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「小数点以下の殺人」


これについて書きます。



なんかこれ、これだけ見ると、突然自分がミステリー小説でも書き始めたのか?と思う人いるかもしれませんが、一応、そういうことではありません。

(でも、そういう風に使ったら素敵なタイトルだとは思っています)





いやでも、じゃあこれ、なんなのでしょうね?

一応はなんかもう数年前どころか、10年以上は前に考えた概念なんじゃないかと思ったりします。



我ながら、いつ、どこで思い始めたのだろうか?

そしてそれを、「考えていることリスト」に書いたことあったっけ?くらいに思っているのです。



いやでも、これに関しては、「見てもらった通りの内容」かと思います。

多分、「想像通り」なのです。 

 (いや、こういうのが自分のダメなところなのかも)

 (自分が思いつくことは他人も思いつけると思い込んでいる)




とにかく

人間には、「小数点以下の殺人」という行為があるのだと自分は考えています。



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「あなたは今まで何人の人間を殺してきましたか?」


と問われたら、

大抵の人は「0人です」と答えると思うのです。 


自信満々で、嘘偽りなく、答えられると思います。



自分も多分、0人です。 はい。



・・・でも、「そうじゃないよな」と思うことがあるのですよね。



そして、どんな人間もきっと、0人じゃないんですよ。これは。

人と関わって生きている限り。





多分これは、自分が本当に世を憎んでたときに考えてた概念なんじゃないかと思うのです。 または、「自分の文章の悪影響について」考えていた時の概念ですね。



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「自分を馬鹿にした人」とか「自分をあのときXXした人」とか、まぁいろんな人がいるわけです。



もし自分が将来自殺したら、その自分の自殺「一回分」、

つまり自分に対する殺害人数「一人分」の責任は、

全部自分にふっかかる・・・・・・? 

わけはないと思うのですよ。



自分が自殺したら、自分の殺害人数自分にプラス一人で、それで終わりですか?


・・・なんか違う気がするのですよ。




自分をあれした人とか 責めた人 苦しめた人 切った人 落とした人・・・

馬鹿にした人、 無視した人、 捨てた人、 忘れた人、 軽んじた人・・・

嫌味を言った人、 皮肉をいった人、 攻撃してきた人・・・


あの人とか この人とか、

それに親とか姉とか、


あの面接官、 あの試験官、 あの嫌な人

・・・


そういう幾人もの関係者に、自分の自殺「一人分」が割られて、割り振られていくと思うのですよ。




「自分の死に、どれだけ影響があったか」

「誰のせいで、自分が死ぬ羽目に陥ったか」



実際、考えてみたらそうとしか思えないのですよ。



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例えば二人の人間AとBが協力して、 ある人Cさんを 拉致監禁したとします。



そして拷問したり、洗脳したり、痛めつけて、 

Cさんをもう精神的に「自殺するしかないような心理状態」に追い詰めたとします。


・・・

結果、Cさんは自殺してしまったとします。




これで、各々の人の殺害人数ですが


「Aさんの殺害人数 +0人」

「Bさんの殺害人数 +0人」

「Cさんの殺害人数 +1人」


って、なると思いますか??? (Cさんは自殺で自分を殺したからプラス1??)


その計算方法は、 法律上そうかもしれなくても、絶対間違ってると思うのです。




自分は、こう数えます。


「Aさんの殺害人数 +0.5人」

「Bさんの殺害人数 +0.5人」

「Cさんの殺害人数 + 0人」


これくらいでいいはずです。



「本来全然死ぬ気がなかったCさん」を いじめ抜いて拷問して追い詰めて

自殺するような気分にして自殺させたんだから、 

その自殺の殺害人数は、その責任者二人が分割して負うべき数字なわけです。

(綺麗に0.5かどうかは置いておいて)



もちろん全ての自殺の場合で 本人の責任が0になるとは思いません。



でも、大抵の場合において、 「自殺」というのは、

「もともと自殺する気がなかったCさんが周りの影響のせいで自殺するしかないような気分になってしまった」 というのが実態だと思うのです。



(その一部に、本人の自業自得の部分もあるかもしれません。)



