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というわけでありがとうございます

これについて語ってみます。


ちなみに、色々前提があります。


まずNHKの「ゲームゲノム」という番組が存在します。


それについて、自分が「色々と内容やら分析が不十分である」とか

文句をつけている記事があります。


ICO、ワンダ、トリコについて、3回にわたって語っています。


ニート版ゲームゲノム第一回 ICOについて

ニート版ゲームゲノム第二回 ワンダについて

ニート版ゲームゲノム第三回 トリコについて


これはそこから連なる話で、

今回はまた、

NHKのゲームゲノム、そのダークソウル回について、「自分が感じた不足」について

書きなぐっていた文章ですね。


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でも、大した内容ではないので、期待はしないでほしいです。


それでも、あの番組よりかはマシだと思っています。


あと、前提みたいは話はやっぱり外部にあるのです。


ソウルライクとそのようなゲームが行ってきた「継承」みたいなことについては

すでに別記事で書いてあるのです。


「ソウル度」について


(↑我ながら、この記事は、ソウルライクの理解にとても重要な記事になっていると思います)

(だからまぁ上の3つのゲームゲノムは読まなくてもいいですが、こっちは読んでみてほしいかも)



これと同じような話はあまり繰り返さないと思います。



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で、ここからtxtのコピペです。


コピペなので 「だ、である調」であることが多いです。

その辺は直してないのです。 ブログにはるかここにはるか考えてなかったのです。



ニート版ゲームゲノム第4回 ダークソウルについて




やっぱりNHKのゲームゲノムのダークソウル回もしょうもなかったので、自分版をやりたくなる。



そもそも自分がダークソウル1というモノ自体を、直接、ちゃんと語ったことってあったっけ?

クリア後にあーだこーだ言ってるのはどうでもいい気がする。


まぁやっていく。


当然ここでデモンズソウルの話をまたすべきなのだが、今回はほぼ同時に語る。

ダークソウルの話するときにデモンズの話しないのは絶対にありえない。



一応、ソウルライクというモノ全体については、この辺で特徴の受け継がれ方については考えています。




さてゲームゲノムという番組がダクソで語ってたことは?


・死にゲー

・裸攻略というリスク

・パリィというリスク


・ロストソウルというモチベーション


・達成感


・「心折れたもの」として青ニートの末路を紹介


・・・

あとはサッカー選手とお笑い芸人の話


・・・

くらいかと思う。 要点だけ言うと、こんだけの話しかしてねぇ!



やっぱり、内容ゲキ薄の30分番組だった気がするのだよなぁ。

倍速で見たくなる気持ちというのもわかろうものである。


ダークソウルで、これだけの話しかできないとは。



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自分的に、 ダークソウルというゲームで「ゲームゲノム」を語るなら、


一番考えないといけない視点は、次のような点である。




死にゲーというジャンルをある意味世に「確立」したこのタイトルは、

何が決定的に重要だったのか?


というその点。




デモンズはもちろん偉大です。 殆どの点を下地にしている。


殆どのシステムがデモンズで完成していたといっても過言でもないのに、

デモンズの時点では、デモンズ単体では、ここまで世界的大ヒットしたり、

「ソウルライク」という派生が山ほど生まれるほどのことにはならなかったと思う。


じゃあ、デモンズと違ってこんなに世界中で大ヒットしたダクソは

何を受け継ぎ、何を突然変異させたことによって、成功したのか?



つまり

「デモンズとの差異」こそが、重要だと思う。



つまりゲノムはゲノムだけど、 受け継いだところは分かってるので、

「突然変異した部分」について、注目していきたい。



そういう、ゲームゲノムです。




デモンズとの差異が、ダクソを決定的ソウルライクにした。

差異から、世界が始まったのです。


(そういう意味では、ダクソのOP的ですね)



