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後編 カーボン固め地下収納 「203」  202の散歩を終えた山田看守が、媛子の囚人番号を呼んだ。  きわめて不快、かつ不自由な特殊囚衣だが、唯一の利点は表情で決意を気取られないこと。  その利点を活かし、好機をうかがうことに集中しながら、首輪のリードを取られて監房から廊下へ。第1監房と初日に処置を受けた部屋の前を通り、建物の外へ。  そこは、建物の壁と高い塀に囲まれた四角い運動場。  決行は、建物からできるだけ離れ、門に一番近づくタイミングだ。  そう心に決めて、まずはリードを引かれるまま、建物を出て左に曲がる。そして、そのまま建物沿いを突き当たりまで進む。  いつもそうだが、今日の山田看守は特にやる気なさげだ。リードを引いて媛子の前を進みながら、背後を警戒しているようすは微塵もない。 (やはり、今日が……)  絶好の機会。  そう確信しながら、塀まで2メートルといったところで右折。  今度は塀ぎわを進み、門のある壁まで5メートルくらいのところで、再び右に曲がる。  やはりそうだ。3メートル以内に近づくとロックが解除されるから、門のある壁からは離れて歩かせるのだ。  ヘルメットのバイザーの奥でほくそ笑みながら、決行のタイミングを待つ。  そして、門が真横にくるまで1メートルのところで――。  油断しきっている山田看守の背中を目がけ、媛子は地面を蹴った、  イメージしていたのは、ラグビーのタックル。あるいは柔道の朽木倒し。  だが、1歩めで変則ハイヒールの足を滑らせ、前につんのめってしまった。  とはいえ、このたびは天が味方してくれた。 「……ッ(あっ)!?」  身体を支えようと手を伸ばした先に、山田看守の脚があった。 「あッ!?」  媛子の伸ばした手に足を駆られ、山田看守がもんどり打って倒れる。  完全に油断していたせいで、受け身を取れなかったようだ。 「ぐッ……!?」  身体をしこたま地面に打ちつけ、山田看守が苦悶する。 (端末は!?)  山田看守の首にはない。倒れたはずみで、どこかに飛ばされたのだ。  そう考えてあたりを見ると、それは門の前2メートルほどの位置に落ちていた。  そして門のレバー式ノブの横には、ロックが解除されたことを示すLEDが点灯している。 (今!)  反射的に立ち上がり、門を目指す。 (端末を持っていったほうが……)  いいことはわかっている。持ち去れば、山田看守は追ってこられない。懲罰装置も起動しない。 (でも……) 「ぅうう……」  苦悶しながらも、山田看守が上半身を起こす。  建物のほうを見ると、2階の窓に伊東管理官の姿が見えた。  そして、特殊囚衣のミトンで自由を奪われた手では、地面に落ちた端末を拾いあげるのは容易ではない。 (ここは、端末を放棄し、敷地から出ることを優先する!)  瞬間的に判断し、門に駆け寄り、レバー式ノブを押し下げる。 「警告、囚人が敷地外に出ることは禁じられています」  耳孔にねじ込まれたイヤホンから、女声の合成音声が聞こえた。  門の間際にいることを感知されたのか。媛子の位置情報が把握されているのか。  特殊囚衣にこんな機能があったなんて、聞かされていない。でも、躊躇している暇《いとま》はない。 「警告、許可なく敷地を出たら、懲罰を執行します」  その声を無視し、体当たりする勢いで門を開け放つ。  そして、全力で駆けだそうとして――。 「……ッ(えっ)?」  媛子は固まった。  目前には、なだらかな下りの1本道。その先には、小型船しか接岸できないような小さな波止場。そのすぐ脇に、冷蔵施設のある倉庫。 (も、もしかして……)  調理員がエコバッグに食材を詰めて運んできたのは、スーパーではなくあの倉庫からだったのか。  茫然と何歩か進み、あたりを見わたすが、周囲はすべて海。遠くに大きな島影は見えるが10キロ以上は離れているだろう。  門のセキュリティが甘いのもあたりまえ。仮に特殊監獄の敷地から出られても、ここは離れ小島だったのだ。 (そ、そんな……)  愕然としてへたり込んだ媛子の呼吸が止められる。 「……ッ!? ……ッ!!」  命の危険を感じ悶絶したところで、呼吸遮断から呼吸規制に切り替えられる。  同時にバイザー内側のモニターが落とされ、視界が闇に包まれる。 