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でやっと、「これ」について書ける状況が揃ったかな、という感じです。



なんとこのお題は、ずっと前にももらっていたのに、

なぜかその時は書けなかったお題です。


今回、たぶん再チャレンジしてもらったようなことかと思います。

こういうのも勿論アリです。



そしてこれはグダグダ文章です。


本当に、ラジオのフリートークを文章にそのまま起こしたようなもんだと

考えてください。 同じこと何度も言うし。

付いてこれる人だけ付いてきて、みたいな感じです。



あと、ブログの方に、今回の根本の部分を書いてたりします。

内容もある種 被ってもいます。


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「そもそも前提」として。


これは 自分の中の

感受性教 とか

名前教 とか、 

好奇心教 とか、

そういう自分の「自作宗教シリーズ」の一つですね。



こないだ、「反フィクション教」というのも考えました。

「コトダマ教」も作りました。



(こうしてみると結構増えてきました)


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で今回の「記憶力教」がなんなのかというと、 

そこはやっぱり普通に、

「記憶力こそがもっとも大事なのではないか?」、という考え方です。


なぜそうなるのか、ということですね。



(だからなんというか、別にこれは本気で言ったり本気で信じたりするようなモノではないのですよ。このシリーズは)

こういうことを考えること自体を面白がって貰う感覚というか)

 (これも一種の波長ですね)


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そもそも「知性教」というのがあるのでないかと思います。



人間は知性の生き物だ。 

人間は考える葦である。

知性こそが人間を人間足らしめているのものだ。

・・・

だから、賢けりゃ賢いほどいいのだ、


賢い人間ほどエライのだ。


・・・これはまぁ、分かるでしょう。



みんな、知性が一番大切くらいに思ってるところはあると思う。どっかで。


でも実際問題、人間は

「何をどうしたらより賢い人間になれるか」など、誰もちゃんとは分かっていないのではないでしょうか? 案外。


知性が最も大事、知性が、と思っているわりに、

肝心な知性そのものを上げる方法を分かっていないのです。


なんとなく、勉強したらいいかな、くらいに思っている。



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(話が二転三転するので、なんかなかなか書きづらいのです)



まずここで 人間の知性の方向性というのを、 コンピューターあたりに例えて分類してみようかと思うのです。


知性を定めている脳のパラメーター、 それは本当に 

コンピューターで例えるのが適切かと思うのです。



長期記憶力が、 ハードディスク

短期記憶力が、 RAM

計算能力が、CPU

思考方法が、OS?


・・・

ものすごいざっくりですが、要はこういう感じで、

当てはめていけるんでないかと思うのです。




ここで、皆が、人間の「賢さの性能」を決めてるのは、CPUに当たる部分だと思っているかと思います。


頭の回転が早い人、 それが、賢い人だと。



一方、そして割と軽視されがちなのが、 記憶力そのものではないでしょうか?



「記憶なんてどうでもいい」 「何をいっぱい覚えているかなんか」

そんなことよりももっと別のところだ。



「記憶力より発想力だ!」

「それこそが本当の賢さだ!」


「そういう考え方」がだんだん支配的なのではないかと思います。



ひろゆきとかホリエモンとかもそういう考え方でしょう。


「人間は、自分の内部にライブラリなんて持つ必要ないんだ」

「わからないことは、その都度ググれば良いんだ」

「なにか面倒なことを自分で覚えおく必要はないんだ」

「知識を覚えるより、その調べ方が分かる人間のほうが賢い」


知識の詰め込みなんかどうでもいい。

記憶力より、応用力、発想力のが大事なんだ。


・・・

そういう考え方です。

そういうことがよく言われがちな今日このごろです。


(でも実は自分は、そういう考え方を、かなり疑っています)



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ここでまた話が変わるのですが、

自分は、話が面白い人を尊敬しています。



トーク力。 それはギャグでもプレゼンでもなんでもそうですが、

「そういうのがずば抜けている人」というのがあります。


自分的にそれは、

例えばプロでは伊集院光ですし、

アマ?であれば、まぁうんこちゃんだったりするわけです。



それで、ある時気がついたことがあるのです。

彼らにはなんか共通点があります。


彼らは、なんとなく そろばんを習っていたらしいのです。



というか実際

なにか、面白い実況者というのに注目していると、案外「そういうところ」があるような気がするのです。

しんすけとかも、なにかものすごい暗算が得意だったりしたことがあった気がします。 



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伊集院の話になるのですが、

あの人は実際、ものすごい記憶力いいですよね。



だからクイズも得意だし、


旅行とかに行ったら、 そこで何が起こったかとかを、フリートークで延々と喋り続けることが出来ます。

(メモを用意しているとも思えない)

