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アニゴジ最終章の、「星を喰う者」を見て

その直後に書いた 超絶落書き文章があったのですが、 

特に推敲とかする気もなくて しばらく放置してたのですが、

まぁ一応それも置いておこうかな ということです。 


草稿置いとくのもここのプランですし。


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ちなみに、個人の映画の評価なんて、分からんもんですよ。

個人の中でも揺れるし、見たタイミングや体調ですら、どうにでも変わる。



今、過去の自分の文章読み返したら、あそこまで「怪獣惑星」にガッカリするかな?とか思ったりもする。

いやでも、それはそれで理由はあった。



・アニゴジを、前情報ナシで見るか、

・物凄い酷評を聞きつつ、怖いもの見たさで見るか、

・小説版を読んで、めっちゃ期待した上で、そんでシドニアとか結構好きな上で、前情報ナシで見るか、


・ゴジラが好きか、知らないか、

・ポリピクが好きか、知らないか、


・・・

とかで、全然条件変わってくるからね。




そんで更に 見た結果、映画の感触が仮に「60点くらい」だったとしても、


それを「まぁまぁ検討した結果の60点」と見るか、


「そこまで酷い映画じゃないじゃん60点」と見るか、


「小説はあんなに面白かったのに、こんな調理しかできないのかよ!」となるか、


それでまた、60点の印象も変わってきますからね。

(家で見る60点。 映画館で見る60点。 これも違ってくる)


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こっから本編。


(本当にメモ帳に書きなぐっただけの文章です)




アニゴジの最終章見てきました。


んで感想です。


自分的には、 アニゴジ、 総合的に 「アリ」ということになりました。




一作目みた直後の感想は、あんな評価でした。



二作目みたときの感想は、書けたもんじゃありませんでした。


(てか、小説の二作目もめっちゃ好きだったんですよ!)

(あの小説であんだけ期待させといて、

 「あんだけお膳立てした存在」というモノを用意しておいて、

 そのメカゴジラ出てこない動かないって、どういうことだ? ということを延々と書けます)


「チェーホフの銃」という言葉があります。 それで、全てを説明できます)

(結局撃たない銃を描写するな、出したら撃て、ということになります)

(メカゴジラを意識させておいて結局出てこない映画がどういうことかを・・・もうやめよう)



でも、3作目で、 「ああ、アリじゃん」という所に落ち着きましたとさ。




つまり、良かったワケです。わりと。おもいのほか。



なんだろうね、 「言いたいことがわかった」感じ。



ああ、この脚本、この設定、このコンセプト、 「言いたいこと分かる!」「分かるよ~」と、

そういう気分になった。


すると、3作通して、なんかアリだった気がしてくる。 そんな感じです。


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といってもね、手放しで絶賛とかでは絶対ないですよ。



途中までの会話劇は絶対退屈だったし。



まず前半。



キャラがゆっく~~~り歩きながら、ベラベラベラベラ語るシーンだらけ。

あれ本当退屈だし苦痛。 もうちょっと考えてくれ。



なんか、移動しながら会話してるんだが、

ずっと洞窟の中だし、そのキャラ達の移動に 必要性があるのかも分からない。


(「歩きながらでいいか?」みたいな会話がさぁ! お前ら本当に歩く必要あるのかと思ってしまう。)



それもなんか、わかりきったこととか、前作でやったこととかおさらいみたいなことを、

延々と語ってるような気がしてしまったり、


(前作の戦犯が誰かを糾弾する展開も、そらそうなんだが、なんか不快だ)


あとは宗教にかぶれる人間のうざったい演技とか・・・

(これは自分の主義主張による好みの問題)



それと、主人公が急にウジウジしたキャラになって、(いやそれは分かるんだが)

