書きかけのssの導入 (Pixiv Fanbox)
Published:
2021-08-25 18:25:40
Edited:
2021-08-25 19:00:20
Imported:
2023-01
Content
please don't touch anything because……
「いや、すまないね。すぐに戻るからちょっとここで待っていてくれ」
同僚の女はそう言うと、無機質な鉄の扉を閉める。
重く、冷たく、厳重過ぎるほど厳重なそれ。
大きな警戒色の印刷で「立ち入り禁止」と書かれたステッカーが貼ってある見るからに危うげな扉は、がちゃりと大袈裟な音を立てた。
外界と完全に隔絶されたように、外から聞こえる全ての音が遮断される。
人が多く通る廊下から聞こえてくるはずの雑音も、一切ここには届かない。
聞こえるのは、耳煩わしいような機械の駆動音だけ。
落ち着かないような心地になり、慰みに周りをきょろきょろと見回す。
──暗く古めかしい蛍光灯、無作為としか思えないような数列が書かれたホワイトボード、走り書きのようなメモが無数に貼られた壁。
人の気配を感じつつも、どこか理解の及ばない狂気的なものに触れたような、余計に落ち着かない気分になり、気が滅入ってしまう。
ああ、存外に面倒な事を頼まれた。
あいつがすぐに戻ってくるとはどうにも思えない。
ともすれば、僕をここに残したのを忘れてショッピングにでも出かけるのではないだろうか。
そもそも、僕はあいつが苦手なのだ。
頭は良くて優秀なはずなのに、行動はいつも突飛で突拍子もなく、軽薄かつ昼行灯で掴みどころがなくて。
そう心の中で愚痴を吐きつつ、ちら、と前を向く。
──巨大なモニターに、これまた巨大な、鉄の塊のような何かの機械。
モニターには、都市を表しているのだろうか、デフォルメされたビル群。
そして僕の目の前の、今肘掛けにしているこの機械には、毒々しいほど鮮やかな赤色のボタン。
部屋の埃臭い雰囲気と相まって、薄気味悪く落ち着かない気分だ。
例えるなら、ミサイルの発射ボタンが目の前にカバーもなく存在するような。
しかし、ボタンが一つあるだけにしては余計なほど大きな機械だ。
大家族が見るようなテレビくらいの大きさのモニターと同じか、それ以上に大きい。
真っ赤で大きな、それこそ手のひらと同じほどもあるボタンが小さく見えてしまう。
それでいて、それ以外の部分は余らせて、ただの鉄に覆われている。
一体、何のためにこんなものがあるのだろうか。
ふと気になって、ボタンに近づいて観察しようとすると。
「ああ、キミ。そのボタンは、いや、それ以外のものも全て。
絶対に、何も、触らないように。
まあ、それを起動させるには複雑な手順が必要だから、キミがそれをどうにか出来るとは思わないが……。
でも、もしそれが起動すれば、取り返しのつかない事になる。だから、決して触らないでね。
じゃ、大人しく待っていてくれよ」
急に扉が開いて、同僚が顔を出し、早口で捲し立てて、また扉を閉める。
ますます気味が悪い。
この機械は何なのだ。
あの、何事も適当で、何とかなるよが口癖で、社用車をぶつけて大破させても、ミスで数千万の損害を出しても、そしてそれが原因で借金まみれになってもケタケタと笑うような同僚にあんなに真面目な顔をさせるこの機械は。
──この赤いボタンを見ていると、背筋がゾワゾワする。
なるべく視界に入れないように、スマホを弄って時間を潰す事にした。
カチ、コチ、と時計の針が動く音がやけに耳に響く。
スマホの画面に全く集中できない。
じりじりと何かを削るような機械音が、何やら僕を嫌な気分にさせる。
暑いわけでもなく、むしろクーラーで適温に保たれているのに、脂汗が額に滲み出す。
──ふう、とため息を吐いてから、ぱたんとスマホのカバーを閉じた。
本当に、嫌な気分だ。
この部屋は、何もかもが理解出来ない。
目の前のボタンも、モニターに映されたレトロゲームのグラフィックのようなビルの画像も、周りに点在する数字や英単語の羅列も。
全てが不快で、どこかおぞましい。
同僚に頼まれてから何分と経っていないが、既に逃げ出したい気分だ。
だが、ここに居ろと頼まれた以上、出ていく訳にもいかない。
仕方なく、椅子に座ったまま鉄の塊に寝そべる。
……冷やっこくて気持ちがいい。
学生時代を思い出す感覚に、少しばかり心が落ち着く。
どうせあいつは中々帰って来ないだろうし、仮眠でも取ろうか。
ちらりとスマホを覗く。
……ぴったり十九時。
そのまま自分の腕を枕に、そして機械音のノイズを寝物語代わりに意識を闇に落とした。
──そして、数十分ほど経った頃だろうか。
かち、と指先で何かを押し込むような感触で目が覚める。
ぼんやりとした寝起きの頭で、その違和感のある感触の心当たりを考える。
……何かを、押し込む?
