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エスケープゲーム 「ぅ、ん……」  低くうめいて、私は目覚めた。 「……ぅんッ!?」  目を開いても、なにも見えなかった。  口から吐き出そうとした声は、言葉にならなかった。  起き上がろうと手を動かしかけて、後手で固められ微動だにしなかった。  脚は折りたたまれてふくらはぎと太ももをくっつけたまま、前後に揺することしかできなかった。 「ぅむぅんんッ!?」  そこで恐慌《パニック》に陥り、言葉にならない声をあげ、動かせない身体をモゾモゾと蠢かす。 「んむぅんんッ!」  あらんかぎりの声を張りあげても、くぐもったうめき声しか出せず。手足は窮屈に折りたたまれ、固められたまま。 「んンンッ……んふっ、んふっ……」  やがて息苦しくなり、冷たい床に身体を投げ出して、ようやく私は冷静さを取り戻した。 『異常な環境で目覚めたとき、人は容易に恐慌《パニック》に陥る……そのような状態に貶められることが、ある意味究極のエスケープゲームでしょうね』  かつて聞いたことのある師匠、脱出女王《エスケープクイーン》・京橋雪花《きょうばし せっか》の言葉を、私自身が証明してしまった。  そう、私こと京橋雪乃《きょうばし ゆきの》は、脱出女王の一番弟子にして、いまだ脱出失敗ゼロの脱出姫《エスケーププリンセス》、プロのエスケープゲーマーである。  エスケープゲームとは、マジックショーのひとつ、いわゆる脱出ショーだ。  もちろんマジックショーであるゆえ、タネもしかけもある。  とはいえそれは、一般的なマジックのものとは少し違う。エスケープゲームにおけるタネやしかけは、エスケープゲーマー自身の知識と肉体、そして技術だ。  知識というのは、人体の構造としくみ。  たとえば手首の太さは、指の形で変わる。固くグーを握れば手首は細くなり、力を入れて大きくパーに広げれば、手首は太くなる。  力を入れてパーにした状態で縛られ、その後力を抜くと、わずかに余裕ができる。余裕ができた状態で指をすぼめれば、手首を縛る縄や手錠から脱出できる。  肉体というのは、その柔軟さ。  肘、肩、手首、指、あらゆる関節の柔軟さが、常人では不可能な身体を動きを生む。  たとえば縄で後手で手首をひとつに縛られても、私は頭の上から腕を身体の前に回すことができる。それができれば、口を使って結びめを解くことができる。  技術というのは、もっとわかりやすいだろう。  鎖で縛られて南京錠をかけられても、ピッキングの技術とヘアピンがひとつあれば、解錠することができる。  冷静さを取り戻した私は、その知識と肉体と技術を駆使して脱出すべく、自らの状態を把握しようとした。  視界が暗闇に覆われているのは、ここが真っ暗だからというわけではない。顔、いや頭部全体に感じる圧迫感からして、目の部分に開口がない革製の全頭マスクを被されているに違いない。  言葉を発することができないのは、全頭マスクの口にあたる部分の内側の突起を、口中に押し込められているからだ。そのうえで後頭部にある編み上げ紐をきつく締められて、下顎は突起を噛みしめるように固定されている。  全頭マスクが革製だと判断したのは、その突起が革巻きで舌に革の味しか感じないことと、鼻孔に合わせて穿たれた呼吸孔ごしの空気が、真新しい革の匂いに満たされているから。  おまけに鼻の呼吸孔は、きわめて小さい。そのせいで取り込める革の匂いにまみれた空気の量は、平静にしていてギリギリ。恐慌に陥り暴れ、すぐに息が切れた理由のひとつがそれだ。  そして圧迫感を感じるのは、頭部だけではない。  首が締まる寸前まで、きつく首輪を締められている。いや、鎖骨のすぐ上から顎の下まで達する幅広の首輪は、首枷と呼ぶべきかもしれない。そのため、首の動きが著しく制限されてしまった。  