その演技がなんかウザいなぁって思うようになった。



まぁ、前半の会話劇の苦痛さはかなりのものがありました。

はよなんか動けと。




で、まぁギドラが出てきて、

ゴジラと戦って、


色々エクシフの目的やら、


怪獣とはなんぞや


文明とはなんぞや


人間とはなんぞや


滅びとはなんぞや

・・・

みたいなことが明らかにされる。



そんで終わり、ということです。


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自分的には、つまりこの、


「怪獣とはなんぞや?」

「文明とはなんぞや?」

「滅びとはなんぞや?」

・・・


この部分が「自分にフィットした」、というのが アニゴジ最終章が「アリ」になった理由かと思います。



(逆に言うと、ここが合わないような人は、もう 完全にアニゴジ駄目でしょうね)

(でも、ある意味 そういうとこが一番「アニメしてる」と言えるとも思うのです)


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ギドラとゴジラとのバトル自体は、 ほんと、まぁ 褒められたもんではないと思います。



紐状のギドラが、ゴジラに噛み付いているだけの映像です。

(むしろそれだけの映像でよく間を持たせたなと、褒められるくらい)




ありゃ、どうなの?



「省力作画」

「かんたん作画」みたいな言葉があるけど、

3DCGにおいては、 ああいうのこそ本当それに当たるんじゃないか?という感じ。


ループしてる紐ツールみたいなギドラの首が伸びて、ゴジラに繋がってるだけの バトルです。



2Dで言えば、「ブラシツール」みたいなもんじゃないですか?

(だれかギドラのブラシ作ったらどうだろうか?)

こういうので



でギドラ自体は引力光線みたいなの撃つことすらしない。 首だけ。噛むだけ。



ギドラは強いのか なんなのか?

無敵のように見えたときもあったけど、種が割れてからは、一方的にボロ負けしたようにも見えます。


(まぁそれがギドラの宿命のようでもあるけど)



戦闘に関しては相変わらずそんな感じです。



(まぁ、前評判の、「杉田博士が全部解説してるだけ」、ほどの酷さは感じませんでしたが)

 (杉田はMVPだと思います。色々と)


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じゃあちょっとテーマに関わる部分について考えていく。



とにかくこういうの


怪獣とはなんぞや?

文明とはなんぞや?

人間とはなんぞや?

滅びとはなんぞや?


・・・

「こういうことについて考える」ということが、自分の性にあってるんでしょうね。





「怪獣とは?」


恐怖する人間がいなければただのデカイだけの獣である、みたいな話があった。

なんか、分かる。



神は信仰する民衆がいないと無力みたいな、そんな東方チックな考えかもしれぬ。


ハルオが主人公である必然性とか、メトフィエスがハルオに固執する理由も分かる。

あの場でもっともゴジラを憎んでいるのがハルオだから。

怪獣をもっとも怪獣たらしめているのが主人公なわけだ。



星が場


生命が種


文明が花


ゴジラが果実


それを食らうのがギドラ 

・・・

みたいな話があったでしょうか。


自分がもいっかい自分の言葉で言ってもしょうがない気がするけど。


なんかその全体の構想が、妙に腑に落ちた気がする。






考えてみると、



怪獣とはなんぞや

何故文明を襲うのか


そういう「根っこ」の部分? いや、「更にその先の先の部分」に対して、

「本当に明確に答えを出した作品」 って案外少ないかもしれない???




まぁ例えばエヴァでは、


・何故使徒は、第3新東京市を襲うのか?

・使徒とはなんぞや?

・人間とはなんぞや?


みたいな設定はありました。



つまりそれは

「なぜ怪獣が都合よく主人公たちのいるとこにやってくるのか」みたいな

「ロボットモノ・特撮モノのお約束」に対する「答え」を用意した作品であるわけです。



いわゆる「お約束」を、お約束のままで終わらせないで、

作品内の設定に昇華する。  エヴァとはそういう作品だったわけですね。

(ATフィールドだってそうだし)


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じゃあ怪獣映画の場合はどうか? ゴジラ映画の場合は



まぁ、大まかな設定とか


・なんかゴジラは文明を憎んでるとか


・なんとなく原子炉とかそういうのを襲いますよとか 光を狙うとか


・なんとなく現れて、敵怪獣と喧嘩してるだけですよとか


案外、そのくらいの理由付けで終わっている作品が多いように思う。 ?