背筋を冷やしながら、がば、と勢いよく起き上がった。
しっかりと、僕の手はボタンを押していた。
言い訳を許さないほど、奥まで押し込むように。
恐らく、無意識に何度か体勢を変えたのだろう。
背筋に氷を突っ込まれたような寒気がする。
この手を離したら、絶対にろくな事にならないという猛烈な予感。
恐る恐る、ボタンから手を引き剥がす。
……頼む、何も起きないでくれ。
同僚の忠告も、悪ふざけの気まぐれであってくれ。
そう願いながら手を離すと。
かしゃり、と音を立ててボタンの下にスイッチが現れる。
オンとオフを切り替えるだけの構造の、ごく初歩的なスイッチ。
こちらもビビッドな赤色で、強い警戒色のものだ。
……ひとまず、これ以外の変化は無い──と、思いたい。
だが、少し拍子抜けだ。
あれだけ脅しておいて、スイッチが一つ出てくるだけか。
まあ、剥き出しのボタンを一つ押せば取り返しのつかない事になるなんて、今時そんなにも甘いセキュリティ管理も無いだろう。
出てきたスイッチをじっと眺める。
ボタンを押したら、スイッチが出てきた。
そして、この機械にはまだまだ面積が余りまくっている。
それに、よくよく見たら、機械のあちこちにうっすらと何かが出てきそうな切れ込みも入っている。
これは何となくの予想だが、このスイッチをオンにしたら、また新たな入力装置が出てくるのではないだろうか。
そして、それを入力したらまた次の装置が出てきて、それを押したら次の……という、そういうもののような気がする。
そもそもこの機械自体、何か複雑な処理をしている様子はないし、繋がっているケーブルなんかを見てもタイプライターやモニターくらいのもので、大したものに接続されている様子もない。
ならばこんなにも大きな図体をしている必要もないはずだ。
そう言えば、前にもこんなものをあの同僚が作っていたな、と思い出す。
あいつは仕事もせずにガラクタ作りに没頭する事がよくある。
大抵は下らない玩具擬きだから、僕も仕事に集中しろと注意するのだが、奴は一度何かに熱中すると周りが見えなくなる。
なまじ仕事はやれば出来るだけに、困ったものである。
しかし、そう考えると、恐らくこれもあいつが作ったものなのだろうと想像がつく。
もしも自作したのなら、こんなにも大規模なものをよくぞと思う。
ある意味で感心しながら機械を隅々まで眺めると、あいつの書いたであろうサインがあった。
ほら、やつぱりそうだ。
こんな物をいつの間に作っていたのやら。
しかし、どうせあいつが戻って来たら、このけったいな機械の感想を聞かれるのだろう。
何やら知らないが、あいつは僕にやたらと絡んでくるし、こういう玩具をいつも僕にやらせようとする。
仕方ない、どうせ後でやらされるなら、暇なうちに付き合ってやるか。
そう思い、スイッチをオンにした。
すると、途端にけたたましくサイレンが鳴り響き、非常用の赤い照明が明滅する。
まるで大規模な災害が起こる時のような、あるいは爆撃を受ける前にシェルターに避難させる時のようなおどろおどろしい音と光。
ウー、ウー、というサイレンの音は、明らかにこの部屋だけでは留まらず、この施設全体に響くような凄まじいものだ。
遊びにしてはやり過ぎだ。
心の中で笑うあいつに悪態を吐きながら、この事態をどうにか収めようとスイッチを弄り回す。
オンからオフに、先程入れたスイッチをぱちんと切り替える。
しかし、サイレンは鳴り止まない。
ならば、このボタンはどうだろうか。
何でもいいから、とにかく皆の迷惑にならないように収まってくれ。
そう願いながら、半ば手を叩きつけるようにしてボタンを押し込む。
かちり。
そう小気味のいい音を出すと、ボタンもスイッチも引っ込んでしまう。
