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 それぞれの目的のために二手に別れた俺たちは、途中で見つけたスーツへと着替えると紫堂のいるヘリポートへと向かっていた。  すでに通路まで流れ込んでいた大量の水は排水されて、周囲には避難する人の影もない。  すっかり人の気配がなくなった通路を駆ける俺たちを邪魔する者もいなくなっていた。 (やばいなぁ……俺が足を引っ張っている……)  日頃の運動不足がたたって、少し走っただけでもゼェゼェと息を乱している。  先行する杏子さんはおろか、並走する玲央奈もまだまだ余裕な様子なのにだ。  驚異的な身体能力をもつ杏子さんはもちろん、アイドルの玲央奈もライブでは激しいダンスを披露しながら笑顔で熱唱している。日頃からの欠かさず鍛練している彼女と、たまの休日すら惰眠をむさぼっていた俺とは比較するのも失礼だろう。  それでも心配そうに見てくる玲央奈に対して、大丈夫だと親指を立ててみせるのは大人の男としての意地だった。 (ランニング……いや、筋トレだけでも毎日やろうかな……)  そう強く決意をかためる俺は、煙草を吸いたいという欲求を押し殺して、先ほどまでのやり取りを思いだしていた。      いざ移動をする段階になって問題になったのが、ヘリポートまでの道筋だった。  杏子さんも玲央奈も攫われてきた身であるが故に施設内は詳しくない。当然、今夜がはじめて訪れた俺も限られた場所しか知らないのが実情だ。 (まいったなぁ、ケンジに聞いておくべきだったか……)  唯一、知ってそうな人物は、すでに美里さんとともに囚われの陽介さんの救出へと向かって別れた後だ。  だが、思案する俺に対して杏子さんは、なぜか余裕の様子をみせていた。 「紫堂のいる場所までのルート? そんなの詳しい人に聞けば早いでしょう」  自信満々に告げる彼女だが、もちろん周囲には人影もない。散発的に行く手を阻止しようとしてきた黒服たちも、今ではバッタリとこなくなっていたのだ。 「聞くにしたって、誰もいませんよねぇ?」 「ふふン、まぁ、見てなさいな……ねぇ、ご主人様がお困りだよぉ、ストーカーな女狐さん」  誰に言うでなく、突然、虚空に問い掛けた杏子さんだったが、驚いたことに返答はすぐにあった。  通路に設置されているインフォメーション用のモニター、今は緊急事態を報せる表示になっていたそれが、突然に砂嵐画面になると聞き覚えの声をモニターから流し始めたのだ。 「もぉ、もうちょっとマイルドに言いようがあるでしょうに……例えば、密かに見守っている、頼りになる美人秘書さんとかね」  その落ち着きのある丁寧な言葉使いには、何度も心を救われていた。自然と俺の口元には笑みが浮かんでいた。   「……その声は、ナナさん!?」 「はーい、そうですわ、ナナございます、ご主人様」 「よかった、無事だったんだね」 「えぇ、お陰様で……もしかして、心配して下さってたんですの?」 「当たり前だよッ」  ノイズ画面で姿のみえないナナさんだが、俺の即答に彼女が微笑んだように感じられた。  水槽が破壊されてホールへと流れ込んできた大量の水に様々なものが流されて、お陰で黒服たちによる包囲も解除されたわけだが、その仕掛けを発動させたナナさん本人も姿が見えなかった。  涼子さんと玲央奈とともに彼女のことも密かに心配して探していた俺だった。  強かな彼女のことだから無事だとは信じていた。それでも、それを実際に確認できればホッとしてしまう。  そんな俺の姿があちらからは見えるのか、クスリと笑う気配がする。 「ホント、利用されたというのにお人好しですわね」 「そりゃ、協力者だからね……改めて、窮地だったのを助けてくれてありがとう、助かったよ」  正直、絶対絶命の大ピンチで、仮に切り抜けられたとしても俺と玲央奈だけでは手詰まりな状況だった。  