(そして作品内でもその設定が矛盾しているように見えるモノもあったり)



そこんところでアニゴジがやった


人間とはなんぞや

文明とはなんぞや

怪獣とはなんぞや


・・・

この辺の壮大な構想は、なんか、一応全てをちゃんと語ってくれたような感じではありましたね。



ゴジラ映画においてエヴァをやったような?

そんな感じがするのです。



つまり、非常に「アニメしている」のです。


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メトフィエスについて





人間はかならず文明を発展させてしまう


よって人間は、かならずゴジラに襲われてしまう


そしてそこにギドラが現れる


つまり絶対にギドラからは逃れられない



その絶対的な存在 神 に対して ギブアップしてしまおう

食われることを認めてしまおう



・・・

みたいな感じでしょうか?



それがエクシフのギドラへの「献身」なのかもしれぬ。



(見た直後のテキトーな解釈ですが)








人間は絶対死ぬんだから。


文明は、人類は、絶対滅びるんだから。


てか宇宙自体も有限なんだから。


みたいな考えでしょうか?



いや単純な破滅主義でもないよな。


FF10のシーモアとかさぁ。

小説に出てたゴジラ教とか。

メガトンの爆弾教とか。


そういうのともちょっと違う。



もうちょっと考えてみる。







人間の人生が有限で、

人類の文明も有限で、

今住んでるこの宇宙も有限で、


自分たちの生も死も、このまま終わって「何も残らない」。


(死んだら記憶は霧散するんだから)

(他の人間に何かが受け継がれるような気がしても、その人間も全員死ぬんだから)


(FF9のメインテーマみたいな歌が言っていることは、そういう意味じゃ嘘っぱちです)

(「他者に受け継がれるから有限の生命にも意味がある」なんてのは、全ての人間が死に、人類も必ず絶滅することから、帰納的に否定できるんです)



もしもそこんところで、


ギドラのような、「宇宙すら超越した存在に食ってもらえる」のなら、


それ以上に、

「人生に意味をもたせる行為」 って、 なくない????



自分はそんな気もするのです。




そういうこと、考えたことない???




自分はこういうこと結構考えますよ。


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別に自分の中にこういう考えに明確な反論はありません。


つーかそういう以外でも、考えてるよ。





結局死ぬんだから何時死んでも良くない?


いやむしろ、人間死ぬ時というのは 

精神的にも健全で、健康で、そういうときにすっぱり死ねた方がよくない?みたいなこと よく考えますよ。



だって、 病院で、 寝たきりになって、 スパゲッティ状態になって、 ボケ老人になって、 家族からも疎まれながら

「もうさっさと死ねよ」と思われながら死ぬのなんて、最低だと思いませんか?



だったら、


人生の絶頂の時期に 突然交通事故にでも遭って、 


「あの人はいい人だった」

「これからの人生だったのに」


とか、 「惜しまれながら」 死んでいったほうが、よっぽど良い幕切れだったと思いませんか?





みんな、終わりよければすべてよしって思ってるわけじゃん。 アニメでも映画でも。

じゃあ人生だってそうな筈。



でも、今の時代、 孫や子供に看取られながら惜しまれて死ぬことなんて、

なかなか希望もできないだろう。 それだったらさっさと死んだほうがよくない? みたいなことよく考えるんです。






まぁエクシフはこんな次元でモノ考えてるんじゃないだろうけど。


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で、自分の中には「無い」

このようなエクシフの滅びを肯定する思想に対する 反論。




そこに反論するのが、主人公ハルオの「最後の行動」なんだろうけど、



まぁ、自分はあんましわかんないですね。



どうなんでしょうね。


別に分からないからあれが悪いってテンションでもないのですよ。



自分は分からないけど、ああいう行動に出るというのは、 

それはそれで整合性あるような気はするのです。


(ただ、その行動にヒロイン連れて行く理由ある?とは思いました)





「桜の花は散るからこそに美しい」

こういう思想に対する、一つのアンチテーゼのように、自分は思いました。


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しかしヒロインもねぇ。



普通に考えたら酷い扱いですよ。



二作目でナノメタルに侵食されて、そのまま目覚めることもなく、

そのままフェードアウトするヒロインって凄くない???




