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10月。2年B組の教室。野球部のキャプテンである藤田は、田中に声をかけて教室を出ていく。 廊下を歩くふたり。藤田の手には弁当の入ったランチバック。田中の手にはアンパンとサラダチキンと牛乳のパック。 はたから見れば、野球部のふたりがどこかで昼を食べに行くんだろうと、そういうふうに見えていることだろう。 しかしふたりは、すっかりと蟲の苗床になってしまい、その蟲の意のままに動かされているのだ。 田中と飯田への寄生からはじまり、藤原、辻、藤田と…野球部への寄生侵食は進んでいった。 このまま順調に進んでいくかと思われた寄生は、蟲の繁殖の遅さが原因で足踏み状態が続いていた。 無理に繁殖を急ぎ質の悪い蟲で寄生を行おうとすると、正確に寄生が行われず苗床化すらされないことがわかった。 そのため、しっかりと成長させて、一匹の使用だけで寄生を行った際も、きちんと苗床が作れる蟲の繁殖が求められたのだ。 その状況下での嫌な焦りがこのふたりの会話からも見て取れる。 「藤田。辻から、残った1年と2年の乗っ取りどうすんですかってライン来てたぜ」 「ん。ああ、そうな。…蟲しだいだと思うが。1年全員に使えるくらい残ってたか?」 「どうだろ。意外と繁殖遅えからなあ。俺の身体の中でもやってっけど…ちょい時間かかるわ」 「はぁ…。まあ、そうなるだろうなとは思っていたよ。とりあえず、やれるタイミングになったら連絡するって言っとけ」 「あいあい」 つぎにふたりの姿は屋上に続く薄暗い階段の途中にあった。おもそうな鉄の扉には『生徒立入禁止』と書かれた張り紙があったが、無視して屋上に出る。少し肌寒い秋の風に肩をすくめながら適当に地べたに座り、錆びついた柵に体を預ける。 藤田はランチバックから弁当箱を取り出す。田中はアンパンの袋を開けてすぐにかぶりつく。 しばらくお互い何も会話はせず、食事に集中する。余談だが、彼らの食事は体内にいる蟲たちの大切な養分となる。 サラダチキンまであっさりと食べ終わった田中は牛乳を一気に飲み干した。ぷはーと一息ついて、田中は口を開く。 「ひとつ提案なんだけどよ。他の部のやつらも使うってのはどうよ?」 「待て。なんの提案なのか言え。全く話がわからん」藤田はおかずを口に運びながら答える。 「俺たちが体内で育てている蟲の話だよ。わかんだろそれくらい」 「お前の会話の始まりはいつもいきなり過ぎるんだ。…で、蟲を育てるのに他の部の部員を使うってことか?」 「そ。今現在、身体が未成熟な1,2年ってさ、正直苗床にするにはあんま向いてねえじゃん。蟲育つのが遅えし。そんで時間かけてできた蟲も質が悪いってなったらさ無駄じゃん。マジで時間の無駄」 「まあ…、そうか」 「そうかじゃねえよ。そうなんだよ。だからさ、他の部活の苗床に向いてる部員使ってさ、やりゃあ良くね?柔道部の江原とかぜってーいい苗床になれるよ。身体でけえし力もあるし。ふだんやべえくらいでけえ弁当食ってるし」 「…」藤田は否定するわけでなく肯定するわけでもなく咀嚼をつづける。 返事をしない藤田に対し田中は舌打ちをする。 「おまえさ、あんま自分の立場勘違いすんなよ?俺がお前を"仲間"にしてやったんだぜ?」 「ああ、そうだな。礼を言い忘れていたか?ありがとうな」 「そういうことじゃなくてよ。あー相変わらず根が真面目なやつは扱いづらくて困るんだよなあ」 田中がめんどくさそうにガシガシと頭をかいて、また柵に身体をあずける。そしてポケットから小瓶を取り出した。 「食う?最近食ってねえだろ?」その小瓶の中には、立派に成長した蟲が二匹入っている。 