第34話:俺たちはいつも不器用で。 (Pixiv Fanbox)
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脂ののった肉塊が、きらめく水面に浮かんでいる。
―――俺だ。
なぜ俺は美しい瀬戸内の海に浮かんでいるのか。説明しよう。
そう、ゴールデンウィークだからだ。
ゴールデンウィーク。社会という檻に放り込まれた社畜にとって、これほど解放感にあふれる甘美な響きはありますまい。
サンサンと降り注ぐ太陽。穏やかに凪ぐ浅瀬。
そして、
「ぶへっ」
突然、顔面に衝撃を受けた。
「こっち投げてー!」
「… はいはい」
水面を転がるビーチボールを手に取り、二回ほど空振りをして、明後日の方向にサーブを放った。
「「へたくそ―!」」
ふたりの少女に容赦なくディスられる。
黒髪の少女は「有栖川りう」。通称りうちゃん。女子高生だ。
金髪の少女は「美波未衣(みなみみい)」。通称ミーちゃん。猫だ。
猫、というのは本当なのだが、紆余曲折あって、今は人の姿になっている。見た目だけで言えばりうちゃんと同じ女子高生くらいに見えるだろう。
兎にも角にも、不思議な共同生活をしている俺たち三人は、ゴールデンウィークを利用して四国へ旅行に来ていた。
ゴールデンウィークというだけあって、浜辺には多くの人がひしめいていた。のんびりバカンスを…という訳にはいかないかと思っていたところ、ミーちゃんに袖を引っ張られてたどり着いた先は打って変わって人の気配が無かった。
「人の匂いがしない場所があったにゃ」
さすがは”元猫”。ミーちゃんの嗅覚に感謝しつつ、俺たち三人は貸し切り状態で瀬戸内海を満喫するのだった。
「キミもおいでよー!」
りうちゃんが少し沖の方で手を振っている。
正直、今日は何も考えずにのんびり海に浮かんでいたかったが、可憐な水着姿のりうちゃんに呼ばれては断れない。うん、可愛い。
彼女の競泳水着やスクール水着姿を見たことがあったが、今回のオシャレ水着も良く似合っている。というか、りうちゃんは大概何でも似合う。それにスタイルが良いので、こう、ボディラインが際立っていて…変な男が近くにいなくてよかった。
自分が変な男であることは棚に上げて、伸びた鼻の下を引き締めながらふたりに手を振り海の中をざぶざぶと歩いていく。
「ミーちゃんがキミとも遊びたいって」
「にゃ~!」
「せっかくだもんね、何して遊ぼうか?」
ミーちゃんも、りうちゃんに負けず劣らず可愛い。さらさらの金髪をおさげの位置で二つに結んでツインテールにしている。このロリ可愛さも犯罪級だ。
「ミーから提案がありまーす!」
「いぇーい!」
「『長い物には巻かれよ大会』しよー!」
「うぇーい!」
ナニソレー!
「説明するにゃ!」
「うん」
「では、問題です」
説明するんじゃなかったんかい!!
ハリセンを持っていたらミーちゃんの頭をひっぱたいていただろう。
そんな俺の胸中のツッコミはさておき、ミーちゃんは胸を張っている。
「首が長い動物と言えば…キリンですが、海の中で長いものと言えば?はい、りうちゃん!」
「え、わ、わたし?えと…わ、ワカメ!」
「ピンポーン!だいせいかーい!景品として、りうちゃんにはとっておきのワカメをプレゼントにゃ~」
そう言ってミーちゃんは海の中からゴソゴソとワカメを取り出し、りうちゃんの首に巻く。
「わっ、ミーちゃんこんなのどこで手に入れたの!?」
「にゃははは~!名付けて、ワカメストール!ぐるぐる~」
「ちょ、ちょっとミーちゃん、なんだかヌルヌルしていてくすぐった…ぃ…あんっ!」
ヌルヌルしたモノがりうちゃんの素肌を撫で、彼女は海の上で声にならない声を上げた。粘性の高そうなドロッとした液体が、彼女の玉肌を撫でながら乳房へと…。
ゴールデンウィーク最高だぜっ!!
