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17:30 『繰り返しお伝えいたします。ただいま観覧車の安全点検を行っておりますため、運転を一時停止させていただいております。誠に申し訳ございませんが…………』 どうしてこんなことになってしまったのだろう。 高校二年の夏。趣味の読書が高じて出会い、付き合い始めた同級生の子とやって来たはじめてのデート。 本山 智香。名前の通りに頭が良くて、目立ちはしないけど僕はけっこう可愛いと思う、そんな女の子。 付き合いたての彼女と遊園地でいっしょに遊んで、今より少しでも仲良くなれたらと、思っていたのに。 「ん、ふ……!ん、んんぅ……!」 肝心の女の子。初めてできた彼女の方は今や楽しむどころではなくて。 もぞもぞともどかしげに身をよじり、切羽詰まった喘ぎをこぼす。どう見たって普通じゃない姿。 それはきっと僕が、今日一日ずっと彼女の体調に気づいてあげられなかったのが原因なのだ。 今一度振り返ってみよう。今日この日、僕がどれだけ気の利かない行動を繰り返していたのかを。 ___________ 8:00 今日のお出かけは、近所のカフェに集合するところから始まった。 待ち合わせをするのと同時に、何か飲みながら軽く朝食でも。そんな意図もあったし、何よりすごくデートらしくて我ながらいいと思ったのだ。 そんなわけで待つことしばらく。やって来た彼女の姿を見て、息を呑んだ。 「お、おはよう……!今日は、その、よろしくねっ……!」 『あ、うん、その、こちらこそよろしく……』 やって来た彼女の姿は、いつも学校で見ているのとは少し違って見えた。 (人のことは言えないけど)大人しい性格のとおり、普段はそんなに目立つ印象のない彼女。今でもそんなに派手派手しい感じではない。 だけど感じられる雰囲気というか、清廉な雰囲気はいつもより数割増しだ。いつもより少しすっきりした印象のめがねをかけて、学校では規則で三つ編みにしていたさらさらの髪も今はストレート。 メイクも普段からしているだろうけど、今日のそれは一段と気合が入っていて、だけどそれでいて元々の良さを崩してもいない。決して華やかではないけれど、静やかかつきれいにまとまっている……そんな感じで。 一言で言い表すのなら、そんな彼女を僕はこう思った。 『……かわいい』 思わず口に出していたようで、彼女を真っ赤になって恥ずかしがらせてしまったけれど、ともかく僕たちの一日はこうして始まった。 2人でカウンターに行き、それぞれの飲み物を注文する。僕は彼女の手前、飲んだこともないブラックを注文してみたけれど…… 『に、苦い……』 「だいじょうぶ……?」 一口飲んでさっそく後悔するのだった。くしゃくしゃになった僕の顔を見て、不甲斐なくも彼女に心配されてしまう。 こんなことなら2人で同じもの……彼女のと同じ、甘くかわいらしいフラペチーノにでもしておけばよかった。 デートの一番始まりは、「ほろ」なんてものでは利かない苦さで幕を開けるのだった。 けれど思えば、この時からだったのかもしれない。ほろ苦いどころではなく、それより遥かに遥かに苦々しい出来事のきっかけは。 8:45 それからしばらくお互いに話をしながら軽食とコーヒーを楽しみ、そろそろ二杯目(口直しに頼んだ甘いやつ)のグラスも空になる頃。 そろそろいい時間かと思い、彼女に声をかける。 『じゃあちょっと休憩にしようか。僕はちょっと席を外してくるね』 今日のため、穴が開くほど読み込んできた初デートの心得。そこに書かれていたこと。 女の子には、面と向かっては言えないことがかなりある。そこをうまく気遣うことが初デート成功の秘訣なのだ……と。 例えばそう。何かを食べたり飲んだりすれば避けられないものであるとか、そういったもの。 直接口にするのは当然だめだ。相手に言わせてしまうのなんか論外。というわけで僕はいったん彼女の前から姿を消した。 「休憩」なんてぼやかした言葉を使って、彼女が僕のことを気にしない時間を作る。こうすることが彼女のためになるのだと、そう思って。 けれどきっと、この時、僕の知らないところで……彼女の身に不幸が起きていたのだろう。 