涼子さんは囚われてしまったとはいえ、場を仕切り直すことができ、杏子さんとケンジという強力なスケットまで用意してくれたのだから感謝しかない。  その想いを素直に言葉にしたつもりだったが、それが彼女には予想外だったようだ。 「……きょ、協力者なら当たり前のことですわよ……」  珍しく戸惑う様子をみせる彼女に妙に嬉しくなってしまう。  柔和な笑顔を浮かべていた彼女だが、その本心を常に隠しているように感じられたからだ。垣間見せてくれた彼女の気遣いに感謝しつつも、その影でどこか無理をしているように感じられたのだ。  俺の仕事でも仲のよかった同期が同じような態度のときがあった。  つねに笑顔を絶やさす、俺のことも気づかってくれたヤツだったが、その裏では心を激しく病んでいた。そして、限界を迎えると仕事を辞めて人知れず去っていったときに似ていたからだ。  だから、本当の彼女に触れられたようで、俺は嬉しかったのだ。 「それでも、ナナさんのお陰で助かったんだから、ありがとうと言わせてもらうよ」 「い、いいぇ……そんな……お礼を言われるなんて……」  満面の笑顔で告げた言葉にノイズ画面に見える人影が激しく揺れたように見えた。  それを目聡く見つけた杏子さんが指摘してくる。 「もしかして、アンタ……マジで照れてるの?」  杏子さんは表情が豊かで、コロコロとよく変わる人だった。  珍しいものを見たとばかりに驚き、そしてすぐにニヤニヤとしだす。 「…………うるさいッ」  それにムッとしている気配に声が変わっていた。 「これは驚いた。氷の微笑で有名なあの秘書さんが、まさかねぇ……きっと耳まで真っ赤にしてるわよ、この女狐さん」 「う、うるさいですわよ、そこの体力バカッ、今度、水をさしたらケツの穴からオイルを流しこみますわよッ」 「おー、怖い、怖いッ」  杏子さんの指摘が事実だったのか、凄い剣幕でスピーカーから罵詈雑言が飛び出してくる。その以外な反応に、俺はただ驚いていた。  どうやら杏子さんは俺を手助けする契約以前からナナさんのことを知っている素振りをみせていた。  俺の知らないナナさんにちょっと興味を惹かれたが、ムッと眉根を寄せる玲央奈の様子に諦めることにする。 「さてさて、珍しいものを見れたし、そろそろ本題に戻りましょうか」 「ア、アンタが脱線させたんでしょうが……んんッ……まぁ、いいですわ、えぇ、ヘリポートまでの道順ですわよね」  杏子さんの切り替えの速さに、ナナさんも振りまわされる姿につい笑みをこぼしてしまう。  だが、いつまでも時間を浪費することもできなず。俺も改めて気を引き締めることにする。 「こちらの状況は把握できている……と考えて良いんだよね」 「はい、大まかには……正直、あの状況で紫堂に対してゲームを吹っ掛けるとは思いませんでしたわ……うふふッ、流石はワ・タ・ク・シのご主人様ですわね」  妙に嬉しそうにするナナさんの声に玲央奈が表情をさらに険しくするが、話の腰をこれ以上折るわけにもいかず見なかったことにする。 「なら、ヘリポートまでの道順を教えてくれないか?」 「はい、ではこちらもご覧くださいませ」  即座に目の前のモニターには施設の見取り図が表示される。俺たちのいる現在位置と目的地であるヘリポートがマーキングされると、その間を繋ぐ色の異なる三本のラインが描かれていった。  相変わらずの手際の良さにおもわず舌を巻いてしまう。経営者なら秘書として手元に置いておきたくなる有能さだろう。  関心する俺に鼻高々といった様子の彼女は、それそれのルートを説明してくれた。 ――ひとつ目のラインは、ヘリポートに一番近いクラブハウスへの直通エレベーターを使用するルートだ。  通常の会員の出入りにも使われてるいる為にエレベーターの数も多く、その代わりに警備が厳重な上、冠水と火事から逃れようとする会員たちが殺到している最中だ。  