全頭マスクの編み上げ紐の下端はその首枷の下になっており、首枷を外さなければ、全頭マスクも脱げないだろう。  その首枷と同じくらいの革枷の存在を、二の腕と手首にも感じる。ただ、手首に嵌められているのは、ただの枷ではない。手のひら全体をぶ厚い革に覆われた感触からして、それは拘束ミトン一体式の枷だろう。  そのうえで両手を肩甲骨のあたりまで吊り上げた、いわゆる高手小手の状態で拘束されている。その形で腕全体が固められたように動かせないのは、肩から胸にかかる革ベルトを含め、枷とミトンが相互に連結されているから違いない。  さらに脚を曲げ、ふくらはぎを太ももの裏に押しつけた状態で固定されているのは、脚の付け根に近い部分で、柔らかい肉に食い込むほどきつくベルトを締められているから。  足首にも細いベルトの存在を感じるが、それ自体は拘束のためではなく、履かされたハイヒールパンプスを脱げなくするためだ。そのパンプスに収められて固定された足の形からして、そのヒールの高さは10センチ以上。歩行すら困難な超ハイヒールだろう。  そして暴れてすぐ息が切れた理由のもうひとつが、きつく、厳しく、胸郭の動きすら制限するほど締めあげられたコルセット。そのせいで、腰を曲げて前屈みになることも困難だ。  そこまで拘束の状態を把握したところで、ハッと気づいた。  お股には硬質なものを穿かされ、女の子の場所になにか硬質なものが擦りつけられている感触。  そのうえコルセットの上端は、アンダーバストで止まっていて、胸を覆うものがない。つまり、トップレスの状態ということ。 「京橋雪乃さん……」  そのことに気づき、全頭マスクの中で顔を赤らめたところで、耳孔の中で電気的に変換された甲高い声が聞こえた。 「んぅう、んむ(あなた、誰)? んむぅ、んぅんんむ(なんで、こんなことを)?」  思わず問うた声は言葉にならず、女は当然私の質問には答えない。 「いつまでそこで寝転がっているつもり?」  そこで全頭マスクの下で耳孔にイヤホンをねじ込まれており、そこから声が聞こえるのだと理解すると、声の主が雪乃をあざ笑った。 「早く脱出の道を探ったらいかが? 脱出姫の異名が泣きますよ?」 「うッ(くっ)……」  女の――声は変換されているから、あくまで口調だけから判断してだが――の言葉に屈辱感を感じ、動かせない身体を無理に動かす。  穿かされた硬いパンツの内側に凹凸《おうとつ》があるのだろうか。側臥の体勢から身をよじってうつ伏せになったところで、女の子の感じやすい媚肉に、なにかがグリグリと押しつけられた。 「ぅう、ん……」  そのせいで股間に痺れるような感覚が広がるが、今は気にしていられない。 「くっ、んっ……ふッ!」  息を吐き、全身に力を込め、うつ伏せで膝を床に付けた体勢から、反動をつけて上体を起こす。  しかし、できたのは、そこまでだった。  上半身を高手小手で固められ、膝を折りたたんで固定された私は、そこから1歩も動けなかった。 「ククク……それ以上、どうすることもできない? プロのエスケープゲーマーともあろう者が、情けないわね」  そこで、再び私をあざ笑う言葉。  悔しさに口中の突起を噛みしめたところで、女が言葉を続ける。 「無能な貴女に、ひとつ希望をあげる」  そして、かすかに聞こえるハイヒールの靴音。 「拘束具と、貞操帯を施錠する南京錠の鍵よ」 「ぅ、ぅむんんぅ(貞操帯)……!?」  その言葉で股間を覆う硬い感触の正体を知ったところで、拘束ミトンの右手になにかを握らされた。 「その鍵を使って拘束具を外せば、鍵は貴女にあげる。脱出してから貞操帯も脱げばいいわ。でも……」  そこで身体全体に、いや身体の上面に、熱を感じた。 「ステージ慣れしている貴女なら、気づいたかしら。今、スポットライトが点灯されたの」 (スポットライト……ですって? なぜ、そんなものを……ッ!?)  