──何か、取り返しのつかない事をしてしまったような気がする。
そんな猛烈に嫌な予感を感じると同時に、機械の左上から数字が書かれた紙が顔を出した。
【3】
【2】
【1】
何かを予感させる、しかしその予感が何なのかを考えるにはまるで少なすぎる時間のカウントダウン。
思考の余地すらを与えず、間髪入れずに。
上から爆音、それこそ巨大な爆弾が爆発したような音が響き、部屋全体がぐらぐらと揺れる。
僕は思わず耳を塞ぎ、顔を顰め、立っていられなくて椅子に座り込んだ。
あまりの音に、頭がキーンと痛み、耳鳴りが止まなくなる。
──一体全体、何なんだ。
咄嗟に塞いだ目を開けて、目の前の機械と、そしてモニターを見て、僕は。
「え……?」
声を出して、固まった。
モニターに映っていたのは、巨大なハート型の雲と、それに吹き飛ばされたビル群。
それを見て脳裏に過ぎるのは当然、先程の爆音と振動だった。
──まさか、いや、まさか、そんなはずが。
心臓がいやに早鐘を刻み、冷たい汗が背筋を伝う。
そんなわけが無い。まさか、こんなガラクタのボタンを押しただけで、何もかもが吹き飛ぶ、なんて。
口の中がカラカラに渇き、唾液も出ない。
外はやけに静かだ。音の一つも聞こえない。
まるで、そう、まるで。
爆発に巻き込まれ、吹き飛ばされてしまったような──。
「いや、そんな訳、無いよな……。こんな、訳の分からないボタンを押しただけで、そんな」
足ががくがくと震え、目には涙が滲む。
これは何かの間違いだ。
そう思いながら、目の前のモニターにもう一度目線を向けた。
モニターには、相変わらずハート型の雲と、ビル群の欠片。
唖然とそれを眺めていると、吹き飛ばされたその欠片が、逆再生のように元に戻る。
訳の分からない光景だった。
だが僕は、混乱のうちに、ああ良かった、という漠然とした安堵の感情を抱く。
けれど、その欠片は、元の形には戻らない。
元はビルの形をしていた欠片達は、次々と組み上がりながら──巨大な西洋城のような形になってしまう。
均整の取れたデザインでありながら、どこか常世のものではないような、そんな形。
例えるなら、そう、吸血鬼が住むような。
いや、それよりは、ファンタジーの物語で魔王が住むような、と言った方がより正確だろうか。
そんな僕の思考にマルを付けるように、モニターの城の周りにはデフォルメされたコウモリが飛んでいる。
──これは、どういう意味なのだろうか。
全くもって回らない頭で、その意味を考える。
だが、こんな経験した事もない事態に対して答えなんて出るはずが無い。
しかし、答えのヒントと思しきものは扉の外から聞こえてきた。
バサバサと、翼をはためかせる音。
キューキューという、恐らくはコウモリの鳴き声。
それと、無数の甘ったるい若そうな女の声と、あとは男の嬌声。
もう、こうなると、正常な思考なんてまるで働かない。
異常事態が重なって、訳が分からない。
とにかく分かる事は、この扉の向こうでは、何故かは分からないが情事が行われているのだろうという事。
それだけは、理性ではなく本能で理解できる。
甘ったるく艶めかしく、股座がいきり立つような女の声と、それはそれは気持ちよさそうな男の声と、粘っこい水音。
明らかに、セックスしている。
それも、一人の男に対して多くの女が、寄って集って性的にいじめている。
顔も知らない扉の向こうの男は、とことん甘い嬌声を上げて、それを女の笑い声と甘い喘ぎに掻き消された。
もう、訳が分からなすぎて泣きそうだ。
とにかく、今の状況を判断できる材料が欲しい。
今、少なくともこの部屋が変わっていないという確信が欲しい。
そう考えて、くるりと後ろを振り向くと。
この埃臭い部屋は、まるで変わっていた。