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で、まぁ普通に見えてくる点は、 エスト篝火である。


そして考えれば考えるほど、これこそがダクソの成功ポイントだったんだな、ということが見えてきます。



行き着くとそれは、 「極めてカジュアルな死にゲー」としてデモンズをブラッシュアップした、ということである。





デモンズソウルは死にゲーである。

名作である。 というか正直傑作である。 


だが、いくつかの難点があった。


それが、三日月草と、要石だったのかもしれない。



回復アイテムは自分で敵を倒してランダムドロップしたものや、

ソウルを消費して購入したもので、在庫を足していかないといけない。

んで、それを食ったら無くなってしまう


ジリ貧が発生するということである。


もちろんだからこそ達成感があるわけだが、 これが、一般プレイヤーには

多分「厳しすぎた」。



・敵に殺されたら進行度リセットです。 


・経験値も拾い直さないとゼロになります。


これだけなら、まだプレイヤーは ミスが「ゼロ」になるだけなので、心理的に耐えられる。


でも、アイテム消費というのは明確な出費であり、失敗した場合は 「マイナス」となっている。



死にゲーにおいてこの、

『プレイヤーがやったことが「ゼロ」に戻されるどころか「マイナス」にすらなる』というのは、かなりの精神的負担になっていたのだろう。


(ある意味、ローグライクよりもひどいというか)

(努力がゼロになるローグライクの死んだときの喪失感、あれは相当人を選ぶ)

(でもマイナスまではいきはしない)



ダクソはこれを、そのようなマイナスを、潰してしまったということだ。



そのための発明が、篝火で何度でも補給できる、

エスト瓶である。



プレイヤーは、一定回数の回復を約束されるようになった。


今考えるとこれは、草マラソンを楽にしたという点よりも、

死にゲーにおいて 「プレイヤーにマイナスを感じさせる要素を減らした」と考えられる。




「プレイヤーにマイナスの蓄積がしないようにした」

まぁとにかくこれが重要だったということです。


考えてみると、そういうことだ。



酸の雲 (つまりひどい装備破壊)

ソウル傾向 (最初はソウル体で死んでも黒化)


これらは厳しすぎるマイナスの蓄積だ。 だから以降は無くなっていった。




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篝火というチェックポイントが増えたのも大きい変更点です。



デモンズソウルは、ボス撃破後の「要石」しかワープポイントがなかった。


(だから一つのエリアに、チェックポイントが3つか4つしかないんですよ)

(これってダクソの感覚からしたらめっちゃ少ないでしょう)


ていうかつまり、エリア最初から、ボスまで、

一度も死なずに到達しないといけないわけです。



それ故に達成感は凄かったのだが、 これも、厳しすぎたのだろう。

一般受けはしない。



今でこそ「デモンズはダクソより簡単だよー」と思う人もいるかもしれんが、


ソウルシリーズ初体験が、もしもデモンズソウルPS3版のオフラインだったらどうだろうか?


まじでとんでもないゲキムズゲームに思えるはずなんですよ。

(そういう意味ではファミ通があれに厳しい点をつけたということも納得できるんです)


到底流行らないくらいのゲキムズゲームだったと思います。



正直、PS5版のデモンズとPS3版のデモンズは、 難易度かなり印象が違います。

パラメータがたとえ同じでも、操作性が違うんだから。




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回復は基本アイテム消費です。

アイテム使いまくってボスに殺されたら全部パーです。



チェックポイントはボス撃破後だけです。

ボスに殺されたらそこまでの道のりの攻略は全部パーです。



デモンズはこれだからこその、激烈な達成感があった。


だがそれはちとハードすぎたのだ。



ダクソはそこんところを絶妙にユルくした



回復回数だけは保証できます。 なんなら増やせます。

篝火に辿り着きさえすれば、進行はあったということです。保証されます。

(だからある意味、デモンズでは通用しなかった初見エリア走り抜けなんかも、

 ダクソではやろうと思えばできるのですよね)




この、「絶妙にカジュアルな、死にゲーぐあい」 その匙加減が

一般的に最適だったので、

ダクソはクッソウケた。



そういうことかと思うのです。



誰にでも、案外ストレスフリーで挑戦できる、「高難度ゲーム」

これが良かったのではないか。




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これが、ダクソの、モチベーション維持です。

それの分析です。



ゲームゲノムでは、モチベーション維持について、血痕の話しかしませんでした。



死んだ所に経験値が落ちるから、それが次の冒険の経験値になってるんです。

それがあるから、「死んだときにもうやらんわこのクソゲー」とならないんです。


・・・

それはわかります。

それはただしいです。


でも、それはデモンズソウルの頃からあったことなので、


特段ダークソウルがダークソウルとして優れている点ではないのです。


もっというと、死んだ所にお金を落とすゲームは多分、

ディアブロが始めたことです。



そういうことなのです。


どこを分析して、「これこそがダクソの凄いところなのだ」という風に見るか、ということなのです。



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で、じゃああとはゲームゲノムが語っていたダクソのエッセンスについて洗ってみる。



