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まぶしい日差しが夏の盛りを主張している。

ジリジリと肌を焦がすような日の光を受けて、俺は思わず目を細めた。

視線の先には爽やかなブルーが広がっている。


プール。


きらめく水面から塩素の香りが鼻孔をくすぐり、懐かしい気分になる。


「わー!私も泳ぎたーい!」

「ミーちゃん泳ぐの上手だもんね」


俺とミーちゃんは、とある学校の屋上にあるプールに来ていた。

正確に言うと、俺とミーちゃんだけではなく、りうちゃんもだ。

だが、りうちゃんは少し離れた場所で準備運動を開始していた。競泳水着姿がまぶしい。夏の日光にも劣らないほどに。


俺とミーちゃんは水着を着ていない。私服でプールサイドに設置されたパイプ椅子に座り、さっきからずっと、うちわで火照った顔を扇いでいる。


今日はりうちゃんの泳ぎを観に来たのだ。


「りうちゃん、何番目だっけにゃ?」

「えっと、自由形だから...最後。4番目だね」

「おー!アンカー!」


夏休みも中盤。

りうちゃんの通う学校の水泳部は、地区対抗の水泳大会に出場することになった。

三年生にとってはこれが最後の大会であり、いわゆる青春の大きな1ページとなる大事な大会だ。


りうちゃんは水泳部員ではない。

であるのに、こうして競泳水着に身を包み、大会に参加することになったのには訳があった。


水泳部員の一人、メドレーリレー自由形の選手がケガを負い、この大会に参加できなくなってしまったのだ。本人は参加を申し出たが、二年生だった彼女は、「来年もまだあるのだから無理をして選手生命に響くようなことはしてほしくない」と部長からなだめられ、断念。

代わりの選手でメンバーを組みなおして練習を重ねていたものの、タイムが思うように伸びず、大会での勝利が危ぶまれていた。


そこで白羽の矢が立ったのが、りうちゃんだった。


水泳部員でもなく、一年生のりうちゃんがなぜ選ばれたのか。理由は単純。

りうちゃん、クッソ早いのである。


中学生時代まで水泳経験を積んだ彼女は、体育の授業でとんでもないタイムを次々と叩き出していた。その噂を聞きつけた上級生の水泳部員から、当然のようにお声がかかった。


彼女は当初、その依頼を断っていた。


「だって、水泳部員が他にもいるのに私が出るってなんだかちょっと...」


ごもっともだ。

二年生の水泳部員の中にも自由形を得意とする選手はいるらしい。彼女らを差し置いて、一年生の、それも水泳部員でない自分が大事な大会に出場するとなれば、反感も買うだろう。


しかし、三年生にとっては命を懸けても勝ちにこだわりたい試合。部長を含め、皆、りうちゃんの参加を期待していた。

何と言ってもタイムが圧倒的過ぎるのだ。


大会は男女別に行われる。

りうちゃんの自由形のタイムは、女子部員を圧倒するどころか、三年生男子部員と比較しても引けを取らない。喉から手が出るほど切望されたことだろう。


押しに負けて参加を決意したりうちゃんの応援をしに、ミーちゃんとふたりで、このプールにやってきたのであった。

俺たち以外にも、観客が大勢いる。選手の家族と思しき人たちやクラスメイトなどなど。観客の多さが、この大会の重要さを物語っていた。


「りうちゃーん!ファイトー!」


ミーちゃんが大きく手を振ると、その声に気づいたりうちゃんはこちらを振り向き、ニコッと笑った。

俺も控えめに手を振る。


「有栖川さん、今日はありがとうね」


先輩部員だろうか。りうちゃんに近づき、爽やかに手を挙げている。

良い体格の男子高校生だ。逆三角形の上半身は綺麗に日焼けし、腹筋は見事に六つに割れている。

思わず俺は自分の腹に手を当ててみる。スライムのような見事な弾力感が返ってきた。


「あ、部長。こちらこそ、よろしくお願いします」

「有栖川さんが来てくれて助かったよ。すごいタイムだし、いつもどおり泳いでくれれば良いからね。緊張しないで」

「いえ、そんなことないです。精一杯、頑張ります」

「うん、ありがとう。今日はよろしくね」


部長が差し出した右手を、りうちゃんが控えめに握る。


...くそっ!