そこで感じた嫌な予感は、的中した。 「これは、エスケープゲーム……スポットライト点灯と同時に、この部屋の録画が始まったわ。そして録画された映像は、1時間のディレイ(遅れ)をかけて、自動的に会員制裏動画サイトで発信される」 「ぅむんんぅう(なんですって)ッ!?」 「もちろん、1時間のあいだに拘束を解いて脱出すれば、録画停止と動画消去のスイッチを押すことができる。でも、エスケープに失敗すれば……」  わかっている。トップレス姿でぶざまに脱出失敗するさまが、全世界に配信される。 「それでは、エスケープゲームのスタートよ……なお、10分おきにハンデが追加されるから、楽しみにしていてね。  そして女が、エスケープゲームの開始を宣言した。  まず私が試みたのは、拘束ミトンから手首を抜くことだった。  並みのエスケープゲーマーなら、まず持たされている鍵で南京錠を外そうと試みるだろう。 (でも、それは罠《トラップ》……)  しかしエスケープゲーマーになってからの日は浅くても、経験は師匠に次ぐものを持っていると自負している私は、そう見切っていた。 (脱出への文字どおり鍵《キー》が手中にあると思わせておいて、それを使って無駄なあがきをさせ、時間を浪費させる……エスケープゲームの難易度を上げるためのトラップとしては、基本的なもの)  私がそう考えたのは、職業柄拘束具の構造を熟知しているからである。 『拘束具と、貞操帯を施錠する南京錠の鍵よ』  私の手にそれを握らせるとき、女はそう言った。  感触からして、使われている拘束具は、すべて革製。その施錠に南京錠を使うということは、輪状に成形されたベルトのバックルの爪に南京錠をかけ、ベルトを外せなくするタイプのものだ。つまり、ベルトの数だけ南京錠で施錠されている。  首輪、いや首枷は幅からして、ベルトが2本ある構造だろう。そしてベルト2本の構造は、幅がほぼ同じの腕枷や、拘束ミトンの手首部分も同じだ。つまり、この時点で南京錠は8個。  他に拘束した手首を肩甲骨のあたりまで吊り上げて固定する革ベルトや、脚のベルト、各拘束具をつなぐのも南京錠だとしたら、いったい何個使われているのかわからない。  それらをすべて、ぶ厚い革のミトンを嵌められた手で解錠していくのは、至難の技だ。  ならば、鍛えた縄抜けの術を駆使し、まずは拘束ミトンから手首を抜くことが先決――。  しかし、そう考えた私の判断は、誤っていた。  縄、手錠、手枷など拘束具から手首を抜くためには、5本の指を内側にすぼめ、手のひらを細くしないといけない。  しかし拘束ミトンの内側が、指一本一本を別々に収めて拘束する仕組みになっているため、充分にすぼめることができないのだ。 (これ、無理……)  たっぷり5分、無駄に足掻いて、私は拘束具から手首を抜くことを諦めた。 (もしかして……)  鍵を使わず手首を抜かせようとすることこそ、時間稼ぎのトラップだったのか。  だとしたら、あの女は――彼女が首謀者だとすれば――私が拘束具の構造を熟知していることを知っていて、トラップをしかけたことになる。 (私個人を知っているのか、あるいはエスケープ全般について、詳しいのか……)  いずれにせよ、強敵だ。このエスケープゲームは、私にとって過去最高の試練になるに違いない。  暗澹たる気持ちになりながらも、私はひとつひとつ南京錠を外していくために足掻き始めた。  そのためにまず私がしたのは、全身を揺すること。  おそらく、私の拘束具に対する考察は間違っていない。バックルの爪に南京錠が取り付けられているなら、身体を揺することで南京錠も揺れる。揺れれば、それがある位置を把握できる。 「うっ、ふぅ……」  貞操帯内の硬質な凹凸に媚肉を抉られながら、まず覚えたのは、左の前腕部をなにかがこする感触。  これは、南京錠の鍵だろう。