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浮世絵の大家・葛飾北斎ほど世界の美術に影響を与えた日本人はいないでしょう。

モネは「天才が日本にいた!」

と言ってます。

また、1998年にアメリカの雑誌「ライフ」に掲載された「この1000年でもっとも偉大な業績を残した世界の100人」という特集の中で葛飾北斎が日本人唯一の選出となっています。

そんな世界史にも影響を与えた北斎が描き続けた浮世絵。

今回は北斎の人生を振り返ると共に、浮世絵が世界にどのような影響を与えたかお話しします。

【絵を描くバケモノ北斎】

北斎は晩年、幼少期のことをこう振り返っています。

「六歳の頃より物の形を写す癖あり」

北斎も幼い頃から絵を描いて育っています。

九歳の頃には早くも、役者絵で有名な絵師だった勝川春章に弟子入りし、ここから浮世絵師として世に出ます。

挿絵や役者絵で生計を立てる傍らで、狩野派、漢画、土佐派に弟子入りし、更には洋風画、銅版画の技法や中国絵画の技法も学び、自分の絵柄に吸収していきます。

北斎の号が見えるのは1796年頃からですが、頻繁に画号も変えています。

お金に執着せず、有名絵師になっても経済的に貧困しており、ボロ長屋で製作に取り組む様子も目撃されています。

その中で広く門人も多かったが、教育には熱心ではなかったようで葛飾派みたいな流派は生まれず、まさにと孤高の絵師でした。

【世界進出は意外なとこから】

それはフランスの銅版画家:ブラックモンが友人から日本の磁器を受け取った時のことでした。その磁器の緩衝材が北斎の浮世絵だったのです。

当時、日本は包装紙など無く浮世絵をそのまま緩衝材に使い、それがそのまま海外に出回ることとなったのです。

この北斎の浮世絵を見つけたブラックモンは芸術家仲間に見せ合い、日本の浮世絵、日本の美術がヨーロッパの画家達に衝撃を与えました。

そもそも錦絵に代表される浮世絵版画は日本独自の印刷による美術表現で、当時の海外では多色刷りの印刷物自体が珍しかったのです。

特に浮世絵の構図と色彩は画家達を驚かせます。

・左右非対称

・背景の余白が真っ白

・線を重視する絵画方式

・対象物の一部を拡大したり切り取ったりする大胆な構図

・明るくてコントラストの強い幅広い色彩

・万人向けの民衆文化から生まれたという点

これらは当時の西洋絵画には無い表現でした。

有名なのが、当時西洋画で雨や風を描くというのは有り得ないことでした。

当時のヨーロッパでは、ルネサンス時代以来、絵とは神話や聖書の世界を描くこととされ、超正確なデッサンと、背景を詳細に描き込む画法以外は絵とは認められていませんでした。

つまり、当時の絵画は一部の特権階級が観賞用として楽しむものとしての側面が強かったのです。

しかし近代を迎えたフランスではいよいよその価値観も古くなってきており、広く色んな人に絵を見てもらいたいと思う画家たちが現れ始めます。

その中でいきなり現れた浮世絵は、彼らにとって古典的西洋絵画の概念を根底からくつがえすものでした。まさに上記の画家達からすると

「自分達が求めていた物が、ここにあった!!!」

という状態で、浮世絵に対する憧れから自分の創作に取り入れるようになります。

これによりジャポニズムという新たな表現が生まれ、最終的にこれが印象派絵画の誕生へと繋がっていきます。

【浮世絵の影響を受けた巨匠(一部)】

・ゴッホ

・ボナール

・モネ

・マネ

・ロートレック

・カサット

・ドガ

・ルノワール

・ホイッスラー

・ピサロ

・ゴーギャン

・クリムト

恐らく一度は耳にしたことのある名だたる巨匠達だと思います。

日本は現在でこそアニメや特撮、漫画で世界に影響を与えていますが、それに先んじること200年前の江戸時代、文明開花以前から、一番最初に世界に大きな影響を与えた日本のエンターテイメントが浮世絵だったのです。

前回の紫式部同様、日本人はもっと自分達が積み重ねてきた文化や文学に誇りを持つべきでしょう。

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