爽やかイケメンが軽々しくりうちゃんと握手なんぞ...!おれがりうちゃんと触れ合う時なんて、未だに手汗かいたり脇汗かいたり色々大変だというのに、さらっと手なんぞ握りおって!高校生のマセガキめ!話す機会があったらきっちり大人のけじめというやつを教えてやろうぞ。


「おにいさん」

「うん?」

「こっち見てるよ、あの人」

「え?」


りうちゃんの方を見ると、部長と呼ばれた爽やかなシックスパックがお辞儀をしていた。


「あ、いや、その...こ、こんにちは」


聞こえないくらいの小さな声でボソボソつぶやき、お辞儀をしてしまう。10以上歳の離れた高校生に対して、なんたる醜態だろう。


「部長さん、早そうだにゃぁ」

「ふんっ。海パン脱いだらただの子どもさ」

「でも、おにいさんの水着姿も結構良かったよ?」

「え、ほんと?」

「ぷにぷにしてて、浮き輪いらない感じ」


やかましいわ。




※※※




「ご家族かい?」

「あ、いえ」


部長がミーちゃんたちを見て聞いてくる。


「ご友人、かな?」

「はい。ご近所さんたちなんです。日頃からお世話になっていて、今日もふたりで応援に来てくれているんです」

「良いね。優しいご近所さんだ。じゃあ、なおさら頑張らないとね」

「は、はい!」


部長がニッコリ笑い、つられて私も緊張しつつ、笑顔を見せる。


スマイル、スマイル。


笑うと緊張がほぐれるって言うもんね。

それに、ミーちゃんと彼が応援に来てくれたのが、本当に嬉しかった。せっかく来てくれたのだから、精一杯頑張っている姿を見てもらいたい。


「有栖川さーん!」

「お、二年生も来たね」


プールの入口から、女子部員が数名、パタパタと駆け寄ってくる。上級生部員だ。


「よろしくお願いします!」

「こちらこそだよ~。それにしても有栖川さんのタイムすごいよね、私もこうなりたいな~」

「い、いえ、そんなことは...」


この先輩は確か...そうそう、湯川先輩。

こういう風に言われたとき、何て答えていいのかな。

二年生部員からすれば、くやしさとかもあるだろうし。でも、私の方が圧倒的に早いのは、数字が証明してしまっている。

タイムって、残酷。


「謙遜しなくていいの。今日は三年生にとって大事な大会なんだから。早い有栖川さんが泳ぐのは当然だよ」

「は、はい...」

「おーい!部長たちー!」


また、入口の方から声がした。今度は男子の声。


「お、りうちゃんももう来てたのかー!ってか噂は本当だったわ!やっぱりうちゃん超かわいくね?」

「え?」

「合同練習の時、俺別レーンだったからあんま見れなかったけどさ、間近で見るとやべぇ!大会終わったらLine交換しない?」

「あ、わ、私、そういうの疎くて...」

「だーいじょうぶ。俺が教えてあげるから、ね?」

「ちょっと水沢ー、大事な大会前になに後輩ナンパしてんの?」

「ナンパじゃねーし」


なんか、チャラい先輩来た...。

正直、苦手。でも、先輩だし、無視するわけにいかないもんね。


「こら、有栖川さん困ってるだろう。大会に集中しろ」

「へーい」


ふぅ。

部長さんがたしなめてくれたおかげで、チャラ男...水沢先輩の突撃は回避できた。よかった。


「ごめんねー、あいつ(水沢先輩のことだ)、チャラいけど悪い奴じゃな...い?から」


ダメじゃん!

湯川先輩、フォローになってない。


「でも、有栖川さんがうちの学年でも噂になってるのはホントだよ」

「え?」

「一年生にすっごく可愛い子がいるって話。入学早々から有名だよ?水泳が早いっていうのは体育の授業でプールやるまで分からなかったけどね。実際に会ってみたらこんな可愛いんだもん!そりゃ男子も放っておかないわって、納得しちゃった」


そう言って、湯川先輩は、なめまわすように私を見てくる。

うっ...は、恥ずかしい。


それにしても、自分の知らないところでそんな噂が飛び交っていたなんて。


「クラスメイトに告られたりしないの?」

「し、しませんよ!私、学校終わったらバイトがあったりして、すぐ帰っちゃうので、あんまり放課後とか残っていないし、そういう話にも疎くて...」

「えー!手の早い男子なんて何人か既に撃沈されてそうだけどなぁ。あー、良いなー。可愛いし、スタイルも良いし、水泳も早いし。私も有栖川さんみたいになりたいなー」


嫌味、ではなさそうだ。

単純に、羨ましがっているのかな?でも…

私からすれば、湯川先輩の方こそ可愛いと思うんだけどな。社交性ありそうだし、良い人っぽいし。


「って、こんな話してる場合じゃなかった。準備運動しないとね。ストレッチ、私で良ければ手伝ってあげよっか?」

「え、ストレッチ?あ、俺も空いてるからりうちゃん、一緒にやる?」

「水沢、お前は俺とだ。早く来い」

「えええええ部長かよぉ~」


耳を引っ張られて、水沢先輩はプールサイドの奥地へと連行された。

あはは...。良かった。


それにしても、なんだかちょっと、居心地が悪い...かな。


なんとなく、ミーちゃんたちの方を振り返る。












しつけのなっていない猫と、しつけのできない飼い主が、取っ組み合いのケンカをするようにギャーギャーはしゃいでいた。


な、何してるのあのふたり...