 (でもずっっとしゃべくっている)


旅行の話に熱が入って、 フリートークだけで一時間二時間語り続けて、それで番組が終わっちゃったりする、みたいなことが普通にあったりします。


よくそんなに、事細かに覚えていられるなぁと驚きます。



・・・

結局、彼のトーク力とかギャグセンスとかは、

それは、強固な記憶力によって保証されているんじゃないか? と

そんなことを思ったりしはじめます。


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そもそも伊集院は落語家を目指していました。


高校時代に落語家の修行をしていました。


落語家というのだって、あんなのメチャクチャ記憶力良くなかったら務まらない芸だよなぁと思ったりします。


いやそうでなくても、 大量の演題を、「とにかく頭に中に叩き込む」という

修行を、高校時代にやったのですよね。

そういう訓練をしていたわけだ。


・・・

そして、伊集院は子供の頃、そろばんを習わされていて、 

こんなのなんの役に立つんだ、と思いながらもやってたらしいのです。



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・・・

なんか、こんな感じ。



トーク力のトップのような人たちのこと、 

彼らの面白さのルーツを分析しようとしたら、どうなるか?



すると見えてくるのは、話が面白い人のトークとかギャグの強みというのは、


発想力というか・・・

いや、発想力というより、 引用力というか、 ライブラリ力のようなモノのほうが、適切のような気がするのです。


最高のタイミングで、 「面白い引用」をすることができるのです。



うんこちゃんだってそうでしょう。


最適のタイミングでスラムダンクの話とか、

ドラゴンボールの話とか、 カイジの話とか、


ピンポイントで、「ここでその話する?」みたいな適切なセリフ引用をできるから、

面白さが生まれるのでないかと思うのです。



豊富な知識と、

適切なツッコミ。

やはり「適切に思い出してくる力」だと思うのです。




ギャグが面白い人は、

「語録」を自分で作ることができるくらい、定番の引き出しを持つことも出来ます。

これだってやっぱり記憶力です。




こういうのって、 頭の回転とか CPUとかっていうより、 

普通に HDDの方の性能だったりしないか?と思ったりするのです。





そんで、 伊集院もうんこちゃんも そろばんやってた、ということに気がついたとき、


話が面白い人って、 実はそういう所が土台だったりしないか??? と、思い至ったのです。




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「記憶力そのもの」は、 本当に軽視されがちだと思います。



「話し方教室」とか、

「面白いトーク術」の話で、

誰もこんな話しないと思います。


「話が面白くなりたかったら記憶力を伸ばしましょう」

誰もそんな事言わない。思わない。



それよかさっきもいいましたが、  

「これからの人間は、記憶力より発想力だー」

そんなことばかりが、よく言われます。



わからないことや覚えてないことはその都度ググれば良い。

「本当に賢い人間は、内容そのものよりも適切なググり方が分かる人間だ」

「本当に賢い人間は、知識なんか自分の中に置いておかなくても良い」


「そんなことばかり」が言われます。




でもどうなんでしょうか?