鍵に取り付けられた紐かチェーンを右手に握らされているため、鍵が揺れて交差する左腕を擦っているのだ。  その状態を把握して、私は感覚を研ぎ澄ます。  すると、高手小手の体勢で右手首の上に重ねられた左手首の上で、なにかが揺れているのを感じた。 (思ったとおりだわ)  それは、女がエスケープについて詳しいと推理していたから、気づけたことだった。  右手に握らされた鍵は、脱出成功への唯一の希望だ。  それを私に与えたということは、脱出成功の望みもあるということ。  そもそも、脱出の希望のない拘束は単なる厳重拘束であり、エスケープゲームではない。  私は右手の上に左手を重ねて拘束されている。右手の南京錠は左手の下敷きになっており、触れることもできない。そして重ねられて高手小手で固定された拘束ミトンの指先は、それぞれ逆の手首にしか届かない。  だから、もし左手に鍵を握らされていたら、鍵はどの南京錠にも届かず、その時点でアウトだ。  今の私には、左から右に鍵を持ち替えるのは困難だし、万が一その際鍵を落としてしまうと、拾い上げることは至難の技だ。  だから、女は鍵を右手に握らせた。 (つまり、脱出成功の希望はある!)  そう確信して、私は右手の中に鍵本体を握ろうとした。  とはいえ、拘束ミトンに囚われてほとんど自由を奪われ、ぶ厚い革で大半の触覚を失った手では、そのこと自体が難行苦行。  鍵を取り落とさないように慎重に、鍵本体を持つために右手首を揺する。  一度、二度、三度。反動でチェーンが回転する気配はあるが、鍵が手のひらに収まる感覚はない。チェーンは少しずつ回転していても、そのたびに鍵本体は滑り落ちているのだろう。 (一気に手のひらに乗せないと、無理)  そこでそう判断して、先ほどより大胆に手首を揺すろうとして――。 「10分経過。ハンデを追加します」  耳孔のイヤホンから、女の声が聞こえた。  カツ、カツ、カツ……。  と、ハイヒールパンプスの踵の音。それが間近で止まった直後、腕にチクリと痛み。 「アレルギーなどによるアナフィラキシーショックの緊急治療薬の自己注射器……知ってるかしら?」  知っている。アレルギーを持っている友人が傾向しているのを見たことがある。 (でも、アレルギーの治療薬をなぜ今?)  疑問を感じたところで、女が含み笑いで言葉を続けた。 「もちろん、中身の薬品は変えてあるわ。貴女に投与されたのは、媚薬よ」 「ぅむん(媚薬)……?」  ますます意味がわからない。  媚薬を投与されたからといって、それだけでメロメロになったり感度3千倍になったりするのは、漫画やゲームのなかの話だ。  現実の媚薬は、せいぜい気分を高揚させたり、ちょっとだけ感じやすくさせる程度の効果しかない。  エッチをしている最中なら効果絶大だろうが、エスケープゲーム中に投与されても、大きなハンデになるとは――。 「うふふ……呑気にしててもいいのかしら? このあいだに、もう1分近く時間を無駄にしたわよ?」  そうだ、今は媚薬の意味なんかどうでもいい。エスケープゲーム開始から、すでに10分以上が経過しているのだ。  左手の拘束ミトンを外すことができれば、そこからは飛躍的に脱出速度が上がるだろう。しかしいまだ私は、右手で鍵本体をつかむことすらできていない。  とりあえず女のことも媚薬のことも傍に置き、私は鍵本体をつかむことに専念する。  拘束ミトンの右手からけっして取り落とさないよう慎重に、かつ一度で手のひらまで鍵本体が届くよう大胆に、手首を動かして手を揺する。  一度、二度、三度。うまくいかない。  ミトンのぶ厚い革のせいで、うまくいきかけているのかどうかもわからない。  四度、五度、そして六度め。ぶ厚い革ごしに、指の横側になにかが当たった気配。 (鍵本体だ!)  そう直感して、先ほどの容量を思い出しながら、七度、八度、九度。  