※※※




りうちゃんたち選手の会話が聞こえるか聞こえないか、絶妙な距離だが、チャラい感じの水沢部員と、コミュ力の高そうな湯川部員の声はやたらと大きいので、よく聞こえる。

...そう、色々聞こえてしまう。


りうちゃんの可愛さは学年を越えて噂になっていること。

水沢部員がりうちゃんに連絡先の交換を申し出て、それとなく断られたこと。(良かった)

りうちゃんがまだ誰にも告白をされていないこと。(社交辞令かもしれないけど)


そして、


「え、ストレッチ?あ、俺も空いてるからりうちゃん、一緒にやる?」


なん...だと...!?


あんなチャラ男が水着一枚のりうちゃんとストレッチ!?

冗談じゃない。そんなの断じて許さん。


だ、だけど、どうしようか。


いきなり俺が「ストレッチはセクハラじゃないか」と出張って行くのか?謎のオッサン観戦者の俺が?もはや存在自体がセクハラになりかねないのに?

ではいっそのこと、ビシッと男らしく…


「俺の女に手を出すにゃ!!」

「え、ちょっ!?ミーちゃん!?」


隣でミーちゃんが吠えた。慌てて静止を図るが、ミーちゃんは怒り心頭だ。

りうちゃんやチャラ男水沢にはギリギリ聞こえていないようだ。


そういえばそうだった。

俺はもちろん、りうちゃんが大好きというか、好きすぎるくらいにベタ惚れなのだが、ミーちゃんも俺に負けず劣らずりうちゃんのことが大好きなのだ。


チャラチャラと変な男が寄ってきたことを動物的直感が危険と判断しているのかもしれない。

...っていうか、「俺の女」ってミーちゃん何キャラだよ。


「あんにゃろ、りうちゃんにチャラチャラ近づきやがって!指一本触れてみろ!ミーが嚙み千切ってぶちこr」

「ちょ、ちょっとミーちゃん、落ち着いて!おすわり!」


おすわりは犬だったか。


慌ててミーちゃんの口を両手で塞ぐ。暴れるミーちゃんを後ろから羽交い絞めにして椅子に座らせようとするが、ジタバタと抵抗してくる。

ちゃんと押さえつけておかないと、本当に水沢に飛びかかって行きかねない。

「んんーーー!!んんんーーー!!」

「ミーちゃん!気持ちは分かる、っていうか俺も同じ気持ちだから!」

「だってあいつー!あのチャラいやつー!」

「分かった、大丈夫だって、ほら、部長さんが連行していったから、ね?」

「うー...」

「あ、あんな奴、りうちゃんは相手にしないって」


自分にもそう言い聞かせる。


「...せいぜい夜道に気をつけるんだにゃ」

「...」


水沢、キャットフードにされないように気をつけろよ。




※※※




呼吸に意識を向ける。


吸って、吐いて。吸って、吐いて。


心臓が脈打つ音が妙に大きく聞こえ、周囲の喧騒が遠のいていく。

やっぱり、緊張するな。でも、ここまで来たらあとはいつもどおりにやるだけ。


コースは第5レーン。

飛び込み台に上がる。前では、先輩がしぶきをあげてこちらに接近してきている。

現在の順位は4位。

苦しい展開だけれど、勝機が無い、とは思わない。


1位から4位までは接戦で、そこまで差は大きくない。

私のタイムを考えれば、ふたりくらいなら抜けると思う。でも...1位になるには...