てか、ハルオ自体は、ミアナかマイナのどっちかと (どっちか忘れた 把握もしてない)

子供作ってるワケですよ。


そんで最後はああなってしまうという。


「負けヒロイン」といえば負けヒロインですが、 何故か、 「負けた気がしない」感じもあるのですね。




それが、なんか、「勝ち」「負け」の話なのですね。



これも結構 興味深いところなのですよ。


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・フツアの言う、「勝ち負け」の概念



フツアは昆虫人間みたいなもんですね。

そんで、文明を否定して、モスラの元で生きている存在?




彼らから言えば、

「生きて命を繋ぐこと」 =「ただ繁殖すること」が =「勝ち」であり、

「それに失敗して死ぬこと」 =「消えること」が =「負け」なのですね。


完全に動物の動きです。




文明の逆を行く。 自然と調和して生きる。


だからこそあの世界で、ゴジラに狙われずに生きていける。


だから滅びない。 だから、勝ち。




・・・

結構面白い。


負けないから勝ち。 

勝ちだから勝ち。


モスラは、ゴジラに負けない。



そんな感じ。



で、ハルオの子供もちゃっかりゲットしている。

一見、勝ってるっぽい。



・・・

でも、それでいいのだろうか?



やっぱりそれじゃ、動物と同じじゃないか?とも思う。




で、その逆を行ってるのが、 やっぱしハルオの「最後の行動」であるし、

結果としてそこに着いていってるのがヒロインのはなざーさんであるので、

なんか、負けた感じがしないのですね。




そんなところではないかと思う。


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まぁそんな感じでした。


アニゴジみた直後の感想が、こんな感じです。





自分的には、



・コンセプト?というか作品全体のテーマは好き。 

・言いたいことが、一本通ってる感じがする


・設定は良い。


・音楽も良かった。 (これほんとうにそう思う。3作目は感動できるシーンがいくつかあった。曲いい)





・キャラ、ぶっちゃけ全体的に好きじゃない。 このキャラが好き!みたいなのがいない

 (ハルオは最終的にいいキャラ造形だと思った。 でもそれとこれと好きになるかは別)


・映像、ぶっちゃけ面白くない。



・・・という感じの総評でしたとさ。


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これ、やっぱし映画じゃなくて

最初の構想通りに TVシリーズのアニメでやってたら、やっぱ評価違ってたんじゃないかなぁ?



映画館でみるとダレるとか、

映画としてみると、絵が退屈とか、

映画としては盛り上がりに欠けるとか、


・・・

そういうのは、家で、アニメとして毎週見てる分には、全然マイナスにならんかったかもしれない。

結構面白いアニメシリーズ みたいな評価になってたかもしれない。



(例えば自分は、シドニアのTVアニメシリーズは良かったと思ってるんです)


(一方、同じポリピクのBLAME!の映画は、ダメダメだった人間なんです)

(この辺の感想 思ってること、ピューディパイと完全に同じなので、参考にして)


(ピューディパイがBLAME!叩いてる動画どれだっけ? これだっけ? 忘れた)

youtube post: zQ5scEuTgLE


(好きだからこそ、映画をボロクソ叩くってのは、あると思う)

ピューディパイは好きな漫画一位レベルで語ってたんだよ




(つまり、アニゴジも、それと同じことなのかもしれない)


