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 10月18日深夜、私はかなり参っていた。かなり自信のあった絵が思ったように伸びず自己と他者からの評価のギャップで混乱していたというか、「何故伸びないのだろう、今の私にはこれが精一杯のはずなのに」なんて気持ちで染まっていくような状態に陥っていたのである。具体的に最近の私の絵に対する反応の傾向として肥満化絵なら投稿後30分で100いいね行けば上々、200なら良作といった基準があると感じているのだが、今回の絵はリアルな話、投稿後1時間で120いいねであったからこの基準に照らし合わせるならばあまり好評とは言えない。もしもこれがそこそこの力で描いた1枚絵ならば何とも思わなかっただろうがこの絵に関しては違っていた。構図も異なる2枚のシークエンス肉絵。作業時間としては1枚絵の1.75倍程度、それに比例して私の本気度もかなり高い作品であった。

 結局のところ、10月19日21時半現在その絵のいいねは450強。制作時は700を想定していた為目標の65%しか達成できていない。今でこそ私はこうして文字を並べて感情表現をしているが同日正午、私は精神的に限界が訪れ活動を一度辞めてしまおうかと考えていた。そうした私の心を再び動すことができたのは偏にDMをくれた2人の友人がいたからである。2人の名を公表することはできなくもないが一応相手の迷惑になりかねないからここでは伏せておくこととして、私が午後長々と目的地のない散歩を行った中で色々と考えたことを今缶チューハイを飲みながら考えたことと織り交ぜながら話そうと思う。

 まず第一に「いいね」はまさに中毒症状を引き起こす薬と同じだ。活動開始当初は100貰えるだけで有頂天であったのだが、次第にその数が200、300と伸びていき今や具体的にどの数字まで行くと嬉しさが天井を突き抜けるかというと1枚絵であれば500、シークエンスでいえば700くらいであろう。この時点で私が如何に傲慢で欲深い人間かが明確になったと思う。世の中では「いいねを気にするなんて無駄」という意見がまるで善のように通っているが、本音を言うと実際は絵師の誰もが心のうちにいいね中毒の魔物を飼っているのではないか、それを隠しているかどうかだと思っている節がある(これ以上は良くないのでカット)。

 

 次に「いいね」は上手さとは比例しない。無論私自身の絵が超絶上手いと言っているわけではない。ベテラン絵師から見れば私の絵など修正点だらけだろう。ここでいう上手さとは全体を俯瞰した状態から捉える上手さであり個人を指すものではない。ここ2日間の私が感じていた鬱々とした気持ちの半分は「この絵より私の絵の方が1000倍上手いのにどうして評価されないんだろう!」なんていった矛盾に悩む子供のような感情であったと思う。実際今でも多少そう思うのだが「絵の評価は実力だけでなくキャラ人気や運、タイミング、神絵師に見つけられるかの要素が混ざったものである」といった趣旨のツイートをしている方がいて我に返った。今回の絵はこれでいうところの運やタイミング、神絵師に見つかるかといった要素に恵まれなかったから伸びなかったのだと思う、なぜならば絵自体は最高に仕上がっていると自負しているからだ。

 最後に。私がこういったことで悩み、ド真面目に頭を抱え今後の改善点を模索しているとこうした意見を目にすることがあった。「良い物だから売れるは成立しない」「たまにウケればいい。気にしすぎても仕方ない」。どちらも確かな意見である。だが捻くれちゃってた私は散歩終盤でこっそりそのツイートを見つけた途端に頭に強烈に焼き付くような感情を得た。前者の意見において私の見解としては真に良いコンテンツは売れないはずがないと考えている。ここでいう売れないとはまあいいねの事であるが。という事は私の作るコンテンツは真に良いコンテンツではなく、中途半端に良いだけのコンテンツではないか!正直な話、私はお世辞を言われるよりもこうして諭すような意見をもらえる方が成長に直結して嬉しいのである。(恐らく言った本人は意図して言っていないだろうが)

 一方で後者の意見に対しては私は一切の納得ができない。念のため言っておくと納得ができないから嫌い、ではなく単純に私とは考え方が違うということが言いたい。創作活動の楽しみ方は無限にあるのだから自分と違う在り方もまた当然良いと思うが、私はやるなら徹底的に可能性を追求したいのである。故に描く絵は必ず全力で。そんな私にとって「たまにウケればいい」とは即ち「たまにウケるくらいで満足だからそれくらいの努力で作ればいいや」と解釈されてしまうのでありそれは怠慢だと感じてしまうのだ。これに関しても発言主本人は全くそう意図していないだろうから私が過剰に反応しているに過ぎない。話を戻すとこの考え方の差異は創作に対する姿勢の違いであり、発言主にとっては創作活動は趣味なのだと思うが私にとっての創作活動は本気と書いてマジなのであるから捉え方の違いは明確だ。私は幼い頃から物事に手を抜くことを好かないタチであり、やるなら全力投球がポリシーであるために創作活動も紛う事無きその対象だと言える。とまあこれ以上この点に語っても長くなるだけなので纏めると『私は本気である』。

 さてそうこうしていると次第に私の頭の中も整理がついてきた。私は自分の絵が大好きだ。だが先述の通り、客観的に見るとそこまでの大作を生み出せていないのかもしれない、否生み出せていないだろう。私はやるなら徹底的にやる人間だ、ならばもっと頑張るしかあるまい。運に左右されて反応数が変わってしまうという事は運に左右される程度しか未だブランド力がないという事だ。それに私が満足できるはずがない。ここまで考えたことで私の今後の目標が明確になった。2020年10月19日22時30分現在、フォロワー1996人。2000人台以降の目標は神絵師になることにする。

 私には人生で一時期神と言われていた頃がある。それは中学時代、小学生の時点では頭がよくなかった私は地元の公立中学に進学するにあたり勉強の成績が順位で発表されると聞き猛勉強した。その結果、中学時代の私のテスト順位は常に1桁台、勿論友人と遊ぶことなどなくバスケ部との両立で日々は勉強とバスケで埋まっていたが最高で5教科490点なんて言う勉強バカみたいな点数を取るくらいには勉学に打ち込んでいたために同級生からは神と呼ばれていた。今思うと当時はもっと遊んでおくべきだったと思うが14歳前後の少年にとってはそれこそが生きている証拠だったと思う。今、私は神肉絵師になりたいと望むにあたりその記憶が蘇った。

 数年後、就職しているかもしれないししていないかもしれない、生きているかも分からないがきっと今絵に打ち込んでいる20歳の私を思い出してバカだったと思うこともあるだろう。それでも私は今この活動に全身全霊で向き合いたいのである。これは私が勝手に思っている私という肉絵師のアドバンテージであり、もしかすると先輩絵師の心を抉るかもしれないが私は界隈の中ではかなり若い方であると思う。更に言うならまだ本格的な絵描き歴6か月。20代後半以降が多い界隈においてこれはかなりのスタートダッシュだと考える。もうこれ、前進しなきゃ損じゃないか!

 さて濡れた靴を乾かして来よう。

2020年10月19日 ジール(ZeaL)

※推敲もせずつらつらと書いたブログなので語弊のある部分もあるかと思いますが、他者を批判したり誰かを否定する意図は全くないのでご了承ください。

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