天使の唄 (Pixiv Fanbox)
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月明かりがステンドグラスを貫く。壁の分厚い教会は外の喧噪から隔絶されていた。
薄明かりのなかで男は喘いでいた。土手っ腹に開いた穴からは血がにじみ出てシャツに広がる。銃弾は貫通しないで、彼の体内で派手に暴れ回った。
ちょっとした出来心だった。麻薬取引の金を誤魔化して、少しずつ溜め込んでいった。最初は小遣い程度だったのに、気がつけば鑑査の会計士がそれに気がつく程の大きさになった。
ギャングの駒がするにはあまりに大きい横領だ。もちろん、露呈してしまっては自力で償えるものではなく、見せしめを兼ねて惨殺を待つばかりになる。
拷問だって間違いなくされる。このまま、静かな教会で死んだ方がマシだ。
だけど、一つだけ、まだ彼をここに留まらせている事柄があった。組織の仕事はいつも二人一組だった。その相棒は、しっかり逃げ果せたかだけが彼の頭を支配していた。
相棒に罪はない。一人で黙ってやっていた横領だ。ただ、この世界には連帯責任というものがある。
教会のドアが叩かれ、彼は重く鈍くなった手足を引きずって、這うように小部屋に入る。そこはいわゆる告解室だ。罪を打ち明け、神に許しを請う場所だ。
身を隠せたが、血の跡は残っている。重たいドアが、蹴破られるかして開く音がした。
彼は息を飲んだ。そんなタイミングで、反対側の小部屋に誰かが入ってきた。ドアの向きは二室で互い違いだから、教会の人間だ。
「……どうされましたか?」
心配げな女性の声が聞こえてくる。彼は黙っていた。ここで声を出したら、間違いなくギャングの連中に見つかる。
「ここでのことは他言無用です。さあ、素直に罪を打ち明けてください」
「罪を、犯した」
黙っていなければならない、気付かれてはならない。なのに、ポツリポツリと、彼の口から言葉が紡がれる。
命令を受ければなんだってやってきた。窃盗、強盗、違法な取引、誘拐、そして殺人まで。地上に存在するほとんどの罪を彼は背負っている。
彼女はそれを黙って聞いていた。彼の本音をただひたすら受け止める。
「なあ、シスターさん」
「何でしょう」
「こんな、酷いことを沢山してきた俺でも赦してもらえるものかね」
「悔い改める気持ちがあるならば。誰にも救いは訪れます」
小部屋が叩かれる。数センチの木の板だけが、彼の
「なら――俺のことはいい。だから、アイツだけは」
「分かりました」
ドアが開いた。懐中電灯の光が彼の目を貫く。
「ここにいないぞ!」
「もっと良く探せ! あの出血量だ。長くないぞ!」
確かに追跡者と目が合ったはずだった。それなのに、まるで彼は存在しないかのように見逃された。
やがて彼らは教会を立ち去った。何が起こったのか分からずにいると、ランタンを持った女性が彼を迎えに来た。黒いベールで顔が隠されているが、口元の優しそうな笑みだけは覗いていた。
「……お迎えか」
「はい、その通りです」
彼は彼女の手を取った。途端に体から力が抜けて、足元が溶けて飲み込まれていくような感覚が彼を包む。
「そのまま、身を委ねてください」
囁き声が反響する。
「もう大丈夫ですよ」
そして彼は意識を手放した。それはぬるま湯の中にいるような心地よさだった。
――――――――
暖かい日差しで目を覚ました。眠い目を擦って起きると、二段ベッドが目に入る。どこかの寮らしかった。
「あれ……俺……うわっ!?」
自分の声に驚いた。ソプラノの、鈴を転がすような声だった。自分の喉を触ろうとして、手が届かないことに気がついた。
薄手のネグリジェだから胸の大きさが露骨に分かってしまう。少女体型の華奢な体に、バスケットボールを二つつけたような巨大さだった。
「あら、目を覚ましましたか」