 (でも、それでも、本人の自業自得の量が、その数値が「1」になる人間なんて、この世のどこにも居ないと思うのです)



(無人島でたった一人で生まれて、自分で自殺するべきだと決意して、それを決行できた人間くらいじゃないと、無理)

(そして、そんな人間は存在しえない

(他人の影響ゼロ、他人と関わらずに生まれて、生きていける人間は存在しえない)




殺人の責任。 何人を殺したのか

明確な他殺なら、「1」を全部ひっかぶる場合はあるかもしれません。


でも、自殺だけは、本当に「1」なんて この世のどこを探してもみつからないと思うわけです。



この世の自殺というのは、

全部、他殺と同じなのです。 (ある程度のパーセンテージでもって)



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・・・

まずこういう考え方があります。 ありました。

いまでもあります。 10年以上前からこういうふうに考えています。




非常に当たり前というか。

自分の中ではこの考え方 というのは、 (特に語ったことがない気がしますが)

自殺についての 根本的な 超基本的な考え方かもしれません。




・・・

誰かこれに反論できる人なんかいるんだろか?くらいの感覚です。




この考え方は、甘えているのでしょうか? (何に関して?)


誰かが自殺したら、それは自殺する羽目になったソイツが100%悪くて、

殺害人数「1」は、殺害の責任は、全部本人がひっかぶるのか??


自分は、それは絶対違うと思うのです。



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・・・

まぁとにかく、どこまでいっても「そういう価値観」が自分にはあるわけです。 

根本のところで。


これがまず第一の前提です。




で、 その上で、 世の中には色んな人がいます。 いました。

この価値観をデフォルトとしたうえで、更に考えてみてください。



自分は『人を殺したことがない』と言えますか???



これが、言えなくなる気がするのですよ。





今まで 「クラスメート」だった人物って、何人いるでしょう。



小学1年のとき30人くらいクラスメートがいたとしてー

それがー


まぁめんどい。20かける12と考えても、30かける12でも、16でもなんでも



とにかく、漠然と生きてきても、


どんな引きこもりでも どんな陰キャでも

多分300人くらいは、割りと「関わったことがある人間」って居ると思うのです。 




そしてその中で、他人に 自己肯定感を与えたこともあるかもしれないし、

他人をひどく傷つけたこともあるかもしれない。


なんとなく他人の「死にたさ」に影響を与えたことがあるかもしれない。




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更に、ネット上で関わったり、 価値観に影響を与えたり与えあった人間関係だってあるわけです。




そうやって、「自分が知らず影響を与えた人物」なんて、 もう、 実は千人どころか、 万人はいるかもしれません。


 (万人も関わったわけがない?)

それはネットで「ちょっとコメントつけた」くらいのことでも発生することなんですよ。




そして、 

日本人が一億人いて 毎年3万人くらいは自殺するのです。


自殺率は、 0.03%くらいと言えます。


一万人いたら、そのうち 3人くらいは死ぬわけです。

これが、「毎年」です。




自分が毎年、ネットかなにかで影響を与えあった人間、そのうち

3人くらいは 知らず知らずのウチに「死んでいってる」という風にも考えられます





「コメントで悪口を書いた」

動画に低評価ボタンを押した

「こいつ馬鹿だなー」とRTした

クソリプをつけた

無視した

悪口を書き込んだ

嘘を書き込んだ

・・・

・・・


そういう、「一方的な関係性」でも、 


ネット上で他人に関わった、他人に悪影響を与えた、

そういう人間は、多分一年で一万人くらいには、簡単に達するんじゃないかと思うわけです。 どんな人でも。




「どんな人でも、一年間に一万人くらいは、他人に何らかの影響を与えている。 

そら、毎日ネットしてたら」


これは大げさな計算じゃないと思うのです だって、30人×365でさえ、

1万人に届きますからね。




一日の中での書込み、ツイッターのTL上での影響、

RT 複数人が見るスレでの書込み、やりとり・・・

・・・


そんなのを考えれば、 一日30人てのはむしろ少なすぎだし、

一年一万人ってのも、下限くらいの数え方かもしれません。




そして、改めて

一万人日本人がいたら、一年にそのうち3人位は自殺しているのです。これは確実に



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毎年おきる

その3人の死に、「自分はどれだけ責任があるか?」 ということになってきます。



「知らんがな 関係ないよ どうせ影響力なんか0」

・・・本当にそんなことが言えるのでしょうか?