「勝手に持ち出すなよ。ついさっきただでさえ数が足りないって話をしたばかりじゃないか」藤田は弁当箱をランチバックに片付けている。 「怒んなって。ほら手出せ」 「はあ…まったく」 お互いの手に蟲が載っている。それを薬を飲むような要領で口に運んだ。 「っはあ~~…うんめえなあ…」大好物を食べるように噛みしめる田中。 「…」一方藤田は目を閉じたまま、丁寧に咀嚼をしている。 食べ方は違えど、ふたりは同じタイミングで飲み込む。そのあと蟲は大切な栄養として体内に取り込まれる。 直後、ふたりは気を失ったようにかくんと頭を垂らす。誰もいない屋上に静かな時間が流れる。 そして数分後、目を開けたふたりは何も言わず抱きついて口づけを始めた。濃密に舌を絡め息継ぎもせずひたすらに口づけを行う。 ふたりの中にできた苗床は、部員の誰よりも最高の出来であった。 蟲がはじめに選んだ田中の苗床としての能力はもちろん素晴らしいものであったし、さらに野球部のキャプテンである藤田は、田中をさらにしのぐ苗床としての能力を持っていた。 はじめは蟲の能力と苗床である田中や藤田の自我がマッチしていた。だが…その中で育つ蟲は当然強くなり、徐々に苗床の主人以上に自我を持ち始めた。 そして徐々に身体を乗っ取られていき、田中や藤田たちは本人ですら気づかないうちに気を失わされ、身体を操られ始めていた。 そう…まさに今こうして抱きついてキスをしている行為は、蟲がふたりの体を乗っ取り、自由に動かしているのである。 * 練習後の部室。手際よく着替えて帰っていく者、部員同士で駄弁りながら着替えを進める者、入念に道具の手入れをする者…それぞれがそれぞれのことをしながら部室は穏やかにざわついている。 そんな部室の奥の方で、田中と藤田は他の部員と同じように何かをするフリをしながら、このあとのことについて話していた。 「今のところ何人やってんだっけ?」今の状況を藤田に聞く田中。 「辻から聞いた話だと、やっと1/3くらいだったかな。意外と手こずってしまっているらしい」藤田はスパイクを磨きながら答える。 「やっぱり進捗わりいなあ。まあしゃあねえけどさ…。…とりまそういう状況なら…いいよな?他の部の部員使うってことで」 「…ああ、任せるよ。でもどうやってやるつもりだよ」 田中は視線を上にやり、考えるような素振りを見せる。その様子を見た藤田の眉間にシワが寄る。 「まさか提案しておいて何も考えてなかったわけじゃないよな」 「あ?んなわけねーだろ。とりあえず…柔道部の梶山かなって考えてる」 田中が出した名前は、柔道部の主将である梶山蓮(かじやまれん)だ。 まさに文武両道を具現化したような男で、その厳しさは顧問ですら怖気付いてしまうほどだと言われている。 その厳しさがあって柔道部は、前年度の全国大会で団体個人全てで優勝するという、黄金期を迎えているらしい。 「田中…本気で言ってんのか?それは絶対に無理だ」 「なんでだよ。考えてみろ。活きの良い蟲をひょいっとあいつの体内にいれるだけだぜ?」 「そんな簡単にできるわけないだろ。柔道部の練習見たことあるか?梶山は顧問以上の権力を持っているんだぞ。梶山が素行の悪い部員で、そのせいで柔道部の秩序が乱れているから、実質梶山が権力を握って…とかじゃない。練習に対するあいつのあまりにも厳しすぎる態度と、今までひとつ勝つことですら難しかった柔道部を全国大会の常連へと押し上げんばかりの実力があるからなんだ」 聞いただけでうんざりしてしまう梶山の情報に、田中はうんざりした表情をする。 「それとお前自身も原因になると思っている」そう言って藤田は田中を指差す。 「は!?俺?」田中も驚いた表情で自分を指差す。 