その声はすぐに分かった。部屋に入ってきた彼女は声に似つかわしい、北欧の女神のような風貌をしていた。ゆるいウェーブのかかった金髪は光を受けると、鱗粉が舞っているような神々しさがある。
「俺、オレ、どうなって」
彼女は手鏡を渡した。そこに映る顔はくたびれた中年男性ではなく、彼女の妹のような、透き通った目をした少女のものだった。髪も彼女と同じように、いつまでも指で梳いていたい触り心地だった。
「名前、どうしましょうか」
「オレは……アレ、あ……」
男としての名前があるはずだった。だけどそれがなんなのかは思い出せない。所在が分かっているのに、鍵が無くて開かない金庫のようだった。
「よく考えてください」
「オレは……イリアだった気がする」
ふと脳裏に浮かんできた名前だった。元の名前にも近いと少女は思った。
「ではイリアちゃん。これからよろしくお願いします。私はエリザベス、エリーと呼んでください。ここの長をしています」
「ここって」
「まあ、修道院ですね。ちょっと孤児院みたいなところもありますけども」
「オレは、えっと」
「あんまりオレって言っちゃだめですよ」
彼女の言うとおり、乱暴な口調は姿形に似合わない。だからといって、可愛らしい話し方をする気にもイリアはならなかった。
「わ、私は」
「いいですね。案ずるより産むが易し、百聞は一見に如かずなどといいますし、ついてきてください。ちょうど練習時間ですし」
「練習? なんの……」
「心配しないでください。そのままで大丈夫です」
寝間着のままイリアとエリザベスは建物を抜けて、教会に出る。血で酷く汚した記憶があるのに、その跡形もなく片付けられている。立ち込めていただろう生臭さもない。
聖歌隊の練習中だった。蝋燭の灯りに照らされて、白い衣装に身を包んだ少女が並んで声を上げる。澄んだ声は天に昇るようで、高い天井に反響して増幅されてイリアの耳に届く。
聞いたことのないゴスペルだ。なのにイリアの頭には次の歌詞が思い浮かんだ。
気がつけばそれを口ずさんでいた。みんなと合わせるように、支えるように。
「う……な、なにか……」
曲が終わりに近付くと胸の奥に温かさが広がる。その熱は収ることなく拡大を続ける。双丘の先端はまるで火に炙られているようで、イリアは手を伸ばした。
その様子は自ら乳首をまさぐろうとしているようだった。熱に浮かされて、自分を客観視できずにイリアは胸をこねくり回す。
そして破裂するように、ネグリジェの膨らみにシミが広がる。胸の先から滴り始めたそれは白濁して、甘い芳香を放つ。
「ふふ、早速乳香を出して頂けるとは」
エリザベスはふらつくイリアを長椅子に座らせた。
歌い終えた聖歌隊の処女達がエリザベスの周りに集まる。
「この子はイリアちゃん。今日から新しく聖歌隊に加わります。みんな優しく色々と教えてあげてね」
「はーい!」
「イリアちゃん、お胸おっきいねー」
「お洋服汚れてるよー」
熱が冷めたイリアは状況を想起して赤面した。出てきた液体は間違いなく母乳だ。しかもそれを出して男が射精をするような、だけど長く続いて後腐れのない快感を味わった。それが公共空間とあれば、目のやり場に困ってしまう。
どの方向を見ても、似たような容姿の少女がいる。どことなく不気味だが、誰も彼も別人だと判別できた。そのなかに姉妹も混ざっているが、イリアには区別できた。
そのうち最も胸が大きいのがイリアだった。体表面積比で言えばエリザベスより大きい可能性もある。それが余計に彼女を辱めた。
――――――――
修道院の生活は規則正しく厳格だった。毎日毎日の日課はスケジュールで決まって動いている。初めてのイリアは当然、その流れに加わってかき乱してしまう。
だけどエリザベスをはじめとして、誰ひとり彼女を怒ったりしない。しっかりしようとしている限りでは、叱りはするものの乱暴な感情がぶつけられることはない。