いや、正確に言うと、部屋自体は変わっていないようだ。
しかし、この部屋と──どういう理屈かは全く分からないし、多分考えても仕方ない──恐らくはこのモニターに映る城のどこかの部屋と繋がってしまったようで、部屋の途中から先が完全に王宮になってしまっていた。
──僕は、何を言っているのだろう。
自分でも理解が追いつかない。
部屋の先、王宮になっているそこには大きな玉座が鎮座していて、その上には──それはそれは、凄艶なほどに美しく、跪いてしまいそうなほどのカリスマを感じる美女が肘掛けに肘を付きながら座っている。
大きな赤色のマントに、豪華な装飾が施された服。
恐らくこの美女は、城の主なのだろう。
そして、その美女は、真っ直ぐこちらを見据えていた。
その深い金色の視線に射抜かれ、脳の奥か痺れるような心地を覚えてしまう。
──危ない。危険だ。何がかは分からないが、彼女は絶対に。
理性が、本能が、警告を鳴らす。
美女が、玉座から立ち上がる。
たぷ、たぷ、と巨大な乳房を揺すりながら、僕に向かって近づいてくる。
──やめろ、近づくな。
そう声を出そうとして、しかし吐息は声帯を震わせる事はない。
美女のあまりの威圧感、威厳に本能が屈服して、彼女に命令するという無礼を働けなかったのだ。
美女は、モデルのように自信たっぷりに、腰を艶めかしくくねらせながら近づく。
脳ががんがんと警鐘を鳴らしながらも、それに相反して股間はひどく熱くなってしまう。
むちつく媚肉の揺れといい、周囲に流れる甘い空気といい、何もかもが否応なしに生殖欲求を湧き立たせてやまない。
美女は、腕を高く上げて、ぱちんと指を鳴らした。
すると、それに呼応して、多数の──これまた豊満で美しい女達が虚空から現れる。
痴女のような格好をしたグラマラスな女、騎士のような鎧の身長の大きな女、貴族のような出で立ちの女。
女、女、女──。
いずれも肉付きのよい、長身で有り得ないくらいの美女だ。
そして、絶対に人間ではない。
人間にはないパーツ──例えば、犬のような耳や山羊のような捻れた角、ラバーのような見た目の尻尾──が所々に見えるし、何よりも人間にしては美し過ぎる。
彼女らは、一体何者なのだろうか。
それら得体の知れない女達が一斉に、舌なめずりをしながらこちらに向かって──襲いかかる。
獣性を剥き出しにして、交尾欲求を隠しもせず、紅潮させた顔で追い詰めるように近寄ってくる。
外からは、相変わらず言葉にならない男の嬌声──あえて文字に起こすなら、「あうぅぅ♡♡♡あぁあぁぁぁ♡♡♡いうっあぁあ♡♡♡」といった具合だろうか──が絶え間なく響き渡っている。
それはそれは、脳が腐れ落ちているとしか考えられないほどに気持ちよさそうな声。
快楽を与える女に、また快楽そのものに隷属しきったような音に、心底ぞっとする。
きっと、彼女らに捕まれば、僕も。
そう思い、慌てて逃げようとするも、あまりの迫力に腰が抜けて立てない。
牙を剥き出しにして、骨の髄までしゃぶり尽くすと言わんばかりの犬耳に尻尾の付いた女。
ただ静かに、研ぎ澄まされた刀の切っ先のような視線で、僕を舐め回すように見る高貴そうな格好の女。
ピンク色のハートが浮かんだ瞳で、正気とは思えないほど痴情に歪んだ笑顔を浮かべながらにじり寄る痴女のような服装の女。
──食われる。
捕まったが最期、種の一滴まで搾り尽くされて、吸い尽くされる。
決して解放なんかしてはくれずに、永遠に性奴隷として彼女らに輪姦され続ける。
そう確信しながらも、蛇に睨まれた蛙のように動けない。
はー……♡はー……♡
荒く発情した呼吸までもが耳に届くほど、彼女らは僕の傍まで近づく。
四方を囲まれて、もう全く四面楚歌。
彼女らは顔を見合わせ、瞳だけで語る。
──誰から、食べる?