「梶山の服装を見たことがあるだろ?襟元まできちっとボタンを閉めていつもきちっと身なりを整えている。…そこにお前みたいなやつが来てみろ。きっと怒りが大爆発してやばいことになるんじゃないか?」 「はぁっ!?…別に俺の服装はおかしくねーだろ」などと言いながらも焦りながらだらしなく外していたワイシャツのボタンを閉めていた。 * それからふたりは柔道部の練習をのぞきに柔道場へと足を運んだ。 重たい鉄の扉の向こうから、梶山の怒号が聞こえる。 「だらけて練習するなら帰れ!!」「お前みたいな奴らが空気を悪くしているんだよ!」「一体これまで練習で何を学んできたんだ!帰れ!」「泣いて突っ立っていられると邪魔なんだよ!はやく荷物持って帰れ!!」 扉の前で藤田と田中は顔を見合わせる。「だろ?」と言った顔つきの藤田。だが対象的に田中は期待に満ち溢れた顔をしていた。 こいつを仲間にできた日には、きっといい駒になってくれるだろう。こいつを従えて自由にできるとなれば、それはどんなに素晴らしいことだろう。田中はそう考えていた。 表情でそんな意思疎通をしていると、いきなりバァンっ!扉が蹴り開けられた。そこには鬼用な形相で部活カバンを手にしてい梶山の姿があった。 まず廊下に部員の部活カバンと学校指定のカバンが放り投げられた。そして梶山の怒号が響く。 「いつまでメソメソしてるんだ!邪魔だと言ったろ!早く出ていけ!帰れ!!お前みたいなやつは辞めてしまえ!」 扉越しではなくダイレクトに響く怒号。最後に道着の襟元を掴まれた部員が、グワンと放られる。それは人を人として扱っていないような…そんな残酷な光景だった。 「ったく…」 手をパンパンとはたいてドアを閉めようとする梶山と藤田の目が合う。 「なにやってんだよ藤田。今部活中だぞ。邪魔しに来たなら帰れ」 同じクラスの真面目な藤田に対してもこの態度である。 「…あ、いや。ちょっとさ、B組の田中がお前と会いたいって」 気まずそうな表情で藤田が隣りにいた田中に親指で指差す。 「うっす」 田中は軽いノリで挨拶をする。頭から爪先までじっくりと観察した梶田はまた鬼のような形相になる。 「田中と言ったか?金輪際、柔道場に近づくな。お前のような汚らわしいやつがここにいるというだけで頭にくる。柔道家にとっては聖域とも言えるこの場所に、お前のようなやつは絶対に入れないからな。あと!俺にも近づくな!腐った根性が伝染ると困る!」 バタンッ!重たい鉄の扉は閉められ、また怒号が聞こえてきた。 「だから言ったろ?」 藤田はため息交じりに言う。しかし相変わらず田中は笑顔でニコニコしている。 「ははは。すっげーいい獲物じゃん。さいっこー」 獲物を狙うような目つきで舌なめずりをした。藤田はまたひとつため息を付く。 「さーて…どうやって俺達のものにしてやろうかなあー」 きっと田中は、あっさりと梶山を仲間にできると思っている。ああいう堅物は意外とあっさりコケちまって自分のものになるんだと。 しかし藤田はそうは思っていなかった。田中はきっと梶山を手に入れるまで苦労をする。しかもその苦労の先に梶山を手に入れられるという保証すらないのではないだろうかという危惧も感じていた。 * 次の日。田中は梶山との距離を詰めるべく接近を試みる。 「よう、梶山。昨日はずいぶんと怖かったな。さすが主将って感じがしたぜ」 いつものように襟元のボタンを開けて着崩したワイシャツ。腰パン気味の制服のズボン。そしてポケットに手を突っ込んだままニヤけながら田中は梶山に話しかける。 しかしタイミングが悪すぎる。今は、下級生の部員が梶山の教室まで今日の練習内容を聞きに来ている最中だった。部活のことになると普段以上に熱が入る梶山だ。