「ミーちゃん」
「どしたのお兄さん?」
「キミは天才だ」
「ふぇ?」
「よし、次だ!次の問題いってみよう!」
「ちょっと、なんでキミは急にテンション上がってるの!…あーもぅ、水着の中までドロドロになっちゃってる…」
「コホン、えーでは、次の問題です!」
褒められて得意気になったミーちゃんもノリノリで問題を出してくる。
「しずおか県の上にあるのは…ながの県、ですが~…」
山梨、すまん!
「ワカメ以外で海の中で長いものと言えば何でしょう?はい、お兄さん」
やはり。
『長い物には巻かれよ大会』とは、海で採れる海藻類を答えると、ミーちゃんがそれを採取して、回答者をぐるぐる巻きにする遊び、ということだろう。
つまり、次もヌルヌル系の長めの海藻を答えれば、俺がミーちゃんにぐるぐるのヌルヌルにしてもらえるということだ。
お互いヌルヌルになってしまうりうちゃんと俺。ふたりはミーちゃんを置いてシャワーを浴びに宿へ。宿泊施設の部屋のシャワーは一つしかなく、ヌルヌルドロドロの相方を外で待たせるのも気が引ける。自然と一緒にシャワーを浴びることに。
お互いのヌルヌルとドロドロを流し合っているうちに高揚したふたりは、その後別の意味でヌルヌルしてドロドロすることに…
これだ。
「お兄さん?」
「あ、いや、今考えていたところ」
色々とな。
「では、答えをどうぞー!」
「答えは…昆布だ!」
「ぶー、はずれー」
「…えっ?なんで」
「昆布は短いからだめ」
「ワカメとそんなかわんねーだろ!!」
ミーちゃんの基準が意味不明過ぎて超難問だった。
「はずれた人には厳しい罰を与えないとね、ミーちゃん」
りうちゃんは、勝ち誇った表情でこちらを見てくる。
くっ、あと一歩だったのに…!
「そうだにゃ~。この問題の答えは、ウツボ、でしたー!ということで…」
「難問すぎませんかねぇ…」
当たるはずがない。りうちゃんとのイチャヌル計画が破綻して肩を落とす。ミーちゃんはまた海に潜ってゴソゴソと何かをしている。
「じゃーん!」
「え、お、おいっ!」
満面の笑みのミーちゃんは両手でウツボを抱えて浮かび上がってきた。
「な、なんでこんな浅瀬にウツボなんているの!?」
「ミーが呼んだのにゃ」
召喚士かよ。
「という訳でお兄さん、このウツボちゃんと誓いのキッスをしてください」
「何の誓いだよ!っていうかなんで俺はキスなの!?」
「ウツボちゃんが『Kiss me♡』って言ってるの。ちなみにウツボちゃんは女の子なので、色々大丈夫にゃ」
「色々大丈夫じゃねーよ!ってちょっと近い近い!顔怖いからそれ、やめて、離れて!」
「ほらほらほらほら」
「ちょっ、ホントやめ…っ!?う、うぉ!?」
突然、下半身の力が抜けて、浅瀬に尻もちをついてしまう。
背後には、見事な膝カックンをキメたりうちゃんがニタァ…と不吉に笑いながら、俺の肩を抑えて動きを封じていた。
ウツボが正面から接近してくる。
りうちゃんは、背後から俺の耳元に唇を寄せ、ささやいた。
「見届けてあげる。キミのファースト・キス」
「いやぁぁああぁぁぁぁああああああああーーーーーーっ!!」
※※※
「ゴールデンウィークはどう?」
「レモンの味がしました…」
「何の話をしているの?」
俺のファースト・キスはりうちゃんに捧げる。近い将来、彼女とロマンチックな雰囲気の中で。密かにそう決めていたのに。
三十路を過ぎた冴えない男子の貞操は、ウツボちゃん(♀)との濃厚なキスによって失われた。
「俺の、俺の…ファースト・キスが…!」
「あははっ!お似合いだったよ」
「やかましいわ!!」