「ホントに逃げられると思ってた? あんた、バカでしょ」  山田看守の蔑む言葉を、耳孔のイヤホンで聞きながら、媛子は希望が潰えたことを実感していた。  後手に回された手の先端、ミトンのリングどうしを金具でつながれ、首輪のリードを引かれて連行される。  リングの接続に使われたのは、カラビナと呼ばれる押せば開く構造の金具。本来は簡単に外せるものなのだが、ミトンの手ではそれすら不可能。 『ホントに逃げられると思ってた? あんた、バカでしょ』  呼吸遮断に続く呼吸規制の苦しさのなか、山田看守にかけられた言葉。  そうだ。自分はバカだった。  201や202のように山田看守を恐れておとなしくしていれば、屈辱的ではあっても、安寧な囚人生活を送れただろう。  だが調査員としての正義感に囚われ、分を超えた義憤に駆られ、無茶な行動に出た結果、巧妙に仕組まれた罠に落ちてしまった。  そう、これは罠だった。 「あらあら、大変なことをやらかしてくれたわねぇ……これは、この上なく厳しい懲罰が必要ねぇ」  どこか愉しそうな伊東管理官の声を聞き、なんとなくそう理解した。  眠らされたままここに運び込まれたのも。収監の際に特殊監獄の立地を教えなかったのも。ヘルメットから飛び出した懲罰装置用電波受信機が、囚人位置情報発信機を兼ねていることを知らせなかったのも。山田看守が隙を見せつつ囚人を気まぐれに責めたのも。  すべてが脱走を誘う罠だったのだ。 (いえ、もしかしたら……)  媛子の元に寄せられた、黒百合商事の情報からが、罠だったのかもしれない。  その罠に、労働調査会社の課長も加担していたのではないか。  そう考えれば、潜入調査を試みた媛子の正体が、佐渡主任にバレていたことにも説明がつく。 (それどころか……)  罠の計画は、媛子が調査員に任命された1年前から始まっていたのかもしれない。民間特殊監獄と黒百合商事が、会社を買収した運営会社とつながっていたのだとすれば、それも可能だ。  疑い始めると、すべてが疑わしい。  だが、ほんとうのところはわからない。  ただひとつだけ、はっきりわかっているのは、媛子がこれから懲罰に処されるということ。  その懲罰を受けるため、首輪のリードを引かれて連行される。 「ッ、ッ、ッ……」  苦しい。  いまだ呼吸を規制されているせいで、歩くだけで中距離走をしているくらいに息が苦しい。 「ッ、ッ、ッ……」  しかし、山田看守に首輪ののリードを引かれているから、立ち止まることはできない。  そのうえ、伊東管理官がすぐに呼吸遮断と電撃を与えられるよう、端末の準備してついてきている。 「ッ、ッ、ッ……」  あまりの苦しさに気が遠くなりそうだ。 「ッ(もう)、ッ(ダメ)……」  しかし、気を失う寸前、山田看守がリードを引くのをやめた。 「ッ(こ)、ッ(こ)、ッ(は)……?」  今まで立ち入ったことのない、施錠された扉の前だ。  いずれ囚人が増えたとき、第3監房にする予定の場所だと思っていたが――。  伊東管理官が扉の鍵を開けた。 「懲罰用特殊封印監房よ」  そして、恐ろしげな名前の部屋の扉が開かれる。  しかし、第2監房と同じくらいの広さの部屋には、なにもなかった。 (いえ……)  近づくにつれ、床になにかあるのがわかった。  扉を入って左右の壁沿い。幅60センチ、奥行きは30、いや40センチくらいか。金属製の目地で囲われた長方形が4つずつ。  その右側の、左から3つめの目地の前に立たされたところで、伊東管理官が端末を操作した。  直後、ゴウンとモーターが唸る音。  目地に囲まれた床面の蓋がいったん下がり、壁方向にスライドして収納されていく。  そして、ぽっかり空いた穴の中から、ゴウンゴウンとなにかが迫り上がってきた。 「油圧駆動だから、ほんとうはこんな音はしないんだけれど、効果音として入れているの。いかにも残酷そうな雰囲気が演出されていて、とってもいいでしょう?」  そのセンスは理解できなかったが、伊東管理官が高揚していることだけはわかった。  そしてそのあいだに、媛子を拘束するための、金属製のフレームが完全に姿を現わした。  幅は、目地に囲われた穴と同じ。高さは、2メートル弱くらいか。  上部の横桟には、203の刻印。その下に、呼吸制御装置のものに似た、緑・黄・赤のLED。  それを見て、ハッとした。  