現在1位を泳ぐのは、強豪、帝都学園水泳部。

そして次に泳ぐのは...帝都学園の3年生エース。

部長から聞いた事前情報によれば、タイム自体は私の方が若干早い。あとはこの差、そして経験値の違いがどう影響するか、かな。


もう一度深呼吸をする。


先輩が、迫ってくる。


タッチと同時に、飛び込み台をけり上げる。

体が宙に浮き、水面を見下ろす。

空気と私が一体化する。


有栖川りうの入水が決まり、プールには綺麗な水柱が上がった。




※※※




夕方になっても、夏の暑さは和らぐことがなかった。衰え知らずのミンミン蝉の合唱が響いている。

長くなった影を路面に落としながら、俺たち三人は帰路についていた。


「良かったの?行かなくて」

「うん。私、水泳部員じゃないし、水を差したら悪いから」

「そっか」


地区対抗大会の後、三年生最後の夏ということもあって、水泳部員たちは皆で打ち上げとなった。

りうちゃんも誘われたらしいが、丁重にお断りをしたそうだ。


女子の部の大会結果は、準優勝。


最終泳者であるりうちゃんは大健闘だった。

4位での入水から一気に加速し、隣のレーンの先輩たちをごぼう抜きにしていった。

2位まで追い上げたところで、ターン。先頭を泳ぐ帝都学園の三年生エースとの一騎打ちとなった。


しかし、さすがは強豪のエース。完璧なペース配分で、りうちゃんの追従を振り切り、最後はタッチの差ではあったが、帝都学園が1位となった。


「でも、りうちゃんはすごかったにゃ!」

「うんうん、一番早かったと思うよ」

「ありがとう。やっぱり、帝都学園のエースは早かったよ。最後までスピードが落ちなくて。経験が違うな~って」

「でも、楽しかったんじゃない?」

「うん。全力を出し切ったから悔いは無いよ!」


りうちゃんの横顔は晴れやかだった。楽しんで大会を終えられたみたいで、俺も嬉しい気持ちになった。反面、今日の出来事を振り返ると、やっぱり不安にもなる。


「それにしてもさ」

「うん?」

「りうちゃんは人気者だにゃ~」


俺の気持ちを代弁するようにミーちゃんが言う。

しょんぼりしたミーちゃんが、上目遣いでりうちゃんを見た。


「あ、聞こえてた?」

「うん。学校中で噂になってるみたいだし」

「変な奴もまとわりついてきてたしにゃ!」

「あはは...」


怒りを思い出して頬を膨らますミーちゃんの頭に、りうちゃんはそっと手を置き、撫でる。


「心配だなぁ...」

「にゃぁ...」


俺とミーちゃんはため息をつく。


「どうして?」

「だってさ、りうちゃんモテモテだし。学校行ってる間は、どんな輩が近づいているか分からないし。なんか、不安。あー、俺もりうちゃんのクラスメイトだったら良かったのに」

「あ、それ面白いね!一緒に登校できるし」

「一緒に登校!」


そんな素敵な夢物語が!

ちょっと想像してみるが、うまく像を結べない。

いや、それ無理だ。だって、もしクラスメイトだったら、そもそも話しかけることさえできないだろう。俺、チキンだし。きっと、教室の隅の方でりうちゃんの横顔を盗み見るのが関の山だろう。


「でもね」


ふと、りうちゃんが足を止めた。

ならうように、俺とミーちゃんも立ち止まる。


「ちょっと、居心地が悪かったんだ」

「え?」

「期待されたり、人気者だって羨ましがられたり。そういうの、私、苦手だから」

「そうなんだ?」


そういうものだろうか。

俺にはそんな経験は一度も無いので、そもそも想像がつかない。


「だからね」


りうちゃんは俺の顔を見上げる。


「やっぱりここが、キミの近くが、心地良い」


夏の風が吹いた。


彼女の瞳に陽光が差し、煌めいている。

そんな瞳が、俺は大好きだ。


嬉しくて、まっすぐな視線がなんだか恥ずかしくて、急に顔が熱くなる。


「俺も、その...心地良い」


全くもって俺ってやつは、大事な時に気の利いた言葉に乏しい。

でも、彼女には俺の気持ちがちゃんと伝わったのかもしれない。

彼女の、夏の向日葵のような明るい笑顔が、弾けた。

つられて俺も笑う。


「あー!なんかふたり、良い感じにゃ!ミーも混ぜるにゃー!」


ミーちゃんが抗議をしながら、俺の背中をポコポコ叩いてくる。


「い、痛い、痛い!ミーちゃん痛いって!」

「あははっ!もちろん、ミーちゃんも一緒だよ」

「にゃぁ~♡」


俺たち三人は再び歩き出す。


あの角を曲がって、少し歩けば俺の住むアパートが見えてくる。

さて、今夜の晩御飯は何にしようか。






Fin.

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Comments

yoshinomura

わー、イラストーリー!^_^ 読んでてむずむず泳ぎたくなってきました。もちろん、りうちゃんもミーちゃんもいっしょでお願いします。

れぶん

ありがとうございます! 久々のイラストーリーとなりました。りうちゃんたちと一緒に、夏を謳歌しちゃってください!