【お礼】2022年もありがとうございました。【感謝】 #こいし #こころ (Pixiv Fanbox)
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(絵と内容は全然関係ないです。適当に挟んでみました)
こんにちは。
さて、2022年も残すところあと少しとなりましたが、みなさまいかがお過ごしですか。
私のほうは・・・相変わらずというのか、あんまり年末の実感はありません。
いつも通り、普段通りといった感じです。
ただ、またひとつの節目を迎えて、フッと、振り返ってみると、想像していたよりも随分たくさんの絵を、漫画を描けたものだなぁと、改めてじーんと感謝を感じていたりします。
ほんとうにありがとうございます。
活動の内容については、ここ数年、試行錯誤をしてきた部分はありますが、現在のPIXIVFANBOXを活動のベースとしつつ、余力でいくつかのskebのお題にチャレンジさせていただくという、いま現在の形がほどよくおさまっているのかなと、私的には感じています。
新刊のサイト販売であるとか、いくつかのご意見、ご要望は稀にいただいたりするのですが、いま現在では、なかなか、一般のかたとおなじような活動形態をとるのが難しく、とりあえず、いま、自分ができることをできる範囲で、無理なくやっていこう、というのが、今の私の正直な気持ちです。
FANBOXは、いまの自分の気持ちに沿った、内から湧いたものを、そのまま漫画にして載せています。
skebはファンの方からのお題に合わせて、ちょっとした力試しというのか、それまで成果を出せる場としても楽しませていただいてます。
PIXIVも含めて、作品へいただく返信コメントも、手ごたえにつながりますし、活動全体への、また、私自身への、励みにもなっています。
という感じで、現在のところ、特に大きな方針転換や拡大、有料コースの増減、内容、価格変更等は考えておりません。
(また、なにか思いついたら、そのときはやると思いますが、、、いま現在はないです)
2018年に「一日一枚絵」を始めたときには、いまのように、たくさくさんの絵を描き続けられるとは、思っていませんでした。
そして、いまは、似たような感覚を持って、「一週間一漫画」をやっています。
これが、この先どういう結果を創っていくことになるのか・・・は、考えないようにしています(笑)
結果を求めると、途中で嫌になったりするもので。
淡々と続けてみようと思います。
ただ、それがこの1年できたのも、このFANBOXでのご支援を始めとして、skebやその他、作品を見て応援してくださったすべての方々のおかげであり、まだまだ活動は続いたりもすると思ってますが、ひとつの節目として、深く感謝申し上げます。
そして、もちろん、FANBOXやskeb関係なくとも、お気持ち的な、ご支援、応援も含めて、集大成でいまのカタチになっています。
私がどうこうしたわけではなく、やっていたら、こうなった、という意味で、私もその(この活動を具現化させた)集合体の一部分でしかありません。
そういった視点も含めまして、ご支援、応援いただいているすべての方に、改めてお礼申し上げます。
ツイッターはまたなにか描けたらやっているかもですが、FANBOXはこれで今年最後の投稿です。
skebはいつものごとく放置気味ですが、価格帯(=納品ボリューム感)含めて、いまの自分に描けるものが来たら、全力で描かせていただきます。
せっかく送ってもらったものを、ワンクリックでキャンセルも心苦しさを感じるときもあったりしますが、身の丈に合わない、無理したり、背伸びしたりはいたしません。
いつもありがとうございます。
と、いうことで、2022年もほんとうに、ありがとうございました。
2023年も、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
それでは、また、来年。
よいお年を。
のん
以下、いつものお絵描き雑談です。
こうやって、いくつかの作品を描いていると、ふと、何気にテレビやYouTubeでみていた、芸人さんや、役者さんが、とんでもなくスゴイのだなという、その片鱗に気づかされることがあります。
たとえば、お笑いの「お約束」という、コントの流れ。
この先どうなるのかわかっているのに、笑ってしまう。
ちゃんと視聴率を取っている。うーん、すごい。
