少し話を (Pixiv Fanbox)
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毎日が映像みたいに流れて、それに味がするか確かめる日々です。
たまにはブログっぽい話をしたくなって書き始めました、
少しだけ付き合ってくれたら嬉しいです。
中学生だか高校生だかの頃からずっと「社会で生き延びるためには普通の人間を目指した方が生きやすい」と思っていて、
学校でも虐めれられず普通に就職して普通に家族を持って普通に自分は他の人とは違うと思えるようなそういう、自分の軸が社会の形にピッタリはまっている人間になれたらそれは普通に幸せになれるだろうなぁと。
他人と少しずれてるってだけで居場所がなくなるんだから。
社会適合者/不適合者という言葉に代表されるように、社会に適合すればするほど社会に優しくしてもらえるんじゃないかと信じていました。
しかし自分が進んでいく道がどんどん目指した方がいいと思ってる方向から外れていってて、
進む道に自信をもってここで問題ないと思いたい気持ちと「いつか後悔しないか?」と耳の裏から囁く声が常に小競り合いを繰り返しそれに振り回されている状況です。
一言で言えばただ不安だってだけなんですけど。
その不安も他人から見れば世間一般の普通な道における普通な悩みかもしれませんが。
何年も、朝起きて、まず最初に少しの後ろめたさがある
その後ろめたさの正体は「なんでまだ生きてるんだ」という常日頃から抱えている気持ちが朝を迎えた自分に投げる石で、
いつか積み上がったそれが身を潰す時までがタイムリミットだと思っている
不安が生まれるのは生きることに執着している証拠で、
抱える石に潰される日が来ることを願う自分もいて、
そしてそれが悔しいと思う自分もいる
選んだ道の先で、石を抱える力を緩めるのは今じゃなくていいかなと思い続けてどうにかやって行くんだろうな、行けたらな、と、今は思います。
映像みたいに流れる毎日に、自分が映る日が来ることを祈って
あと2日後です。よろしくお願いします。