今日の練習内容を伝えるこのときでさえ、邪魔が入るのは許せない。 さらに、昨日あれほど嫌って絶対に近づいてくるなと言ったヤツが、だらしない格好で来たのだ。梶山の眉間に深くシワが入る。 「とりあえずさっき伝えた内容で今日の練習を行う。おまえから1年には伝えておけ」 「は…はい!失礼します!」 ただならぬ殺気を感じた1年は駆け足で自分の教室に戻っていった。 「へーえ、ちゃんと練習内容とか伝えてんだなあ。偉いなあ」 「俺に近づくなと言ったよな。俺はお前と金輪際話すつもりなどない」 「おい、ちょっとくらいは…」 梶山を呼び止めようとしたその手は虚しく虚空を掴んだ。 それから何度も何度も接触を試みるが、梶山の態度は一切変わらない。 田中としては、相手をキレさせたりして自分の波長に合わせられさえすれば、うまくいくと思っていた。 ただ、梶山の信念は強く太く全く動かないのだ。 そうやって梶山を仲間にできないまま無駄に時間は過ぎていった。 数カ月後。雨で練習が休みになった日、田中と藤田は部室にいた。 田中は明らか不機嫌である。口にストローを咥えて椅子の背もたれに全体重を預け、近くにある別の椅子に土足のまま足を載せている。 咥えているストローが刺さっていたであろうパックのジュース殻は、踏み潰され床に転がっている。 「あー…クソすぎ。マジで。梶山とかぶっ殺してやりてえ」 口を開けば殺意をたっぷりと染み込ませた言葉が吐き続けられる。 「だからああいう真面目な野郎は嫌いだっ…つってんだよ!」 最後の言葉に怒りを込めて椅子は蹴り飛ばされる。 藤田は田中に背を向けながら窓の外を眺めている。ただしっかりと田中の荒れ具合はしっかりと聞いていた。 梶山から攻めるということに難色を示していた藤田は、なんとかして今の状況を止めてやらなければと感じている。 しかし、暴走気味に梶山の乗っ取りを実行しようとする田中になにか言えば、自分も何をされるかわからないという危機感を感じた藤田は、この状況を止められずにいた。 しばらく静かな時間が流れる。どちらが先に動くかでこの先の運命が決まるような…そんな雰囲気だった。 そして先に口を開いたのは、田中の方だった。 「藤田よお」 その言葉には明らかに怒気が込められている。 「…ん。どうした」 藤田は何も気づいてはいないというふうに返事をする。 田中は立ち上がり藤田のもとに歩み寄り、顔を睨みつける。 「お前さあ、なんで俺に協力しねえの?」 「…」 「黙ってたらわかんねえって」固く握った拳が藤田のみぞおち辺りに押し当てられる。 「…やめ…ろよ」 「じゃあ答えろよ。口あんだろ?口の使い方忘れたか?」 「…わかった。言う、言うよ」 田中は舌打ちをする。 「正直言って…梶山は無理だと思う」 「…」 「……お前ももうわかってるだろ?あれだけお前が接触を試みても一切乗ってこなかっただろ。そういうやつなんだよ。だからさ…他のやつからでも…」 藤田は言葉を止める。田中の目はさっきに満ちている。多分これ以上何を言ってもこいつには通じないと察したのだろう。 「…うっぜ」 短くも殺意が込められた言葉を吐いて、田中は藤田を乱暴に押した。藤田はそれを甘んじて受け、少しよろめく。 田中はそのままロッカーの方へと歩き出す。 「…何するつもりだよ」 藤田の問いかけを無視してロッカーを開ける。そして蟲を保管している箱を取り出した。 藤田がその行動の意味を理解したときにはすでに遅かった。 「てめえじゃ何も力にならねえから俺がこいつらを全部食らって、俺一人で全部やるんだよ!」 田中は蟲がぎっちりと詰まった瓶を開け、一気に口に流し込み、そして飲み込んだ。 飲み込んだものは食道を通り様々な臓器を通り、体内の苗床部へと到達する。 