その混乱に乗じれば今なら警備の目を潜り抜けられるかもしれないが、如何せんすし詰め状態の現状では地上へと出れるのがいつになるかわからない。 ――次のラインは、貨物搬入用のエレベーターを使用するルートだ。  紫堂が利用していた大型エレベーターなのだが、彼はこれを躊躇なく破壊させたらしい。ワイヤーを切断されて落下した荷台が無惨に潰れた姿が表示される。  併設されている階段には、無数のトラップが仕掛けられているらしく、突破に手間取りそうだ。 ――最後のラインは、俺たちが施設に入るのに利用した円形の野外昇降機を使うルートだ。  地上への高低差が低いのもメリットだろう。機能を停止されてても梯子をのぼることで対処出来る。  デメリットとしては、現在位置からもっとも遠く、地上に上がってからもヘリポートまでかなり距離があることだろう。  だが、現実的に考えてもここが唯一使えるルートであった。  一応、その他にもメンテナンスに使用する作業員用の出入り口もあるらしいのだが、非常事態となった現在の状況では機密保持のために強制閉鎖されてしまっているとのことだった。 「まぁ、当然ながら相手もこれらを把握してるでしょうから、邪魔も入るわよねぇ」  そう言いながらも杏子さんは愉しそうに拳を合わせている。  彼女の圧倒的な強さを見ているだけに頼もしい限りだ。多少の障害ならなんとかなりそうな気がしてくる。  だが、ことはそうは簡単にはいかないようだ。 「ひとつ悪い情報ですわ。どうやら厄介なのが到着しているようですわね」  ナナさんの説明では迎えのヘリには、さらなるシングルナンバーが搭乗していたというのだ。 ――No.07、スーと呼ばれる紅いコートがトレードマークの元軍人の女……  ただし、彼女に求められているのはナナさんのように牝奴隷として男の欲望を受け止めることではない。  苛烈な破壊と殺戮のスキルを使い、紫堂に敵対する者すべてを殲滅するのが役目なのだ。  かつては紅蓮という名で、大陸の組織に幹部として在籍していた彼女は、もう一人の女幹部とともにボスの懐刀として組織の双璧を担っていた。  絶対的な忠誠を誓っていた彼女が、利害関係で対立することも多い紫堂の配下となったのかは不明だ。  だが、事実として今は支配人とともに紫堂の片腕となっているのが現状だ。 「武力面でいったら支配人以上に厄怪なヤツですわよ」  元軍人である彼女はボスの配下となる際に軍で部下だった連中も引き連れてきたのだ。  いずれもが、よりすぐりの精鋭ばかりで実戦経験も豊富な兵士たちだ。その上、上官であった紅蓮に陶酔しているときている。  それがそのまま彼女とともに紫堂の傘下へと移籍してきたというのだから厄介だ。  小さな軍隊と呼べるだけの武力を持つ彼らは、今や紫堂の持つ最大戦力となっているのだ。    そんな事を思い出していると先行していた杏子が立ち止まっていた。   「――止まってッ」  静止させられた俺らは、黙って彼女の視線を追うと物陰に置かれたものに気づく。 「……ブービートラップか」  気付かずに前を横切ればセンサーが反応していたことだろう。そうなれば連動する対人地雷が動作していたはずだ。 (いやいや、これ、間違いなく死んじゃうだろ……まさか、殺しにきているのか?)  物騒な罠を前にして激しく動揺した俺だが、そこに忠告の意味合いを強く感じた。  この先は自分の命を賭けて挑むゲームになると、紫堂からのメッセージとして受け止める。 (あの紫堂なら、自分の命すらチップに嬉々としてギャンブルをしそうだものなぁ)  一歩間違えれば肉片と化していた事実に、今更ながら膝が笑い出していた。 (怖いから、涼子さんを諦めて逃げるか? いいや、違うだろう……)  彼女を自分の牝奴隷にすると俺は宣言したんだ。自分のモノを取り返すのに、ゴタゴタと理屈を並べる必要はないはずだ。 (もぅ、彼女を手放したくない……それだけで、もう俺には十分な動機だ)  気持ちが定まれば恐怖もひく、膝の震えはもう止まっていた。  俺はセンサーに触れないよう、そのまま跨いで見せる。  目の前では通路も終わり、エントランスホールの入口だ。空になった巨大な水槽がそびえ立っている。  ここを抜ければ、すぐに目的地である大型昇降機があるはずだ。そこから地上にでるのが、最初の難関だろう。 「さぁ、もうすぐだ。行きましょうッ」  決意をみせて意気揚々と二人へと振り返った俺だったが、その側頭部には赤い光点が照らされていた。  それに気付くよりも早く、大きな銃撃音が周囲に轟き渡るのだった。  銃声が聞こえる寸前、素早く動いのが杏子さんだった。いつの間にか俺の側に彼女が立っていた。 ――ドサッ  背を向ける杏子さんの向こうで何か大きなものが落ちる音がした。  彼女の肩越しに見れば、ホールの中程に倒れている人がいた。  グレーを基調とした都市迷彩服を着た兵士で、首があらぬ方向へとねじ曲がり、ドクドクと溢れ出る血が後頭部から広がっていた。  どうやら頭上にあるキャットウォークから落ちてきたようだ。脇に落ちているライフルから、彼が俺を狙撃しようとしたらしい。 (そこまでは理解できた……では、なぜ、その落下した狙撃手の眉間に弾痕があるんだ?)  その疑問が解消する前に周囲に隠れていた他の兵士たちから発砲が始まった。  俺の襟首を掴んで物陰へと放り投げた杏子さんに銃弾が集中する。 「六名……全員、いい腕ね」  まるで縁側でそよ風にでも当たっているのかのような彼女に、飛来した銃弾が当たることはなった。  その前面で銃弾に反応して、なにか蠢いた気がすると奥で、再びドサドサと兵士たちが倒れていくのが見えた。 「その分、弾道が読みやすくって助かるわ」  長い前髪をかき上げながら不敵に笑うと、何事もなかったかのように歩き出す。 (なんだ? 透明な何かが見えたような……)  規格外な身体能力では、もはや説明がつかない状況だ。理解できないものを前にして、ゾクリッと寒気に襲われてしまう。  だが、新たな兵士を相手する彼女の勇姿に、味方であって良かったと思う俺だった。 「ん? どうしたの、置いていくわよ。奴さんたちも本気になったようだから、アタシから離れたら命の保証はできないわよ」  ホールの奥では重武装した兵士らが慌ただしく防衛線を築いていた。  そこには手持ちの武器だけではなく、重機関銃やら無反動砲の姿まで見えている。それでも、杏子さんは余裕の様子で、実際にも簡単に蹴散らしていくのだった。  飛び交う銃弾の雨をくぐり抜けて肉薄すると、人間が面白いように吹き飛んでいく。  その圧倒的な暴力をまえにしては最新式のボディーアーマーも役には立たない。盾にしたライフルはへし折られて、四肢があらぬ方向へと折れ曲がってしまう。  彼女の通り過ぎたあとには、絶命を逃れることの出来た兵士らの苦痛に満ちた呻きで溢れていた。 「离我远点(うわぁぁ、来るなぁッ)」 「もぅ、つれないわねぇ」  恐々状態になって銃を乱射する最後の兵士に対して、杏子さんは凄まじい踏み込みから掌底を放つ。ボディーアーマーには彼女の手が深々とめり込んでいった。  それまで吹き飛んでいた敵兵だが、今度はその場で膝から崩れおちていた。胃の中身をぶち撒けて白眼を剥いているのは変わらずだ。 「ふむ……こんなもんかな、久々すぎて力加減が難しいわね」  ブツブツと呟く彼女のまわりでは、時折、透明ななにかがチラついているのが見える。 「杏子さん、そのまわりのって……」 「あぁ、気持ち悪かった? ちょっと変わっているのに憑かれていてね。アタシに危害を加えようとしなければ害は無いから安心して」  凝視してみると、まるでタコの脚のようにうねるものが複数、透明になって蠢いているように見える。  