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あけましておめでとうございます。 今年もよろしくおねがいしますm(_ _)m つい先日商業原稿を入稿し終えました。 去年、同人やら商業やらの原稿を描いて体がどんどん商業あるいはそれに類するクオリティの原稿を描くという感覚に馴染んできた&思い出してきたので今年はバリバリ原稿やら二次やらやっていきたいと思います。体力が保つ限り。がんばります。 そんな訳で、本来なら何か新年初の絵か何かを投下したかったんですが、 本日スパイダーマン ノー・ウェイ・ホームを観てきてから、スパイダーマンNWHの事しか考えられない!! この世のいい映画には「面白い映画」と「凄い映画」というものがあるのですが、 面白い映画は色々あれども、凄い映画というのは案外少なくて、面白い上に凄い映画というのは年に1〜2本あればいい、下手すりゃ数年に一本あれば良い方という所。(なおブレードランナーや2001年宇宙の旅は、別に内容が面白いわけではないけど凄い映画のジャンル) そんな中スパイダーマンNWHは面白くて凄い映画なのでした…。 事前に想像していたものを遥かに超えたものをお出しされて、脳がマーズ・アタックの火星人か、キングスマンのクライマックスシーンの如くバーンッと弾け飛ぶ所でしたよ。危ない所だった。 一回観ただけの衝動でザァーっと感想を書き綴りますが、”ネタバレ注意”です。 いいですか?この先は映画を観た人か、「ネタバレとか関係ねぇー!水だ水だァー!ヒャッハー!」という心にモヒカンを持った人以外は見ちゃ駄目ですからね!注意しましたよ!! さて、とはいえどこから感想に手を付けたらいいものか() あまりにも切り口が多いもので。 事前のPV等から想像できる内容は、前回のヴィランであるミステリオの策略で全世界に正体のバレたスパイダーマン/ピーター・パーカーの懇願により依頼を受けたドクター・ストレンジのおちゃめなミスで歴代スパイダーマンのヴィラン達がトム・ホランドピーター・パーカーの世界にやってきて、それを追い返すうちに正体バレの件は何とかなって大団円、 その際に歴代スパイダーマンのトビー・マグワイア、アンドリュー・ガーフィールドがサービス出てくるお祭り映画になってくれたら御の字…かなーくらいに思っていたんですよ。 MCUはそんな甘っちょろくありませんでした。 というか、アタイ、まだまだMCUの事を舐めていたみたいです。 経験人数豊富のつもりだったけど、まだまだオボコでしたよ!!サーセンっした!! このスパイダーマンNWHは、 「MCU、というかヒーロー映画全般がシリーズを重ねていくにつれて徐々に抱えていってしまうとある問題にひとつの解答を出しつつ、大いなる力には大いなる責任が伴う話、歴代スパイダーマンの青年時代の呪い(スパイダーマンの呪い)を解きつつ、ヴィランに救いを与え…そしてトムホピーターの子供時代の終わり=青年時代の始まりを描いた映画」です。 何を言ってるかまるでわからないでしょう? でもそういう映画なんだよッッッ!!! 一つ一つ解説していきたいと思います。 ・MCU及びヒーロー映画全般がシリーズを重ねていくにつれて徐々に抱えていってしまうとある問題 それは「ヒーローはヴィラン、スーパーヴィランを打倒する存在というだけであっていいのか」問題です。 勿論、それぞれの作品でそれぞれのテーマやテーゼを立ち上げて、それに向かってヒーローはどういう解答をしていくのかという描写はあるのですが、 それでもエンターテイメント作品としてヴィランをガンガン殴って打倒してカタルシス!スカッとして面白い!という側面もあるし、作品によってはその側面が大きく全面に出てしまうものもあります。 アベンジャーズ/エンドゲームも、作品としては面白い上に凄い作品のひとつで自分も大好きな作品ではありますが、 覚悟が完了したサノス(農夫サノス)が提示した「このリソースに限界のある世界の現在と未来をどうしていくのか?」というテーゼにヒーロー達はあまりちゃんと答えられてはおらず、 結局最終的には農夫サノスとは別人の覚悟が完了していないサノス(脳筋サノス)や脳筋サノス軍団を形式上はボッコボコに打倒して終わり、という事になっていました。 