フレーム形の装置は囚人203、すなわち媛子のために、あらかじめ用意されていたのだ。  いや、用意されているのは、媛子専用のものだけではないだろう。左隣のふたつは、201と202用。右隣は、今はまだいない204用に違いない。反対側の壁の4つは、きっと101から104のためのものだ。  これほどの大がかりな装置を、それぞれの囚人専用として、用意しているなんて。  そのことに愕然としていると、山田看守が媛子をフレームの中に立たせた。  そして、特殊囚衣のミトン先端の金属リングを、縦の柱に設えられていた金具につなぐ。  足を開かせ、ヒール部分のリングをいったん外し、それが取りつけられていた穴に金属棒を通して縦柱に留める。  それで腕と脚を軽く開いて立たされた状態から動けなくされながら、媛子はひとつの結論にたどり着いた。 (この施設の……)  特殊監獄の目的は、すべての囚人をこの装置につなぐことなのだ。  たまたま媛子が最初の犠牲者になっただけで、伊東管理官はすべての囚人をここに拘束する予定でいるのだ。 (つまり……)  このたびの罠に落ちなくても、次の罠も用意されていた。次の罠に落ちなくても、そのまた次の策も用意されていた。  201にも、202にも、101から104にも――。 (そういえば……)  媛子が実際に、101から104の姿を見たことはない。ただ自分たちの第2監房と同じ大きさの第1監房があり、そこの担当看守がいるから、そこに4人の囚人がいると考えただけだ。 (もしかしたら……)  101から104のうち誰か、あるいは全員が、すでにフレームに拘束され、地下に収納されているのかもしれない。 (そして、フレームにつながれた私も……)  これから、地下に収納される。  しかし、違った。伊東管理官が用意していた拘束装置は、媛子の予想をはるかに超えて残酷なものだった。 「山田看守、特殊カーボンパネルを」  伊東管理官の指示により、山田看守がビニール袋で封印された、黒い板を運んできた。  いや、よく見るとただの板ではない。  ビリビリとビニールを破って取り出されたのは、媛子が拘束されたフレームよりひと回り小さい枠に、黒い膜が貼られたものだった。  とはいえ、その膜はラバーシートのように軟らかそうだ。とうてい、カーボンパネルと呼べる代物とは思えない。 「このパネルに使用されているカーボンシートは、新開発の特殊素材なの」  山田看守の作業を見守りながら、伊東管理官が口を開いた。 「通常のカーボンは高熱をかけて成形するんだけど、この特殊カーボンパネルは、ふだんゴムのように軟らかく伸縮性もある。でも通電させることでたちまち硬化、カーボン本来の硬度と強度に変質するの」  そこまでの言葉を聞いたところで、背中になにかが押しつけられた。  カチリ、とかすかに金属音が聞こえたのは、パネルの枠がフレームに固定された音か。  肛門用排泄管理器具が軽く圧迫され、もう1度カチリと聞こえたのは、そこになにかが固定されたのか。  それが2枚の特殊カーボンパネルのうちの1枚だと気づいたところで、残る1枚を持って山田看守が媛子の前に回り込んでくる。 「じっとしていなさい。開口の位置が合わないと、苦しい思いをするわよ」  開口というのは、パネル上部、顔の位置にあたる3つの金属枠つきの丸い穴。それと中央より少し下、股間のあたりの穴のことだろう。  上3つは、おそらく鼻口の穴だ。下のものは、尿道用排泄管理器具のノズル用。  そしてお尻でカチリと聞こえたのは、そこにあった穴の金属枠が、肛門用排泄管理器具と噛み合った音だった。  そうと理解するあいだに、パネルが近づいてきた。  もう視界は、黒い特殊カーボン膜で占拠された。 「ッ(いや)……」  逃れようと身をよじっても、できたのは拘束用の金具をガチャガチャ鳴らすことだけだった。 「……ッ!?」  視界が真っ暗になると同時に、息を吸い込めなくなった。 『開口の位置が合わないと、苦しい思いをするわよ』  つまり身をよじったせいで開口部が合わず、呼吸孔が特殊カーボン膜で塞がれたのだ。  そうと気づき、姿勢を正すと、カチリと音がして呼吸ができるようになった。  呼吸できなかったのは、ほんの数秒。しかし呼吸規制が解除されていないせいで、息苦しさはなかなか解消しない。  そんななか、視界が復活した。  内部のモニターが、バイザーカメラのものから、部屋の片隅に設置された監視カメラのものに切り替えられたのだ。 