ときおり指の横に鍵本体が当たるが、なかなか手のひらには収まらない。  そこで、方針転換。  拘束具ミトンの手は鍵の存在を感じることに集中させるため、手首を揺するのではなく、南京錠の位置を探ったときのように、身体全体を揺すって鍵本体を動かす。  一度、二度、三度。 「んふっ、んふっ、んふっ……」  これしきの運動で息が切れるのは、鼻の呼吸孔が小さいからか。 「んふっ、んふっ、んふぅ……」  四度、五度、六度。  全頭マスクの下の顔が火照るのは、媚薬の効果で体温が上がっているのか。  その状態で、貞操帯内部の凹凸が、抉るように媚肉を擦っているせいか。  わからない。わからないが、今はこの地味な努力を続けるしかない。 「んふぅ、んふぅ、んふぅ……」  やがて全頭マスクの下の顔だけでなく、肉体の芯にも火照りが生まれた。  貞操帯の凹凸に押し付けられ、擦られ続ける媚肉がムズムズし始めた。 「んふぅ、んふぅ、んふぅん……」  そのせいで、鼻の吐息に甘みが混じる。 「んふぅん……んふっ、んふっ……」  ますます体温が上がり、息が切れる。  だが、なんということはない。脱出のための試みを、阻害するほどのものではない。  そう考えて、さらに地味な努力を慎重かつ大胆に続けること数度。 「20分経過。ハンデを追加します」  再び、イヤホンから女の声が聞こえた。 「んふうウッ!?」  貞操帯の奥、媚肉に押し当てられていた物体が振動を始め、私は悲鳴じみてうめいた。 「んぅうッ!?」  思わずビクンと跳ねかけたところで女の声。 「ふたつめのハンデ、貞操帯の中に仕込んでおいた、無線コントロール式のローターをONにしたわ」 「んぅうむむ(なんですって)!?」  なんと目覚めたときから感じていた身体を動かすたびに媚肉を抉られる感覚は、貞操帯内側の凹凸などでははなく、媚肉に押し当てるように仕込まれていたローターだったのだ。 「まさかローターを知らない……なんてことはないわよね?」  知っている。私自身が所有していたり、使用したりはしていないが、どういうものでなんのために使われるものか、理解している。 「うふふ……見たところ、エスケープはちっとも進んでいないようね? そろそろ急いだほうがいいわよ」  わかっている。媚薬に冒された状態で、媚肉をローターで刺激されたらどうなるか、容易に想像できる。 「ウッ(くっ)……」  媚薬とローターに煽られて集中力と慎重さを失わないうちに、せめて左手の拘束を解こうと、反動をつけて身体を揺すり――。 「んぅうんむむッ!?」  振動するローターを媚肉に押し付けて抉られ、全頭マスクの中で目を剥いて喘いで、ビクンと跳ねたときである。  チャリン。  かすかに聞こえた、小さい金属が硬い床に落ちる音。  息を飲み、固まる。  ぶ厚い革の拘束ミトンに、もう鍵の存在感はない。  手首を動かしてみても、腕に鍵本体の揺れを感じない。  全頭マスクの中で顔面を蒼白にしながら、呆然とたたずむ。  目の部分に開口のない全頭マスクに視覚を奪われて、なにも見えない。  全頭マスクのぶ厚い革とイヤホンのせいで、音はあまり聞こえない。  太ももの裏とふくらはぎを密着させて拘束するベルトと、脱げない超ハイヒールパンプスのせいで、自由に動き回ることはできない。  大きく息を吸い込むことすら規制するコルセットのせいで、前かがみになることすら困難。  そんな状態で床に落ちた鍵を探すことは、ほぼ不可能。  仮に見つけることはできても、両腕は肩甲骨あたりまで高く吊りあげられた高手小手で固定され、そこから上げも下ろしもできない。  もし腕を動かせても、拘束ミトンを嵌められた手では、床に落ちた小さな鍵をつかむことは無理だろう。  おまけに、投与された媚薬と、振動し始めたローター。  そのふたつの残酷なハンデのせいで、すでに私の官能は高まりつつある。  