勿論、ボロボロになっても立ち上がるキャプテン・アメリカの姿や、あの毒舌独善唯我独尊なトニー・スタークがようやく自分を犠牲にしてでも何かを守る為に行動する姿が物言わぬ一種の解答にはなっていると自分も思いますし、 そもそも万能の力を持ったインフィニティストーンなのに、解決方法が死と破壊しかないってどういう事だよ農夫サノス!生み出す力もある事は証明されてるんだから、宇宙のリソースを増やせばいいだろ!って思うんですが。 それはともかく。 アベンジャーズエンドゲームで第一次アベンジャーズ神話が一区切りついてから、MCUは(コロナ禍による中断・延期も挟むものの)ドラマシリーズも含めてヒーローのあり方、正義のあり方の模索期に入っていたと思います。 何せ、アベンジャーズエンドゲームがあまりにも神話的な話過ぎて一般人が蚊帳の外、置いてけぼりにされがちでしたからね。 タイム泥棒Aチームとしてインフィニティストーンで全世界の半分の人たちを呼び戻すという一種の究極の人命救助をしている、とは言えるんですが。でもやはりベースは天上人の話になってしまったな、というか… そこで重要になっていたのが「親愛なる隣人」スパイダーマン。 アベンジャーズエンドゲームの後もエピローグ的な「スパイダーマン/ファー・フロム・ホーム」で、もう一度スパイダーマンのオリジン的な話をやりつつもヴィラン・ミステリオと戦いつつ地道で土着的な人命救助を行う地の道を行く男。 この作品でグイイイ〜〜〜ッとかなり地に足のついた話に引き戻された感じはあります。ミステリオが映像的トリックを使うヴィランなので、やや映像的には派手派手ですが。 でもこの目線を一般人的な所まで戻してくれるスパイダーマンがいなかったらMCUの方向性がどうなってたかわからんですよ(汗) そしてミステリオというヴィランを倒すという話ではあったけれど、同時に地道に人命救助や被害抑制をするヒーローに回帰したスパイダーマン&MCUが次に向かうテーゼとは…。 『ヴィランも救わなくちゃいけないんじゃないか』という話。 え、マジ?そこ行っちゃう???(汗)と観ている最中映画館で思いました。 「人を守る為にライダーになったんだから、ライダーを守ったっていい!」というのは仮面ライダー龍騎の城戸真司の言葉ですが、 「人を救う為にヒーローになったんだから、ヴィランを救ったっていい!」という感じですか。 アベンジャーズエンドゲームでの全世界の半分の命を取り戻すのとは、また別種の究極のヒーローの人命救助。 ともすれば独善的ものになってしまう可能性を孕んだテーマですが、次のポイントと絡める事によってそれを(多分完全ではないんでしょうが)大きく解消する事ができています。 ・大いなる力には大いなる責任が伴う〜大いなる力を持ったが責任を失った人たちとスパイダーマンの青年時代〜 スパイダーマンのヴィランの構造は、基本的にはスパイダーマンの影(シャドウ)となる存在です。 基本的にはピーターと同じように科学的な要因を持って「大いなる力を得たけれども、責任を失った人たち」、つまり裏スパイダーマンです。 スタン・リーがこの構造に気づいてからはどんどん裏スパイダーマン、もといヴェノムやカーネイジ等々の偽スパイダーマンが増えていくのですが。まあいいでしょう(マスターロゴス) 歴代スパイダーマン、トビー・マグワイアスパイダーマン、アンドリュー・ガーフィールドスパイダーマンはこの大いなる力を得たけれども責任を失ったスパイダーマンの影=ヴィランによって、 あるいは自らが大いなる力の責任を見失った際に取り返しのつかない事をしてしまったり、あるいは大切なものを失ったりします。 ベンおじさん、恩師、恋人、親友……諸々。 「取り返しのつかないことをしてからが青年時代の始まり」とは富野由悠季の監督の弁であり、監督の作品のテーマの一つでもあります。 シャアは内心自分でも親友だと思っていたガルマを謀殺した事でトラウマを負い、アムロはララァを自分で死なせた事によってトラウマを負ってそれぞれ長く苦しい青年時代を過ごす事になりました。 それぞれの世界のスパイダーマン達は、ヒーローとなって大切なものを失ってからというもの、長い長い青年時代に突入して抜け出せないまま大人になったりおじさんになっていました。 ヒーローの呪い、スパイダーマンの呪いです。 今回のスパイダーマンNWHの歴代ヴィランを救う為の戦いは、同時に歴代スパイダーマンの青年時代の呪いを解く戦いにもなっていました。 