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◾︎日曜日の住居学 宮脇檀 宮脇檀さんは「目を養い 手を練れ」という本のタイトルに惹かれて買ったのが最初でした。 中学の時に剣道をやって、先生にも他校の人にも最初全然勝てなくて、物事に上手くなるのに最短の方法なんてありゃしないと痛感していたので、こういう修行めいたタイトルには弱いのです。 絵にも共通するんですけど、眼だけ肥えてしまい腕を動かさないと、自分に対しての理想要求が大きくなり過ぎて技量が追いつかず描けなくなる。 逆に良いものを見ず眼を養わず、自分の脳内の更新されない貧相なイメージをアーティスト気分で腕だけルーチンで動かして出力しても粗製乱造になるだけ、いつまでも同じ所をループする頭の体操にしかならない。 良いものを見て、出力も同じように重ねる。 宮脇檀さんは東京藝術大学建築科を出られた方なので、このあたり美術的な面にも通じる考え方を感じます。 ◾︎ この本は住まいの専門家である建築家の視点から、ズバッと住まいに関する色んなことを指摘していて痛快です。 もし今ツィッターでこんなこと書いたら炎上間違いなしというくらいぶった斬ってるんですが、正直このくらい直接患部を抉らないと良くならないよっていう事を書いてくださっているのでウンウンと唸ってしまいます。 ◾︎ 今の日本は当たり前のように学歴社会になっちゃいましたが、生活様式も当たり前のように欧米化して、家はモノで溢れてゴミ溜めになっているような所も少なくなく(最近、生活感=ゴミっぽさを一緒くたにしちゃってる感すらある) 自分も親から「片付けなさい」と子供の頃から言われてきたんですが、片付ける=1つの所にモノ放り込んでスペースを空けて掃除機をかける事で、それ以上がなかった。 母親はあまりモノを持たない人で、花を飾ったりとか細やかに出来る人なんですが、学生の頃はそういう空間を母親が作ってくれるのに甘えて、自分では生活空間を改善しようという意識がまるでない、言っちゃえば勉強か仕事さえできればヨシというマシーンみたいな感じだったんですね。 で、一人暮らしを始めてみると、まぁ自分の生活空間構築力のない事と向かい合うことになる。 モノを買うのは一丁前、でも肝心のモノの居場所を作るのを訓練してきてないから、モノが溢れ飛び出してくる。 人間の目って凄く精巧に出来てるので、眼で受けている情報量を無意識下で常に処理していて、ドラクエの毒の沼を歩くみたいに少しづつ1日のエネルギーを消費してる感じ。 だから散らかってる部屋に居るだけで疲れるようになってしまう。 親元離れた時に、勉強や自分の伸ばしてきた事以外、あらゆるレベルで生活力が欠如していて、というよりも勉強以外の事を体感として経験してきてないから、生活の組み立て方も家の住み方も分からなかった。 自分の空間なんだからいくらモノ溜め込んでも怒られないし、開き直ればゴミ屋敷でも暮らせる。 自分が死んだ後は業者が清掃に入ってすぐ済む事・・・と言ってしまえば話はそれまでなんですけど、それではあまりにも、というか何のために生きてるのかわからない・・・ できれば自分なりにスッキリ暮らしたい。 モノを整理するのも訓練、判断して捨てるというのもまた訓練。 自分は10年くらいかかってやっとちょっと出来るようになりました。 親元離れて結構経ちますけど、最近、借家住まいで自分なりの暮らしって言っても、DIYで賃貸改造できないし、いつか自分の住処をちゃんと持った時にちゃんとすればいいかな・・・と思っていた所に、宮脇さんに「今居る環境でちゃんと住まえないと、どこに住もうが結果は同じ。豚に真珠」と一刀両断にされて砂浜に上がってしまった深海魚のような感じになりました。 なんでもそうなんですけど、今自分の置かれた環境からちゃんとして行こうと実行できないと、どこに行っても結果は同じなんですね。 ガルパンの華さんで言う所の「花は何処でも咲けるわ」という感じです。 箒片手にいそいそと片付けをはじめるのでした。 ◾︎ 初版が1983年と結構古い本なので、建築も様変わりして、今ちょっと内容を把握するには体感的に難しいところもあるんですが、住空間に対しての考え方や、生きる上での建物の関係を改めて考え直せる機会としてオススメです。

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