自給自足への道 part1 ~自分の絵でシコる方法~ (Pixiv Fanbox)
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忘れないうちに書きとめておこうと思います。
1.シコ条件の自覚。それが自給自足への第一歩。
2.オカズは琴線の宝庫。
3.オナニーはエロ絵を描くための道具。
4.何度も使ったオカズでシコ条件をパターン化させる。
5.絵柄が抜けないなら、抜ける絵に寄せれば良い。
6.自分の絵でシコれないのは当たり前。
1.シコ条件の自覚。それが自給自足への第一歩。
自分の絵でシコれない・・・。辛いね。
僕も26年ほど描きつづけて全くシコれなかったので、気持ちは痛いほど良く分かる。
しかし最近自分の絵でシコれるようになった。
それはエロ漫画を見てる最中に、自分の中でシコれる条件があると気付いたから。
上手い絵なのに全くシコれなかったり、下手な絵なのに枯れるほどシコれたりすることがあるけど、これは全てシコ条件が関係している事が分かった。
シコ条件とは、絵の良し悪しではなく、シチュエーション・表情・台詞・効果音・効果線・体の肉付き・体位などなど、挙げればきりが無いけれど、絵とは別のところにある、と気付いた。(もちろん棒人間で抜けるのかと言われるとそういうわけではないのである程度の絵力(えちから)は必要)
そこで、まずは自分のシコ条件(琴線)を自覚することにした。
2.オカズは琴線の宝庫。
オナニーをする時、日によって色々オカズが変わると思うけれども、その日僕は金髪幼女のエロ漫画で抜こうとした。金髪幼女最高・・・。
ん?金髪幼女最高・・・?これってシコ条件では?
僕は我慢汁を垂れ流しながらそっとメモ帳を開き、金髪幼女は抜ける と書いた。
座布団が少し濡れたが気にしない。
しかし、分析しながらだと愚息はしぼむ一方でシコれるわけではないので
とりあえずイク寸前までオナニーを続ける。そこでふと気付いた。
イク寸前に人は最高に抜ける場面を探すらしい。
それって、この世で一番自分が抜けるシチュエーションなんじゃね?
僕は震える愚息を他所にメモ帳を開き打ち込んだ。
・デブのおっさんに金髪幼女がパンパンされて喘いでるの最高。
・生意気なメスガキが巨根に屈服するの最高。
・腰を打ち付ける時は、ぐちゅぐちゅ より ぱんっぱんっ という乾いた音の方が興奮する。
・腰を打ち付けられている女の子は、長い台詞を喋るより、あっ あんっ あぁっ といった短い喘ぎ言葉だけの方が快楽に押し潰されてる感じがしてエッチ。
ふぉおお・・・これは・・・いけそうな気がしてきたぞ・・・。
正直この文章を書いてるだけで興奮する。やばい。
これが自分の奥底に眠ったシコ条件だと気付いた時、僕の人生に光がさした気がした。
3.オナニーはエロ絵を描くための道具
書き溜めたメモ帳を見て、シコ条件はある程度自覚できた。
しかし、自分の絵に落とすとなると勝手が違う。
そもそも、その程度ですんなり描けるなら苦労はしない。
26年シコれなかったのは伊達じゃない。
悩んだ末に、ひとまず自分がオカズにしたエロ漫画の”表現”を真似ることにした。
まず最初に正常位でパンパンされている幼女を描き、効果線・効果音・パンパンされている時の腰の打ち付け方の表現などを真似る。
少しエッチに見えてきた気がするけど何かが物足りない。うーむ・・・。
よし、シコろう。
僕は参考にしているオカズを使ってシコった。
そして、そろそろフィニッシュを決めようとした時に、何となく自分の絵に視線を向けてみた。
台詞がねえし、効果音も激しく打ち付けてる感じにしろよ!!!
顔ももっと余裕が無い感じにしてだなぁ!!!・・・・あっ。
僕は震える愚息を他所に、さっそく自分の絵に台詞を描き加え、効果音を変え、表情を描き変えた。我慢汁で座布団が少し濡れたが気にしない。
おお・・・ちょっとシコれる気がする・・・!!
再び、オカズに目を移しシコる。いきそうになったら自分の絵に目を向ける。
肉付き!!!!肉付きをもっとエッチな感じに!!!
あ、服だ!!脱げかけた服エロくね!?
