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◆天気の子の陽菜ちゃん。
ラフから変わりすぎてわろた…。
前回絵柄を合わせるのむずかしいとかなんとか話していたんですが、
このイラストに関しては陽菜ちゃんにまったく似せれなかった反省。
なるたけ可愛くならないかなーと線画の段階で色々悩んで描いては直し描いては直しとしていたらラフから別の絵になってましたという。こういうこともある…。

◆そういえば先日、自分が通っていた専門学校で、天気の子のキャラデザでおなじみの田中将賀先生がライブペイントとかトークショーするという記事があって、うらやましい…!行ってた時にやってよ…!(無茶言うな)と思いましたが、それで色々当時のことを思い出してました。
というわけでせっかくなのでその頃の親に泣かれた甘くない酸っぱい思い出話でも。
ツイッターでも何度か書いたことがあるんですが、少しだけ細かく書いていきたいと思います

専門学校行こうと思ったいきさつは前に書いてた感じですのでそちらもどうぞ。

 最初、まあ有名どころの代々木の例のアニメのあの有名な専門学校に入ろうかなと思っていたんですが、いろいろ悩んでいるタイミングでそこの学校から宣伝お電話があり、とりあえず体験入学してみることにしました。実際行ってみたら体験入学というよりは面談したりアピールポイントを聞いただけという感じで、「うちの学校からカプコンとかSNKに入社した人もいて、コネもあるよ!」(超ザックリ)な話を伺いました。
実際問題そんなコネとかもとくに無く、そういった会社に就職しやすいとかもなく、自分の周囲でも行った人はおりません。
世知辛い。ですが、当時は格ゲーとかもよく遊んでいたし、イラストも上手くて魅力的だったあれらの会社にも行った生徒がいる実績を近くで体験した若き日のわたくしは、ホイホイとその学校へ入学を決めました。
 その学校はゲーム科はあるけど、イラストレーターのほうはデザイン科から就職した人が多いし、ゲーム科はどちらかというとプログラミング等のほうを重視していたので、悩んだ結果デザイン科のほうを選びました。ちなみにデザイン科は2年制ゲーム科は3年制だったので、ここでゲーム科を選んでたらまた人生がガラっと変わってたと思うので今でもそうなってたら今なにしてたんだろうなーと考えたりします。
 そして実際入学してみて授業を受けてみたところ……。
思ってたのと違う!
となりました。もう入ってゲームキャラデザとかそういう勉強をするところってザックリ想像してたんですが、デザイン科はどちらかというと本の装丁や広告等の文字の組み方、お店のディスプレイや写真等、まさにデザイナーのお仕事に関する方面のお勉強がメインで、かろうじてデッサンの授業がそれっぽいくらいのゲームのゲの字くらいしかない場所でした。ちゃんと調べて当時の自分。
結局授業はさぼりまくって休憩室でスケッチブックにらく描きする日々でした。
なんのために入ってんお金の無駄では…というイメージがものすごいんですが、その学校にはクラブ部活動的なものがあり、放課後にゲーム制作等に興味がある生徒が自主的に集まって複数のチームに分かれて実際に制作してみて、時期を決めて発表するという場がありました。
そこではチーム分けとは別にイラスト、音楽、プログラムでそれぞれに分かれて勉強会的なことをする事もあり、先輩にわからないことを聞いたり教わったりすることができたので、自分にとっては学校に通っていた時期はそこでの活動が学びの中心だった感じです。部活動でもいろいろあったのですがそちらだけで1日記枠できるくらいなので割愛してまた別の機会に、かく、かも。
 そんなわけで授業はろくに出ない不良問題児的な扱いだったわたくしは前回の目標のとおりエロゲ―会社を目指して邁進し、1年半ほど過ごしていたのですが、ここにきてやっと本題というか
この話のために書き始めた事件が。
そろそろ就職活動の時期に差し掛かり、予定通りそっち系(成年向け美少女ゲーム)会社に履歴書を投げていました。一応生徒全員に進路指導相談があり、行きたい方面の会社を紹介したりする制度もあったんですが、今でこそKEY等アニメ化したりメジャーなイメージの所もあるのですが当時は完全にアンダーグラウンドで、学校のコネ等つながりもろくに無く、内定も決まらなかったこともあり、仮に受かったとしても学校のイメージが悪いし、どこかに就職させないと就職率にかかわると考えた(←ここは想像ですが)進路指導の先生が実家に
「お宅のお子さんは成人向け、エッチなゲームを作る会社を志望しておられますが、親御さんは了承していらっしゃるのでしょうか?」
といった内容の電話をしました。
その日家に帰ると母が泣いておりました。
泣きながら「あんた頼むからそっちの仕事だけはしないで…」と言われました。
正座して聞いていたその光景は今でも鮮明に覚えていて、思い出す度に胃が痛くなります。
父親は小学生の時から女の子の尻を追い回していた(本人談)のでそっち方面だろうと仕事ということで寛容だったのですが、母はテレビでエッチなシーンが流れると顔をしかめてチャンネル変えようとするくらい卑猥なことに関しては苦手だったし、ゲームといってもパソコンも意味が解らないくらい疎いので、今に思えばAV男優にでもなるような感覚だったんだろうなーと。
とはいえ今ではそういう仕事も受けることもある絵描いたりするお仕事に関して親元を離れてご飯食べてることは受け入れてくれてるし、よくテレビや創作で見るそんな仕事をする子とは絶交!みたいな感じではありませんし、仲も良く、なにより両親は"親”としては本当に理想的で尊敬しているので、余計にそんないい親を泣かせてしまったことはトラウマのように心に刻まれて…というと深刻ですがツイッターで笑い話にでもしないとやってられない気持ちです。なんてことしてくれたの進路指導の先生。
理想的な親からどうしてこんなんが生まれてしまったのかとかいうパラドックスは置いておいて。
 しかも卒業後1~2年経って、ちょうどエロゲ―のほうもどんどんアニメやコンシューマ化の流れでメジャーになりつつあり、そちらへ進路を望む生徒も増えてきて、自分がエロゲ―会社のチーフグラフィッカー(内部にグラフィッカーが一人しかいなかった)になったという事を後輩から聞いたらしく、その話を宣伝に使うという大技までかましていたようです。改めて…ゆるさへん…進路指導の先生。
ちなみに学校名を伏せているのも一応お仕事として活動できる程度には名前が出てしまっているので出すと宣伝にならなくもないから腹が立つという感情がブラック人的なのと、親を泣かした進路指導という情報が学校につくと、今の時代ツイッターでなんかの間違いで広まる可能性もなくはないし、そういうネガティブな話はもし今そこに通っている生徒さんや卒業生の方が目にしてもあまりいい気はしないだろうなという2つの理由です。

まあでも、専門学校に行ったこと自体は後悔はなく、行って良かったし、行ったから今絵描いて暮らせてるなとは思います。
そしてそこで出会った友達と、今晩も一緒にモンハンします。

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