ぞっと、背筋が震える。
──逃げなきゃ、とにかく、逃げなきゃ。
強く、その思いだけが体を突き動かす。
立って、走って、とにかくあの扉を開けて逃げ出そう。
その考えだけが先行して、椅子から立ち上がろうとした時に──足が縺れて、転んでしまう。
ああ、もう、駄目だ。
そう思いながら勢いよく反転する視界には、女達のいやらしい笑みだけが映っていた。
──いただきます♡
そんな声が聞こえたような気がして、理性とは裏腹に勃起しきったペニスが震える。
食べられる。
貪られ続ける。
良いように使われる。
分かりきった自分の末路を想像して、体の芯が凍えるように冷たく、かつ火照るように熱い。
──くそ、なんで、こんな事に。
もう何でもいいから、誰か、何か僕を助けて。
そう思い、床に倒れ込みながら、伸ばしたその手に。
何かが、引っかかる。
がちゃん。
思い切り倒れ込んだ勢いのまま、その何かは引き倒されて──。
~~~~~~~~~~~~~~~
双子幸魔の添い寝リフレ「ニュームーン・ナイト・ホテル」
真っ暗な部屋の中、薄い布団を被って寝転ぶ。
気温は少し蒸し暑く不快で、ついでに言えばなんとなく体も痒い。
身体の熱気を放出するために寝返りをうち、ついでに近くの置き時計を眺める。
──02:28
ちょうど丑三つ時か、とやけにはっきりした頭で考える。
確か、寝床に入ったのは……10時過ぎくらいだったはず。
最近眠りが浅いから、早めに寝床に入ったのだ。
眠いのに眠れない。
布団に入ると、何故か眠気が薄れてしまう。
そして、昼間になるとやけに眠くなる。
そんな感覚に悩まされて、もう何日経っただろうか。
そんな状況を打破するため、今日はぬるめのお風呂に30分浸かり、眠る前にはホットミルクを飲み、安眠の効果があるというアロマを焚いて、万全の体勢を整えた。
これ以上ないほど準備して、これで眠れなければどうしようもない。
そう断言できるくらい、お金も時間も使ったのだ。
しかし、それでもこのザマだ。
ふぅ、とため息を吐いて、またスマホへと手が伸びてしまう。
理屈はよく知らないが、寝る前のスマホはブルーライトがどうのこうので良くないらしい。
どのサイトや本を見ても、「スマホは寝る前には触るな」と口を揃えて書いてあったから、よほど悪い事なのだろう。
しかし、何もせずにただ目を閉じて寝転んでいるだけというのは、退屈すぎて苦痛とすら言える。
だから何か、何でもいいから情報を脳に詰め込んで暇を凌ぎたい。
空腹時に詰め込むカップ焼きそばのような、そういう気分でネットサーフィンを始める。
とは言え、何か調べる事がある訳でもない。
何となくツイッターを開き、流し見しながら一番上までつらつらとスクロールしようとして──ある広告に目が止まる。
『こんな時間までお疲れ様です。お仕事が終わりませんでしたか?それとも眠れませんか?』
淡いフォントの字幕と共に画面に映るのは、作り物のように美しい、黒髪の女性。
はっきり言って、芸能人やアイドルにも比べ物にならないくらいに可憐で、艶やかで、色気に溢れていて、可愛らしい。
彼女はただ座っているだけなのに、有り得ないくらいにその座り姿は女の色香に満ち溢れていて、見ているだけで胸が高鳴ってしまう。
それほどの美女が、薄く微笑みながら天蓋付きのベッドに座って、こちらに言葉を投げかけていた。
寝不足でぼやけた頭で、恐ろしく美人だな、と漠然と思う。
普段はSNSの広告なんて気にもかけないが、なんとなくその声を聞きたくて、気がつけば広告を開いていた。
『人間にとって、夜は眠る時間です。自然に身を任せていれば、とろんとした眠気が貴方を包む事でしょう。ですが、それでも貴方が眠っていないというのなら、それはそれなりの理由があるのだと思います』
──それは、凪いだ湖の深い水底のような、冷たくも落ち着く声だった。
画面の中の彼女は、美しく艶めく黒髪を流しながら、静かな声で、落ち着くペースと声の揺らぎで、言葉をゆったりと紡ぐ。
その音は鼓膜から胸にするりと落ちて、一欠片の抵抗もなく染みゆくような声が、不思議なことに脳の波形を滑らかに撫で付けていく。
『もし貴方にとってそれが不本意な事であり、本当はすぐに眠りたいのならば。何の邪魔もなく、何の懸念もなく、温もりと安心のままに、すとんと眠ってしまいたいのならば、私達が……』
画面が、時間経過と共に暗くなる。
それに合わせて、いつしか僕もこくり、こくり、と船を漕いでいた。