「……ッ(うぅ)」  黒い膜で覆われたわが身の異様な姿に、無音でうめいて身をよじる。  すると監視カメラの視界のなかで、黒い物体がモゾモゾ蠢く。  そこで、再び伊東管理官の声が聞こえた。 「引き続き、動いちゃダメよ。変な体勢のまま固まっちゃうと、あとで苦しむのは貴女よ」 「……ッ(えっ)、……ッ(固まる)?」  伊東管理官の言葉の意味がわからず、思わず問うたところで、モーターが唸る音。  直後、特殊カーボンの膜が、身体に密着し始める。 「……ッ(こ)……(これは)!?」  膜の内側の空気が、抜かれているのだ。それで、膜が特殊囚衣ごしに、密着しているのだ。  そうとわかっても、無力な媛子にはどうすることもできない。  少しずつ動きにくくなるなか、ようやくできたのは、身をよじったまま固められないよう姿勢を正すことのみ。  ミチッ、と膜が特殊囚衣に貼りついた。  ギチッ、と特殊囚衣ごしに、全身を締めつけられた。  きつい。そして、動けない。  監視カメラの映像を映す視界のなかでは、膜が完全に密着し、媛子の姿は黒いレリーフのようになっていた。  やがて、頭のてっぺんからつま先まで、まったく動けなくなった。  そこで、空気を吸い出すモーターが止まる。  その直後、股間パネルのディルドにピリッと電気が流された。 「……ッ!?」  反射的に身体を跳ねさせたはずが、実際は膜の伸縮性のあいだで、ピクリと震えただけだった。  もう1度、ピリッ。  懲罰とは違い、失神するほど高い電圧ではない電気が流される。  ピリッ、ピリッと繰り返し。 「……ッ! ……ッ!」  そのたびに、音にならない悲鳴をあげ、身体をビクンビクンと跳ねさせる。  そこで、媛子は気づいた。  跳ねさせたはずの身体の震えが、少しずつ小さくなっている。 (どうして……?)  わずかの時間考えて、伊東管理官の言葉を思い出した。 『通電させることでたちまち硬化、カーボン本来の硬度と強度に変質するの』  つまり、ディルドの電撃により通電、膜が硬化しているのだ。  そしてやがて、膜はカーボン本来の硬度と強度を手に入れる。  閉じ込めた媛子をギチギチに締めつけたまま、ガチガチに固まってしまう。  もう、動けない。完全に動けない。  身体の自由を奪われるなどというレベルではなく、文字どおりピクリとも動けない。  視界のなかの黒いレリーフも、微動だにしない。  まさに、カーボン固めの完全拘束。  そんな状態に陥った媛子を、さらなる残酷な事態が襲う。  ゴウン。拘束フレームがせり上がってきたときと同じ音が聞こえ、固められた身体が動きだした。  監視カメラの視界のなかで、真っ黒のレリーフと化したわが身が、ゆっくりと床に沈んでいく。  カーボン固め完全拘束のまま、床下に収納されるのだ。仕舞われてしまうのだ。  ゴウン、ゴウン。  残酷な雰囲気の演出のため、伊東管理官があえて入れたという効果音。その意味が、今ならよくわかる。  油圧駆動で静かに沈むだけなら、それを監視カメラの映像で見せられるだけなら、これほど恐怖しなかっただろう。絶望しなかっただろう。  ゴウン、ゴウン……ガコン。  沈み込みが止まった。  ゴウン、ゴウン……ガコン。  スライドしてきた蓋が床と一体になり、その下に人が閉じ込められているとは思えなくなった。  しかし、媛子はそこにいた。  特殊囚衣を身につけたまま、頑丈なフレームに拘束され、カーボン固めに囚われて、床下に収められていた。  折られていた媛子の心は、粉々に粉砕された。その身が床下に沈められたように、深い深い絶望の淵に沈もうとしていた。 「でもね……」  仕舞われた床を見て目を細め、それから監視カメラを見て、伊東管理官はつぶやいた。 「でもね、これで終わりじゃないのよ」  監視カメラの映像のなかで、伊東管理官と山田看守が立ち去ったあと、不意に視界が闇に閉ざされた。バイザー内部のモニターが落とされのだ。  実はこのとき、聴覚を支配するイヤホンの電源も切られていたのだが、すでに無音の地下に収納されていた媛子は気づいていない。 「……ッ!?」  突然の暗闇に驚き恐怖した媛子の女穴に挿入されっ放しのディルドが、ブルブルと震え始めた。 (そういえば……)  尿道と肛門の排泄管理器具を押さえる股間プレートの正式名称は、電撃および振動ディルドつき金属プレート。  