本当にトークが面白い人たちの特徴について考えていると、

彼らは、 ある種「オフラインでも面白い人間」なんじゃないか? と思えてくるのです。



適切なタイミングで自分の内部のライブラリから面白いことをサーチして、

それをすぐに出せる。


莫大な経験ライブラリと、強固な記憶力と、読み出し能力。 


それこそが、面白いトークにとって重要なんじゃないかと思うわけです。



イチイチギャグをググってる人間なんて、そら、そんなのトークが面白いわけありません。


「あー、あれなんだっけ」

「あのギャグなんだっけ」

「あのセリフなんだっけ」

そればっかの人は、そら面白くない。

ワンテンポ遅れてばっかり。


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・・・

ということです。




ひょっとして

人間の知性、面白さ、そういうのって、 

記憶力の強化によってこそ伸びるんじゃないか?なんて思えてきたりした、

ということです。


通常よく言われていることの真逆の発見です。




で、最初の方にもいいましたが、

人間、具体的にどうやったら自分の頭がよりよくなるかなんて、誰もちゃんとしたことは分かってないと思うのです。



ていうか、人間の生まれ持ったCPUの性能なんて、

それはもうなかなか 鍛えるもクソも無いんでないかと思うのです。



だけど、記憶力は、案外そうではない気がするのです。

子供の頃なら。


こっちは、記憶術とかで伸ばすことができる。



なら、なぜ、 そのことをもっと人類は重要視しないのだろう、 ということ。

そういう方向で考えていっても良い気がするのです。



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もう具体的には、

「子供にそろばん教室に行かせる」みたいなことが、案外普通に超有用だったりしないか? などと思ったりします。



CPUは鍛えられません。


でも、HDDの効率とか 容量とか リードライトのスピードとか、 そっちは

そろばんを子供の頃習わすことで、上げることができるかもしれない。


そしてそのことで、本当の頭の性能というのが変わってしまうかもしれない。



「コンピューターだか電卓がある時代に、子供をそろばんに生かせるなんて無駄!」

そう考えるのが普通でしょう。


みんなそう考えます。



でも、 案外、こんな思ってもない効果というのが、実は 記憶力自体にはあるのかもしれないと、思ったりしたのです。


(だって、伊集院がなんであんなトーク力あるのかなんて誰も根源の分析をできないじゃん)


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でも本当に、

人間の知性のいろんな部分って、 記憶力が基盤になってると思いませんか?



記憶力を高めることで応用力や発想力自体も向上するとしたらどうなのかと。

(だって話が面白い人ってそうじゃん)



もちろん、伊集院つまらない、 うんこちゃんつまらない、と評価する人もいるでしょう。


でも、ラジオの帝王だし、インターネットヒーローなわけです。

結果は出ています。



それで彼らは、フリートークで、人を集められているわけです。 奇抜なことをやらないでも。

(まぁ最初は奇抜だったんですが)



そして彼らのフリートークの面白さの根拠が、記憶力の確かさから来てたとしたら、どうでしょうか?



そしてそういう彼らが、 両方とも子供の頃はそろばんやらされてたことに、自分は気づいたのです。




記憶力って、 面白い人間になるために、メチャクチャ重要じゃないか?



それなのに、記憶力というのはこんなにも軽視されている。



胡散臭い人間は、みんな、みーんな、

記憶力そのものを軽視している。



・・・

という話なのです。


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で、じゃあこっからどうするか。




今更自分がそろばん教室行く気は、ここまで行っておいて、ありません。

そら無理です。


じゃあなんなのか。 



でもまぁ、 記憶力をよくすることは、考えていきたいなぁとは思っています。

記憶術とかですね。




こっから先の「具体的な材料」があんま無いから、 あんま書ける気がしなかったわけです。



記憶術、、、


なんか、 頭の中に都市を作ったりすると、いいらしいですね。(これはペンです)


その都市のなかに、アイテムを置いていく感覚で、

モノを配置していって、それで覚えていくのです。


そういうことを習慣にすると、短期記憶とかは鍛えられていくかもしれない?



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いや、結局、今回の話はこの程度なのですよ。



正直、 「感受性教」とか、「名前教」ほどのことにはならないって、

分かってました。




でもまぁ、案外現代人が軽視している 記憶そのものの評価を、

もうちょっと考え直してみてもいいんじゃないか、とは思ったのです。



あと、まぁ、自分の子供をそろばん塾に行かすことを考える人とかが、

増えても案外いいのではないかと思ったりしたのです。


(自分の支援者さんに子供がいる人がいるのかどうかも知らんですが)

(でもゼロではないだろうと思います 確率的に)



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そもそも 「頭がいいとはなにか?」 みたいな記事も書いてみたいのですよね。


あなたは、何をもって 頭がいい・悪いを 決めますか?という話。

(これは相当深いことになるのですが)



自分は、「概算力」、みたいなのがあるように思うことがあります。

(ここで円城塔にまつわるエピソードがあったのですが、 まさに忘れてしまいました)

(本当に賢い人は概算能力がすごいのです)




概算力、

でもそれにしたって、大人になってあとから鍛えるより、 普通にそろばんとか教えたほうがいいんでないか と思ったりします。



あとは、「インド式の九九」を教えるとか。


これにしたってそうですよね。

まさに九九



「掛け算なんて電卓でやればいい」 なんて言って、 

子供に九九なんて教えない国だってあるかと思います。



でも、そういう国の人間が、計算に強いか?

そもそも、 頭がいいか? 頭の回転早いか? なーんて考えてみると、

怪しいってことが、分かるかと思います。



頭の中にライブラリを敷いてしまうこと。



一度計算結果を全部、単純に頭に叩き込んでしまうこと。

そうすることで 計算力のスピード自体、あがるわけです。


記憶によって頭の回転スピードだって上がるじゃないか、ということです。



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人間は知性の生き物である。


といいつつ、その知性そのモノを底上げする方法は、さっぱり考えてこなかった。


でも実は、 知性の根っこを一番決めているのは、記憶そのモノなんじゃないか?