スピーカから流れる彼女の声が、僕の心をハンモックに揺らしてくれるような心地を産み、やがて、瞼を重みに任せて閉じて。
『……おや、ふふ。私の声が、貴方の休息の一助となれたのならば、これより嬉しい事はありません。また、私が必要となれば、その時は……』
時間経過と共にスリープモードとなって、スマホからの声がぷつりと途切れる。
だが、それを僕が再度起動させる事は無かった。
「うーん……」
夕暮れ時の駅で、一人佇んでスマホを睨めっこをする。
今日の朝は、不自然なくらいにスッキリとした目覚めだった。
おかげで午後に眠くなることも無く、仕事も集中して行うことができて、定時に帰路につく事ができてしまった。
この時間はちょうど部活帰りの学生が多いようだ。
仲間内で広がりながら談笑しており、少しばかり居心地が悪い。
別に僕が縮こまる事も無いのだが、おじさんが青春の邪魔をする罪悪感は、あの小さくて粗末な椅子に座る快適さを大きく上回っていた。
ホームの隅っこで小さくなりながら、懐からスマホを取り出して、開く。
いつものように、電車が来るまでの無為な暇つぶし──ではなく、明確な目的を持って指を動かしていた。
SNSを開き、ページをひたすら上下させたり、あるいは僅かな情報を頼りに検索をかけてみたり。
それでも、情報は出てこない。
当たり前と言えば当たり前だ。
なぜなら、それに関する記憶は『絶世の美女』『落ち着いて眠くなる声』『暗い寝室の映像』くらいしか無いのだから。
しばらくスマホと格闘して、画面を睨みつけて、必死に脳を回転させて──人の波が前に動いたのを見て、慌てて自分も電車に乗り込んだ。
遅れて中に入った僕は、座席に乗ることはもちろんの事、つり革すら掴み損ねて、ただ立って踏ん張る事を余儀なくされる。
──まあ、多少は疲れた方がよく眠れるだろう。
自分にそう言い聞かせて、そこから連想して思い出すのは、やはり昨日見かけたあの広告。
全く眠れる気配のない状態から、声だけで僕を寝かしつけてしまったあの女性。
今日、仕事をしている時には彼女の事ばかり考えていた。
そればかりか、彼女の声と姿を思い出すと、何となく幸せなような気すらしてしまう。
何としてでも、彼女に関する情報が欲しい。
気がつけば、それほどに僕はあの美女に心を奪われていた。虜になっていた。
年甲斐もない話だが、一目惚れ、というものかも知れない。
少なくとも彼女の容姿と声は、それを引き起こすに十分なものだった。
──が、それほど惚れ込んでおいて。
彼女が何をしている人間なのかを僕は全く知らない。
おかけで、僕のスマホの検索履歴は『黒髪 美女』『黒髪 美人 ウィスパーボイス』だなんて馬鹿みたいなもので埋まってしまった。
こうして何度か検索して分かった事だが、僕の陳腐な語彙で表せる程度の人間は、この世にごまんと居るらしい。
全く彼女とは似ても似つかないような、そこそこの美女がわんさと画像になって現れてくれた。
しかし、そうなると、もう手がかりはあの広告だけだ。
あれは何を宣伝するものだったのだろう。
それは分からないが、あの寝室とベッドの背景と、彼女の言っていたセリフからして、睡眠導入に関する事なのは間違いない……と、思う。
けれど、安眠のための何某かなんて、それこそ黒髪美女よりも溢れているだろう。
電車の揺れに耐えながら、ふぅ、とため息を吐く。
またSNSに同じ広告が出るのを待つしかないか。
──と、諦めがついて彼女の事を脳の引き出しに一旦仕舞ったところで、別の引き出しに入れてあった再配達の申し込みの事を思い出す。
こういうものは、忘れないうちに頼んでおいた方がいい。
仕事用とは分けてある個人用のメールフォルダを開き、宅配業者からのメールを探す。
すると、真っ先に目に入ったのは見覚えのない宛先からのメール。
と言っても、毎日毎日大量に送られてくるような、一億円の当選だの知らない女からのセックスのお誘いだのの詐欺のメールではない。
宛先を見ても、そういうメール特有のただランダムに打ち込んだだけの不規則な英数字の羅列や、明確に有名企業のそれに寄せたアドレスでもない。
──newmoon-night-hotel@monsnet.co.aln
ニュームーン、ナイト、ホテル。
つまり、新月の夜のホテル。
はてさて、全く聞き覚えのない名前だ。
しかし、ホテルからのスパムメールとは珍しい。
それとも僕が覚えていないだけで、何か出張でビジネスホテルに泊まる時などに、安くなるクーポンを手に入れるためにメルマガ登録などしただろうか。
