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実は“なろう”というワードを知ったのは現すばを描き始めた後なんです。

そんな私なので、なろう系小説なんてこのすばを除いて読んだことはなくアニメもよく見ないですから、今からいうことは完全な独断と偏見になります。予めご了承ください。


さて、いつだったか。以前、大学の教授だかなんだかの方が『ラノベばっか読んでないでちゃんとした小説を読まないとダメ』的なことをツイートして炎上したことがありました。これはラノベ小説の文体が稚拙なものが多いというのが理由でしたが、反対意見として普通の文学のものでも酷い物はいくらでもあるだろうというのがありました。なろう系というのはラノベの1ジャンルな訳ですが、じゃあ、ラノベじゃなければなろう系ではないのか。文体がちゃんとしていればなろう系ではないのか。その境界線はどこなんでしょうね。


結論から先に言うと、なろう系の本質は“ちょろさ”だと思っています。


ヒロインがちょろい。

世界がちょろい。

敵がちょろい。


などなど。


ヒロインがちょろい。これはまぁ想像しやすいかと思いますし、なろう要素としてはもっとも大きいものだと思います。これがあるだけでなろう系といっても差し支えないかもしれません。ヒロインは何故か主人公にすぐ惚れます。他にもいい男はいくらでもいるだろうに何故か主人公に首っ丈です。ただお互い好き同士になってもなぜか恋人関係までには発展しないとか、そしてなぜかそれを許容するヒロイン。主人公が他の女に色目使ってても多少は怒っても基本的には大したお咎めはせず、なんなら嫉妬してる姿がてぇてぇとか言われちゃう始末です。なろう系にはハーレムものというのがよくありますが、自由恋愛において、自分が好きな人が別の女性と関係を当たり前に持っていても平気というのは、政治と金が絡んで無い状況では理解し難い感情です。普通なら病むかバチクソぶちぎれると思います。これはいわゆる恋愛関係になったが故に怒るめんどくさいラインをヒロインが決して超えてこないようにしているからだと思います。また振られたヒロインもその後もずっと主人公のことが好きだったりするのもちょろい故でしょう。個人的には振られたヒロインはさっさと別の恋の道を見つけて欲しいなと思うんですけどね。


世界がちょろい。例えば仮にチート能力を手に入れて異世界に転生したとしても、現代人ではおそらく異世界に適応できないだろうなと思ってます。それは、異世界はよく中世ヨーロッパくらいの文明とされてますが、その頃は上下水道などのインフラ整備は当然整っておらず感染病とかで普通に人が死にまくってる時代でした。抵抗力が低い現代人がそんな状況に耐えられるとはとても思いません。おそらく転生した異世界ではこの辺には上手に補正がかかっているのだろうと思います。また、ゲームの知識をつかって異世界の戦いで異世界人が思いつかなさそうな作戦で無双するなんてのもよくありますが、兵法の基本はそれこそ三国志の時代にはすでにあったりするわけですから中世どころか西暦が始まった頃にはある程度の知恵はあるわけです。しかも日々戦いに明け暮れてる人たちが現代のぬるま湯に使ってる我々より戦いにおいて知恵が回らないというのはまぁ考えにくいです。


他にもクエスト。ゲームの世界ではクエストから報酬を得られるわけですが、リアルで考えた時、その報酬は誰が出してるの?となります。当然依頼主だろうとなりますが、依頼主も生活があるわけですから、そんな高い金額は出せないはずですし、税金を納めてるなら警察や兵士に頼む方がいいに決まってます。

異世界人がマッチでビビったりする漫画もあったりしますが、火なんてそれこそ紀元前から使ってるわけですし、まして異世界人は魔法を普通に使えるわけでそっちの方が全然使えるし、すごいわけです。現代人が現代の知識をドヤ顔で異世界人に披露するなんてのはなろう系では手垢のついた表現ですが、これについても異世界人のちょろさが際立ちます。異世界人だから知識や発想が乏しいというのはなかなか奇妙です。そんなことねえだろうと思います。同じ人間なんですから。Dr.Stoneの千空クラスの知識があれば話は別だと思いますが。


あと一番わかりやすいところで言えば、“俺強ええ”ですね。これもなろうの特徴といえますが、これは昔からジャンプ漫画なんかではよくある設定ですね。DBの悟飯なんてまさにですが。ただそれでも、ジャンプの主人公なんかはそれこそ死にものぐるいで修行して自らを強くしますが、なろうの場合は自分を上げるというより周りを落として自らの地位を築こうとする傾向にあります。


他にも例をあげたらきりがありませんが、ここまで読んでると“そんなの他のジャンルの漫画でも当てはまるんじゃね?”と感想を抱く人も少なく無いでしょう。ヒロインがちょろいなんてラブコメ、ギャルゲ、エロゲ全般に言えることですし、スパイダーマンなんかも一種の俺強ええなわけです。問題はどこまでちょろいかというわけです。スパイダーマンなんかはまさにそうですが、“大いなる力には大いなる責任が伴う”という名言があるように、スパイダーマンは自身のその力と引き換えに厳しい宿命を背負う男の話なわけです。親友を失ったり、恋人を失ったり、叔父や叔母を失ったりなど、そういう宿命に立ち向かうスパイダーマンの姿に心打たれるわけで、なろう系と呼ぶにはかなり抵抗がありますよね。

なろう系のちょろさというのは、主人公に都合のいいように世界が回るためのものです。物語である以上ある程度の困難には立ち向かうのですが、本質的なところ、本当に目を背けてはいけないところまでは踏み込まない印象があります。これは“楽して成功したい”という現代人らしい願望が投影されている結果なんでしょう。


また、このちょろさというのはそれなりに人の感情や営み、歴史などを歪ませることで成立している世界観なので、作品を描き続けていくと、いつかこの歪みが原因で辻褄があわなくなったり設定がどんどん強引になっていく印象があります。このすばもそういうキライが見え隠れしますね。


とまぁ、いろいろ描いてきましたが、“なろうはそういうものなんだからごちゃごちゃ考えねぇで黙ってみろ!”というのが正解だと思いますし、まぁあまり茶々をいれるのも野暮だなぁとも思います。ただ、フィクションにおける嘘というのはどこまでついたらいいのか。どこまでが嫌味に感じないかというのは表現者としてはやはり考えないわけにはいかないところだなとは思います。フィクションだから何してもいいというのはやはり少し違うのです。難しいところですね。


ではでは、また。

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Comments

Anonymous

そういう事は今まで考えた事なかったのですがスパイダーマンの例えはしっくりきました。 このすば って絶対主要人物が死ぬ事無いですよね。 俺強えしてるかと言われると微妙な感じですが...。

Anonymous

このすばの世界はまだそんなに甘くはない方だと思いますね。 ギャグだから悲壮さが全く感じられないだけで、前半はリアルで考えたらだいぶキツいと思います。 逆に後半においてはカズマの努力が報われて金持ちになっていくわけですが…