この先、時間《とき》を経るほど、私は運動能力と思考力を奪われていくに違いない。  もう、打つ手はない。私のエスケープゲームは詰んでしまった。  思えば、はじめから私はいいようにあしらわれていた。  ほんとうは南京錠の小さな鍵が文字通り脱出の鍵だったのに、罠と思い込まされて最初の5分を無駄に浪費した。  貞操帯に仕込まれたローターの存在に気づけず、ひとつめのハンデとして投与された媚薬を舐めてしまった。  そしてふたつめのハンデとしてスイッチを入れられ、初めてローターの存在を知ったときには、媚薬が効果を発揮し始めていた。  その結果、私は唯一の希望である鍵を、取り落としてしまった。  もはや、打つ手はない。南京錠のひとつも外せないまま、媚薬とローターに感じさせられ、乱れていくみじめな姿を全世界に晒す未来から、逃れる術《すべ》はない。  諦め。  絶望。  そのふたつに囚われて、私は動けない。 (なぜ……)  こんなことになったのだろう。 (どうして……)  私がこんな目に遭わされなくちゃいけないのだろう。  脱出姫《エスケーププリンセス》などと呼ばれ、調子に乗っていたのがいけなかったのか。  そのせいで、同業者に妬まれてしまったのか。  あるいは反社会的な組織に目をつけられ、拉致監禁されてしまったのか。  いずれにせよ――。 「30分経過したわ」  そこで、また女の声が聞こえた。 「ハンデを追加する時間だけど……鍵を落としたようね?」  その言葉に、私は反応できなかった。 「どうしたの、鍵を拾わないの? 拾わないなら、その鍵を放棄したとみなしていいかしら? それなら……」  そこで、靴音が聞こえた。  女が履いているような、ハイヒールの音ではない。ローファーのような踵の低い靴音が、1、2、3……もっと多い数。 「それなら予定を変更して、ハンデの追加の代わりに、脱出失敗の罰を先に発表してあげる……エスケープ失敗が確定後、その鍵と貴女の身柄を彼らに委ねます。その意味、わかるわね?」 (意味……ですって?)  諦め、絶望して鈍くなったうえに、媚薬とローターのせいでぼうっとし始めた頭でしばし考えて、ハッとした。 『拘束具と、貞操帯を施錠する南京錠の鍵よ』  鍵を右手に握らせたときの、女の言葉。 (拘束具の鍵は、貞操帯の鍵と同じ……その鍵と私の身柄を『彼ら』に委ねるということは……!?)  その意味に気づいてすくみ上がった私に、女が再びあざ笑うように声をかけた。 「それが嫌なら、鍵を拾い上げてエスケープゲームを成功させることね」  鍵を拾うために足掻くべきか、それとも動かずそのときを待つべきか。  そのままの姿勢で、じっと動かず考える。  残り時間は30分。  そのあいだに見えない目で鍵を探し、充分に動かせない身体で鍵の場所まで行き、つかめない手で拾い上げなければならない。  しかし、それはエスケープゲームの終わりではない。ただ30分前の時点、スタートラインに戻るだけだ。  そこから左手の拘束ミトンを外し、自由を得た左手で最低8個、場合によってはそれ以上の数をの南京錠を解錠して、拘束具を外す。  はっきり言って、絶望的だ。エスケープゲーム成功の可能性は1%もないだろう。  待っているのが絶望的な結末だとしても、それまでのあいだ、ぶざまな足掻きを見せないほうがましではないか。  脱出女王《エスケープクイーン》・京橋雪花の一番弟子にして、脱出姫《エスケーププリンセス》の異名を持つエスケープゲーマーとして――。  そこまで考えて、私はハッとした。 『エスケープゲーマーとして』  どうするべきか、なにをやらねばならないか、今やっと気づいた。  それは成功の確率か1%未満でも、その姿がいかにぶざまなものであっても、タイムアップの瞬間まで足掻き続けること。  失敗してからのことを考えるのは、そのあとでいい。  そのことにようやく気づいた私は、鍵を求めて動き始める。  