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こんばんわ、紫乃です^^

いきなり本題に入りますが、

いわゆる タチ・ネコ、攻め・受けの関係になるとき、自分軸で生きている人と、他人軸で生きている人が強烈に惹かれあいます。

自分軸で生きている人は、自分のために他者が動いてくれると考えています。

他人軸で生きている人は、他者のために自分が動かないといけない(価値がない)と考えています。

(なお、先にことわっておきますが、だから、どちがら良い、こちらが悪いということを言いたいわけではありません。良し悪し、善悪はまったく関係ありません)

ゆえに、他人軸の人からすると、自分軸で生きる人から、ズバズバと決断を下される(あるいはダメだしされる)のが快感でしかたがなかったりします 笑

(意識はしてないかもですが)必要とする・されるの関係がみごとになりたつわけです。

自分軸同士だと、相手を必要とする、されるの関係が希薄になります。

他人軸同士だと、お互い思い切った行動なく、これもまた関係が発展しにくいわけです。

ストーリー展開におていは、他人軸の人からすると、自分軸の人は強烈に「嫌な人」「嫌い!」というかたちで登場していると思います。

なんて自分勝手な!失礼すぎる! なんて、感じのこと、ありますよね。

しかし、それほどに、自分の人生、生き方に影響与える人だという認識を(無意識かもですが)持ち、結果、意識しちゃうわけです。

本来は、他者、他人の言動が、「親の言動ですら」、自分に影響を”まったく”与えないことを、自分軸で生きている人は知っています。

わかっています。

それぞれ人は、まったくの別世界で(別感覚の世界で)生きていることを知識的にしろ、感覚的にしろ、理解しています。

しかし、他人軸で生きる人からすると、そのことは信じられません、意味がわかりません。

常に、誰かの世界、惑星の上で、自分ではない、誰かの価値観で、いま、生きていることに、それほど違和感を持っていないのです。

この攻め・受けの関係は、ずっとそういう関係ではなく、入れ替わることもしばしばですが、お互いが相互に影響し合い、関係性を保っています。

ですので、相手が「いるから」、自分がこう在れる、という認識がトンでしまうと、その関係は、はかなく崩れ去ります。

大切なのは、どちらが正誤だとか、善悪だとか、そういうことは存在しないということだと思います。

ただ、そういう特性をお互いがもっていて、相互に影響を与え合い、存在し合っている、それだけだ、ということ。

なので、どちらが上だ下だ、正しいとか間違ってるとか言い始めると、思い始めると、とたんに心が離れだします。危うくなりだします。

競争、張り合いもそうですね、優劣、上下の関係を意識し始めるから、そのことをし始めるわけです。

自分軸の人は、自分が正しい、自分は価値がある、から思考が始まります。

他人軸の人は、自分が間違っている、自分には価値がない、から思考が始まります。

自分軸の人は、

その「自分が正しい」「自分には価値がある」という感覚が、他人軸の人たちの存在によって、(相対的に)創り上げられていることにはなかなかきづけません。

自分が自分でやった、自分ががんばったから、自分の力だ、と思いがちなわけです。

他人軸の人は、

自分に存在するだけで価値があるとか、そういう風に、いるだけで、在るだけで、実は、世界のバランスを保つ存在であること、価値が、宇宙的に認められていることは、なかなか受け入れようとしません。

それはそのはずです。

受け入れてしまい、私には価値がある!と思ってしまうと、ずっと許せない、超自分軸の「アイツ」、に自分がなってしまうと思っているからです 笑

実際にはなりません、他者にはなれません。

自分は自分でしか在れません。

そして、自分が正しい、でもなく、相手が正しい、でもない。

双方が、ただ、そう在った、だけ。

リアルだと、私自身の双方の体験を通して、そのことに気づきました。

話が飛びましたが、カップリングを描くときにも、このあたりを考えているととても面白く、主従関係、攻め、受けが、一方的にみえつつも、実は双方で成り立っている、それがわかっているからこその、”信頼関係”というのは、なかなか自分のスキルでは描き切れませんが、描いていて、創造、妄想していて、楽しい部分だったりします。

攻めが受けに、

「あなた、○○するなんて最低ね」

という言葉を突き刺したとします。

受けは、その言われたことを気にしていて、そんな自分を「嫌い」と思っているわけです。

ですから、言葉にされて、刺されることに、強烈な痛みを受けます。

やっぱり私は最低だ、生きている資格がない、あの人に嫌われてもしかたない、

と思いがちだったりするわけです。

ですが、

だからといって、そのあと、攻め側が別れを切り出すとか、嫌われる、ということが起きないことに、動揺というか、混乱します。

このとき、

「この人は、こんな最低な私を受け入れてくれる(唯一の存在)」

という展開も、漫画や映画なら、個人的にはありっちゃありですが、

実際のリアルの話だと、それだと、ちょっと、いや、かなり ズレます。

「最低でもなんでもない、あなたの単なる一側面にすぎない」

ということを、攻めが、その存在にて、受けに示しているだけにすぎないからです。

実際に、攻めの裏には、

(でも、それでいいのよ、それがあなた)

という受容が、深い愛情があったかもしれないのですが、

受けの受け止め方ひとつで、その後の展開は大きく変わっていきます。

後者の”受容”を感じたときに、理解したときに、その信頼関係が増し、深い愛情に育ったりするわけです。

漫画とかだと、前者の勘違い解釈?によって、崩れる、崩れそうな方向にもっていくほうが、ストーリー的に盛り上がって、面白くなるんだろうと思います。たぶん。

ゆかれいむにしろ、幽アリにしろ、レミ咲にしろ、えっちがメインですが ^^*

そういった、二人のゆらぎを妄想、創造しながらストーリーを創るのは、楽しいですね。

やはり、創作は楽しい 笑

長くなって脱線しまくったけど、それが言いたかった 笑

ありがとうございました。

では、また!

紫乃

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