多分、どこまでいっても0ではないと思うのです。



だって、無関係ではないんですよ?


「自分が何らかの形で関わり影響を与えた一万人の中での」3人の死、ですよ?



絶対に影響を与えた中で、3人が、 自分の知らない内に自殺を選んでいるのです。




まぁとにかく、

何らかの割合で、 どんな小さい量であっても、

どんなバタフライエフェクトであっても、


毎年、毎日、毎秒、人が自殺するごとに、なんらかの「小数点以下の殺害」人数が、

なんらかの小数点以下の殺人責任が、


自分にだって 着実に「プラスされていっている」と思うのですよ。




その蓄積量が、知らない内に溜まり溜まって

「1」を超えてないと、誰が言えますかね? という感覚なのです。



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・・・

まぁ、これはこれで、直感的に概算すれば分かることですが、

多分、基本的に平均で考えたら、「1」はそうそうは超えませんね。



日本人一人が人生を終える頃に蓄積している平均殺害人数が、1を超えてたら

「おかしい」もんですよ。

「それだけはない」っていうのは分かります。 直観だけでこれは分かるはずです。


(全ての日本人が全員自殺するような世界を想定してみましょう。 そのときみんなが人生を終える時の蓄積値の平均値が、1になるってことですから)

 (でもそんな世界はありえませんよね?)


だからまぁ、日本人の自殺率とか殺害率とかが、この辺に平均的におっかぶってくるのかと思います。



大体の人が、非常に小さい小数点以下の殺害人数で、人生を終えられると思うのです


でもそれは

普通にまっとうに生きていたら、

普通の影響力なら、です。




明らかに、ネットで誰かに意図的にリンチをしたとか、

明らかに学校で誰かを虐めまくったとか、


そういうことをした人なら、確実に、かなりのデカい小数点以下の殺人を稼いでいると思います。


0.5くらいの殺人を。


そんなことをしばらくやってりゃ、十分、1以上の殺人鬼になっているわけです。 いつのまにか。


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・・・

・・・

とにかく、当たり前の話から当たり前の導出なのですが、

自分は「このように」考えています。





生きている限り、人間は他人に、 多分「想像してる以上の影響力」を与えている。


どこかで、他人の「死にたさ」「劣等感」に影響を与え、

他人の生にも死にも、おおいに加担していると思うのです。



どっかで運が悪けりゃ、かなりの小数点以下の殺人を稼いでしまっているのかもしれません。



気がついたら、0.1人くらいは人を殺しているんじゃないかと思います。



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・・・

・・・



じゃあ、この自分の小数点以下の殺人はどのくらい溜まってるか??というと、

この数字を具体的に考えると、かなりヤバいのです。




自分はブログに、事あるごとに

自殺を全肯定するような文章、価値観を撒き散らしてきております。


(昔のを読むと、いっぱいそういうことを書いています)


自分の過去のブログは、 今以上に、かなり、そういう面がありました。




そして、ある時期

どう考えても「自殺を決行する直前の人」からのコメントがついたことがありました。


でも自分はその人に対して、自殺を思い止まるようなコメント返信を、しなかったように思うのです。

普通に、その方の 苦しみと死にたさを認めただけだったと思うのです。




だからもう 自分はその時、

かなりの「小数点以下の殺人」を稼いでしまったと思うのです。




もちろん当人の決断が基本だとは思います、


そして、その知らない誰かをいじめ抜いた環境やら、上司やらがあって、

それが一番悪いことだとは思うのです。


基本的にはそれらに「半分以上」持って行って欲しいと思います。




でもやっぱり、 一時期の自分の あの「自殺を全肯定する記事」には、

ものすごい量の賛同コメントがついていたのです。



(多分今でも、 自分のブログ記事のなかで、もっともコメントがついているのは、その記事だと思うのです)

 (または、「家族全員がゴミ人間」)



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・・・

つまり、 自分が書いたあの記事の影響で 2、3人も人が自殺してたなら、


自分はもう、 とっくに一人分の殺人を犯した殺人者と同じくらいなのかな?