もちろん、落とした鍵のありかはわからない。とはいえ、それほど遠くに転がってはいないだろう。  そして超ハイヒールパンプスの靴底は薄い。硬い床に落ちた鍵を踏めば、靴底ごしにその感触は足裏に伝わる。  鍵の位置を、把握することができる。  そう考えて、折りたたまれて拘束された脚に力を込め、厳重に縛《いまし》められた上半身を揺すって、数センチ足を――。 「んうッ……!?」  足を上げたところで、貞操帯の中で振動するローターに、媚肉を抉られた。 「んっ、ふぅ……」  そのせいで、甘い吐息を漏らしてしまった。  同時に、下半身が蕩けるような感覚が、ジーンと広がる。  思いのほか、肉体は媚薬に冒されているようだ。そのせいで想像以上に、官能が高められている。 (で、でも……)  止まることはできない。  ひとりのエスケープゲーマーとして、私は足掻き続けなければならない。 「んふ、んっ……」  艶を帯びてうめき、数センチ先の床に足を下ろす。  靴底に異物を踏んだ感覚はない。  そこで反対方向に身体を傾け。 「んっ、うん……」  艶めいてうめきながら、もういっぽうの足も前に進める。  今回もまた、鍵を踏んではいない。  身体を左右に傾けお尻を振りながら、ヨチヨチと歩を進める姿は、さぞかし滑稽でエロティックなものだろう。  もはや艶声と言ってもさしつかえないうめき声は、マイクで拾われていることだろう。  だが、それでいい。エスケープに成功すればそれら記録のすべてを消去できるし、失敗しても脱出への足掻きを見せることが、エスケープゲーマーの務めなのだから。 「んぅ、んん……ぅん、うう……」  貞操帯の中で振動するローターに高められ、甘くうめきながら、私は鍵を求めてぶざまにさまよい続ける。 「んふっ、んふっ、んふっ……」  次第に息が切れてきた。  頭もぼうっとしてきた。  それは鼻の小さな空気孔から取り込める空気が、身体が求める量に足りていないからか。  振動するローターに媚肉を抉られ続ける肉体が、性的に高まっているせいか。  いずれにせよ、私がやるべきことはひとつ。 「んふっ、んうぅ、んうんッ……」  息を切らせ、みじめな探索を繰り返す。 「んぅうん……ぅむむぅん……」  くぐもった艶声を漏らしながら、官能を高めていく。 「んふっ、んっ……んむぅんッ!」  そのとき、なにかが来た。  いや、私がそこにたどり着いたというべきか。  女の子の性の高み、絶頂。 「んふん、んぅうぅんッ……!」  くぐもった喘ぎ声をあげ、きつく固く縛められた肉体をブルリと震わせ、私はそこにたどり着く。  しかしこの頂きは、低いものだった。  媚薬の効果で絶頂《イキ》やすくなっているぶん、頂きが低いのかもしれない。  そんなことを考えながら、ピクリピクリと身体を震わせて。 「んふっ、んふぅ……んぅ……」  呼吸を整えてから、鍵の探索を再開する。  おそらく、貞操帯には小水用の排泄孔が設えられている。  その孔から、媚肉が吐き出した蜜が溢れているだろう。  あるいは、床に点々と蜜の水たまりができているかもしれない。  でも、そんなことはどうでもいい。どれほど屈辱的だろうと、恥ずかしかろうと、鍵を探すことが先決だ。  そう考えて、小さな絶頂の余韻でふわふわする身体を動かし始めたとき――。 「40分経過。ハンデを追加します」  耳孔にねじ込まれたイヤホンから、女の声が聞こえた。 「30分のときのぶんも合わせ、ローターの出力を2段階上げ、最強に……」  その言葉が終わらないうちに、股間を猛烈な振動が襲った。  最強に設定された振動が、媚肉のみならず貞操帯も震わせる。震わせられた貞操帯が、股間全体を、媚肉の上端に位置する小さな豆――陰核《クリトリス》をも刺激する。 「ぃ……ッ……ッ!?」  その強すぎる刺激が、私を一気に持ち上げた。  