結果はすべて原因によって導かれる。いま目の前で起きている出来事に向かって、今日の一日はきっと動いてしまったんだ。 10:00 それから僕たちは電車に乗り、今日の目的地にやって来た。 それはカップルや家族連れがひしめく、賑やかで楽しい場所。いくつものアトラクションが立ち並ぶ、かなり大きな遊園地。 ここで2人、楽しく遊べたらと思ってバイトをして買ったチケット。それを係員さんに渡して中へと入っていく。 高校生という都合、そんなに長くは働けない上に安い時給。その四日分が二枚でしめて八日分をかけて買った渾身の代物。 だけど悔いはない。なんせこのお金は他でもない、いちばん好きな人のために使えるのだから。 そう、悔いは…… (財布の残りは……1000円札が4枚、かぁ……) (………………バイト、増やそう……) 決して気を遣わせないよう、表情には断じて出すまいと確固たる決意を固めて、少し離れたところでチケット購入を待つ彼女の元へ向かう。 全然大したことはない。値段なんて、絶対に教えてはいけないのだ…… 「だいじょうぶ……?チケット、高くなかった?」 『ううん、全然!そんなことよりも乗りたいもの、教えてほしいな』 それでも結局気遣われてしまって、慌てて話題を逸らすことにはなってしまったけれど。でもこれは、彼女の優しさの表れなんだ。 改めて思う。この子のためにお金を使えるなら本望だと。 そんなわけで僕たちは、楽しい楽しい遊園地に足を踏み入れるのだった。 この先で起こる出来事など、知る由もなく。 12:00 遊園地に入ってからしばらく、僕たちはまず入り口近くにあったアトラクションを遊んでいた。 そうしているうちにいい時間になったので、お昼を食べようと思いレストランへ向かったのだけど…… 『た、高い……』 遊園地の食べ物は想定以上に高く、なかなかちょっと、手の出しにくい値段だったのだ。 考えてみれば遊園地のレストランなんて、言っては悪いけど多少値段が高くたってみんな行かざるを得ないところだ。安くする理由がない。 とはいえ遊びまわってお腹が空いたままではいけない。何かないか……と思って見回すとそれはあった。 これもまた遊園地の名物。フライドポテトやチュロス、ジュースなどを売っている屋台。ここならまだレストランほどの値段じゃないだろう。 そんなわけで屋台に行き、お腹に溜まりやすいポテトでも買っていくことにした。 『それじゃ、僕が行ってくるから智ちゃんは少し待っててね。列ができてるし、少しぶらついてていいから』 事のついでだ。屋台には列もできてるので、せっかくだからとここで「休憩」もとることにした。もちろん直接的には言わず、あくまで彼女の意思にゆだねる形で。 僕が並んでいる間に彼女が戻ってくれば、それはとても無駄が無くていいことだと、そう思って。 その数分後、まだ屋台に列が残っている中、その中に並んでいる僕のところに彼女が戻ってきた。 お待たせ、なんて本当は僕が言うべきせりふを言いながら、急いで戻ってきたのだろう様子で。 そんなに急ぐことなんてないのに、と言いながらもそんな彼女を愛おしく思うのだった。 15:00 「ん……」 この辺りからだったろうか、彼女の様子が少しおかしくなってきたのは。 ちょっと苦しげな表情をして、きょろきょろと辺りを見回すようなそぶりが増えてきた。 僕はこれを、ずっと遊び歩いていたことによる疲れだと思った。そうしたわけで、近くにあったベンチに向かって一休みすることにした。 『ちょっとベンチで休憩しようか。疲れたでしょ?なにか飲み物も買ってくるね』 「あ……だ、大丈夫だよ……!」 大丈夫。そうは言うけど少し様子がおかしいのは間違いないし、飲み物もまあ買っておいて損はないはず。 具合が悪い時にだって気を遣ってくれるのはとてもうれしいけど、そういう時ぐらい気にせず頼って欲しい。そんなことを思いながら自販機へ向かい、ペットボトルの水を買ってくる。 彼女の言った「大丈夫」が、紛れもない本心から来たものだということに気づくこともなく。 17:00 それから何度か休憩を挟みながらアトラクションを巡り、絶叫系は避けてクルーズ系など穏やかな乗り物を増やすようにした。 