普段田中が接種する食事などから栄養を補給し、緩やかな速度で成長していた蟲たちだが、大量に与えられた栄養のせいで成長のスピードが尋常じゃないくらいに上がる。 大量に与えられたら与えられた分、遠慮なく成長をしていく。そのせいで田中の苗床は溢れかえり氾濫した河川のようになってしまった。 蟲を全部喰らい自分が力をつければそれで済む…その思いとは裏腹に、バランスが取れていた田中の自我と蟲の自我は、あっという間にバランスを崩してしまった。そして最悪なことにの自我が田中の自我を食い始めた。 「…っ…が…っ…あっ…!…あ…っ…!…っ…」 田中は体を震わせ苦しみ始める。床に膝をつき、苦しそうに口を開け天井を仰ぐ。目は白く剥き、唸りのような叫び声を上げつづけている。 藤田はすぐさま駆け寄り田中の身体を揺する。 「おい!田中!しっかりしろ!田中!」 「…ったす…たすけっ…俺…が…お…れ…………が………………………き……」 必死に助けを求める田中であったが時すでに遅し…もう田中の中にある自我はほとんど食われてしまっているようだ。 吐かせればまだ助けられるのではという僅かな希望を信じて、藤田は田中の口の中に指を突っ込もうと試みる。だが…その手を田中の手が掴む。 すでに蟲たちによって乗っ取られたであろう身体が藤田の行動を阻む。その力は尋常なものではなかった。 「…ぐ…っ!…ぁ…!!!」 あまりの痛さに藤田が悲鳴を上げる。何度も何度も田中の身体を乱暴に叩き、掴まれていた手が離され、藤田はなんとか離れることが出来た。 天井を仰いでいた顔がゆっくりと下がり、そのまま一度頭ががくんと垂れる。そしてまたゆっくりと顔が上がる。 「蟲様…どうぞ私の身体をご自由にお使いください…」 田中の声がそう言った。 それから数秒間が開いて、また田中の声で「…ようやくお前の身体を自由にできるときが来たか」と言った。端から見れば自問自答のようだが、それはしっかりと田中の身体が蟲の自我に乗っ取られたというやり取りだった。 その光景に声を出せないでいた藤田は、すぐさまこの場から逃げ出そうと震える足で立ち上がろうとした。しかし、力の入らない足は全く役に立たず、その場で転んでしまい物音を立ててしまった。 「…ん?」 田中がゆっくりと藤田の方を向く。そして不気味に微笑んだ。 「なんだもう一人の出来損ないの苗床がそこにいたか。…うん…なるほどな。…私が乗っ取った苗床と行動をともにしていた藤田というのか」 藤田は田中の行動に備えて構える。 「動くな!」 田中がそう叫ぶ。その声の圧に怖気付いたわけじゃない。それなのに藤田の身体はまるで石化してしまったかのように全く動けなくなった。 「残念だが、お前はもう私に従う意外選択肢はない」 田中はゆっくりと歩みを進め、動けないでいる藤田の眼の前に立つ。 「この身体のもとの持ち主…田中と言ったか?そいつが我々蟲たちにたくさんの養分を注いでくれたおかげで一気に成長ができた。そして…この身体を乗っ取れるほどの力も作ることが出来た」 顎に手をかけられ藤田の顔がゆっくりと上げられる。藤田は田中の顔を睨みつけた。 「…やはり出来損ないの苗床はだめだな。無駄な自我なぞ残したままにしやがって。残しておいたところで何一つ利点もないというのに…。お前の身体もさっさと我ら蟲に渡せ」 「…うるせえ!」 「…はあ…まったく。正直に言ってお前らの自我と共存しているのは苦痛だった。他の人間を乗っ取るという使命があるにも関わらず、ちんたらして一向に進まない。貴様もそれが使命とわかっているくせに、この男に何も言わず従いやがって」 「…っぐ……」 「あとこいつはな、お前が立場をわきまえない姿にもうんざりしていたようだぞ。