ねむりものこと①(まえがき) (Pixiv Fanbox)
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それではねむりもの話をすることにします。
今回に関してはものすごく凝った。分からなくていいようなところとか、実際に気づかれもしないようなところにすごく力を入れた。それが通例よしとされない作り方なのはまあ分かってはいたのだけど、楽しかったのでつい…
ということですべての小話をここに一気に書くには明らかに分量が多すぎるので、これ含めて全部で4つの記事に分けて出していこうと思います(実際そうなるのかは不明)。構成としては
①まえがき(この記事)
とりあえず説明と思いついたことをつらつら書きます。近況報告にも絡めた話とか
②楽曲のできるまで(没も含めて)
この曲は仮打ち込みから一回エレクトロっぽくなって、最終的にある程度アコースティックな要素が増えて完成しました。そこまでの経緯とそれぞれの過程の没ファイルなど
③完成した楽曲そのものについて
じっさいに完成した「ねむりも」の楽曲について、気に入っている部分やら技術的ななんやらの細かい解説
④動画や楽曲世界観についての小話
動画やら世界観やらを楽しく考えながら作ったので、そういうところに関する小話や、動画全般を作っているときに思ったことなど
の4本になる予定です。
ということで一本目。
①まえがき
いきなりだけれど、次回のM3(音楽系即売会)にこの曲が入った6曲入りCDを持っていく。イベント後は通販、サブスクなどもやるつもり。(ついでにいえばFANBOXに過去にあげていた没曲を二つほど再雇用ののち仕上げて入れてある。)
これについては後々告知を打とうと思う。
今回のはサーカスの曲なんだけど、すこし軽く世界観についてこだわったようなところを上げるとするならば、「誰も悪くない」というところ。これに関しては、聴く側に伝わらない前提の、曲の絵や詞を書くにあたって土台になる価値観だ。
基本的にサーカスの演者だけを見たときに、当人はきっと観客に対して「こんなに苦しい思いをしているのにどうして見に来るんだろう。来なきゃいいのに…」と思うのだろうが、観客は観客で、消耗する摩耗する生活をそれでも運営するための娯楽として見に来ている、あるいは純粋なよろこびとして見ているわけである。
動画に出てくるどの子も、なんなら運営サイドもみんな自分なりの行動原理をもってるからこそ、あのお話はいわゆる「抜き差しならない詰みの状態」に収まるんだと思う。卑近な話をするならば、つらい仕事をやめたいけど、同僚は優しいひとで、自分が抜けるとおそらくそのひとの負荷が増えるからやめられない、みたいな。
そういうことを書くと誤解されそうだけど、別に自分は不幸で重い状況が好きなわけじゃなく、それぞれ登場人物の動機に質量を持たせるのが好きなわけで、それに基づいて自由に動いてもらった結果、みんながみんな絡まって詰んでしまうことになるらしい。この辺についても投稿後のふにゃふにゃな状態が抜けて、ある程度頭が回るようになったら考えてみたい(④の記事あたりで)。
こういう風に書いているとこの①の記事は残りの記事の味見みたいだな、と思うけど、味見ついでに初期の初期の没トラックの方もどうぞ。
こういう没の細かいところに関しては②の記事で書きます。
おきにいり画像(④の記事できっと細かく触れる?)
控室。配色とかがなんとなく好き。あと置いてあるものも少しこだわった。サーカスの子たちにも色々いて、状況を受け入れてなるべく苦しみが少ないように器用に立ち回る子、全部をただ受け入れる子、自分の見せ方について楽しみを見出し始める子、それからずっと受け入れられない子。
から回る。制作中の記事でも触れたけど、スポットライトに包まれているときの離人感、よるまわっている感じ。出口はふさがれていて、ある意味曲全体がサーカスだとするなら、観客たちも自分たちの娯楽を守るために、観客をすることから逃げられないんじゃなかろうか。
ビデオ。VHS時代のもの。サーカスのあらましはビデオに録画されて売られる。興行団体にとって、物販というのは貴重な収入源だし、動画を販売することで会場に来てくれる観客もふえるだろう。あるいはキャスト志望になる子もくるかもしれない。
なんだか異様に好きな感じに描けた。光を受けてる感じとか、絶妙な表情とか。全体的にとても気に入っている。ねむりもちゃん=主人公の子(便宜的に可不ちゃんに演じてもらってるけど)は、果たして受け入れることが出来たんだろうか。それは幸せなことなんだろうか?
以上。こんな具合でしばらく更新が続きます。