……なんだろう、少し気になる。
まあ、よしんば詐欺メールだったとしても、添付されたファイルやリンクなどを開かなければ大丈夫だろう。
そう楽観的に考えて、一思いにメールを開いてみる事にした。
──えっ。
瞬間、電車の中だと言うのに思わず声が出る。
そのメール内にあった埋め込みの写真は、確かにあの広告と寸分違わぬスクリーンショット。
つまり、そこに居たのは見まごうこともないあの黒髪の美女であった。
そうか、きっと寝ぼけてあの広告をタップしてメアドの入力などをしていたのだろう。
全く記憶がないが、寝る前の記憶なんて得てしてそんなものだ。
昨日の自分に拝み倒すほど感謝して、遠慮なくホームページへのリンクを踏むと、そのホテルの詳細が明らかになる。
要するにそのホテルが行っているのは──添い寝リフレというサービスらしい。
とは言っても、えっちな事をする訳ではない。
アロマなどを焚いた部屋で、ただ女性と添い寝して、その温もりや安心感で安眠を促すのが目的であるそうだ。
思わず、ごくりと生唾を飲む。
まさか、あの広告の女性ほどの美女が添い寝してくれるとは思わないが、それでもと期待をしてしまっているのは確かだ。
それに、単純に寝不足を解消するのにも良いかも知れない。
人間の体温を感じるだけでストレスが何割も減るというのは有名な話だ。
何よりも、今までは多くの安眠グッズを試してきたが、女性との添い寝までは用意する訳にはいかなかった。
しかし、このお店ならば、それができる。
正直に言うと、女の子と添い寝するのはかなり小っ恥ずかしいと気持ちもあるが、試してみる価値はあると思う。
そして、料金も初回なら──なんと、2000円で部屋を出るまで永久フリータイムだそうだ。
つまり、時間さえ許すならば、3日ぶっ通しで眠り続けても構わないという事。
そんな低価格にも関わらず、サービスの品質は説明を見る限り決しておざなりなものではない。
添い寝をしてくれる女性スタッフさんはお客さんを癒すための専門の研修──添い寝の研修って何をするんだろうか──を受けているそうだし、ベッドも聞いた事もない海外ブランドの最上級品質のものらしい。
安眠のアロマも独自のもので、甘いミルクのお香だそうだ。
そんな高品質のサービスに対してあまりにも安い、地方の最安値ビジネスホテルにすら勝るほどの価格に少々の恐怖は感じなくもないが、どうもこれは初回限定価格らしい。
次からはちゃんと一泊で五桁円はかかるそうなので、そう考えるとリピートを前提とした強気の商売と言える。
それほど心地よいのだろうか、と考えるとますます興味が募ってしまった。
──よし、行こう。近場なら今日行こう。
財布に残金の余裕があるか確認して、都内、いや関東圏なら家に帰らずホテルに直行する事を決める。
早速ホテルの場所を確認する……が、検索にかけても全くヒットしない。
マップ上にはもちろん、今見ているサイトすら引っかからない。
おかしいな、と首を捻りながらホームページからアクセス情報を探す。
すると、そこには。
──最寄りのタクシー乗り場から、当ホテルへの無料送迎タクシーが出ております。是非そちらをご利用下さい。
と、それだけ書いてあった。
考えるまでもなく明らかに不自然というか、そもそも最寄りのタクシー乗り場なんてサイトを見る人によって全く違うと思うが、そうとしか書いていないから参ってしまう。
流石にそんなことは無いだろうとページを隅々まで探し回ってもホテルがどこにあるかすら全く情報がなく、ただ送迎タクシーで来いとしか案内がない。
参ったな、とぽりぽりと頭を搔いて途方に暮れる。
そして、そうこうしていると自宅の最寄り駅に着いてしまった。
そのまま電車に乗り続ける訳にもいかず、人の流れに身を任せながら自宅方向への出口へ向かう。
──まあ、別に今日行かなければいけない訳でもないから、家に帰って調べよう。幸いにも今日はまだ早いからその時間はたっぷりとある。
そう考えながら、そう言えばこっちの出口にはタクシー乗り場があったかと思いついた。
まさか何の予約もしていないのに送迎タクシーが居るわけも無いが、折角だから覗いてみようとふらり立ち寄ってみると。
「お客様でございますか?」
突然に、そう声をかけられる。
驚いて振り返ると、そこにはフェイスベールを着けた、僕より頭一つ分以上も大きな長身の女が居た。
全身を黒い服に包み、顔にはこれまた黒い布を垂らし、明らかにマトモではない。
しかし、僕はその女性を見て、危険を感じるよりも先に。