それが飛来する銃弾を弾き、彼女を守っているようなのだ。 「オフスペック……」  杏子さんを見ていた玲央奈が呟いた言葉が気になった。  それに気付いた彼女が説明してくれる。 「お父さんが以前に話してくれたんです。規格外な能力をもった人たちいるって……」 「玲央奈のお父さんって確か海兵隊にいるんだよね」  玲央奈の母親は大手IT企業を経営し、父親は米軍の海兵隊に所属して世界中を転々としていると記事で読んだことがあった。  多忙すぎるお互いを尊重して離婚したこと。不仲ではないので、玲央奈も両親の間を行き来しては、異なる環境を愉しんでいるらしい。  父親の元で油まみれになりながらも車やバイクを一緒に整備している笑顔の姿が、普段のアイドルとは大きく異なって年相応の少女らしい彼女が印象的だったのでよく覚えている。 「よく知ってますね。えぇ、そういう人たちをオフスペックと呼ぶんだけど、それすらも凌駕する世界の異物と呼ぶべき存在のことを話してくれたんです」  紛争時には真っ先に最前線へと駆けつける海兵は様々なものを見てきただろう。そんな人物が語った言葉だとやはり重みが違ってくる。目の前で起こっている突飛な光景にも現実味が帯びるというものだった。  そして、今、戦っている相手も元は軍隊に所属していた連中だ。杏子さんの不可解な能力に一時は混乱をみせたものの、すぐに立て直してきていた。 「あぁ、もぅ、相手の指揮官は有能みたいね」  銃弾は有効でないとみるや攻撃手段を切り替えてきていた。  爆発物による爆風や飛散る破片は防げないらしく、徐々に杏子さんの身体には致命的ではないにしろ細かい傷が増えてきている。  先ほどまでの圧倒的な優位性は覆され、徐々に押されはじめている。  それでも強引に相手を打ちのめして杏子さんは血路を切り開いていくのだった。 「うふふ……」  窮地でありながら、彼女の笑みは絶えるどころか深みを増していた。  根っからの戦闘好きなのか、相手が強いほどに張り切るタイプのようで、まだ見えぬ相手の指揮官に闘志を燃やしているのだ。 「あら、ようやくお出ましみたいね」  通路を駆け抜けた先、円形の昇降機がつくりだす円柱の空間に飛び出すと、そこにたたずむ女がひとりいた。  紅蓮の呼び名のとおり、真紅のコートを羽織っている長身の女は寒気のするよう気配を放っていた。  あの支配人の眼光に劣らない殺気で、免疫の出来てきた俺とは違い、その気配に当てられて玲央奈がガタガタと身体を震わせている。  その肩を抱いて安心させてやるのだが、その俺も震えはないにしても背中には冷や汗をビッショリとかいているのだった。 「あぁ、これは強いわ」  ベロリと乾いた唇を舐めあげる杏子さんの表情から余裕が消えていた。 「すぐそこにメンテ用の梯子があるから、二人は先にいきなよ」 「でも……」 「悪い、あれ相手に守りながらはムリだわ」  どうやら俺たちがいるだけで、彼女の足を引っ張ってしまうようだ。  周囲には敵兵が居ないのを確認すると、玲央奈を支えたまま俺は走り出す。  幸いなことに目の前の女には俺らの邪魔をする気はないようだ。杏子さんを凝視したまま動こうともしない。  濡れたような長い黒髪が顔を半分ほど隠していたが、震えるような美人だった。  その震えの半分は氷のように冷たい美貌に対するものだが、残りは恐怖によるものであった。  地上へと登りきった俺が最後に見たのは、軍刀をスラリと抜き張った女と杏子さんが距離を詰めていく光景だった。 「行きましょう、ご主人さま」 「あぁ……すみません、杏子さん」  戦いの気配を背後に感じながら、地上へと出た俺は玲央奈を伴って歩き出す。  闇夜の中、ヘリポートへの方角を確認すると、生い茂る茂みをかき分けて進むのだった。

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