湯水の如く改善案が現われ、その度に僕の座布団は濡れた。
5回目辺りで流石にティッシュを添えた。
そうして繰り返す内、とうとう僕は晴れて自分の絵でフィニッシュを決めた。
シコりながら描く・・・。これは、大発見なのでは・・・?
もしかして自給自足も夢じゃない・・・?
ぐったりとしながら、僕は未来の可能性へと思いを馳せていた。
4.何度も使ったオカズでシコ条件をパターン化させる。
シコりながら描くという神業を編み出した僕は、
描いてはシコり、描いてはシコりを繰り返した。
しかし、これでは非効率であるとも気付いた。
何より愚息が持たない。なんか皮が悲鳴を上げている。痛い。
そこで、何度もオカズにしているエロ漫画をいくつか用意し、フィニッシュを決める時のシチュエーションや表情、場面転換などを分析しパターン化させることにした。
例えば、画面に入れるコマは最大4つまでにしてそのうち一つは局部や顔のどアップにするが、他のコマは必ず女の子の全身を入れるといった具合だ。
なるほど・・・女の子に中出ししてる時のコマは大きくして、孕めっ!という台詞を入れるとめちゃくちゃチンコにくるな・・・。
横に断面図で子宮にばしゃばしゃ精子かかってるとくっそエロくね・・・あっ!
僕は断面図を添えた。えっろ・・・。いいよね断面図・・・。
中出しには断面図。ちぃ覚えた。
何度も分析する内、各コマのカメラアングルにもシコれる条件があることが分かってきた。
もちろん1ページで色んなアングルを描くのもいいけれども、中にはアングル固定でも良い物もある。
バックで責められているシーンを例に挙げてみよう。
横長のコマが縦に並んだ全3コマ構成。
アングルは女の子の全身と男の下半身が見える真横。
1コマ目は、男側が腰を引いた状態でぱんぱんっと乾いた音の効果音と効果線で責める図。
2コマ目は、女の子のお尻がぐにっと潰れるくらい腰を落とし込み、激しい ばちゅっばちゅっ という効果音と、男のお尻側には激しく腰を降っている表現として残像をアウトラインで描き、効果線を描く。
最後の3コマ目は、男が体をのけぞり力一杯中出ししている絵にする。もちろん、背後に精子を子宮にぶちこまれている断面図があれば完璧だ。
女の子側は、枕に顔をうずめるか口を手で覆うかはその時の気分だけれども、中出しの快楽で全身に力が入っているような図になればいうことは無い。足の指はぎゅっと曲がっている方がいい。
このように、どんな絵であろうとも必ずシコれるアングルとパターンがあると知る。
例に挙げたのは中出しまでを1ページにおさめたシーンだけれども、1ページまるまる責めるシーンに特化させ、最後のコマで「イグっ♥イグっ♥♥」と女の子が喘いでるところを描き、次のページで大きく中出しシーンと断面図を載せても、それはそれでシコれるのだ。
中出しだけでも、ページを跨ぐか跨がないかでシコ条件が変わってくる。
僕の場合だと、バッグで責められてるシーンであれば中出しはページを跨がない方がシコれる。
この他にも、僕の場合、竿役は目が隠れている方がシコれるようだった。
シコれない漫画というのは大体男に目がついている。
目が描かれていない事で無意識に男側に自己投影することが出来、まるで女の子と自身がエッチしている感覚に陥るようだ。
こういったことも、パターン化を進めていく内に分かってきた。
こうやって、何度も使ったオカズを分析し少しずつパターン化を進めていけば、おのずと正解が分かってくる。
はっきり言おう。オカズは奥底に眠る自身の性癖の宝庫であると。
5.絵柄が抜けないなら、抜ける絵に寄せれば良い。
パターン化も行い、自身の絵に対してある程度シコ度を上げることが出来た。
そこで何度かシコってはみてるものの、どうもブーストがかかるのが遅い。
絵以外の部分が重要とは言ったものの、やはり絵自体もある程度の基準はあるらしい。
抜ける絵柄、抜けない絵柄というのも存在するのだから当然といえば当然である。
だったら、シコれる絵に寄せればよくね?