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アニゴジに関しては 色々言われてるだろうから 別に自分も特に強く何か言う気は もはや無いけど、

結局どうなんだろう。




製作の、「更に上の立場の人間の判断」が、色々間違ってたってだけ なんじゃないかと思う。





「アニゴジが怪獣プロレスしないのは、上から止められてたからだ」

「そういう製作の事情を理解して、アニゴジ叩くのやめろ」


みたいな、 そういうアニゴジファンからの声が、聞こえてきたりはするんです。



そういうのを聞くたびに、 それはそれで

「それは、本当に見る側が気にしないといけないこと?」 っていう気分にはなります。



つまりそれは、「止めた上の人間」が馬鹿ってだけのことじゃんと。



そして、 そんな制作事情を把握してない人間に対して、文句言い続けるのも違くない?

とも思う。




どうなのだか。




皆、制限のある中で傑作を作ってきてはいるのだよな、

いろんな映画のメイキングに触れれば触れるほど、そう思う。


皆、限られた予算の中、限られた条件の中で、傑作を作ってきたのだよ。

アニゴジだけが逆境でもない。


そんなことは感じる。


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AVGNがアニゴジ見たら、どんな感想を持つんだろうね。 てか見るのかなぁ。 

ちょっと見てほしい気がするけど。



でも多分、少なくとも、二作目は絶対褒めないだろうなぁ。



「これだけお膳立てしておいて、メカゴジラを動かさないなんて、 製作者は一体何を考えているんだ?」

みたいなこと、言いそう。

(AVGNは、結構 素直なこと、まんま言いますからね)

(製作の経緯とか裏側とかも、よっぽどじゃないと調べたりしないだろう)




あと、外国人には伝わらないだろうなぁ~って部分がある。



主人公ハルオの名前が、

「ああそういう意味なのか!」

「ああこの作品のテーマにぴったりな名前だ」 ってわかって、妙に感動するシーンがあるのですが、



そういうのだって、外国人には刺さりにくそうなわけですからね。



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そういう落書き。



こっから

見てから、しばらくしてからちょっと整理されつつ思ったことを書いた文章です。



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もうちょっと後になって思ったこと。



ハルオの最後の行動について。




・最後に残ったヴァルチャーと、

・ナノメタルの入ったヒロインと、

・そして自分自身


これら3点を持って、ゴジラに特攻したというのが 重要なんじゃないかと思った。





文明、そして負の遺産のナノメタル。

これらを全部処分しようとした?



ヴァルチャーのようなモノがあると、 まぁ杉田博士に限らず、

やっぱり人間はどうしても文明を発展させてしまう。

たとえ武器を全部捨てた気になっても、絶対にこれには逆らえない。



だから杉田博士がいるいないとか、ヴァルチャーがいるいないとかに関係はないんだろうけど、

まぁヴァルチャー自体も跡形もなく消し去っておきたかったのだろう。

あと、ナノメタルも。



そしてハルオ自身が死ぬこと。



やっぱ、怪獣を怪獣たらしめているのが 「人間が憎むこと」「人間が恐怖すること」であると、

メトフィエスが言っている。 その通りなのだろう。 それが強力なのもハルオ。




フツアの民は、ゴジラを憎みはしない。 (人間が台風を憎まないように?)

だから、地球がフツアの民だけになったら、ゴジラはある意味、「怪獣ではない」



あの場でゴジラを最も憎んでいるのはハルオであるから、

最後に自分が消えることで、残るフツアのためになるんじゃなかろうか?


そういうことのために特攻した、という感じだろうか。



つまり3点の禍根を全部消した、ということではないだろうか。





エクシフには、なびかない、

ビルサルドには、なびかない、 (2作目)

フツアにも、なびかない、


地球人として死ぬ。



そういうことじゃないかなぁ、

とか思ったりした。



見てすぐ分かれって感じか?