「パリィ」についてもやたら語っていましたよね。



パリィとか裸攻略というのは、ダクソというゲームの遺伝子を語るにおいて、あまり重要ではないと思います。



リスク・リターンとか。

そりゃそうだけど、別にそんなことしなくても十分勝てるようには出来ている。



というかパリィとか、防具があんま意味ないとかは、デモンズからの話だ。



というか、ダクソは「強靭」が追加されたので、

むしろデモンズのころよりも防具は重要になったのです。


防具がおかざりだったデモンズのころより、ちゃんと服を着込む意味が出されたのです。



だから正直、ダクソで裸攻略ってあんま意味ないかと思います。

十分軽ロリでいいわけです。



「ダクソ裸攻略したぜー」というのは、なんだか嘘くさいノリのようにさえ

思えてしまうのですけどね。



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ダクソ自体のパリィについて語ることよりも、


本当は気になるのは、 

そもそものパリィというシステムはどのゲームからの遺伝子なのか、という点でしょう。



今でこそ、多くのゲームで「パリィ」のようなシステムは採用されている。

それはぶっちゃけ、ダクソからの影響もあるのでないかと思う。


ツシマもパリィありました。あれも、これも。





じゃあダクソ、デモンズのパリィは、結局どのゲームからの影響なのか、という点だ。



そらロマサガのようなRPGにだってパリィはあるだろう。

だがロマサガの影響のはずがない。



こういうことについてこそ、宮崎社長にインタビューしてみろと思うわけだ。

パリィはなんのゲームからの着想なのか? 無からなのか?



で、自分が思うのは、「鬼武者」である。



わりと、鬼武者とダークソウルはなんだか似ているところがあるとさえ思う。


敵を倒して魂を吸う所なんかも実は似ている。


ダクソではデモンズになかった「ケリ崩し」というのが追加されているが、そのモーションだって、鬼武者のケリに似ている気がするのだ。



ダクソのザコ攻略の感覚は、実は結構、鬼武者的なものを感じたりするのだ。




鬼武者の一閃、弾き一閃というのが、

デモンズダクソのパリィになってんじゃないかと自分は割りと思っている。




そういう受け継がれるゲームシステム そのルーツというのを考えてこそ、ゲームゲノムなんじゃなかろうか。



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それで言うのならば、デビルメイクライのことだって考えられる。



デビルメイクライの重要な点は、 敵を倒したら得られるお金?経験値?が、 

レッドオーブというアイテムに「統一されている」という点だ。



お金と経験値を「分ける」ということにはしなかった。



普通、そういうものは「別れてる」のが当たり前だ。


プレイヤーをレベルアップする経験値は 経験値、 

欲しい買い物をするためのお金は お金。


それをあえて一緒くたにして、そこの使用法で迷わせるゲーム



考えてみるとこれもすごいコロンブスでしょう。



普通 別れているものを統一することで、

そこでゲーム性が生まれるんです。


(ゲーム性とは)(これで一個語れるわけですが)(一個どころではない)



そのようなことをしたルーツはどこか???、というゲームゲノムの探究である。



自分は、ソウルシリーズのこの部分はデビルメイクライかなぁと思っているのだ。



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でも本当に面白いです。


集めたオーブで 技を覚えるか?

それともステータス、HPを伸ばすか?

それとも、回復アイテムを買うか?


・・・

デビルメイクライの、この辺の悩ましさって、すごいのですよ。

それで凄い面白いのですよ。


みんな、DMC1をやってみるといい。


びっくりするほど難しいから。


ダクソもびっくりの死にゲーです。




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デビルメイクライ、鬼武者・・・



つまり、あの時代のカプコンのアクションを宮崎社長はかなり遊んでるんじゃないかという妄想である。


この辺のことについて、誰かインタビューすべきではないか。


そしてICOワンダだってソウルシリーズに多大な影響を与えている。



ぶっちゃけ、宮崎社長のゲーム構成のルーツは、PS2時代のゲームに多く発見できるんじゃないかと思うのだ。



もちろん色んなゲームがある。



SEKIROの数珠玉は、DMCのブルーオーブのかけらか?

いや、それは多分、どちらもゼルダのハートのかけらだろうと思うのだ。



・・・

そういうゲームゲノムの遺伝の話。



いつかだれか、こういう部分のことを、ゲーム史研究としてまとめ上げる必要がある気がするのだ。



それこそ、「ゲームゲノム学」というのは、こういうことを考え続ける学問なのではないか?