答えはシンプルだった。
散々オカズにしたエロ漫画を横に置き、どういった絵がシコれるのか研究した結果、
重要なのは、口の形、涎、舌、目だと気付く。
改革の時がきた。
自分のオカズが無限に増やせると思えば、絵柄を変えることなど何の抵抗も無い。
目や口の表現を増やしていく。
舌を出しながら涎が伸びてるのえっろ・・・。
アヘ顔の時は、大きく口を開けているよりも、栗のような口で舌が口の端から零れ落ちるような感じの方がちんこに来る・・・。
そうか、女の子イキそうな時は目の端に涙をためてると感情が高ぶりすぎている感じが出てくっそエロいじゃん!!!
そうして出来上がった漫画は、ラフとはいえ、一気に5回ほど使えるくらいの代物になった。
今ならはっきり言える。僕は天才だった・・・。
6.自分の絵でシコれないのは当たり前。
ここまでの流れを見てもらえれば、自分の絵でシコれないのは、要は自身の性癖を表現しきれていないからだという事が分かる。
所詮は頭で考えたエロの真似事をしているに過ぎない。
シコる時の事を思い返して欲しい。
頭でいちいちこれエロいかな・・・?なんて考えることはない。
目に入ってきた情報が直接ちんこにつながっていく。
この世の全てを凌駕するスピードでちんこが判断しているのだ。
ちんこ is GOD。
だからこそ、人はシコる時、非常に条件が厳しくなる。
最低限突破しなければならない壁があまりにも分厚い。
それは他人が描いたものでも変わらない。過程が素晴らしくてもフィニッシュがいまいちだと一気に抜けなくなったりする事もよくある話だ。
誰かが描いたものでもオカズにならなかった作品が沢山あると思うけれども、その中に自分の描いたものが入ってしまっているだけなのだ。
では、どうすればいいのか。
性癖を自覚するしかない。金髪幼女が好き、ツインテールが好き、そんな浅いレベルではダメだ。もっと深く深く掘り下げる必要がある。
触手責めでも、ただ責められあんあん喘いでるだけではダメ。
四肢を縛られ身動き一つとれず、まんこをむき出すような格好で触手に責められる状況じゃないと抜けない人もいるだろう。
最初は強気でも少しずつ快楽に堕とされていく。そういった過程が必須な人もいる。
ぴっちりしたタイツに穴が開く、その開き方の表現一つをとっても大きな壁になるのだ。
そうして深く深く自分の性癖を追求し、自身の絵に反映していけば自ずと自給自足への道は開いていく。
全ては己の下半身・・・専ら下の脳と呼ばれるおちんちん様が鍵を握っている。
愚息、愚息と書き連ねてきたけれども、このちんこがなければ話にならない。
ジャッジは全てちんこが判断する。愚かなのは上の脳である僕だ。
上の脳と下の脳は全く別物で、頭(上の脳)で考えるエロなんてものはたかが知れている。
そこから出た絵が、ちんこに響くはずもない。
エロに関して言えば、下の脳の方が確実に純粋であり真摯であり厳しくもあり、そして必ず正しい。
己のちんこに耳を傾けることが、肝要であるといえる。
何がエロいかも分からず悩んで苦しんで描いた物が抜けるわけもない。試行錯誤がフラッシュバックするのも当たり前だ。しかし、ちんこの声に従って描いている時は常に勃起と我慢汁が止まらない。ラフでも抜ける。それは確信を持ってエロいと思える未来が見えているからだ。少し手を動かすだけで自分のオカズが0から1に変わるのだから楽しさと嬉しさしかない。描いている過程が既にエロなのだからフラッシュバックなんてものは一切無くなる。ただ一つ、早くこの絵でシコりたいという欲求だけが体中を駆け巡る楽しい時間が訪れるだけである。この感覚・・・イエスだね。
描けば描くほど、自分の新しいオカズが出来上がる喜びを是非とも体感して欲しい。
ここまでずらっと書いてきたけれども、これは創作をする上でも重要な要素である、という事も付け加えておく。
自身が好きなものを知る、ということは、夢中になれる物が出来る、ということ。
「好きこそ物の上手なれ」という言葉がある通り、人は好きなことには一生懸命になれる。夢中になって楽しめる。
創作が嫌になった人のほとんどは、自分の好きが分からなくなった人たちだ。
そういう時は、一度、自身を深く見つめなおし、好きを掘り起こしてあげればいいと思う。
自給自足への道はまだ始まったばかり。また新しい発見をした時に続きを書き記そうと思う。