楽をしたいとか、楽をしているという意味ではなく、「なぜ人は笑うのか」の本質をわかられているから、アレができるんだろうなと、私は勝手に思っています。
いつも私がskebで悪戦苦闘する「ストーリー性のあるお題」、時系列やシーケンスのあるお題も一緒です。
すべらない話や、ごっつの松本さんのお話とか、なんでもないようなことを、爆笑する話にもっていく技術。
聞かせかた、見せかた、「話す順番」、「間」、など、人の頭の中でなにをイメージするのか、しているのか、それがどうなる(変化する)から、面白いと感じるのか、完全に把握して構成されているということなのでしょうか?なんでそんなことができるのかもわからないくらいにスゴイなと思うわけです。
他、役者さんについては、私も少しながら、いくつかの作品を描いていて思うことがありました。
それは作品ごとに「ゾーン」に入っていくわけですが、それぞれの作品で、自分の性格がまったく違う人になったかと思うような違いを感じるときがあります。
さっきまで、アンアン言わせてたと思えば、青春清純百合漫画に号泣したりしてます。
作品の世界感に合わせて、自分自身も、どこか役者さんのように。「役作り」に入ってるような気もしてたりするわけです。
しかし、そのなかで、skebに関しては、どうしても、こういった作品は無理かなと思うときもあるわけです。
それは、自分が自分だと思っている、【自分】に「それは合ってない」とか「それは(私の性格に)入ってない」とか、エゴの主張は様々なんですが。
私自身ではなく、漫画の、フィクションの人間模様を、描くだけでも、そんな抵抗感がいろいろと湧き出たりするものですが、自分自身が、ときにヒーローであったり、悪役であったり、おとぼけ役であったり、いちいち、「人に自分がどう見られているか」なんて考えてたらやっていけそうにないことを、いつもやってらっしゃるんだろうなと思ったりもするわけです。
タイミング合わせの難しさもあります。
これは前回も書いたような気がしますが、いまはその気分じゃないというタイミングです。
FANBOXはいまの自分に合わせて描きますが、skebは、その「ゾーン」(周波数)に自分を持っていく必要があるように思います。
すごいラブラブチュッチュなものが描きたい気分のときに、SMはソフトSMですらハードに(しんどい)ものに感じるときもあります。
逆に、SMをガンガン描きたい気分のときには、ラブラブチュッチュものは、いささか物足りなくも思うときもあるのです。
それは、いつもそうなのではなく、どちらかが好きで、嫌いということでも全然なく、現在の自分の波長との差分でそうなっているので、skebの場合はそこを合わせる、ピント合わせをするのに、別途時間を要したりします。
だから、役作りできる演者さんに感動したりするわけです。
さっきまでバラエティーやってて、撮影現場に入ればキッと、気持ちを切り替える。モードを変える。その「人物」になりきるというか、「なる」
これはとんでもないことだと思うわけです。
私の場合は最初の波長合わせでも、断念するときがありますが、ピントが合ってしまえば、ネカフェで缶詰で(ゾーンを維持しながら)なんとかきり抜けたりできますが、撮影となると、日を当然またぎますし、家に帰ったり、飲みにいったり、現実の「今」の周波数にフッと戻ったりもするわけで。
私ももし、これ(その場その場での周波数チェンジ)が出来たら、もっと長編もの、続編ものもかけたりするのかなと、思ったりもしますが、今は無理しないで考えないようにしてたりします。
よく言われることですが、優秀な格闘指南書を、何百万回と読んで、完全に 熟知 したとしても、それだけで、大会で優勝できないように、私も、躰に気づいてもらう、会得してもらうためには、どうしてもひたすらの反復体験は必要だろうと、思ってたりします。
だから描ける、というほど、私も忍耐強くもなければ、努力家でもいっさいないのですが、内容はともかく、「描き続けている」という事実は、なんとなく、私もこのさき、どうなるのかを楽しみにさせてくれる一つの要素でもあったりするのですよね。
説明が相変わらず下手で、「ちょっと何言ってるのかわかんない」状態かと思いますが、漫画においては、こんなことも感じつつ、考えつつ、楽しく描かせていただいてたりもします。
いつもご閲覧ありがとうございます。
私のほうは(福岡は)、例年に比べ、温かく、穏やかな年末のような気もしていますが、みなさまどうぞご自愛くださいませ。
よいお年を。