先ほどたどり着いたところより、一段高い性の高みへと押し上げた。 「ぃうッ……ぐゥううッ!」  あらんかぎりの声を張りあげ、私はイク。  厳しく縛められた身を跳ねさせ、私はイク。  衆人環視の下で、あられもなくイク。 「ぅうッ……んググぅうううッ!」  しかし絶叫したはずの声は、くぐもったうめき声にしかならなかった。  ビクンビクンと跳ねたはずの身体は、その場で震えただけだった。  あまりの快感の大きさに、私を取り囲む『彼ら』に、いや録画中継を通して全世界の視聴者に見られながら絶頂して、恥ずかしさすら感じない。  そしてみじめな絶頂は、それで終わりではなかった。 「んぅうッグッ! んんんグググッ!」  そして、たどり着いた性の高みから下りる暇《いとま》もなく、無慈悲な器具と薬品に、もう一段高いところへと押し上げられる。 「うぃグぅうううッ! んグングぐグググッ!」  押し上げられて、さらに大きい絶頂にたどり着く。 「んグぅうん……むぅんッ!?」  一瞬意識が飛び、横倒しに倒れてしまった。  受け身も取れずに倒れたにもかかわらず、痛みは感じない。私の肉体は、痛みを感じるような状態にない。 「ぅんぐグぅうううッ!?」  倒れたときの衝撃さえ快感に変えて、またイク。 (い、いけない……鍵を……鍵を探さないと……)  その一心で身体に力を込めて起き上がろうとして。 「んぅんんグググぅうううッ!?」  最強で振動するローターを媚肉に強く押し当てられて、またイッてしまう。  イッてもイッても止まらない。  なにかをしようとしても、それが次の絶頂へとつながってしまう。  まさにイキ地獄に堕ちてしまった私は――。 「50分経過……と言っても、もうわたくしの声は聞こえていないかしらね?」  女がイヤホンごしに告げた言葉のとおりの状態に陥っていた。 「60分経過。もういいわ」  わたくし――脱出女王《エスケープクイーン》こと京橋雪花は、失神してあらゆる体液を垂れ流す雪乃に、最後のハンデとして電動マッサージ器を押し当てていた助手たちに声をかけた。  雪乃は――わたくしの不詳の弟子は、増長していた。エスケープゲーマーとして半人前なのに、世間から脱出姫《エスケープクイーン》などと持ち上げられて、技術の研鑽を怠っていた。  いや、彼女が怠っていたのは、技術の研鑽だけではない。  エスケープゲーマーとしてもっとも重要なことは、常に脱出成功への近道を選び続ける冷静さと、エスケープへの熱意。彼女は、それを失っていた。  そこで、わたくしは自らの手で、雪乃に最大の試練を与えたのだ。  今回彼女に課せられた試練は、わたくしでも成功率50%という過酷なものだ。はじめから、未熟な雪乃が成功できるものではなかった。  おそらく途中から、彼女は脱出失敗を確信していただろう。鍵を取り落としてからしばらく動けずにいたのは、それで諦めていたからだろう。  しかしわたくしの言葉で蘇った雪乃は、最後までぶざまに、みじめに、足掻き続けた。  そしてその結果、みっともなく敗北した。  実のところ、撮影はしていない。仕事を手伝わせた助手たちには、堅く口止めしてある。雪乃のぶざまでみじめでみっともない脱出失敗が、外に漏れることはない。  しかし動画を撮られていると思い込んでいる雪乃は、もう二度と増長しないだろう。  いや、もし動画なんかなくても、冷静な判断の大切さを思い知り、エスケープへの熱意を取り戻した雪乃は、大きく成長するだろう。 「早く、わたくしを超えてね……あと、エスケープゲーマーなら、最後は自分で脱出すること」  ぐったりと床に横たわる雪乃に声をかけると、わたくしは鍵を拾い上げて左手の拘束ミトンだけを外してやり、その手に鍵を握らせた。 (了)

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