だからイリアもふて腐れることなく輪に加わろうとすることができた。かつての落ち度はないはずなのに、負い目を負っていた頃と比べれば天地の差だった。
そんなある日のことだった。真夜中の月明かりのなかでイリアは同室の娘たちに起こされた。
「どうしたの?」
「一緒に来て……静かにね」
「でも」
消灯時間はとっくに過ぎて、こんな時間に出歩いているところをエリザベスに見つかれば咎められてしまう。実際、イリアは夜中に出歩いたことで前科一犯だった。
その時は明かりの乏しい館のなかで迷ってしまい、元の年柄にもなく泣きべそをかいていたところをエリザベスに優しく助けてもらった。それ以来、夜という時間は怖いものになった。
「大丈夫だよ。みんな一緒だから」
4人部屋の3人が出ていくらしい。変な時間に起こされて、暗い部屋で一人だけというのも怖かった。だから渋々という様子でみんなについて行く。
行き先はいつものホールだった。電気的な明かりはないはずなのに、煌々と光が灯っていた。
高い天井で、人が背中から翼を生やして飛んでいる。彼女たちのその様子はまさしく天使そのものだった。
「あー、もう始まっちゃった」
「お先にー」
肌着をはだけさせて、ルームメイトが飛び立つ。彼女の背中にも翼が生えていた。
「あ、ずるーい」
また一人飛ぶ。自由気ままに飛び回る様子は小鳥がじゃれ合っているようで楽しげだった。
「私たちもいこ?」
「や、でも、私、翼なんて」
「大丈夫、私たち、みんな同じ天使なんだから」
ベッドの下段を使っている娘に手を掴まれたまま上に引かれる。宙ぶらりんになった足をばたつかせても空を切るばかりで頼りない。
「お願い! ぜったい手を離さないでね! 翼なんてないんだから!」
「んーでも、ちゃんとあるよ?」
指摘されると神経が繋がったように、新たな可動域が生まれる。指先の繊細さとまではいかないが、羽ばたく動作なら問題なくできた。
「ゆっくり離すね」
もうすっかり床は遠い彼方だ。片手ずつ、離れていく。
体の割には慎ましい翼だ。だからなのか不釣り合いに大きい胸に引っ張られるように前傾姿勢になる。
墜落するかと思って翼に力を込めると今度は宙返りをしてしまった。そんな様子を心配してか見かねてか、イリアは彼女たちに両腕両脚を支えられて、そっと地上に降り立った。
「やっぱりまだ重たいかー」
胸のことを言われていると思うと、彼女は身を屈める。しかし不意に、一人が胸の脇に指を滑らせた。こそばゆさにイリアは素っ頓狂な声を出す。
「天使の胸がどうして慎ましいのか知ってる?」
「し、しらなっ、やあっ」
くすぐりはエスカレートして、やはりこれも、他の娘達と比べて大ぶりな乳首に触れる。
「平らな胸は無垢さの象徴なんだってー」
「だから胸に溜まっているのはただの母乳じゃなくて、今までの罪なの」
唄の練習をしている時みたいに熱くなる。そしてやっぱり、シミがが服に広がってやがて抑えきれずに滴る。その雫を一人が口に含んだ。
「んひゃあ! ひゃめ、こんにゃのらめぇ」
代わりばんこに、少女達が母乳を口に含む。ひとしきり回った後で、やっとイリアは解放された。心なしか、僅かにイリアの乳房は収まりが良くなったようだった。寝間着の圧迫感が幾分か緩んでいる。
母乳の吐出が終わると急激に熱を失って、今度は冷たさがイリアの乱れを思い知らせる。
「いっぱい悪いことしたんだー」
「ねー。でも大丈夫。みんなで分け合って、一緒に償おうね」
口々にイリアのことを言う。それは慰めているような、からかっているようななんとも言えないものだった。
全員に乳を飲んでもらって、小さくなったサイズを考えると、これからどれだけ乳を弄られなくてはならないのかイリアは心配になった。
――――――――