あの時かけられなかった言葉、出来なかった行動、それらをマルチバースで引き寄せられたスパイダーマン達はヴィランとの対決の中である種のやり直しを通して自分たちの過去の呪い、青年時代と決着をつけます。 自分たちの影の存在であるヴィランを救う事が、そのまま自分たちを救う事につながる。 号泣しましたよ。あたい、号泣ですよ… もしかしたら、ピーター達の心は完全には救済されないのかもしれません。 それはそうだと思います。あの場では過去に出来なかった言動をやり直せたとしても、自分たちの世界では失った人たちは戻ってこないのですから。 それでも、少しでも彼らの心は救われたのだと願わずにはいられません。 本当の自分にレリゴーしたぜ!というヴィランを治療と称して力を奪って良いのかという僅かなもやりもなくもないのですが、 でも彼らは大いなる力を持ちながら責任を失った人たちなので、責任を失っているなら同時に大いなる力もなくさなきゃアカンやろ、 というかそれをずっと責任持ったまま抱え続けて苦しんでいるピーター・パーカー達にどのツラ下げて言えると言うんじゃいッッッ!!!(怒 ともあれ、この映画でようやく青年時代を終えられた過去のスパイダーマン達……長かったですね……お疲れ様でした(涙) トビー・マグワイアピーターなんておじさんになっていたんですよ…? なんかもう……もう…… ・トムホピーターの子供時代の終わり〜青年時代の始まり〜 青年時代を終えた過去二人のスパイダーマンに対して、今回子供時代が終わって青年時代に突入してしまったのがトムホピーター。 「取り返しのつかないことをしてからが青年時代の始まり」 今回のトムホピーターは、メイおばさんを亡くし、親友と恋人を含んだ全世界のスパイダーマン=自分の記憶を失います。 思えば、今までは本当に無邪気な子供だったと言えるんですよ。 今回にしても、本来だったら問答無用で全世界の記憶が消える所を、ドクター・ストレンジが子供ピーターのわがままを聞き入れた事で問題が始まっているので。 (映画見る前はドクター・ストレンジが一方的にやらかしただけなのかと思ったが、半分は冤罪だったわ、すまん) ドクター・ストレンジは、可愛い子どものお願いをホイホイ聞いてしまうちょっと困った人ですが、物事を割り切った”大人”でもありました。 対して、トムホピーターは善行が良い方向に進むと無邪気に考えていて、大人にわがままを言って通してもらえる”子供”。 その子供が子供性の為にしっぺ返しを受けて取り返しのつかないことになるのが今回の話でした。 無邪気な子供的善性のままにヴィラン達の”治療”をしようとしたその結果、トムホピーターはメイおばさんをグリーン・ゴブリンに殺害されてしまいます。 「取り返しのつかないことをしてしまった…!(byアムロ)」 その後歴代ピーターたちと協力してヴィラン達と対決するのですが、 その結果ピーターは全世界の自分の記憶を消し去る事になります。 これは最初のドクター・ストレンジの提案、最初の問題に回帰して着地しているわけでもあります。(めちゃくちゃ脚本上手いですね) 子供のわがままを通すわけでもなく、かといってストレンジのように割り切った大人になるわけでもなく、 メイおばさんという大きな犠牲を伴ってピーターは子供と大人の中間の存在、”青年”になったのです。(スパイダーマン1のトビーピーター、アメイジングスパイダーマン2のアンドリューピーターとようやく同等になったとも言えます) この辺り観ててほんまつらかったです。 いつか前二人のピーターのように、トムホピーターも救われる時が来るといい…そう思います。 あと、トムホピーターのヴィラン、ヴァルチャーとミステリオにも救いがあると……いいなあ(笑) 特にヴァルチャーはね……彼は上の立場の人達の”大きな理屈”の犠牲者でもあるわけですし。 今日見た勢いで書いた、大きな部分の感想はこんな感じです。 長い&とっ散らかってますが、勢いだけで書いてるんで許してくれ!! 他細々とした「あそこ良かったなぁ!」とかあるんですが、割愛。 久々に震えるような感動を味わえた映画でした。 スパイダーマン最高!!!!!

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