なんて思ったりするわけですね。



・・・

・・・

ということです。



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当たり前の導出から当たり前の結論を出し、

それにそってそのまま考えてみると、こういうことに実際なるのです。




「人間の殺人カウントには 小数点以下の数字がある」

むしろ全ての場合でそうなるべきだ。 


そして 多分最もよく発生するのは、誰かが自殺した時の、小数点以下の殺人責任の分配だ。




多分、普通に社会の中、ネットの中で活動しているだけで、

人間は、想像以上の膨大な数の人間と影響を与えあっている。

「一年で影響与えた他人が一万人」というのさえ、少なすぎるくらいの想定だろう。



その中で、大体毎年3人くらいは、「あなたの影響下の中で誰かが自殺している」と言えてしまうと思われる。


その際、しっかり、あなたにも「小数点以下の殺人」が振り込まれている。



「おれは他人の死になんて一切加担してない」

「自分は殺害人数0だ」、なんて断言できる人は、実はこの世に一人も居ないと思うんです。




・・・

ここまでが当然の考え方です。 当然から導出される当然。

特になんの逸脱も跳躍もないはずです。 (別にあってもいいけど)



で、その考え方でしてみると、多分自分は もう「1」を超えちゃってる


なぜなら、自殺を全肯定したブログ記事を書いたことがあり、

その記事は、正直、ものすごい量の人に読まれ、賛同を頂いたことがあるから。



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・・・

・・・ということでしたと。

はい、大体これくらいの考え方の話です。



「そういう認識を自分はしています」

という話です。



こんなことを、自分は10年以上前から多分思っていますので、

だから 誰からなんと言われても、否定しようがないと思います。




【自分は下手したら合計で一人以上人を殺しているようなモノかもしれない】

これを赤で宣言できるかもしれない という話。




別にこういうのは、悪ぶりたくて言ってるわけでもないのです。

ただただ、事実確認です。 そして、完全にただしい自己認識だと思います。




「これは、やっとるなぁ」、ということです。


「自分は驚かない」、ということです。



地獄で閻魔大王に、「お前はもう、〇〇人も殺してるじゃないか」と言われても、

全然、驚かない。 「なるほど」と納得します。



誰かに「人殺し!」と本気の形相で言われても、自分は全く心拍数を変化させない自信があります。 


まぁ、それはそうかな、と認識を済ませているからです。


そのことについて書いているわけです。



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・・・

という話でした。



どうなのでしょうね。

どこまでいってもこれは「普通の話」だと思うのです。



皆、このようなふうに「自殺」に関して考えておいて欲しいとも思うのです。



少なくとも 「小数点以下の殺人」と言われたら、ぱっと頭の中に浮かぶのは、このような価値観かと思うのです。

一行タイトルの時点で、言いたいことはもう全部分かるはずだと思うのです。



いや、

でもやっぱり、誰もこんなことを考えていないようにも思うのです。




世の中に普通にまん延してるのは、

「自然数で人を殺した殺人者と、0人の無罪の人間がいるだけだ」 という 

「整数だけ」の考え方じゃないかと思うのです。



でもそれは、間違っている考え方だと思うのです。

間違いと言うか、「全く正確ではない数え方」だと思うのです。

そういう不思議な感覚です。




そんな感じでした。


「小数点以下の殺人」

タイトルから想像される内容そのままだったでしょうか?


(もしも、読んだ内容が想像と全然違ったら、

それはそれで教えてもらったら面白いかもです)





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