教会に唄が響く。その声は天使のもののように澄んで、どこまでも高く上っていく。
壇上にイリアがいた。目立っていた胸は度重なる搾乳ですっかり萎んで、他の聖歌隊メンバーと遜色ない大きさだ。
歌い終えると、聴衆の信者の拍手を背に退却する。その拍手がいつの間にかイリアにも喜ばしく感じられた。
彼女たちはもう普通の人間とは関わらない。だけど男が割って入るように近づいてきた。イリアは最初だけ無視しようとした。
「……イライアス?」
背後から名前を呼ばれた。男の名前だ。なのにイリアは振り向いた。スーツを着た男と目が合った。
「え?」
その途端に、鍵と鍵穴がハマったように記憶が噴出する。イリアという名前ではなく、かつてはイライアスと名乗っていた。
「ごめん。いや、なんか……君のことを見たらなんとなく……失礼だね」
彼は笑って誤魔化した。そこにどこからともなくエリザベスが現れる。
「イリアちゃんの元・相棒、凄い人ですね。はじめまして、エリザベスです。ここの長をしています」
「あ、ええ、はじめまして。ラッセルです。あの――」
困惑気味に彼は挨拶を返した。
「エリー、さん」
ぎこちなく彼はエリザベスを呼んだ。元の記憶と、今の記憶がイリアを混乱させた。
「すごいって、なにが」
「たまに居るんです。魂の形を捉えるというか……肉体が変わってもその人を捉えるというか」
「じゃあ――!」
ラッセルの言葉を遮ってイリアが彼に抱きついた。
「良かった……無事で……!」
「お前こそ! なんでそんなことになってるか分からんが」
「それは、色々、あって、うええ」
感情の堰が切れて、イリアは声を上げて泣いた。年相応の仕草にラッセルは気まずさを覚えた。だけど、自然と背中に手を回して彼女を慰める。
ひとしきり感情を垂れ流した後で、男としての恥が襲ってくる。ましてかつての姿を知る相棒に泣きついてしまった。
「……あんまり何故かを聞いても仕方なかったりしますか」
ラッセルはエリザベスに尋ねた。
「そうですね」
変わらない笑顔で彼女は答える。ラッセルは溜息と共にこの状況を受け入れることにした。
「つもる話もあるでしょうし、しばらくお二人でどうぞ」
エリザベスに送り出されて二人は中庭を散策した。ラッセルは居心地の良さと悪さを同時に感じていた。
「な、なあ、あの後、どうした」
しばらく気まずさで黙ったままで、ベンチに腰掛けてやっとイリアは切り出した。可愛らしい声で、男だった頃の威勢の良い話し方をしようとして不格好になってしまった。
「ん? 色々とあったが組織自体が吹っ飛んだよ。お前の横領が薬物取引の証拠になったからな。僕が本当の帳簿を警察にリークした」
「それじゃあ、もう――」
「足を洗って真っ当に生きようとしてる。お前のおかげだよ」
「なら、良かった」
「良くはないだろ。可愛らしくなりやがって」
「かわっ――! カワイイ!? ナニ言ってんだおまっ、お前!」
ラッセルの顔にやっと笑みが浮かんだ。
「ともかく無事ならよかったよ。みんなと仲良くな」
彼は立ち上がって背を伸ばした。イリアは彼を引き留めるように、飛びかかった。いつもの空を飛ぼうとする癖のせいで翼が彼の目の前に広がる。
「……本当に、天使みたいだ」
「だって、そうなんだ」
宙に舞ったイリアはラッセルの唇を奪った。
「いいのかい?」
「いいんだ」
その途端に、イリアの胸が膨らみ始める。聖歌隊の衣装は最初からそれを想定しているみたいに、裂けたり不格好に伸びることもなく乳房に布地が押し拡げられる。
丁度、ここに来たときと同じ胸の大きさに戻った。
「オレにできるのは、もうこのくらいだから」
「そうか……じゃあ、もう行かないと。さよなら」
別れを告げて、ラッセルは中庭を出ようとした。
「……うん、またね」
聞こえるか聞こえないかの声でイリアは見送った。