おミュージックのはなし♡ (Pixiv Fanbox)
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1997年放送の伊集院光さんの深夜の馬鹿力の回を何故か聴いていました。
丁度伊集院さん満29歳の放送で、ドキドキ初体験スペシャルという企画で、30歳になる前に今までにやり残した事をするという内容。
1つが朝の満員電車に揺られ、1度も降りた事のない五反田駅に下車する事。
2つ目が見知らぬ土地に連れて行かれて迷子になる。(途中で野糞をする)
3つ目が放送中に元カノ(!)に電話をする。
まだネットもそこまで普及してない時代だから勿論SNSもない。
今聞いても楽しいです。
今はこういうネタが心に優しいです。
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最近またCD引っ張り出してきて聴いてます。
自分の家にCDラジカセがきたのが小学3年かそこらの頃だったんですけど、最初はAIWAのこの子でした。
当時の写真はないのでネット画像から。
ベローっとコントロールパネルが開きます。今見てもなかなかよいお姿。
で、最初に幾つかCDを買うわけですが、そのうちの1枚がコレでした。
「フックト オン リズム アンド クラシックス」
自分はこの1枚しか持ってないんですけど、このバージョンがすごく好き。
小学生の頃にガチクラシック聞いても退屈なだけなんですけど、これは映画っぽいというか、ゲームっぽいというか、ちゃんと曲調に合わせてアレンジが加わってるんです。
クマバチの飛行とかほんとにブンブン飛んでる感じ。
明確なキャラクターが曲に与えられてるのが子供心に重要で新鮮だったんですね。
ちょっと逸れますが後にお小遣いで買ったFF6のサントラはそこら辺の曲へのキャラクター付けがとにかく明確で、植松伸夫さんは日本人心情に本当に合致した作曲家さんだなと思う。
このレミングスみたいなディフォルメキャラも最高♡( ^ω^ )
郷愁すら感じるこのしっとり感。
ただ、植松さんも自身でライナーノーツとかに書かれてますけど、プログレに影響受けてらっしゃって、タルカスを聴くとFFのボスバトル(妖星乱舞なんかは特に影響が見受けられます)の曲とかに使われるエレピの音の使い方の原型みたいなものを感じます。
1から思いついたものではなく、強くハマったものの印象をどういう風に料理するかなんです。
それは絵でも同じ。多分芸事はみんなおんなじだと思う。
それを同じ材料で、同じ手法で、同じように作っちゃうから単なるパクりになっちゃうだけ。
多くの人が数学の公式のように、テクニックやフレーズを「そのまま代入」しちゃう。
それはダメ。
よく咀嚼とか言われますけど、要素を分解して、あった形に直す。
強烈に好きなものがあって何か1つをずっと見てたら、これ以上やるとまんまになっちゃうって分かるラインがあります。
そこが1番難しいライン。
思うに何か作る上で大事なのは、影響受けたものと自分の真似のギリギリを見極められる事。
真似は技を磨く上でも美観の骨格を作る上でも大事です。
ただ憧れる対象そのものになろうとしちゃダメで、格ゲーじゃないけど人読み的に「あの人ならここは絶対こう処理するだろうから、自分は敢えてこうしよう」っていう、自分の中にレコードラインを走る摸倣先のゴーストを作り、ペースメーカーとして、走り方のお手本として併走しつつ、いずれそれぞれの道へと離れて行くというか・・・
磁石のSM極をギリギリひっつか無い所でやってる感じ。
真似する摸倣先の魅力の引力を使うんだけど、引っ付いちゃうと引力が強すぎて離れらなくなっちゃうから、ひっつか無いようにギリギリで踏ん張るというか。
真似で嫌われるのは、多くの部分を真似していてながらその上で「あの人なら絶対こうするだろうから、先にやって手を潰してやろう」って先手を打っちゃう事な気がします。
これはもうコピーした上の潰し合いであり、この思考に相手へのリスペクトはないと思う。
だから嫌われる。
まだ手をつけてない部分の先手を打つというのは必要な事だけど、真似をしてきた上でのそれは性質が悪すぎる。
自分も描いてる時は、ディテールの入れ方とかカタチの取り方とか他にあんまり被ら無いようにしてる所はかなりあります。
俳優の松平健さんが自分の中に4人くらい演技の摸倣先をもてと言われたという話が前ラジオでやってました。
それも伊集院さんの朝ラジオだった気がします。
今の世の中危ないのは、みんな同じものを見て、同じものを買って、自分のおもちゃ箱の中のみんなと同じお気に入りのメカやフィギュアからしかカタチを作って無いから、似たケレン味以外の要素がなくなっちゃってるんですね。
その上で「如何に丁寧か」の戦いになってる。
自分だけのおもちゃ箱を持つのは大事なんですけど、他にも複数の参照先を作らないと自分なりのものって磨けないし出てこない。
あとは自分で遊んで楽しさを○△□ホニャララetc...
うぉー!また説教臭くなってきたぞー!一度リセットだー!( ^ω^ )ぽちー!
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話戻りまして、音楽で大事な煌びやかなのはキラキラと、華やかなのは華やかに、しっとりはしっとりという明確なキャラクター。
小学生くらいは喜怒哀楽の情緒メーターが不安定な分、しっとりとしたものを聴くとその没入感は半端ないし、ある意味では大人よりも雰囲気を見抜く力がある。
曲の雰囲気の分かりやすさをディフォルメしているこのアルバムは小学生の自分にはめちゃくちゃ親しみやすかった。
27分過ぎから入ってる「アランフェス」聴くと、いまだになんか霧の中にいるような感じになります。
多分ですけど、こうやって聴いてる時にその情景が目の前にないのに、見たような気分になってるものが、何か作る上で、それぞれ固有の1番大事な感覚なのかもしれません。
同じものを聴いてるんだけど見ているものは違う。空気感のある音楽。
いまだにかなり好きです。
89年のCDなので少々古いんですけど、店とかでCD見つけたら是非良い音質で聴いてみてください( ^ω^ )ノ