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 笑ったことで顔の筋肉が随分と強張っていたのがわかる。  緊張していた身体をほぐし、気持ちを引き締める。  涼子さんと共にはじめた潜入捜査は、目的であった紫堂の存在を確認できたものの、相手には正体がバレて絶体絶命の状況だった。  それから脱したものの、まだ涼子さんは捕らわれたままだ。  彼女を連れて撤退しようとしていた紫堂を引き止め、彼女の身柄を賭けたゲームに持ち込んだわけだ。 (我ながら上手く言いくるめるられたと関心してしまうな……)  勝負好きな紫堂の性格を逆手にとった挑発だったが上手く相手がのってくれた。  問題は、この先になにか俺に奇策がある訳でもないということだろう。  無力な俺に協力者は不可欠であるのだが、行きがかり上一緒になったメンバーにどこまで信用できるかも未知数だった。 「さて、それぞれの情報を整理したいのだけど……いいかしら?」  そんな俺の心を代弁するかのように放たれた鷹匠 杏子さんの一声で、緩んでいた場の空気が引き締まる。  喉奥に装着させられていた呼吸装置のダメージがもう癒えたらしく、ガラガラだった声が綺麗なソプラノボイスに変わっていた。  見つけたバスローブを裸体にまとい、帯紐でギュッと絞っている。その恐ろしく細くウエストの位置は異様に高く、素足の長さがより目立っていた。  さらに、たわわな乳房が胸元からこぼれ落ちそうで、全裸でいた時よりも目のやり場に困ってしまう。  だが、濡れた前髪をかき上げている当人は他人の視線など気にした様子はなく、実に堂々としているのだった。 (なんか頼れる兄貴みたいな雰囲気のある人だよなぁ……)  そんな彼女だからか、その場を仕切ることに口を挟む者もいなかった。  杏子さんを正面に見据えて、その横右手に彼女の部下らしい犬咬 ケンジ。目を覚まして彼の腕から下ろされた美里 夏貴さん、そして、なぜか不機嫌そうに頬を膨らませて俺の右腕にすがりついてくる翠河 玲央奈。俺を含めた五名が、この場に居合わせていた。  それぞれ、このクラブにきた経緯も違い、当然ながら目的も違っているだろう。  脱出するのは一緒だとしても、敢えて危険な目にあう必要もないわけで、混乱に乗じて別行動した方が安全かもしれない。 「 嫌ですからねッ」  そんな俺の考えを読み取ったらしく、玲央奈がギュッと俺の腕にしがみついてくる。  すでに奴隷として演技する必要もないのに、いまだに俺のことを御主人さま呼びしてくる。  その弾力に富んだ双乳を押しつけてくる国民的アイドルの姿に、涼子さんの身を案じてなければ俺も口元を緩ませていたところだった。  それでも少し困った反応を見せると、見上げてきていた玲央奈はなのやら満足そうにしていた。  そんな玲央奈と俺の様子を面白そうに見ていた杏子さんは、口を挟むひらいた。 「まずはアタシの名は鷹匠 杏子……まぁ、端的にいえば凄腕の美人探偵かしらね。とある行方不明になった少女の捜索を依頼された際に捕らわれてしまってね。そのままここに身柄を移されて水槽で泳がされていたわけね」 「凄腕の美人探偵って自分でいうかよぉ……いてッ、蹴るなって。わかったよ。俺の名は犬咬 ケンジだ……あーッ、この無様に捕まった挙げ句に人魚にさせられていた鷹匠 杏子の……あーッ……助手だな」 「歯切れが悪いわね。素直に下僕と言いなさいよ」 「うるさいなぁ、アンタが捕まってる間に俺は一生懸命に働いてたわけよッ、今回もそこのアイドルさんをトラブルから救ってくれって事前に事務所からの依頼されてた訳でさぁ」  玲央奈の所属する生天目(なばため)プロダクションは、杏子さんらとトラブル対応の契約をしているらしい。  所属するアイドルが不祥事や事件に巻き込まれそうなら、速やかに対処することになっているようだ。  今回も玲央奈の周囲に不審な動きを察知してたが、後手にまわってしまい。誘拐騒動を秘密裏に処理しようと、救出のために侵入してきたというわけだった。  