俺とウツボちゃんの誓いのキスが終わった後、俺たち三人は今夜泊まる宿に戻ってきた。(残念ながら)交代でお風呂に入り、一息ついている。
ミーちゃんははしゃぎ過ぎたのか、お風呂から上がるとすぐに寝息を立てて眠っていた。今は隣の畳の部屋で、お腹を出してスヤスヤ寝ている。まるで子どもみたいだ。
「となり、来て」
「あ、うん」
俺はりうちゃんの隣に腰掛ける。キャミソール一枚姿のりうちゃんに至近距離で見つめられて、ドギマギしてしまう。いつも一緒に過ごしているけれど、この距離はどうしても慣れないまま。
「ねえ」
「うん?」
少し言い淀んでから、りうちゃんは口を開いた。
「キミは、ミーちゃんとずっと一緒にいたいと思ってる?」
「え、うん。思ってるけど?りうちゃんは違うの?」
意外な質問にドキリとする。慌ててミーちゃんを見やるが、相変わらずぐっすり寝ているようで胸を撫でおろす。
「もちろんずっと一緒にいたいよ。でも…」
「でも?」
「ミーちゃんが今の姿で現れた時に、キミは言っていたよね。この子の、この”体の本当の持ち主”の記憶が戻ったら、その時は―――」
「あっ…」
猫だったはずのミーちゃん。りうちゃんの胸の中で、息を引き取ったはずの一匹の仔猫。しかし、とある夏の日、金髪少女の姿で再び俺とりうちゃんの前に姿を現した。
りうちゃんの懇願もあって、俺はあの時、咄嗟にミーちゃんを引き取る選択をした。この少女がもし別の人物で、仔猫のミーちゃんの魂が入り込んでいるだけだとしたら、いずれ”体の本当の持ち主”の記憶が目覚める可能性は十分にある。そうなった時は、この子を両親に引き取ってもらう、という条件の下で。
「わがままだって分かってるつもり。でも、どうしても私はずっとミーちゃんと一緒にいたいって思ってしまう。いけないこと、だよね」
「それは―――」
そんなことないよ。なんて、無責任なことを言えるほど、俺はこどもでなくなってしまっていた。
「この子がもし別の誰かだったとしたら、この子のご両親や友人は、とても心配をしていると思う。それを思うと、私のわがままって、ひどいことなんじゃないかって」
「でも、被害届が出ていれば、警察がもう俺たちのところに来ていてもおかしくないよね?ニュースにだってなるはず。これだけ時間が経っているんだし。だから、この子は、ミーちゃんは体ごと今の姿に生まれ変わったって、考えられるんじゃない?」
「それは、そうかもしれないけど…」
確かに始めはりうちゃんのわがままだったかもしれない。でも、今となっては、ミーちゃんは俺にとっても大切な家族のような存在になっていた。情けない俺の心の支えにだってなっている。
だから、りうちゃんにだけ押し付けたくはなかった。
「このままで良いと思う」
「え?」
「この先、どんなことになるか分からない。けど、俺」
言葉に、詰まった。
けど、俺、なんだと言うのだろう。胸を渦巻くこの熱い気持ちを、言語化できない。
そんな俺を、りうちゃんはゆっくり待ってくれていた。
「えっと、その…ミーちゃんさ、可愛いんだ、すごく」
我ながら訳が分からないことを言う。でも、りうちゃんには伝わったのかもしれない。キョトン、とした後で、吹き出すように笑うと、瞳を細めて微笑んだ。
「キミがそれを言うと、危険な香りしかしない」
「やかましいわ」
俺たちはいつも不器用で、わがままで、無責任で。それでいて、前に進む方法を知らなくて。
だから、ミーちゃんの手を引いてあげることができない。ちゃんとした場所に連れて行ってあげることもできない。それでも、両手を繋いで、隣にいたいと願ってしまう。
隣の部屋から、彼女の小さな寝息が聞こえる。
海風に運ばれて、波音とともに蒼空へ溶けていく。
Fin.