なんていう感覚でした。




円周率を無駄に全部覚えようとする中学生とかを、

なんか、頭がいんだか悪いんだかの典型例のように思っていたことがありましたが、

案外、そういうことが一周して重要なんじゃないかと思えてきました。




考えてみると自分も子供の頃は、 色んな本の内容とか変な詩とかを暗唱しようと、やたらに努力していたような気がします。

(不思議の国のアリスの、 ジャバウォック物語とか全部暗唱しようとしていましたよ)



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人間の知性、

その全ての部分に、記憶力が関わってないか?




◆計算力は、記憶力。


九九を覚えれば、インド式九九まで覚えれば、

かなり計算力が上がるだろう。


計算力が上がれば、概算力も上がる。

すると推論の力も上がる。


それは普通に、「本当に賢い人間」に通じる道だと思う。



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◆分析力は、記憶力。


分析力と記憶力も、密接に関係あると思います。


「昨日の晩何食べたか」覚えてられない人と、

全部こまかく覚えていられる人、


そういうので何が変わるかというと、それは分析力のような気がするのです。


ぶっちゃけ、動物が自分の体調管理できないのって、鳥頭だからかと思うのですよね。


でもその逆、自分が一週間何したか・何食べたか、

それをきちんと正確に覚えていられたら、なにか体調不良になったときに

分析できる解像度が、全然違ってくると思うのです。


というか、もしも

「自分がこういうふうに体調が悪い時その前一週間に何をしてたか」

みたいなことを事細かに覚えてられる人がいたらどうか?


そういう人はメチャクチャ体調管理が上手いことにもなってくると思うのです



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◆経験力は、記憶力。


で、「名前教」で書いたことに近いのですが、

色んな名前を覚えておける能力が高まったら、

そのことによって経験率とか経験力みたいなのも変わってくるかと思うのです。


分析力と識名力が両方高まれば、鈴木先生言うところの「経験率」みたいなのも上がる。


そしてそれらは全部記憶力の問題じゃないか、と。



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◆好奇心力は、記憶力。


そこが変わってくるなら、

まさに人生の面白さや興味力 好奇心力とかも、変わってきます。

これが好奇心教で書いたことかもしれない。



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◆EQだって、記憶力。


で、話の面白さが実は記憶能力から来るんでないか、という話も

ここで延々としていました。



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◆人気力だって、記憶力。


そうして話が面白けりゃあ、人気もでる。


今の世の中の人気者というのは、

結局は知識の面白さ、トークの面白さで成り立ってないですか?

そしてそれが記憶から来ているとしたら・・・?



で、人気こそが「全てに先立つ力」だという話もしましたが、

それを呼んでくる「面白さ」というのが結局は記憶能力によって決まるとしたら・・・?


・・・

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・・・

あれ? こうなってくると、

自分が今まで書いてきた教シリーズって

全部、記憶力の強化でなんとかなる話じゃなかったか?


というか人生のすべてのことをカバーしてしまうのが

記憶能力なんじゃないか???



そんな気さえしてきます。


記憶力の底力。


人生すべて、記憶の問題だったのだ。


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・・・まぁそんな感じの話です。



じゃあ実際どうすんだの話がやっぱり出てくるわけですが。



賢い人間になりたい、

面白い人間になりたい、


フリートークが面白い人間とは、 その特徴とは?




実際問題、

人間の頭のCPUの性能自体は、凡人も天才も、 そんな差はないと思うのです。


実際、二倍も差なんてつかないでしょう。

(まぁサヴァンの人の計算能力とか意味わからんですが)





すると、やっぱり、 凡人と天才の差は、記憶能力にあるんじゃないかなぁ、 と思ったりします。



ファインマンは 頭の中に 自由に書き込めるホワイトボードみたいなのを配置できたらしいです。

(「ご冗談でしょうファインマンさん」より 多分)



頭の中に「ボード」があって、そこになんでもメモって、

置いておくことができたらしいです。

いつでも参照できる。



そんなんあったら、確かに常人とは、頭の作りが変わってしまうよなぁ?



思考力が全然変わってくるって、想像できますよね?