玲央奈が拐われた事が騒がれていなかったことからも、さほど時間が経過していないだろう。それなのに厳重な警備がひかれたこの施設に忍び込めたのだから、優秀であるのは疑いようもない。  規格外の強さを誇る杏子さんといい、協力してもらえたら心強い存在だった。 「また、アイドルに手を出そうとしてるんじゃないの?」 「バ、バカいえッ、あれは頼まれたからだよ」  否定をしないということは、アイドルに手を出したというのは事実なのだろう。  横にいた玲央奈から笑顔が消え、スーッと俺の背後に隠れてしまった。 「あぁ、もぅ、余計なことを言うから警戒されちまったじゃねぇかよッ」 「自業自得でしょう、女癖が悪いのは本当だしね」 「ボロボロの俺を拾って喰ったアンタがそれを言うかよッ」 「一人前に鍛えてやったんだから恩にきなさいよね」  いろいろと不穏な情報が飛び交って一抹の不安は感じるが、この際は細かいことには眼をつぶることにする。  それに暴言を吐きあってはいるが、ふたりの表情は愉しそうで関係の深さがうかがえる。 (とはいえ、恋人関係……という感じでもないな。感じとしては姉と出来の悪い弟が近いか? いや、それも微妙に違う気がするなぁ……)  ふたりの間から感じる奇妙な雰囲気に妥当な言葉が浮かばなかったが、お互いに認め合っているのだけは確かなようだ。  そんな俺の視線に気づいたらしく、杏子さんは咳払いすると何事もなかったかのように話を進める。  次に指定されたのは美里さんだ。彼女もケンジが用意したらしいバスローブを肩かけてもらい、ペコリと頭を下げてくる。 「助けていただいて、ありがとうございます。美里 夏貴です。東亜通信社の週刊エクスチェンジ編集部に所属する記者です」  自己紹介を終えた美里さんが話しだした経緯は、概ねすでに耳にしていた情報と同じだった。  彼女と義兄であるカメラマンの照屋 陽介(てるや ようすけ)は秘密倶楽部の存在を知り、密かに取材を重ねていた。そして、ついにこのゴルフ場で開催されているとの情報を掴み、侵入を試みたのだった。  だが、彼女らの動きはすでに相手方に察知されており、動向を監視されていたようだ。ゴルフ場に忍び込んだものの、巧妙に誘いこまれて捕らえられてしまったのだ。  ふたりは別々に監禁され、美里さんは会員たちを愉しませる獲物として使われたわけだ。それが、俺の見たゴルフコースでのキツネ狩りであり、その後の経緯は見てきた通りだった。 (だが、そうなるとシオ……いや、蛍さんの調教を受けさせられてガラリと変えられたのは、なんでなんだ?)  話を聞く限り美里さんは随分と無茶をする女性らしく、一緒にいた陽介さんがブレーキをかけていた印象だった。  そんな彼女が、キツイ調教とはいえ短時間であそこまで従順になるとは思えなかった。  だが、その疑問もすぐに説明されることになった。どうやら、予想通りに個別の調教がはじまった際も美里さんは激しく抵抗の意志を見せていたらしい。  従順にならない美里さんに対して、調教していた蛍さんは無造作にあるモノを目の前に放ったという。  それは根元から切断された男性の太い指であり、はまったままであった指輪には見覚えがあるものだった。  シンプルなデザインのプラチナのリング。それは、義兄がつねにはめている亡き姉との結婚指輪であったからだ。 「反抗的な態度を取るのを止めはしない。その代償は目の前に積まれていく肉塊が増えていくだけ……」  そう淡々と告げた調教者の冷たい視線にゾッとさせられたという。あの無表情で淡々と告げられたら、脅しでなく本気で義兄が切り刻まれていくのを確信させられただろう。  そして、その直感は正しかった。明確な抵抗を見せなくとも、なにか相手の気に障ることがあっただけで、目の前に片耳が置かれ、その次には足の小指が置かれていった。  自分の行動によって親しい人が切り刻まれていっている事実に、ついに彼女の心は折れた。相手の不興を買わないように卑屈な態度をとるようになっていたのも当然の結果だろう。  