それともまだ勘違いしてるか。



(でもさ、「ヒロイン連れて何も考えず無策に特攻とかサイテー!」みたいなレビューとか見ると、

 こういうことくらいは書きたくなるぞ?)(実際そういうレビューがある)


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あと多少気になること。



モスラがまたシルエットしか出てこないワケですが、

それもまぁもはや良いのですが、


デザインだけは気になるよね。



めっちゃ「蝶」みたいなシルエットだった気がする。

(これはパンフレットにも載ってないのかな?)



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もうちょっと気になること。

でもこれは完全に脱線文章。



別にこの映画自体は 「文明否定」ではないワケですよ。 そういう勘違いしてる人もいたけど。



作品内の設定として 人間の性と、そこに必ず現れる怪獣、という設定があるだけで。




でも、文明を否定するってなんだろうな? とは思います。




フツアの中で生きていこうとしても、

それでもなんとなく便利な生活を思い出してしまう隊員たちがいたりする。


ヴァルチャーを直したりして、なんかイキイキしている杉田博士がいたりする。


そういうのの中に、「人間の業」を見つけて、 ああ、ゴジラからは、ギドラからは、逃れられないのだな、

みたいなのを感じたりする。


そういうとこも凄い好きなのですが、


ここんとこ更に突っ込んで考えると、よくわからなくなる。





「便利さを追う」ってのは、なんなんだろうね?




フツアとして生きる。 動物のように生きる。 そうするとゴジラには目をつけられない。

そこから、ちょっとでも便利さを考え出すと、駄目なのだろうか?



フツアだって、モノは作ってるし、 (服とか武器とか)

食べ物は採集しなきゃいけないし、

文明はあるよなぁ。



日々の採集やらをちょっとでも機械化、自動化させたら、駄目なのだろうか?



手作りで10時間かかる裁縫を、なんか機械をこさえて、1時間で済むようにする。

作ってる食べ物を、もっと効率よく生産できるようにする。




便利さ、

効率化、


そのようなことを考えることが、まぁ文明だろう。



道具はセーフ、機械はアウト? その基準は?



便利さ、効率化、改善、公式化、

・・・

そういうことを考えようとする脳みそ


その行き着く果てが、E=mc^2だったりして、結局人間は破滅に向かう、と。


そしてその文明をゴジラがぶっ壊しにくる、と。




・・・

・・・

なんで便利さを追い求めちゃいかんのだろうか?



うまくいえないけど、この辺、

考えれば考えるほど、よくわからなくなる。





で、突然思った。


なんかさ、「エクセルのマクロ使うと怒る上司」みたいなもんじゃないか?


そこに理由はあるのか?


ないはず。


合理的に説明出来るちゃんとした理由なんか無いが、 怒るわけだ。




・・・

そうやって考えると、 

アニゴジのゴジラって、「マクロ使うと怒る上司」か? みたいなことを思ったりした。



こういう駄文でしたとさ。




(YouTube)


Comments

Anonymous

その思想からついていけずアニゴジ三作観てないから作品自体のことは触れないけど、そちらの内容に共感できるところは少しありますね。 そりゃ自分も作業の効率化や便利さを一概に否定しないけど、それによって得られるものもあれば失うものもあるというのは疑問を感じていたりします。 本来得られたはずの恩恵とは裏腹に破滅の一途を辿っていくのだとすれば、皮肉としか言えないけど……

byneet

見てないのですかー。アニゴジは、まぁどうなんでしょうね。 合う合わないが凄まじいと思うので安易には勧められない作品かと思います。 自動化云々は、まぁ自分的にはオートでリトポしてくれるソフトを買うか買わないか、みたいなことかなぁとかw でも自分の書いてる文明云々は実は本編からずれたとこを勝手に考えてるだけかもなのであんま気にしなくていいですよ。 アニゴジは、 小説版がめっちゃ面白いので興味持ったらまずは前日譚の小説版をおすすめしたいのですが、それはそれでそっから本編みたら自分みたいにガッカリする人間も出てくるので難しいという感じですw