自分より後に苗床になったにも関わらず、時々抗ってくるお前に。まあ…その点については私も賛成かな。…序列に従わない無能な輩は消してしまいたくなるくらいに腹が立つ」 そう言って田中は藤田の耳元に口を当てた。 「何をする…!」 「黙れ。お前はもう消えるんだ。…最後にお前の命乞いを聞いてやっても良いかと思ったが…出来損ないの苗床の命乞いなぞ聞いても無駄だ…。お前も我々蟲たちに従う忠実な苗床になれ」 田中の口から蟲が一匹放たれ、それが藤田の体内へと入っていく。その蟲はついさっき作り替えられた体内の苗床で作られた、今までの蟲よりも力を持ったものだった。 「誰がおまえ…なん……か……。っ…ぁ?…が…かひゅ………」 最後の叫びは、自分の喘ぎ声に虚しくかき消される。藤田の体内に入った蟲は、早急に蟲らの思考を書き換え、栄養を与え、苗床を、藤田自身を書き換えていく。それと同時に藤田の中にあった自我も消していく。 「…っ……けさ…れる……る…れる……」 わずかに残った自我は抵抗を試みるがそれも虚しく食われていった。 力を持った蟲が行動するスピードは早く、あっという間に藤田の自我は消され、より苗床らしく変えられたしまった。そして新しい意識として、きちんと序列が植え付けられた。 「おい、もう終わっただろ?立て」 「…はい」 藤田はゆっくりと立ち上がり田中の前で姿勢を正す。その目はしっかりと田中を捉え、田中が自分よりも上の苗床であることを認識した。 「さきほどのご無礼、どうかお許しください。これからは、しっかりと貴方様の下で、任務を遂行していく次第でございます」 「ん。それでいい。無駄な自我は一切残っていないな?」 「はい。この身体の所有者であった藤田の自我はすべて食い、消し去りました。今はあなた様に従う蟲ら(我々)で動いています。何なりとご命令を」 「よしよし。これでようやく効率良く動けるな。…とりあえず他の奴らの自我も消しておこう。」 「はい」 「それと…梶山か。ずいぶんと苦戦をしていたらしいな」 「そうですね。梶山は我々以上に自我が強いらしく、私達の中にある蟲でも出来ないことはないと思いますが、多少の時間はかかるでしょう」 「なるほどな」田中は少し考えるような素振りをする。もともとあった田中の記憶にアクセスをしているようだ。 「…うむ。…あいつに真正面から向かうには、こちら側の軍勢では不利なところがあるようだな。…それなら、向こう側の奴らをこちらに引き入れよう」 「…と言いますと」 「梶山意外の柔道部員を乗っ取るんだよ。あいつの厳しい指導法に反抗しているやつもいるだろう。そういう奴らはあっさりと堕とすことができるはずだ。そいつらを仲間にして外濠から攻めていく。…で、気がつけばあいつの周りは……わかるよな?」 「承知しました。それではまず滞っていたこの部のやつら全員をすぐにでも田中様の"仲間"にしておきます。それとすでに仲間になっているものに関しても、新しく蟲を入れ直し書き換えておきます」 「ああ、そうしておいてくれ。俺は今一度柔道部の状況を探っておく。俺が命令するときにはすぐに動き出せるようにしておけ」 「かしこまりました」 ふたりはカバンを持って部室を出ようとする。田中は足元で動く蟲を見つける。それはかつての苗床(田中と藤田)が使用していた"古い蟲"が動いていた。ぐぢゅ…田中はタバコをもみ消すように足で踏み潰し、念を入れてぐりぐりとこすりつけた。 「…使えもしない蟲ばかり育てやがって」 そう吐き捨ててふたりは部室をあとにした。 つづく

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