これまで電撃機能しか使われていなかったので忘れていたが、ディルドには振動する機能もあったのだ。  とはいえ、その振動はきわめて弱いもの。  もしかしたら強く振動させることも可能なのかもしれないが、今は緩く弱くしか震えていない。  その振動が、女穴に妖しい感覚を生む。  快感の前兆のような感覚がゾワリゾワリと駆け抜け、媛子の官能を呼び覚ます。 「ッ(あっ)……ッ(ぅん)……」  官能を呼び覚まされた媛子が、音にならない吐息を漏らした。 「ッ(ぁあ)、ッ(気持ちいい)……」  喋っても声が音にならないことに馴らされた媛子が、性の快楽を口にする。  だが、そこまでだった。  緩く弱いディルドの振動は、大いなる性の悦びまではもたらしてくれなかった。 「ッ(んっ)、ッ(気持ちいい)、ッ(けれど)……」  ものたりない。 「ッ(そして)……」  息が苦しい。  そこで、ゾッとした。  媛子の呼吸規制は、いまだ解除されていない。ふたつの呼吸孔から吸い込める空気は、安静にしていてギリギリ生きていける量に制限されている。 (つまり……)  官能を高めて呼吸を乱してしまうと、たちまち酸欠に陥ってしまう。 (いやぁ、そんなのいやよぉ……)  しかし、ディルドの振動は止まらない。 「……ッ(お願い)、……ッ(止めてぇ)……」  音にならない声にしてみても、それは同じこと。 「……ッ(なぜ)……ッ(どうして)」  命の危険を感じてしまうのに、感じ高まってしまうのか。  もちろんオンナの肉体が、そうなるようできているからである。  暑くなったら汗をかく。寒くなったら身体が震える。それと同じように、人体の構造上避けられない事態なのだ。 「ッ(あっ)、ッ(んっ)……」  いよいよ、高まってきた。 「ッ(んっ)、ッ(うっ)……」  ますます、苦しくなってきた。  とはいえ、緩く弱い振動では、快楽に酔うほどには高まらない。呼吸困難に陥るほどには、苦しくならない。  ディルドの振動同様、緩く弱い快楽と苦しさ、酸欠と暗闇の恐怖が延々と続く。 「ッ(ん)、ッ(う)、ッ(気持ちいい)……」  でも暗い、苦しい、恐ろしい。 「……ッ(いったい)……ッ(いつまで)」  これが続くのだろう。  特殊監獄の刑期と同じように、カーボン固め地下収納懲罰の期間も教えられていない。  もしかしたら、このまま完全拘束と真の暗闇と快楽と苦痛の世界に、永遠に閉じ込められるのかもしれない。 (そ、そんなの……)  嫌だ。 (で、でも……)  媛子自身の力では、どうすることもできない。  諦め。絶望。  しかし苦しさと恐怖は、憐れな被害者を捕らえて放さない。  そんな状態の媛子がすがりつけるのは、今そこにある性の快楽のみ。  緩く弱い快感に、媛子は救いを求めて没頭していく。  媛子の生きるための本能が、苦しい恐ろしいを頭から追い出し、気持ちいいことしか考えないように努めるよう仕向ける。  やがて、胃が満たされる感覚。膀胱が軽くなったあと、浣腸と排泄が行なわれる。  一時的に地下から出され、食餌と排泄の管理が行なわれているのだ。  カーボン固め地下収納の身分に落とされても、管理だけは変わらず行なわれるのだ。見捨てられず、生かしてもらえるのだ。  終了後はまた地下に戻されるにせよ、そのことに媛子は安堵してしまう。  安堵して、快感と同じように、それにもすがりついてしまう。  まともな女性なら、屈辱と恥にほかならない酷い仕打ちが、みじめな媛子の心の支え。  強制的に与えられる緩く弱い快感と、食餌と排泄を管理されることに悦びを見いだしながら、憐れな媛子は――。  試験的に導入された民間特殊監獄制度は、数ヶ月後、突如廃止された。  監査が行なわれ、罪のない囚人に対する非道な仕打ちが明らかになったとも、その監査に入ったきっかけが、良心の呵責に耐えかねた関係者からの匿名の通報とも言われているが、定かではない。  ともあれ、稼働していた特殊監獄はすべて閉鎖され、関わった者は通報者以外、全員処罰された。  収容されていた囚人も残さず解放されたとされるが、個人情報への配慮から詳細は明らかにされていない。  またその後、黒百合商事という会社が廃業したが、それがこの件と関係あるかは不明である。 (了)

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