彼女の方もベンチで休んで以来、ひとまずは元気を取り戻してくれたみたいだ。もしかしたら帰った方がいいかとも思ったし、そんな提案もしてみたけど…… 「そ、それはダメ……!私は大丈夫、だから……!」 と、すごく熱心に言われたからにはやっぱりそういうわけにもいかない。帰る選択肢が無い以上は、せめて少しでも楽になるようにしてあげるべきだろう。 というわけで休みながらアトラクションを巡ることにした。彼女のリアクションも少なくとも見た感じは良さそうに思えた。 休みながらアトラクションを練り歩き、絶叫系以外の目玉をあらかた巡り終えて…… 頃合いだと思い、僕は彼女にこう告げた。 『そろそろ観覧車、乗ろっか』 遊園地の中でもなんとなく特別感のある乗り物、観覧車。 高いところから景色を眺めて、2人しかいない静かなところでしばらく過ごして、それを最後の締めにしようと思って。 彼女のほうも快く頷いてくれて、僕たちは一日を締めくくる観覧車へと乗り込んでいった。 _______________ 18:00 そして今、僕たちはこの密室の中に閉じ込められていた。 揚々と乗り込んだはずの観覧車。だけどこの観覧車に乗って間もなく、スピーカーから放送が流れてきたのだ。 観覧車にどうやら異常が見つかったようで、運航を一時停止して点検をする。そんな理由で観覧車が止まってからはや1時間、まだ動き出す気配はない。 そしてそんな中で、観覧車に乗る前までは元気な姿を見せていた彼女は…… 「ふ……っ、ん、んく……!」 もぞ、もぞ、静かな密室に衣擦れの音を響かせて、彼女は戦っている最中だった。 何と?それは恐らく彼女自身の体とだ。 体調不良、というのは間違った物の見方で、僕もこれまでそう思っていた。だけどそれは違う。 彼女の体は何もおかしくなんてなくて、むしろ極めて正常に機能していたんだ。 ただそれが、とても都合が悪かっただけで。 きっとこれは、朝からだったんだろう。朝に行ったカフェの時からきっと、彼女の身に不幸が起こり続けていたんだろう。 昼の時だって、もしかしたら「休憩」の時に僕を待たせまいとしてくれたのかもしれない。 そうだ。考えてみれば遊園地の、それも女性用のだなんて言ったら混んでいないはずがないじゃないか。 それが僕の買い物が終わるより早く戻って来るなんてあり得ない。少し考えればわかることじゃないか。 だったらこうなったのは僕の責任だ。なんとかしなくちゃいけない。 だけど僕に何ができるだろう?この密室で、高い空の上で、ただの高校生の僕に。 半日我慢した尿意を耐え忍ぶ彼女に、いったい何が。 何もできないまま、ただ時間だけが過ぎていく。 18:30 「……あ、あの……!」 それから30分。観覧車に乗った時から数えるなら一時間半、ほとんど言葉を発することのなかった彼女がおずおずと声をかけてきた。 何かあったのか、何かできることはないかと耳を傾けると…… 彼女は真っ赤になりながら、さっき僕が買ったペットボトルの水を差しだしてきた。 半分も減っていないボトルの水。いったいこれが……? 「あの、その……ね、わたし、その……」 「ぇぅ……その……!」 もじもじと腰を揺らしながら言いよどむ彼女。何が言いたいかはおおよそ察しがついた。 ボトルのほうはともかく、たぶんもう……本当に限界なんだ。 これまでずっと言わなかったその言葉を、言わなくちゃいけないくらいに。 だけどそれを皆まで言わせたらダメだ。 『大丈夫だよ、智ちゃん。わかってるから……だからどうしてほしいかだけ教えて?』 正直これはこれでダメな気もする。けれど他にどう言っていいのかわからなかった。 「あの……ね、これ……空けて……!」 『空ける?って……このボトルを?』 「……っ!?あ、ごめ……っ!んぎゅぅぅ……!」 『と、智ちゃん!?』 真っ赤で、汗だくになりながらお願いしてくる彼女。どう見ても、もう限界だ。 そんな彼女のお願いの意味がわからなくて、戸惑っている間にも事態は切迫してきていた。 話している最中、苦悶の表情とともに身体をぎゅっと縮こめて……もうどうしようもなかったんだろう。両手で押さえてしまっていた。 もう迷っている暇はない。どうするのかわからないけど、とにかくお願いされたことをしよう。