そして、素直に調教を受けて牝奴隷へと堕ちれば、冷凍保存しておいた切り落とした部位を接合してくれると言いうのだから、もう従うより他に選択はないだろう。  支配人直伝の調教術は相手の心を壊して従わせると聞いていたが、それが偽りではないと知らしめる話であった。 (ナナさんが嫌う訳だな)  飴と鞭を巧みに使うナナさんからすれば、無理やり屈服させるその手法は容認できないものだろう。  美里さんには悪いが、涼子さんが寸前で蛍さんの調教から逃れられたことに安堵してしまう。 (それにしても、聞いてて分かったが、美里さんは俺と同じだな……)  彼女の言葉の端々から義理の兄であり、幼馴染みでる陽介さんへの恋慕の情が感じ取れた。  身近で憧れの存在から、恋心をいだく相手へとなっていったところなど、男女の差はあるものの俺と美里さんはよくにた境遇だろう。  同じ空手道場に通うほどに陽介さんは慕っていたのだろう。だが、その相手はよりにもよって自分の一番身近な人へと想いを寄せており、結婚までしてしまった訳だ。  笑顔で祝福しながら陰で泣いていただろうことも容易に想像できてしまう。 「だから、ごめんなさい……助けてもらったのだけど……」  恐怖で震えてしまう肩を掴み、必死に決意を固めようとしている。そんな美里さんの言葉を引き継いで、俺は口を開いた。 「まだ捕らわれてる彼……陽介さんを救い出したいんですよね」  なによりも彼の救出を優先にするべきだ。すっかり彼女の境遇に感情移入してしまった俺は、そう強く思っていた。  そんな俺の視線を受けて、横にいるケンジが苦笑いを浮かべた。 「わーってるって、陽介の旦那とは俺も顔見知りなんでねぇ。一緒に行って借りを返してくるよ」 「お願いします」  涼子さんの救出を考えれば、少しでも人手が欲しいところだ。だが、そのために誰かを犠牲にしたと知れば、彼女はきっと怒るだろう。  この非常時に馬鹿を言っているのかもしれないが、俺は自分がやりたい風にすると決めたのだった。  それに涙を浮かべて何度も頭を下げてくる美里さんの姿を前にしたら、後悔は微塵も湧きはしないのだった。 「へぇ、アンタ……やっぱり面白いね」  そんな俺のことをジッと見ていた杏子さんは目を細めて笑った。  ただ、そのキラリと光る瞳には妖しい光が宿っており、その時に俺が感じた気持ちを例えるのならば、蛇に睨まれたカエルだろうか。ブワッと毛穴が開き、汗が噴き出ていた。  同様のものを脇にいる玲央奈も感じ取っていたのだろう。ギュッと俺を掴む手に力が入り、わずかな震えが指先から伝わってくる。 「脱出したらさぁ、一晩つき合ってよ」  美女からの熱烈な夜のお誘いだが、ペロリと乾いた唇を舐める彼女の姿は妖艶というよりは肉食獣の舌なめずりのようであった。  高まる身の危険は返答に窮してしまうのだが、その言葉に玲央奈の方が反応していた。俺の前に飛び出して立ち塞がったのだ。   「この人は……ダメですからッ」  そう言い放つ玲央奈の表情は俺からは見えない。わずかに震える小柄な身体が、健気にも盾になろうとする姿に頼もしさを感じていた。  その両肩に手を置くと、落ち着きを取り戻した俺は杏子さんを見据えた。 「 二人っきりはダメですが、脱出したら皆で祝杯をあげましょう」  そう彼女に告げると、玲央奈身体を抱き寄せるのだった。 「 プッ……フラレてやがる」 「 うッさいわねッ」  ケンジのからかわれて彼をドツキはするものの、杏子さんが気分を害した様子がなくて安心した。  それどころか頑張って歯向かった玲央奈に対して温かい眼差しを向けている。  もしかしたら、彼女は玲央奈連れて行けるのか覚悟を試したのかもしれない。そんな事を思わせる、彼女の目だった。  そんな玲央奈も名乗りをあげると、メンバーに経緯を説明した。  ライブを終えた彼女は、戻った楽屋で待ち構えていた男たちによって拉致されていた。  男たちの動きは実に手慣れており、助けを呼ぶひまもなく口を塞がれ、抵抗をかんたんに封じられて手脚を拘束されてしまった。  