今でこそ色んなゲームで当たり前になってるこのシステム、 

最初にやったのはこのゲームで、

これが受け継がれてこれになってるんだぞ、という ゲームのDNAの流れである。




ぶっちゃけ、ゲームにおける「ダッシュスタミナバー」って

最初にやったのってディアブロ2だと思うのだけど、どうだろうか?


「走るのにスタミナバー消費するのなんて当たり前のことじゃん」

「そんなの誰でも思いつくじゃん」

そう思うかもしれない。



でもやっぱり、最初にやるのはコロンブスの卵だと思うのだ。




ディアブロ1は歩くだけの探索ゲームだった。 だからまぁ足が遅かったこと。


かと言ってずっと走れるゲームというのはそれはそれで面白くない。

逃げが簡単すぎるゲームになってしまう。


だからって今度は 敵の足を、主人公に簡単に追いつけるくらい早くしたら、まさにいたちごっこである。わけがわからない。


そこでスタミナ制で走れるゲームにすると、これがよく機能するわけだ。



ディアブロ2で、キャラが走れるようになった でも疲れると走れなくなる、

これを初めてみた時、

「面白い! やっぱゲーム作ってる人って賢い!」 そう思った。


その感覚である。



天才の発明を取り込む感覚。


・・・

そういうのを、宮崎社長は色んなゲームからミックスしている筈なのである。




そのミックスの視点に注目してこその、 ダークソウルの分析であり、 そのルーツをたどる学問こそ、ゲームゲノムなんじゃないか?



そして、ダークソウルからのフォロワー、

ダークソウルに影響を受けているであろうゲーム、

そこにだって注目できるわけだ。



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・・・

このような話が、遺伝子の肉体的部分であろう。 ジーン




じゃあ精神的遺伝子について考えるとしたら、 そらまぁ、 

ナウシカとかベルセルクになってくるわけだ。

そういう話だって、自分はずっとしてきた。


そちらを考えれば、ミームである。



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・・・ということであった。



非常にざっくりとだけど、



ダクソの重大さ、


デモンズからの転換ポイント、

なぜここを転換したら大ヒットしたか  (大衆にとって丁度いい死にゲーの塩味になったから)



他ゲームから受け継いだ、要となるゲームシステム、

他ゲームへの影響、



ダークソウルが受け継いだ文化的遺伝子、

ダークソウルから受け継がれていく文化的遺伝子。



ゲームゲノムとしてダークソウルを語るのなら、

これらの点をやるべきだったろう。




サッカー選手とかお笑い芸人が、

自分の人生とダークソウルを重ねて経験談を語ったりしなくていいのである。


あと、青ニートが亡者になってましたねーなんて、

ネタバレとかも別にしないでいいのである。



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そもそも「死にゲー」とはなんなのか?


