【雑記】 (Pixiv Fanbox)
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足元の草花にふと、足を止めることがあります。
美しいとかそうでないとか関係なく、
単に癒されたり、ホッとさせられたりします。
この時期、もう少しすれば咲き誇る、桜並木も大好きです。
壮観で、楽しませたり、喜ばせたりしてくれます。
ですけど、草木を含め自然界のものはすべて
「誰のためにも生きていない」
わけです。
ただ、
「自分で在る」
それだけです。
僕は、これがいわゆる
「自然体」
というやつなのだろうと思っています。
ですけど、人間という生き物は、とかく
☆誰かの役に立ちなさい
☆誉められるようなことをしなさい
☆誰かを喜ばせなさい
☆誰かを助けなさい
などなど、自分ではなく、人にとって都合のいいことをすることが
「生きている意味である」
「大人である(社会人である)」
「立派である」
のような思い込みを、ずっと擦り込み続けられているような気がします。
どうして、人間だけ、自然体では生きられないのでしょうか。。。
ある人たちにとっては、それは真実であり、本当のことです。
それを否定するつもりもありません。
ただ、人間だけどうして、「不自然体」を目指す生き物となったのか。
私は疑問を抱えたままです。
常に自分で在りたい
そんなことにチャレンジするやつが一人くらいいたって
面白いんじゃないかと思います。
そうしていれば、
たとえ明日、突然死んだとしても、後悔はありません。
草木もそうです。
自分がいつ死ぬかなんて、誰も知らないんです。
そうして、好きなようにしていたことが、もしかしたら、たまたま
☆誰かの役に立つかもしれない
☆誉められたりするかもしれない
☆誰かが喜んだりするかもしれない
☆誰かの救いになるかもしれない
ほんと、たまたま、
そういうこともある かも しれません。
さて、昨日から、つらつらと失礼しました。
よい気づきをいただけるお休みとなりました。
僕もこんなお話ではなく、絵をどんどん投稿していきたいと思っています。
ということで、辛気臭い(?)お話はここまでとして、
また、百合えっちを楽しんでいきたいと思います。
いつもありがとうございます。
それでは、また。
過去に描いてたけど、上げるタイミングがなかったチルノちゃん。
妖精が教えてくれることも多いです。