アイマスクで視界も封じられて、ヘッドホンで音も奪われた彼女は拘束された身体を折りたたまれて、機材用のコンテナに詰め込まれた。  そのまま撤収作業で騒がしい舞台裏から何食わぬ顔で連れ出されると、そのままこの施設まで連れて来られたのだった。  あとは俺が遭遇した通りで、カネキを退けた俺と仮の奴隷契約を交わして共闘関係になったのだ。  その説明を聞いてメンバーの俺を見る目が少し変わったように感じた。 「さぁ、最後はアンタだよ」  杏子さんに促されて俺も名のりをあげると、顔に装着していた白磁の仮面を外す。  そして、涼子さんとともに潜入捜査をするにいたる経緯を説明した。   「今はお願いするしか出来ませんが、どうか涼子さんを救い出すのに力を貸して下さいッ」  杏子さんに改めて依頼した俺は、深々と頭を下げる。 「あぁ、いいよ」 「あ、ありがとうございますッ」 「気にしなくていいよ、もう報酬は貰ってるからね」 「……え?」  戸惑う俺に杏子さんが語ったのは、ナナさんの事だった。  彼女はホールに戻ってくる前に、水槽にいた杏子と俺を守るように契約を結んでいたというのだった。 「詳しい契約内容は守秘義務があるので言えないけどね」  可愛らしくウィンクして見せる杏子を、横にいるケンジがゲンナリした顔をしていた。  なんとなくだが、報酬で払われるのが金銭ではないように感じられた。それが何かはわからないが、想像しただけでウキウキしている様子から彼女にとっては大金よりも価値のあるものであると推測できた。 「まぁ、お陰で杏子さんの確約をもらえてよかったけどな……流石はナナさんだな、抜かりがないな」  俺を紫堂を釣り上げる餌にすると言っていた彼女だったが、いざ共闘関係になると細々と配慮が行き届いてて心強く感じる。  今も支配人や警備の注意を引き付けてくれているのだろう。いまだに本当の身分や目的を明かしてくれなくても、不思議と信頼できてしまっている。   「むぅ、また玲央奈を抱きしめながら他の女性のことを考えてますね」 「あぁ、ごめん、ごめん」 「そう思うのなら、改めて素顔をよく見せて下さい」  返事をする間もな頬に両手を添えると、胸の中の玲央奈はジッと見上げてくる。  協力を仰ぐときに一度だけ素顔を見せていたが、監視の目を逃れるために湯気が立ち込めるシャワーの下であった。  改めてまじまじと見られて照れくさくなってしまう。  表情を隠してくれていた仮面に助けられていたが、もうそれもない。  頬を火照らす姿に玲央奈は幻滅してしまうのではと不安になるが、彼の女は満足そうにニッコリと微笑む。 「やっぱり表情が見えた方がホッとしますね、御主人さま」  アイドルの時には見せない年齢に相応しい可愛らしい笑顔だった。思わず見惚れていた俺に、彼女はおもむろに唇を重ねてきた。 「……れ、玲央奈」 「涼子さんって方には遠慮しますけど、それ以外は許しませんよ」  俺に抱きついてきた玲央奈は、そう囁いてみせる。  その言葉の裏に強い敵愾心を感じさせたのは、俺を抱きしめる腕に必要以上の力が加わっていたからだった。 「こりゃ、驚いたなぁ……その娘にそこまでさせるなんてトラブル案件にしてくれるなよぉ」 「なら、助けて欲しいかな」 「うーん、アレも関わってくるなら、俺は望観させてもらうわ」  ケンジのいうアレとは、俺のことを文字通り舌なめずりしてみてくる杏子さんだった。  俺に密着する玲央奈との間に緊張した空気が張りつめていた。 「そんじゃ、またあとで合流しようぜ」  不穏な空気から逃れるように、ケンジは美里さんを連れて陽介さんの救出へと向かっていった。 「大丈夫かね、これは……」  どこまで本気かわからないが少なくとも杏子さんに俺は気に入られたようだ。  まるで猫のように威嚇する玲央奈からかって遊ぶ彼女だが、時折みせてくる瞳の妖しい光をみせられて俺はゾワゾワとさせられてしまう。  それでも涼子さんを奪還すために、俺たちは地上へと歩き出すのだった。

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