常人は、頭の中でなにかを組み立てて考えようとしても、すぐにぶわーっと揮発してしまうイメージ。

それを強固に固めて、保存できるようなもんです。



「頭の中のホワイトボード」、 これだって、 記憶力側の性質なはずです。

そんな記憶能力が、異常な天才の脳みそを作ったのかもしれない。



思考力だって記憶力でカバーできた。




てかそうやって考えると、

凡人こそ、メモ魔になるべきなのですよね。


(天才が頭の中にそんなメモ能力を持っているのなら、

 凡人が何もしないでどうする)



ちなみに、自分はメモ魔です。



ありとあらゆることをメモにして、分類して、書き込むようにしています。


こういうことをずーっと続けています。



ある種、自分の脳みそを支えてるのはこのメモだと思ってます。


このメモをいつから取るようになったのか。


でも、自分の思考の性質とか、

ブログの感じとか、そういうのは、全部このメモ取りから来てると思うのです。


大量のメモtxtを作って、フォルダ分けして、ぶち込んでおく。

なにか思いついたらカテゴリ毎にそこに書き込んでいく。


そういうことをやるようになって、今の自分があります。



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凡人と天才、CPUの差なんて大したことはない? CPU性能は鍛えられない?

だが 決定的に差をつけてしまうのが 記憶性能だとしたら?


面白さもアイディアも、全部記憶力の問題だったら??




なぜ、記憶力を鍛えようとしないのか??


なぜ、子供をそろばん塾にいかせないのか??

なぜ、メモをとりまくらないのか??


ということになってくる気がします。



何でも覚えていられる人間こそが、 何でも思いつける人間だったのだ。

これからは、案外、記憶力の時代である、と。




だから 「記憶力教」ということですね、と。





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Comments

Anonymous

投稿お疲れ様です。 大人になってからでも、記憶力を鍛えながら、 記憶を外部化してスッキリするには、 やはりメモを取る習慣を付けるのが大事なのでしょうね。 家族から言われた事もありますが、俺も結構メモ魔かも知れません。 ニートさん程ではないにしても、自分としては第2、第3の脳のように紙のメモ帳(仕事用とプライベート用で分けてある)を使ったり、パソコンのメモ帳を活用しているつもりです。 少し話が脱線しますが、仕事の予定を仕事用のメモ帳に書き込む時は億劫で憂鬱なのですが、遊びに行く前に、外出の予定をGoogleマップ等とにらめっこしながらプライベート用のメモ帳に書き込んでいく時は、面倒ですけど楽しいです。 あそこの店は何時に開くから、先にこっち行ってから、みたいに、時間割というか攻略チャート的なものを自分なりに構築してから、早朝から遊びに行くのが好きです。

Anonymous

東京喰種の「亜門君。身体能力で劣る人間が、いかにして喰種との戦いに勝利を収めると思う?」 「狡猾であることだよ、亜門君。正義の下であれば、どんな卑怯も許される」を思い出しました。言い方はあれですけど、ずるい、狡猾さって記憶力につながるのでしょうか?

byneet

ふーむ 狡猾さというのは効率の極みとも言えるかもです。 正邪・善悪を抜きにして、「最も効率よく勝つ道・方法」を模索するというのが、狡猾さ、ズルさなのかもしれません。 するとそれは、案外かなり正しいというか、 いや、善悪を考えなければ最良の道とさえ言えるかもしれません。 最適化、効率最重視というのは、まぁ分析力とかの行き着く果てかもしれません。 するとそれも、記憶力と繋がってるところはあるかと思います。 物事をよく覚えているから最も相手に打撃を与えられるズルい行為を思いつける、と。 ずるくて強い漫画のキャラというと、自分的には喧嘩商売の十兵衛ですね。

byneet

そういえば自分は紙のメモはあんま取らないのですよね。 といって紙否定はじゃなくて紙を使いこなせない自分なんなのだろうという感覚です。 考えてみると紙のメモ使いこなせる人がいい結果を出してる、みたいなことも言えるかもです。 樋口真嗣のメモとか、アイディアスケッチとか、まさに売れるレベルなわけで。 当たり前だけど文章だけのデータじゃなくて図形なども書き込める媒体のがいいわけですよね。 >攻略チャート的なものを自分なりに構築してから そうですね、 これもやはり、時刻など自力では覚えられない情報を、2D上に書き込んで整理することによって、 より複雑な分析が「可能になる」というのがメモの力ですよね。 脳内の情報を揮発しないように書いて置いとく、 これだけで脳のやれることがアップする。 そして物事が面白く見えてくる。 メモの力というのは凄いはずですよね。