽く首を傾げる程度の反応しか見せず、それどころかコスプレか何かだと勘違いしていた。やたらリアルだなぁ、と間の抜けた声をあげる。

「瑠香ってばそれなんの衣装?」

つんつんとその背をつつきながら揶揄うと、瑠香も一瞬きょとんとした顔をした。アルコールが入った高揚感に紛れ、竜化直前に感じるはずの予感が薄れているのだ。いつの間にか背中から大きく広がった翼をはためかせ、その勇ましさに似合わぬ無邪気な笑顔を見せた。こちらもなんだか身体がいつもより重い気がするな、といった程度の認識である。

「なんの話?私はいつも通りだもん、酔いすぎだよ~」

もちろん酔いすぎなのは瑠香も同じだ。もし素面に戻れば悲鳴を上げて逃げ出すであろうギリギリの状況だが、すんでのところで酒に救われている。しかしお互いそこに突っ込むことはなく、瑠香は尻尾や翼を遠慮なくぱたぱたと動かしながら楽しい食事に興じた。

「それじゃまた明日学校でね」

「んー!楽しかったよ~」

夜もそろそろ明けようかという頃だろうか。二人の飲み会はようやくおひらきとなり、友人は片手を振りながらドアの向こうへ消えていった。幸い瑠香の竜化は酔いが覚める頃に解け、本人と友人の記憶には残っていないようである。ただ床には掃除したはずの鱗が二、三枚光っており、その出来事が嘘ではないということを物語っていた。


「うーん…」

いつの間にか疲れて眠ってしまったようだ。あれからどうやってベッドまで戻って来たのかわからないが、酒のせいか喉がからからになっている。やがて入れっぱなしだったお茶を飲んで大きく伸びをした瑠香は、ふと姿見に映った自らの姿を目にして凍りついた。二日酔いでぼんやりとした頭が冴え、自分がやってしまったことを嫌でも思い出させようとしてくるのだ。着ていたワンピースの背中はズタズタに裂け、裾にもほつれがある。言うまでもなく、翼と尻尾のせいだ。もしやと思って頭を触ると、そこには角の名残である小さな突起が残っていた。

「うっそ…」

もしかしなくても、昨日の飲み会の途中で無意識のうちに竜化してしまったのだということは明らかだった。友人のあの態度からして恐らく酔いのせいで気付きはしなかったのだろうが、もし酒が回っていなかったらと思うと背筋がぞわぞわと震えた。朝の爽やかな空気に似合わぬ凄惨な蒼白に染まった顔で、瑠香はしばらくの間立ち尽くしていたのだった。

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