なぜ今、高難度ゲームがウケているのか、という話だってあるわけだ。


本当の根っこの部分。



自分的には、

「要求レベルの高い、面白い長縄跳びは、快楽である」みたいな結論になるかと思う。



ボスの攻撃を何割見きれるか。 どれくらい見切れるプレイヤーならクリアしていいか。

その水準を上げていくわけです。



普通は、 「こんなのやってられるか むずすぎじゃー」となる。



そこでそう思わせない。

「なにくそ」とムキにならせるほどの気持ちよさと、なんとか行けそう感があるから、死にゲーは成立しているのである。


そのためにはアクションの根本のところが気持ちよくなくてはいけない。



普通のアクションゲームなら、プレイヤーがボスの攻撃を初見で

5割くらい見切れたら、もうクリアできるようにしてるかもしれない。


でも、死にゲーは、ソウルライクは、

その割合をどんどん上げていく。


それでも成立するのは、面白いのは、

それはもう根本のアクションと、ボスの作り込みが面白いからでしょうね、ということになる。



一心様のことを考えれば本当にわかる。



あの、厳しい長縄跳びに付き合えるのは、

あの長縄跳びが死ぬほど気持ちいいからなのですよね。




とかなんとか。

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・・・

と、この辺までが、自分が書いていたtxtのメモです。





で、今回頂いたお題文には、

「ソウルシリーズにおけるダークソウルの立ち位置」と言われていますから、

どうなのでしょうね。


そのへん、ちと加筆しようかと思います。



でも関係ない話になるかもです。



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まぁ、もしもダークソウルがなかったら、

本当にソウルライクはなかったと思います。

デモンズソウルで終わりですので。




ダクソがあったから、あれが売れに売れたから、

他の派生も、フロム内でも増えていったのかと思います。


ブラボ、SEKIRO、エルデンリング、

ということですね。



ある意味では、デモンズ以上に生みの親なのかもしれません。もはや。


なんか、偉大な初代社長はそら偉大だけど、

もっともっと凄い二代目がいたから、この会社は凄い繁栄した、みたいな。




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ブラボ、SEKIRO、エルデンリング、


で、これらは、デモンズダクソからの微妙な差異がそれぞれあります。



まさにブラボでは、

自分が 今回決定的、天才的発明だとしているダクソのエスト瓶が、

あえて 先祖返りしていますね。


ブラボは輸血液マラソンをしないといけません。

それか買うか。



この辺の部分について考えていくかもしれません。


死にゲーにおいてプレイヤーのモチベ維持にかなり重要だった

エスト瓶という発明。


(維持というより、回復が消費アイテムの死にゲーはモチベが減るので、それを潰すと)


なぜブラボはやめたのか。


世界観もあるかもですが、

これは戦闘のスタイルが違うからかな、と思ったりします。


デモンズダクソと違って

ブラボはパリィを 前方の空中に出せるようにした。

かなり強力なパリィともいえます。


これを銃を撃つことによって可能にします、と。


で、そんな強力なパリィを撃ち放題にしたらあれだから、

弾丸を消費制にした。



輸血液も、わりと同じです。


ブラボの輸血液の性能は、ダクソのエストよりかなり強力です。

凄いスピーディーに飲めるし、デフォで20杯も飲める。


なぜこんなに強力なのか?


まぁこれは、ブラボのボスが更にアグレッシブだから、

その辺はプレイヤーによく見てほしかったのかもしれない。



じゃあ水銀弾も輸血液も、

強力なパリィ、強力なエストだから、有限性になった、と


まぁ多分、敵からのドロップ、補充要素の面白みというのを探っていたのかと思います。


そもそもブラボはかなりハクスラがやりたかったのだろうと思う。


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SEKIROの形代は 水銀弾みたいに有限補充制、

ひょうたんはエスト瓶、

この辺はハイブリッドになっています。



このあたりが常に変化しているのは、

結局フロムは 色々試行錯誤し続けているということなのですかね。



すべてが支給される、というのも違うと思っているのかもしれません。


考えてみると、デスペナが存在しない、ということになってしまうからです。

(時間と労力はそうなのですが)



まぁSEKIROにはりゅうがいというデスペナがあるのですが。



まぁとにかく、死にゲーを作るのであれば、

デスペナはどのくらいの塩梅がいいか、


というのは常に考え続けないといけないというのはあるかと思います。



ソウルシリーズの、この辺のシステムが少しずつ変わっている、というのは、

そういうことかと思います。


決して、決め打ちではないのですね。




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そうやって考えるとメリットデメリットの変遷みたいなのも考えられるのですよね。



デモンズの生身

HPが二倍 でも侵入される

ボスで強制ゲット でも死んだらエリアが黒くなる



ダクソ1の生身

注ぎ火ができるということ以外そんなステータス的にメリット無し

侵入される


生身になるのは篝火から

つまり、デモンズみたいに「ボス前で生身になって白ファンだけ呼ぶ」

みたいなメリットだけ受けるというのはできないようにした。


白ファンを呼んだりしたかったら、篝火からボスまで生身を維持しろ、というメリット・デメリット



ダクソ2、3の生身

またアイテム制になって、いつでも使えるようになった

そして、HPバーの伸びに関係するようになった



・・・

こうして考えると、

ダクソ1の生身だけ、メリットが弱めなのですよね。



あと、ダクソ1だけ、篝火でプレイヤーが好きにレベルアップできるようになっていますね。



エルデンリングは、地味にダクソ1のシステムなのですよね。


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・・・

とかなんとか


うーむ、「ダクソ1の立ち位置」というのは、

ちょっとどういう風に語ったらいいのか、よく自分が掴めていないかもです。








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Comments

Anonymous

投稿お疲れ様です! おぉ~、力作ですね~。 >>ある意味では、デモンズ以上に生みの親なのかもしれません。もはや。 >>なんか、偉大な初代社長はそら偉大だけど、 >>もっともっと凄い二代目がいたから、この会社は凄い繁栄した、みたいな。  特にここの文章、納得です! ソウルシリーズにおける初代ダクソは、 まるで、フロム・ソフトウェアにおける宮崎さん自身みたいな立ち位置なんだと感じました。 ただ、このニートさんの文を元に、 個人的に補足・補完したい部分とか、 初代ダクソのあの要素について語って欲しかった、 みたいな事も思いつきました。 それらに関しましては、 また時間がある時に、ここにコメントとして書くか、 あるいはまた別のお題という形で投げさせて頂きます。

