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鞄の中から取り出したレコーダーのイジェクトボタンを押すとカチャリと軽い音を立ててテープがせり出してくる。それを引き抜いてとなりのラジカセに差し込んで巻き戻しのボタンを押す。ラジカセの中でテープが回転していくのを確認してからキッチンへ。インスタントコーヒーとお気に入りのお茶菓子、酒とつまみの類は…まだいいか。机へ戻るころには巻き戻しも終わり準備も万端。ラジカセの頭にある再生ボタンを押し込むとそれまで下がっていた巻き戻しボタンが入れ違いにポンと飛び上がりスピーカーから音が流れ始める。


…ああそうだ、今日はあの仙人様に取材したんだっけ。スピーカーから小さな声で、あの復活した聖人の声が聞こえる。確かあの聖人の演説を遠巻きに見ていた時だった。机に広げた白紙の原稿用紙の頭に「最近の道教聖人について」と表題を書き込む。


「あら、あなたも太子様にご興味が?」

だしぬけに声をかけられて思わず声が漏れそうになる。

「我々は妖怪であろうとも受け入れよう、とは太子様はおっしゃるでしょうが…

天狗の貴女が興味あるのは我々の教えではないでしょうねぇ」

振り向くと緩いウェーブのかかった髪をふわりと揺らし女が簪を頭に挿し直している。

「あややや…、まぁ信仰するかどうかはともかく取材対象としては興味深く思っておりますよ」

とびっきりの営業スマイルで答える。

「まぁ、お世辞がお上手ですこと」

女…霍青娥が笑みを返す。

「貴女が興味あるのはアレでしょう」

青娥が指を挿すのは演説をする太子様こと豊聡耳神子。正確にはそのでっぷりとせり出した大きな腹だ。


「復活されたときはもっとシュッとして、それはそれは見目麗しかったのに」

青娥が眉を顰める間も太子の演説にあわせ、せり出した腹は右へ左へぐにゃりと変形し、引き伸ばされた上着の間からはへそが覗いている。

「あの方が生きておられた頃は甘味などなかなか手に入りませんでしたから、お気持ちはわかるんですが」

そういえば、復活した当時に一度顔を合わせたことがあるが、見目麗しいという言葉はまさにその通りだった。頼りないほど細い体にうっすらと膨らんだ胸、ノースリーブの上着から延びた腕は細く伸びて黄金のブレスレットが良く似合う。細かな装飾が施されたスカートやベルト、それらを覆う濃い紫の外套。それらを纏って尚、華を失わない美しい顔立ち。永き眠りより戻った聖人としてこれ以上のない容姿と言うほかなかった。

「まぁ、いつまでも聖人君子殿と持て囃しておくわけにもまいりませんし、多少は世俗の埃にまみれていただくのも必要かもしれませんが」

彼女の愚痴は続く。太子に目を向ければ手に持った釈を掲げていよいよ演説も大詰めと言ったところのよう。掲げた釈に合わせて太い肩、腕の肉がぷるんと踊る。

「実務的なことは私や物部様が、内のことは蘇我様が仕切っておりますから手持無沙汰だったのかもしれませんねぇ。気が付いたころにはもうだいぶふっくらとしてしまっていて」

目の前の太子を見ると、随分と前にふっくらを通り過ぎてしまったように見える。あれほど細かった体は前に横に分厚く成長し腰に巻いたベルトが食い込んでいる。まるまるとした肩から延びる腕は締りなくふくらんで以前より心なし短く見えるほど。スカートからもわかる丸い下腹とそこから延びる足は以前の倍では効くまい。

「あれでも、最近仕立て直しましたの。それでもすぐに小さくなってしまって」

私の視線に気が付いたのか青娥が言葉を添える。どこもかしこも張りつめて、いまにも張り裂けそうな服に思わず同情してしまいそうになる。

聴衆側からわあっと歓声があがり拍手が太子へと贈られる。どうやら演説が終わったらしい。若い娘の何人かが聴衆の輪の中から駆け出して太子に何かを手渡している。

「あれ、大体一晩で平らげてしまいますの。だからますますお腹が大きくなってしまって、困ったものですわ」

既製品から手作りの品まで、太子が甘味が好みだと知られてからいうもの演説の後にはああしたプレゼントが渡されるらしい。

「本人は王子様気取りですけど、あんなに丸々としてちゃあ恰好つきませんわねぇ」

丸い顔を精一杯キリっとキラキラさせて娘たちに愛想を振りまいているのは滑稽さ半分、かわいらしさ半分といったところ。せり出した腹と両手でプレゼントの山を抱えてのっしのしと太子が聴衆の輪から離れていく。

「蘇我様は悪い虫がつかなくなったから、これでいいなんておっしゃってますけど、私としてはちょっとねぇ」

首をかしげて邪仙はため息をつく。

「まぁ、こんなことは滅多に言えませんから。ちょうど貴女のような人がいて助かりました」

「はぁ…」

不意に振られた言葉に思わず生返事で返す。会釈もほどほどに彼女は丸い背中を追って去っていった。ばらけつつある人の輪を見るとこれ以上のネタは見込めそうもない。レコーダーへ手を伸ばしボタンを押す。ガチャリとボタンが跳ね上がり録音が停止された。


「ふーむ…」

一通り文字におこして原稿を読み返す。復活した聖人が食に溺れて醜態を晒すなんていかにも大衆が好みそうなスキャンダルだ。いささか自分の新聞には刺激が強すぎるかも、なんて思わなくもない。さすがに下世話がすぎて私の新聞と毛色が合わないのでは…。指でペンを回しながら思いを巡らせる。

「あっ」

手から零れ落ちたペンが机の下へ転がっていく。仕方ないなと思いながら体を屈めて手を伸ばす。あと一歩というところまで腕を伸ばしたところでブチッという音と共に腹周りの圧が緩むのを感じる。血の気が引くのを感じながら伸ばした腕でペンを掴んで体を起こす。わき腹に手を伸ばすとあるはずのボタンはなく、わき腹の肉がスカートのふちへ溢れ、張りつめたジッパーがそれを押しとどめていた。

(ちょうど貴女のような人がいて助かりました)

邪仙の言葉がリフレインする。ああ、つまりそういうことか。あぁ、この記事はボツにしよう。もしくは私が堂々と出せるようにするまで寝かせておくか。お茶菓子に持ってきたチョコレートを一つまみ。そろそろ晩酌でもいいかな。

床に転がるボタンを拾うと私はキッチンへと足を向けた。


END

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