そう思って、半分以上残ったペットボトルに口をつけた。 味のしないただの水。特に喉も乾いていない状態で、そこそこ量があるそれを無理矢理流し込む。 『……ぷはっ!あ、空けたよ智ちゃん!』 「あ、あり、がと……っ!それで、その……っ」 「お、おねがい……!こっち、見ないで……!おと、きかないで……!」 『え……』 言い終わるなり彼女はそっぽを向き……そしてスカートの下にボトルを差し入れたのだ。 腕に引っ張られてふわりと舞い上がるロングのスカート。ちらりと覗く白い脚に驚いたのもつかの間……もっと驚くようなことをしているのだと、気が付いた。 今のこの状況で空のボトルを使ってどうするか、その使い道にようやく思い至ったのだ。 そしてその使う姿を、絶対に見たらいけないのだということも。 慌てて後ろを向くと、それから間髪入れず…… 観覧車の中に、大きな音が響き渡った。 ぶしゅううううぅうぅぅううーーーーー!!!!じゅぼぼぼぼぼぼぼぼ……!! 『わ、わ……っ!』 うっかり耳を塞ぎ忘れていたのに気づいて、慌てて指で耳を塞ぐ。 けれど大音量の噴射音は、こんな即席の耳栓なんてあっさりと突き抜けてきて…… 女の子の、本当なら見ても聞いてもいけない行為の音が、ありありと僕の耳に飛び込んでくる。 いや、たぶんこれは耳栓が弱いからじゃない。耳を塞いでいてもなお貫通してきてしまうほど、それほど大きな音がするほどの……それほどのものだっていうことなんだろう。 それだけ彼女が我慢していて……僕がそれをさせてしまったんだと、いうことなんだ。 びゅじゅおおおおおぉぉぉおーーーーー!!!!ぶじゅぼぼっ!! 「……っ!?え、うそ、たりなっ……!!?」 「あっ、あ、ど、どうしよ……!?おしっ……もう……!」 「…………っっっ!!!」 びゅしいいいいぃいいいいいぃいーーーーーー!!!!! 彼女の密室での大解放。非日常の行為にハプニングはつきもので…… 多分何かが起きてしまったんだろう。彼女の慌てる声がした後、さっき以上に凄い音が…… 何があったのか、あえて考えないようにしよう。それはきっと彼女にとって、ものすごく恥ずかしいことだろうから。 今はとにかく心を無にして、彼女がどうか気兼ねなくいられるように。 どきどきとうるさい心臓を、必死でなだめながら。 ____________ 18:40 観覧車に静寂が戻ってから数分が経った。 耳栓を貫くほどの爆音も収まり、今はたぶん何事もなくなっているはずなんだけど…… それでも僕はまだ目も耳も閉じたままここにいた。彼女からいいと言われるまでこうしていると決めたから。 というわけでこれからもずっとこうしていようと思った矢先、ちょんちょんと肩をつつかれる感触がした。 次いで耳元にそっと、彼女がささやく声がした。 「……ごめんね、その……た、たすけて……ほしいの……!」 何があったのか。慌てて振り向くとそこには…… 『こ、これって……!』 「あ、あんまり見ないで……!」 振り向いた先にあったもの。それは観覧車の壁から伝わり、床に広がる大きな水溜まり。 泡を立てながら、濃厚なにおいを振りまく水溜まり。これは紛れもなく…… 更には座席の上に鎮座する、ぐしょ濡れで満タンのペットボトル。中には薄い黄色をしたものがなみなみと…… 「み、見ちゃだめぇ……!」 そして僕の体にひっつき、涙目になる彼女。僕が目と耳を閉ざしている間何があったかはだいたいわかった。 まあその、つまり、ペットボトルに収まりきらなくて床に……ということなのだ。 そしてこの散々な状態になった床をどうにかしないと地上に降りれない。そういうことなんだろうけど…… しかしタオルも何も持っていない中、できることは無に等しく…… 『智ちゃん。大丈夫……大丈夫だよ。僕がなんとかするから』 「で、でも……このままだと、見られちゃう……」 『大丈夫。降りた時、係員さんに僕がうまいこと言っておくから』 彼女を抱き寄せながら、交わした約束。 この言葉の通り、僕はこの後間もなくして動き始めた観覧車を降り……係員に「ジュースを零した」と伝えるのだった。

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