byneet

了解です。 まぁお題はどしどし出してほしいです、 と、同時に詰まったり、やらなかったりすることもあります。 実はこの部分について語ってみたいとも思います。 申し訳ないのですが、お題を募集しておいてやれないことがあります。 でも、そのギリギリのラインこそ興味深い、という趣旨の話です。 あと 自分的に将来自分に必要なのは、キングスフィールドとかの、過去のフロムゲーを理解していくことなのかな、とか思ったりしています。 結局デモンズまでしか分かっていないので。

Anonymous

ご返信ありがとうございます。 それでは、遠慮なく補足させて頂きます。 >>「プレイヤーにマイナスの蓄積がしないようにした」  これ、実は必ずしもそうとは言い切れないんじゃないかなと思います。 例えば、ダクソで最下層のバジリスクにブレス喰らって呪死して、 死亡後復活しても、呪われたままで、 だから、HPの最大値が半減したままで……なんてのは、 ニートさんの言う所の、マイナスの蓄積そのものだと思います。 そして、その呪われた状態にどう対処するのかって所が重要ですよね。 最下層の攻略を一旦切り上げて、解呪方法を探すのか、 あるいは呪いを放置したまま先に進むのかっていう選択やジレンマに、 各プレイヤーごとにドラマが生まれるので、 面白いマイナスの付け方だなぁと感じました。 また、ダクソの黄金松脂や、ブラボの発火ヤスリなど、 武器に塗るタイプの属性エンチャントアイテム(消耗品)は、 序盤は入手方法や入手数が限られていると思います。 すると、それらの貴重で強力なエンチャアイテムを、 ボス戦で使用して、もしも負けてしまったなら、 せっかくのダメージソース上のアドバンテージがゼロになってしまいますよね。 ということは、プレイヤーからしたら、 エンチャアイテムの使い方ひとつとっても、 ドキドキ感を味わえる要素なのだなと感じます。 あるいは、万が一、エンチャアイテムを使い切って戦うことになったとしても、 それまでの戦いでプレイヤー自身がボスの動きを覚えていたり、 ボスの動きがたまたま下振れしたり、 キャラクターをレベルアップさせたり、武器を強化する等で、 まぁなんとかなるというゲームバランスなのがまた巧いと思います。

Anonymous

>>自分的に将来自分に必要なのは、キングスフィールドとかの、 >>過去のフロムゲーを理解していくことなのかな、とか思ったりしています。 >>結局デモンズまでしか分かっていないので。   個人的には、デモンズからより顕わになる宮崎英高氏の作家性が、 既に如実に現れているのが、「アーマード・コア フォーアンサー」だと思いました。 ちなみに、宮崎英高氏は「アーマード・コア フォーアンサー」ではディレクターを務めています。 まぁ、フォーアンサーはもう古いゲームですし、 アーマード・コアシリーズ自体、ちょっとガンダムゲーっぽい部分もあって、 ニートさん的には守備範囲外かも知れませんが、 詳しくは動画等でどうぞという感じですが。 例えば、アクション面でいえば、クイックブーストは後のヤーナムステップとか猟犬のステップっぽいです。 ブラボに出て来るいくつかの武器の元ネタ(パイルハンマー・レイテルパラッシュ等)はフォーアンサーにあります。 何より、フォーアンサーのマルチエンディングの一つ、人類種の天敵ENDというのが、 後のSEKIROの修羅ENDを彷彿とさせるんですよね。 「殺しすぎる、お前らは」 フォーアンサーの人類種の天敵ENDに向かう途中で主人公達が敵に言われる台詞 「極め、殺しすぎた。怨嗟の炎が漏れ出すほどに」 SEKIRO 奥義・纏い斬りのテキスト 上記二つのテキストの文脈や文体がどことなく似ているのは、きっと偶然じゃないハズなんですよね。 つまり、宮崎イズムの継承者が、SEKIROのテキスト担当等のポジションで、 フロム社内で着々と育っている証拠なのです!!