──美しい、と。
そう、思ってしまった。
そのどこかエキゾチックな黒服に包まれた肉体は官能的の一言に尽き、雌らしい起伏が途方もなく母性的な柔らかさを漂わせている。
そして、夜の闇が流れているかのような黒髪は、あの広告で見た女性に勝るとも劣らない艶めきがあり、不思議な色香が漂うかのよう。
更には顔立ちだが……これは、黒いフェイスベールに阻まれて伺い知る事ができない。
しかし、間違いなく天女のような絶世の美女であると断言出来る。
気がつけば、周りの喧騒が全く耳に入らなくなっていた。
それどころか、常世と隔絶されたような感覚すら感じる。
まるで僕を幽世に連れ去る異次元の存在であるかのような、彼女自身の持つ雰囲気がそうさせているのだろう。
彼女の持つ、心地よい闇色の雰囲気に呑まれて立ち尽くしていると、手をゆっくりと取られてどこかへ導かれる。
シルクの、いや、それよりももっと上質な、滑らかな肌触りの長手袋の感触が心地よい。
それに、その奥にある暖かな体温や、細くしなやかでありながらも柔らかな、女性特有の手の感触にどぎまぎしてしまう。
その手を振り払ったり逆らったりなんて考えることもできず、ただ彼女の淑やかな歩みに流されてゆく。
「……どうぞ、お入り下さい」
気がつけば、僕は黒塗りの車の前に立たされていた。
窓もフロントガラスも黒いスモークが張られた、暗闇が形になったかのようなタクシー。
黒一色で、見るも不気味な──はずなのだが、どうにも僕はそれに対して不信感や危機感を抱く事ができず、何故か気負うことも無くするりと後部座席へと座ってしまった。
音もなく、扉が閉まる。
運転手は、あのフェイスベールの女。
そして隣には、またフェイスベールの女が──これは同一人物なのだろうか。顔が見えない事も相まって見分けがつかないが、身体や容姿は先程の女と同じに見える──ただ座っていた。
「では、出発致します」
──発進、したのだろうか。
あまりにも静かな上に、窓やガラスが黒く濁っており、外の景色が全く伺い知れないので分からない。
外にあるはずのビル群も、落ちかけてオレンジ色に輝く太陽も、行き交う人々や車も、何も見えない。
そもそも、視界がこれほど制限されているのに出発していいはずがない。
そんな事をすれば、事故を起こさない訳がないのだから。
本来ならば、そんな訳の分からない車に乗せられれば、気が気でないだろう。
しかし、何故か僕は落ち着いて、自室にいる時以上にリラックスした感覚を覚えていた。
隣の女を、ちらりと見る。
そして、ごくりと生唾を飲んだ。
横から見ると、その細身の身体に対して、突き出た肥沃な乳のラインが凄まじい。
ありえないほど馬鹿でかく、性欲ギトギトの自慰目的の漫画に出てくるように肥った淫肉なのに、どこか美しさや瀟洒さすら感じるほどに綺麗な溶岩ドームの形で、下品さは微塵も感じられない。
しかし、だからと言って性の雰囲気を感じさせない訳ではない。こんなむちつく淫肉を携えておいて、そんな訳がない。
シートにむんにりと潰れて横に広がった尻肉などは、まさに駄肉と表現するのがぴったりな、ただ柔らかいだけのセックス専用媚肉である事は明らかだ。
その情欲を誘うところばかりに肉がたっぷりと実った身体は、静かに音を昂らせて、狂わせる。
横から覗くだけでも見るからに極上な、妖しくてどこか仄暗い雌の色香をぷんぷん振り撒く女は、何も言わずにただ、じっと座っている。
そんな女に対して、僕は何となく、一つの確信を抱いていた。
──恐らくだが、彼女は何をしても抵抗することは無い。
その無礼なくらいに突き出した乳を、もっちもっちと捏ね回しても、いきなりフェイスベールを捲って下品に吸い付くベロキスをかまして口を陵辱したとしても。
優しく受け入れて、ただそれだけ。
この車内のやけに静かな、無音より静かなほどの空気は変わらず、粘ついた官能によって湿度がただ増すだけだ。
「……宜しければ、着くまで、如何でしょうか?」
だからこそ、ぽんぽんと太ましい腿を叩く彼女の誘惑に、逆らう事はしなかった。
ふらりと彼女の傍に寄り、そのままぽむんと肉枕へ倒れ込む。
ぽよんと沈み、跳ね返し、暖かくて、柔らかい。
雌の肉々しい太ももの感触が、淫蕩な熱を持ちつつも、驚くほど安心して気持ちがいい。
不可思議な安堵感を抱いたまま、何の躊躇もなく顔をお腹側に顔を向け、その肉の犇めく三角地帯の匂いを嗅ぐようにして、身体を預けた。
「どうぞ、ごゆっくりお寛ぎ下さい……」